ココナッツ・プディング

年3回のアリーナ・ツアーで関西に来ております。東京以上の寒さに、最高のパフォーマンスとはいきませんでしたが、梅田の阪急百貨店のスイーツ・コーナーは前回ほどの混雑ではなかったです。なので、買いました。

プリンです。ショップはDEMELです。東京にも店舗はあるようですが、この商品は「うめだ阪急限定」とありました。他のショップでも「うめだ阪急限定」はいろいろありそうですので、ツアー中は楽しみなことが増えました!

さあ、ツアーです!

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謎は解けた?

寒いですね。こんなに晴れて陽も出ているのに風が強くて寒い、寒い一日でした。こんな日はのんびりと映画鑑賞です。今回はこちらです。

パラノーマル・アクティビティ3」です。シリーズの前作である「パラノーマル・アクティビティ」と「パラノーマル・アクティビティ2」は以前見たことがあり(←もちろん、スカパー!かWOWOWで放送された時に)、今回は第三弾です。

 

この第三弾がパート2の続きではなく、パート1の過去に遡るものであるというのは既に知っていました。というか番組紹介にそんなことが書いてありました。確か前二作はある家庭の少女の周囲でおかしな現象が起こり、その女の子が最後に行方不明になってしまうというストーリーだったような記憶があります。今回の第三弾はその少女、というか姉妹の幼い頃のエピソードです。

結論から書いてしまうと、つまりこの姉妹の周囲でおかしな現象が起こるのはすべて祖母の悪魔崇拝から始まっていた、ということなわけですね。母親(祖母から見たら娘)まで殺されてしまうという幼児体験はかなり強烈だと思いますが、そもそも母親は自分の母親がそんなことをしていると、まるっきり気づいていなかったのでしょうか? そこがなんとも不思議です。

しかし、少女に悪霊、あるいは悪魔が取り憑くという設定は往年のヒット作「ポルター・ガイスト」ですね。それをフェイクドキュメンタリーの手法で見せているわけですが、第一作こそそんな悪魔崇拝的なものは出さず、とにかく家の中でおかしなことが起こっているというところに拘って見せていたのが成功の原因だったと思いますが、二弾、三弾と行くうちに、これらの現象に理由付けをしなければならなくなったというのでしょうか? それが悪魔というのでは、やっぱりアメリカ、キリスト教国だなあという感想しか持てません。既にフェイクドキュメンタリーというよりはただのホラー映画、それもさほど怖いとは思えないホラー映画になってしまっていて、種明かしが悪魔崇拝の一族というのでは、ちょっとガッカリでした。

ただ、そこまで信じ込んでしまい、実の娘も平気で殺せる祖母という存在。これが最も怖いかも。それにしても、このシリーズのヒット以来、フェイクドキュメンタリーのホラーが数多く作られていますが、本当にこんな状況下でカメラを回し続けられるのか、いや、固定カメラの場合はともかく、カメラを持って家の中を歩き回ったりする時に、よくもカメラを放り出したりしないなあと感心してしまいます。例えば、プロの戦場カメラマンなら銃弾が飛んできてもカメラを離さないのかもしれませんが、これらの作品は基本的に素人が自宅で録っているという設定ですから、あそこまでカメラに執着できるのはちょっとおかしいと思います。まあ、カメラを放り出してしまったら、たぶん映像が残らないわけですから、この手の映画手法の前提が崩れてしまいますよね。

文学談義だった?

昨晩の丸善&ジュンク堂書店渋谷店でのトークイベントについて。トークの主人公は万城目学さんと津村記久子さんのお二人。大阪繋がりというか、関西繋がりのお二人で、そんな二人が東京で対談しているなんて不思議な気もします。

さて、万城目さん。

あたしは『プリンセス・トヨトミ』だけしか読んだことがありません。

  

とても面白く読みましたが、映画の方は見ていません。それくらいの読書体験です。ただ、かつて吉祥寺の駅ビル・ユザワヤの地下に啓文堂書店吉祥寺店があったころ、営業でお邪魔した折、ちょうどお店に見えていたが万城目さんを、文芸担当の方に紹介していただいたことがあります。あいさつくらいしかしておりませんが、素朴な感じの印象を覚えています。

