2013年のアーカイブ
今日の配本(13/12/20)
スピノザの妬み
『来るべき民主主義』を読み始めました。
小平市の都道建設の是非はともかく、一小平市民としてこの本は読んでおくべきだろうと思ったのがきっかけです。もちろん、問題となっている雑木林、鷹の台の駅を出て、広い公園を抜けて津田塾大学へ向かう途中、その津田塾大学の向かいが雑木林ですので、何度も通ったことのある場所です。
さて、本書の初めの方で國分さんはスピノザの妬みについて注釈を付けていらっしゃいます。そこがちょっと気になったので取り上げてみたいと思います。別に國分さんの主張に文句を付けるとか、スピノザの解釈が間違っているだなんて大それたことを言おうというのではありません。
問題の注は第二章に付された14番目の注です。同書243ページで國分さんは
特別なことの利益を享受した人間は、特別な人間でいてくれないと困るのだ。もしその人間が自分と同じ立場の普通の人間ならば、自分と変わらないにもかかわらずその人だけ特別なことの利益を享受して「ずるい」と感じざるをえないからである。そう感じた時に人は、その「ずるい」人間を引きずり下ろそうとする。
と書いています。この文章に間違いはないのですが、あたしはちょっと違います。少なくとも、そんなとき、あたしならこう思います。
つまり、妬んだりしないし、引きずり下ろそうとも思わない。ただ、自分と同じ立場の普通の人が特別なことの利益を享受しているのを見たら、自分はそんな普通の人以下なんだ、普通ですらないんだ、と自分を卑下するようになると思います。もう「ずるい」なんて思って妬む元気も気力も喪失している感じです。
あたしに限らず、昨今の日本の若者って、こんな感じではないでしょうか?
今日の配本(13/12/19)
クリスマスの悲惨な想い出
このところテレビのバラエティー番組などでは芸能人のクリスマスの思い出話などを聞く機会が増えています。アイドルや俳優、女優になると恋人との甘い思い出話になることも多いですが、これがお笑い芸人になると哀しい思い出を期待されているのか、たいていはそんな話に終始しているようです。まあ、番組上は美男美女の羨ましい話よりも、笑えるような悲惨な話を好むわけですから、こちらもそういった話、時には再現ドラマなどを視て笑っています。
が、ふと、気づいたのです。
あたしの場合、人が羨むような話はもちろんありませんが、人を笑わせるような悲惨な思い出話もないということを。
そもそもクリスマスの想い出というのがありません。あたしはキリシタンではありませんから、子供のころから、いわゆるクリスマスの行事といったものは、せいぜいのところ親にプレゼントを買ってもらう、ケーキを食べるくらいしかありませんでしたし、子供のころの話であれば、これは至ってフツーのことだと思います。
高校生くらいになれば恋人もできて一緒に過ごすなんていうこともありそうですが、そういったことはついぞなく、それは大学時代も、大学院時代も、そして社会人になった今に至るまで継続しております。別に恋人と過ごさなくても仲の良い友達とホームパーティーとか、美味しいものを食べに行くことはないの、と聞かれても、そういう友達というものがいませんので、それもありません。
つまるところ、クリスマスに限らず、恋愛話、失恋話や友人との思い出話全般、あたしの場合、人生においてほぼ皆無だということに思い至りました。それがおかしいとか、寂しいとか、そんな風には考えませんが、テレビで芸能人がこの手の話で盛り上がっているのを見ると、「もし自分が芸能人だったとして、こういう番組にゲストとして呼ばれても、話すことが本当にないなあ」と思うくらいです。つまり、自分はトーク番組、バラエティ番組には向かないんだなあということを自覚するだけです。ですが、次の瞬間、でも自分は芸能人じゃないから、という至極もっともな結論というか現実を思い起こすわけです。
そして、今年もなんということもなく、クリスマスは過ぎていくのでしょう。365日のうちの、とある一日として。
永遠の本棚は永遠なり!
