悩み多き年の瀬

大晦日です。

だからといって取り立てて身構えることはありません。別に単なる一日です。一年の365分の1でしかありません。

しかし、個人的にはこの1、2週間、悩み多き日々です。

その一、

ちょうど二年使ったところで、タブレットを今月新しくしました。機種交換です。そして、改めて自宅のテレビの、宅外からのタブレットによるメール予約を設定したのですが、これがうまくいきません。以前は、外出先から見たいテレビを予約しておくことができたのですが、これがいくらやってもできません。

タブレットが変わって、設定が間違っているのかもしれません。あるいは、その一ヶ月ほど前に自宅のルーターを変えたので、そのせいなのか、まだ原因は不明です。以前のタブレットの時も、それほどしょっちゅう外出先から予約を入れていたわけではないので、ルーターが変わってからできなくなったのか、よくわからないのです。つまるところ、最近この機能が使えていたのか否か、それはわかりません。

それほど使っていなかった機能ですので、できなくても実害は少ないのですが、できないとわかるとなんとかしたくなるものです。とにかく試行錯誤の日々です。

その二。

実はこっちの機能が使えないことが個人的には深刻です。それは何か。

実は機種交換したタブレットは富士通の「F-02F」です。この機種には「DiXiM for Android」というソフトがプリインストールされています。どういうソフトかというと、自宅のメディアサーバーに接続し、そこに保存してあるテレビ番組や映画などを外出先でも視聴できるというソフトです。自宅のサーバーはこの機能に対応したバッファローの「LS410DX」です。

これらが揃っていれば、自宅で録画した地上波の番組、WOWOWやスカパー!の映画などが外出先でも見られるはずなんです。ところがこれがダメなんです。もちろん自宅ではきちんと見られますが、外出先、例えば勤務先とか異動の電車の中、駅構内などでは自宅のサーバーにアクセスができません。

DiXiMのサイトを見ますと、FAQなどにはルーターの設定がどうのこうのと書いてありますが、具体的にどこをどう設定すればよいのかは書いていません。これではどこから手を付けてよいのか、そもそもどこにエラーの原因があるのか、不親切なサイトだなあと思いつつ、これもこのところずっと試行錯誤していることです。

現状ではこのまま年が明けそうです。そして新年もずっとこんなことで悩むことになりそうです。

 

4時間

このダイアリーにもFacebookにもしばしば書いていることですが、この半年くらいでしょうか、あたしはだいたい晩は9時くらいには寝てしまう生活が続いております。早い時に8時半とか8時すぎには布団に入ってしまうこともありますが、体調が悪いわけではありません。(時にはそういう日もありますが……)

単に眠いだけです。眠くなってしまうのです。

朝、3時すぎ、4時には起きる生活をしているので、晩に早々と眠くなるというのは体が正直な証拠、健康な証と言えなくもないでしょう。早く起きるから早く眠くなるのか、早く寝るから早く目覚めてしまうのか、鶏と卵のようで結論は出ませんが、とにかくこの半年くらいはそんな生活リズムでした。

9時くらいに寝ると、11時から12時の間で一回くらい目が覚めることが多いです。もう少し寝ていたとしても1時までには一度くらい目が覚めます。やや体調が悪くて8時すぎに寝てしまった時などは、夜の10時前に一度目が覚めました。

平均してみると3時間から4時間、短い時だと2時間半くらい眠ったところで一度目が覚めるという癖があるようです。別に寝付きが悪いとか、睡眠が浅いと言うことではありません。むしろその逆で、ものすごくぐっすりと寝た、よーく寝た、という感じで目が覚めるのです。

もちろん、まだそんな時間ですから、もう一度眠りに戻るわけですが、あたし自身の感覚とすれば、8時間から10時間くらい眠っていたのではないかというくらい、ぐっすり感があります。「たいていの人はまだ起きているよね」という時間に、こっちはぐっすりと寝て起きた状態だなんて、ちょっと気恥ずかしいところもありますが、とにかく最近はこんな調子で、年末年始の休暇になっても変わりません。さすがに4時には起きませんが、5時半とか6時には起きてしまいますね(汗)。

こういう生活をしていると、忘年会などの飲み会がつらいです。始まってじきにもう寝る時間、眠たくなる時間になるわけですから。

 

年末年始休暇

本日から年末年始の休暇です。

えっ、昨日は?

はい、昨日は単なる週休二日制の土曜日です。年末年始休暇ではありません、厳密に言えば。

あたしの勤務先は、社則だったか内規だったかで、12月29日から1月4日までが年末年始の休みと決まっています。これにその年その年の曜日の配列によって年末年始休暇が長くなったり短くなったりするわけです。今年は長い方ですね。

あたしの記憶に間違いがなければ、あたしが入社したころは、12月30日から1月5日までが休暇だったような気がするのですが、たまたま曜日の配列からそんな風に覚えてしまったのか、確かに当時はそうだったのか、確かめたことはありません。

いずれにせよ、休みはこのように決まっています。ですので昨日は年末年始休暇ではないと書きました。ちなみに1月5日の日曜日も年末年始の休暇ではありません。ただの日曜日です。そして仕事始めは6日からになります。

書店は、ほとんどのところが2日から営業しているようですし、ショッピングモールなど1日からやっているところに入っている書店は1日も営業のようですね。31日まで、当然のことがながら普通に営業しているわけですから、そういう書店の場合、結局のところ、年末年始の休暇がないということになりますよね。日本全国、もう少し休めないものでしょうか?