素朴という言い方は褒めてないように聞こえてしまうかもしれませんが、そうではありません。こちらの勝手な思い込み、偏見ですが、どうしても世の作家先生と呼ばれる方は偏屈で偉そうにふんぞり返っているというイメージがあって、仕事上は関わることはあっても、決して親しくお付き合いはしたくないという、そんなイメージを抱きがちです。

とんでもなく、映画やドラマの悪影響だとはわかっていますが、なんとなくそんな風に思っていたのですが、よい意味で万城目さんはあたしの予想を裏切ってくれました。そして、昨夜の万城目さん。やはり、そんな印象通りの方でした。

次に津村さん。

実はあたし、以前、津村さんにサインをいただいたことがあります。でも、逢ったことはありませんでした。逢ってもいないのにサインをもらうってどういうこと? と思われる方もいらっしゃるかと思いますが、詳細はこちらです。

で、あたしが読んでいる津村さんの作品は『婚礼、葬礼、その他』『ワーカーズ・ダイジェスト』だけです。

 

このところは『やりたいことは二度寝だけ』を読まなければ、買わなければ、とずーっと思っているのですが、なんとなく機会を失してここまで来てしまいました。

そして、初めて逢った、というか、見たというか、目にした津村さんは写真で拝見していたとおりの方、いや、もう少しチャーミングかな、という印象です。「そうか関西の人だから、関西弁だよね」という発見が新鮮でした。

それにしても、お二人、サッカーが好きなんですね。ほとんどサッカーに興味を持っていないあたしには、ほとんどついていけない(話の内容だけでなく、語るお二人の熱さにも)談義でしたが、トークイベント自体はとっても面白い、抱腹絶倒、ボケとツッコミの掛け合い漫才のような展開で、あっという間のひとときでした。

 

ソクヘン

この数年、書店のPOSレジ化が進みました。

どういうことかと言いますと、何の本が、いつ、何冊売れたのかがデータとして記録されるということです。スーパーやコンビニなど既に早くから導入され、どの店舗にはどんな商品を置いたらよいのか、かなりデータ分析を厳密にやって商品構成に活かしているとのことです。

それにひきかえ出版界はそういった取り組みが遅れていて、書店員の勘で追加発注をするという時代も長かったわけです。もちろん単なる勘ではなく、長年の経験、お客様の感触、店頭での売れ具合など、それこそ五感をフル動員してインプットされた情報を自分なりに分析していたわけですから、山勘などとあなどってはいけないものです。

ただ、その反面、この数年やたらといわれる返品率の問題。売れない本を大量に抱えてしまっている書店現場の状況というのも、データ分析がされてこなかったことのツケなのかもしれません。

POSレジのお陰なのかどうかわかりませんが、この数年の書店さんからの発注は、新刊時も追加の時もどちらもですが、昔に比べるとずいぶん控えめになったという気がします。いや、これは気がするのではなく、実際に起こっていることです。

最初からドーンと山積みするのではなく、まずは様子を見られる程度の冊数を注文し、売れたら、売れそうだと判断したら追加発注しようという流れになっています。

これは基本的には正しい方法だと思います。もちろん最初から売れそうだという判断の下、大量に注文し、店頭の目立つところで大きく展開する、いわゆる仕掛け販売も、売行きを大きく左右する面は確かにあります。ただ、売れそうだという判断の前提となるものが、これまでのように勘に頼るのではなく、POSレジによって蓄積されたデータが重きを増すようになってきたという違いはありますが。

で、それはそうと、出版社からすると、POSレジ化が進むことによって、本当に売れている書店と売れていない書店がわかるようになります。ここには書店員の方のやる気や熱意といった情が入り込まない、極めてドライな世界です。これまで売れているように思っていた書店で数冊しか売れていなかった、小さなお店なのにもうこれだけ売ってくれている、そんなことがわかってしまいます。