今日の配本(13/12/17)
人身事故初体験
本日は休暇を取りました。先月の休日出勤の代休をずーっと取れないでいたので、ようやくです。
で、寒風吹きすさぶ中、母と亡父の墓参りに行って参りました。墓参り自体は毎年行っているところなので別に珍しくもないです。墓は、と言いますか菩提寺は都心の方にあるので行くのに不便はありません。よい天気、絶好の墓参日和と思って家を出たものの、こんなに風が冷たいとは思いませんでした。
墓参りは午前中に済ませ、帰路、渋谷から井の頭線で吉祥寺に向かいました。吉祥寺から中央線に乗り換えて、というルートです。渋谷駅ではちょうど急行が来たところだったので、それに乗り込みました。平日の午前中ということで、渋谷から吉祥寺へ向かう車両は比較的空いています。吉祥寺で降りることを考え、母とあたしは一番前の車両のシートに座ることができました。
井の頭線の急行は渋谷を出ると下北沢、明大前、永福町、久我山と停車し吉祥寺着です。永福町を出て順調に久我山へ向かっていました。かつて、大学四年生のころまで住んでいた高井戸にさしかかり、懐かしいなあと思っていた矢先、高井戸駅を通過する時に運転手さんがやたらと警笛を鳴らすのです。ホームの端を歩いている人でもいたのだろうと思っていました。
が、次の刹那、ドンという鈍い音と共に、断続的なドン、ドン、ドンという数回の衝撃と音、そして急ブレーキ。一番前、運転席のすぐ後ろで進行方向を見ていた乗客数人の悲鳴。
そうです。あたしたちの乗っていた電車に、高井戸駅のホームから人が飛び込んできたのです。
人身事故で電車が止まるなんていうのは東京にいれば日常茶飯事の体験です。でも、自分の乗っていた電車がその当事者、否、当事車になったことは初めての体験でした。それも当たった車両に乗り合わせ、その衝撃まで感じることになるとは……
その瞬間を見てしまった女性はショックで泣いてしまいました。シートに座っていた女子高生は窓の外を何かが飛んでいったのを目撃したようです。飛び込んだ人は、あたしが乗る先頭車両よりも遙か後方の線路上に倒れているのでしょうか? こういった状況の把握は一番前の車両に乗っていて、その衝撃を体験したからこそ理解できるのですが、たぶん二両目以降の車両に乗っていた人には急ブレーキがかかったことしかわかっていなかったのではないでしょうか?
じきに車掌からの車内アナウンスが入りました。事故直後、急停車した時には騒然としていた車内もアナウンスが流れるころにはやや落ち着きを取り戻し、手にしたケータイやスマホで連絡を取っている人だらけになりました。時間が時間ですから、仕事で取引先へ向かっていた人も多かったのではないでしょうか? それにしても、メールで済ませる人はまだよいとして、おばさんというのはどうしてああでかい声でケータイに向かってしゃべるのでしょう? きっとスピーカーが自分の耳に正しく当たっていないので自分が聞き取りづらいので、ついつい大声になってしまうのだと思いますが、あのような車内ではやはり迷惑に感じます。意外とビジネスマンや若者は声を潜めて話をする人が多いものです。こんな突発的な事故が起こったわけですから車内でケータイを使うのは、通話も含めてやむを得ないと思いますが、おばさんの使い方は勘弁して欲しいものです。
さて、人身事故は11時すぎに起きました。いつになったら動くのだろうと思い続けて数十分。少し車両をバックさせ高井戸駅のホームに付けてくれれば高井戸で降りてバスにでも乗り換えるのですが、ホームのないところで停まっていますし、バックしようにもたぶん飛び込んだ人が倒れていたり、警察の現場検証が行なわれているでしょう。第一、ぶつかった衝撃で電車その者が運行できる状態なのか、保安要員が来ていろいろチェックをしています。それが終わらない限り前にも後ろにも進めないのでしょう。
運転席がすぐそばにあるので、乗務員の無線連絡の音声が耳に入ります。乱れたダイヤをどう建て直すか、頻々と連絡が入っています。渋谷と永福町、富士見ヶ丘と吉祥寺の間でそれぞれ折り返し運転になったようですが、肝心のあたしたちがいつ動けるのかはわかりません。
40分くらいたって、ようやく動き出しましたが、徐行運転のまま次の富士見ヶ丘で運行終了。隣のホームに停車している吉祥寺行きに乗り換えて吉祥寺までたどり着きました。事故を起こした車両はそのまま車庫に回送され、再度チェックが行なわれるのでしょう。長かったような短かったような……
それにしても、人が当たった衝撃というのは案外小さいものですね。そりゃ、ドンという鈍い衝撃はありましたけど、人がぶつかったにしては「あんなものか」という感じでした。ふだん車を運転していてちょっとした小石を踏んだだけでもタイヤを通してそれがわかりますから、人間のような大きさのものがぶつかったら、それこそもっと大きな衝撃になるのではないかと思うのですが、意外と小さかったと感じました。
あたし自身は飛び込む瞬間もその後も何一つ目撃していませんが、もし飛び込んだ人が車両の下に入ってしまい、そこに電車が乗り上げて脱線していたらと思うと、ちょっと怖いですね。
今日はそんな一日でした。