もちろん、書店は営業していても、書店員さんはそれぞれ交替で正月休みを取るわけですから、まるっきり休暇がないわけでもないでしょう。むしろ取次や出版社が休みの年末年始は、お店が忙しくても入荷する荷物がほとんどないので、意外と楽だという話も聞きます。特に普段ためてしまっている仕事や雑務を片づける絶好の時だそうです。

また、正月の混んでいる時、高い時を避け、空いている時、安くなった時に休みを取れるのは、それはそれでありがたい、という意見も聞きます。ネックは友達や家族、恋人と休みが合わない、ということでしょうか?(まあ、そういう人は少数派で、案外孤独な日常だったりするみたいですが……汗)

何はともあれ、あたしは風邪はなんとか引く寸前で踏みとどまっていますが、鼻づまりと鼻水がヒドいのに閉口しています。いや、こういう場合、閉口ではなく閉鼻と言った方がよいのでしょうか?

全然変わらない

こんな記事がありました。

“全然変わんない”は褒め言葉? 「悪気のない言葉に傷ついた瞬間」

女性に対し、化粧をする前とした後について言うのが主眼のようですが、それ以外のパターンもあるようです。

あたしの場合、昔から「ナンシーはずっと変わらないよね」と言われます。久しぶりに会った人に言われるだけではなく、「10年後にあっても変わっていないだろうね」といったセリフをよく言われます。別にあたしが老成しているとか、そういう意味で言っているのではないと思いますが、とにかく昔から「変わらない」とよく言われます。

とはいえ、その昔、あたしに変わらないだろうねと言った人に十年後、二十年後再会したかというと、誰一人会っておりません。だから当時の予想が当たったのか外れたのかは検証のしようがありません。

それにしても皆さん、あたしのどこを見て変わらないと言うのでしょうか?

善隣友好

靖国神社。

行ったことはありますが、あくまで境内を通っただけで、参拝したことはありません。「日本人として英霊に……」と言われても、少なくともあたしの親族であそこに祀られている人はいないので、お参りしようという気にはなりません。「お国のために闘った」と言われても、確かにそのとおりではあるのですが、現在の感覚からすれば「お国のために闘わされた」のであって、果たして彼らが人殺しをしたかったのか。

そんな人間はいないと信じたいです。

とりあえず、総理大臣の参拝に対する賛否はおくとしてあの人はどうしてはっきりと、「先の戦争で、日本は決して間違ってはいなかった」「東京裁判は戦勝国の一方的な断罪であって受け入れられない」と言わないのでしょうか? 中途半端に取り繕うとしているから、あっちこっちでおかしなことになってしまっているのではないでしょうか?

この際、はっきりとそういった主張を堂々と述べ、その上で中韓だけでなくアメリカを初めとする諸外国がどういう反応をするのか、そして日本国民がそれでもこの総理大臣を支持するのか、問うてみればよいのではないでしょうか。

あたしはそう思います。

もちろん、支持なんかしませんが!

暮れも押し迫ったころに

今日、12月26日は毛沢東の誕生日だそうです。今上天皇の誕生日もつい先日で、「この暮れの忙しい時に祝日とは……」と思ったものですが、世が世なら、中国では今日、12月26日が祝日になっていた可能性もありますね。これも庶民には迷惑な祝日ではないでしょうか? ただ、中国の場合、西暦の年末年始は特に祝日気分が盛り上がるわけではなく、やはり春節が一番の休暇になりますので、毛沢東の誕生日が祝日になったとしても、それほどの迷惑感は生じないのかもしれません。

ちなみに、毛沢東は9月9日に亡くなっていますが、これはあたしの父親の命日です。中国思想を学んでいた子供を持った父親が、毛沢東の命日になくなるなんて、ちょっとした因縁を感じなくもないです。でも、9月9日はあたしの祖母、正確に書きますと父の母の命日でもありまして、なんと、あたしの父親は実の母親と同じ日に亡くなっているんです。

もちろん何十年もの隔たりがありますが、父が亡くなった時は、やはり母親があの世から呼んだのかな、という気がしました。

さて、仕事もあと一日。朝方の頭痛も昼間にはほぼ治まったので、最終日はすっきりと迎えられそうです。

年末年始に読書はできる?