もちろん、このデータには不十分なところもたくさんあり、入荷数がわかりません。あくまで売れた数だけがわかるのです。同じ3冊売った書店でも、5冊入荷した店と10冊入荷したお店では消化率が全然異なります。もちろん、出版社側の出荷記録を追うことで、あの店には何冊出ている、この店にはこれだけだ、という推定をすることはできます。ただ、書店の多くは取次の倉庫にある在庫を仕入れたりすることも多いので、出版社の出庫記録に載らない分も相当数あると思われます。どのくらいを出版社側が把握できているのか、ちょっとすぐにはわかりませんが、まあそれなりには把握できているのかな、といううっすらとした感触です。

さて、そういう風に実際の売れ数が見えたりしますと、こんな風に思うことがあります。

こんなに売れているのに、追加発注しているのかな? 少なくともこちらには電話やファクスで注文は来ていないけど……

もちろん、気づいた時には、よく知っているお店であれば連絡をしたり訪ねていったりして追加発注を勧めてみますが、これも十全にできるわけではありません。その他

入荷してまだ大して時間がたっていないはずなのに、すぐに返品している(返品依頼の連絡が来る)のはなんでなのだろう……

と感じることもあります。そのお店には合わない本が配本された、入荷したということはあると思いますが、そんなにすぐに返品してしまってよいのでしょうか? 大手出版社の話題の本ならいざ知らず、あたしの勤務先の本など、刊行されて二か月や三か月たってようやく書評などで紹介され売行きが伸びてくる、なんていう本がたくさんあります。むしろ、そんな本ばかりです。そういう性格の本を出している出版社ってかなり多いと思いますが、その書評が出るのではないかなと待つ期間を辛抱せず、さっさと返品してしまうなんて、どういう判断なのだろうと考えてしまいます。

「うちはお宅の本を買うようなお客様はいません」という判断なのであれば、もう配本はしないでと、出版社や取次に要請すればよいのではないかと思いますが、そこまでやっているような書店はほとんどないようです。本が多すぎてとても全部は並べられない、というのが根本的な原因なのでしょうね。これは出版社側に大きな責任がありますね。

それにしても、書店員さんがしっかり一冊一冊の本に向き合えないような状態では、どうやって本の良さをお客様にアピールできるのでしょうか? そう思います。

だからでしょうか。店頭でのアピールよりも、Twitterやブログ、Facebookなどでちょっと話題になったりするだけで売れてしまうような現象が起きるのは。

確かに困るけど……

昨日の朝日新聞の海外特派員のコラム「特派員メモ」で、パリからオルセー美術館を参観した失業中の父親とその子どものエピソードが載っていました

内容はわからなくもないです。

コラムにあるような、不清潔・不衛生からくる悪臭は、確かに美術館に限らず、いろいろなところで鼻につきます。浮浪者がそばを通るだけで、ツンと来るあの独特の臭い。早くどっかへ行けと心の中で叫んだことは一度や二度ではありません。

その他にも、香水などのきつい臭い、タバコなどの臭いなど、数え上げたらきりがないほど、悪臭というか、異臭だらけですね。

このコラムでは、子どもが美術館に悪い印象を持ったまま大人になってしまうことを心配して締めくくられているようでしたが、あたしの感想はちょっと違います。

ボランティアの人がせめてもの慰めに親子を美術館へ連れて行ったのでしょうけど、連れて行くなら、まずは風呂屋ではないでしょうか? 日本のように銭湯などがあるのかどうか知りませんが、美術館へ連れて行く前に連れて行くべきところは他にあったのではないでしょうか? あたしはそう感じました。

ちなみに、先日のことですが、ある書店で欠本チェックをしておりましたところ、おならのような臭いが……。周囲には若い女性がいるだけ。あたりには「いかにもおならをしそうな」人はいません。となると、やはり<犯人>はこの女性なのでしょうか?

若い女性だからといって街中でおならをしないとは限りませんから、偏見を持ってはいけないのでしょうが、それとも更に周囲の人は、おならの臭いの原因はその女性ではなく、あたしだと思っていたのでしょうか?

嗚呼、冤罪!