書店営業の途次、津村記久子さんの新刊が出ているのに気づきました。

ポースケ』です。また、なんとけったいな書名でしょうか。

穂村弘さんも新刊が出ていたんですね。

いじわるな天使』、文庫です。

どちらもこの年末年始の読書用に買い求めたいところですが、いまのわが家には妹家族が来ていて、それだけならよいのですが、なにせ小さい子供がいますので、とても読書どころではありません。うーん、悩ましい。

あと、皆川さんも新刊が出ていましたね。

影を買う店』です。皆川さんと言えば『アルモニカ・ディアボリカ』も買いたいのですが、『開かせていただき光栄です』をまだ読んでいないので、これは二冊同時購入がよさそうですね。

 

そんなことより(と言っては失礼ですが)、全5巻の「アヴィニョン」も着々と進んでいるのですね。第3巻、『アヴィニョン五重奏III コンスタンス』の刊行ではありませんか!

そんな中、最も興味を惹かれたのは実はこちら、『チベット文学の現在』でした。

ああ、読みたい本がたまっていく……

死を愛してしまったひと

ようやく読み終わった『不浄の血』から、ちょっと惹かれた文章をご紹介します。

そうね、あたしは墓場に横たわっていたようなものね。墓場に長く暮らしていると、だんだん愛着がわいて、苦じゃなくなってくるのよ。あの人は青酸カリの錠剤をくれたわ。自分でも似たような毒薬を肌身離さず持ってた。奥さんも息子さんも。あたしたちみんな死と隣り合わせに生きてた。ひとには死を愛することができるの。死を愛してしまったひとは、それしかもう愛せなくなってしまう。解放の時がやってきて、あの牢獄から出るようにって言われたけど、出ようなんて気にならなかった。腰が引けて、まるで屠殺場に引きずられていく仔牛みたいだったわ。(P.265)

この暗さ、なんとも言えない重苦しさ。それがこの作家の真骨頂でしょうか?

風呂

昨日から妹家族が来ています。年明けまでの滞在のようです。

この前も来たばかり、という気がしないでもないですが、今回はクリスマスと正月ということで、前回がイレギュラーな来訪だったようです。

前にも書いたように、妹のところの子供は女、男、女と三人。一番上の姪っ子はこんど小学生。真ん中の甥っ子はこんど幼稚園の年中さん、一番下の姪っ子が春から幼稚園に入園という年齢構成です。この三人、うちに来るとなぜかあたしと風呂に入ると言うのです。今回のように長い滞在になるとそのうちうちの母や自分の親と入ることもあるでしょうけど、なぜかあたしと入りたがるんですよ。

で、昨日、今日とあたしが三人とも入れました。一緒に風呂に入りました。甥っ子はよいのですが、姪っ子二人はどちらも髪が長く、シャンプー、リンスも大変です。こんな歳なので、体も洗ってやらないといけませんし、湯船の中で遊んでばかりいます。

考えてみますと、昔からあたしって親戚の子供の風呂入れを担当しているんですよね。いったい何人の子供を入れてきたでしょう。中学や高校の頃からですから長い歴史があります。既に、あたしが風呂に入れてやっていた子供が父親、母親になっていたりしますから、時の流れを感じます。

それえに引き替え、あたし自身はいまだに自分の子供を風呂に入れることすらできておりません。たぶん、一生そんな機会が訪れることはないのではないかと、最近は半ば覚悟しております(涙)。

霊感は強くはないですが……

昨晩、TBS系で恐怖映像を集めたバラエティ番組が放送されていました。放送された映像は、たぶん素人やアマチュアの映像作家が作った心霊フィルムもどきなのでしょうが、なかなかよくできたものもありました。

そんな映像を見ている間に、タレントが実際に心霊スポットへ行ってリポートしてくるというコーナーがありました。タレントだけではアブ愛というので霊能者のような人が同行していましたが、テレビに出ている霊能者って、九割九分、ニセモノではないでしょうかね? もっともらしいことを言ってタレントや視聴者を怖がらせて、浄霊みたいなことをして安心させるって、子供騙しだなあと思うものの、年末の休みの日に見るには気楽でよいかも、とも思います。

で、そういった霊能者がしばしば発する言葉に、「先程からそこに女性の姿が見えるんです」とか、「あそこにすーっと立っていますよ」といった、いかにも何か霊的な存在がそこにいるかのような言葉です。実際に、そんな風に見えるのでしょうか? そこらじゅうにいるのでしょうか、霊って。幽霊の正体見たり枯れ尾花、という言葉もあるように、実は何かの影が人のように見えることなのではないでしょうか? 心霊写真なんて半分以上はそうですよね。人の顔に見えるといえば見えるし、見えないといえば見えない、そんなものでしょう。

ところで、あたしは霊感が強いわけではなく、生まれてこの方そういったものを見たことはありませんし、心霊体験も皆無です。ただ、この数年、そこにいない人が見える時があるんですよ。街を歩いていても、どう見たって「枯れ尾花」とは思えないほどはっきりと人が見えることがあるんですよね。これって霊感が強くなっているからなのでしょうか? それとも少しずつあたしが冥界に近づいているからなのでしょうか?

でも、冥界に近づいているってどういうこと?