2014年のアーカイブ
カフカ復活
あたし、身悶えてます
毎日少しずつ『危険な関係』を読んでいます。
映画こそまだ見ていないのですが、コミックの方は既に読んでいるので、おおよそのストーリーはわかっております。なので、比較的スムーズに読んでいけます。
放蕩者であるヴァルモンの手紙は、嘘偽りで塗り固められているとはいえ、それでもよくもまああんなセリフが次から次へと出てくるものだと敬服してしまいます。あんな言葉を囁かれたら、たいていの女性は堕ちるのではないか、そんな気がします。一方のダンスニーはうぶです。本当にまだるっこしい感じがして、あと一歩を踏み込めないでいます。
でも、そんな恥じらい、勇気のなさ、それでも一途な気持ち、すべてが共感できます。しばしば本書を読みながら、わが身に置き換えて悶々としております。あたしのセシルは誰? いまどこにいるの? そんな気持ちです。
結末がどうなるのか、コミックで知っているわけですが、それでもさすがの文章力です。そんなことを感じさせずに、ぐいぐいと引き込まれてしまいます。ただ、上流階級がこんなことばかりにうつつを抜かしているからフランス革命が起きてしまうんだろうなあ、とも思うのです。
賞味期限切れ?
久しぶりに録画しておいたスカパー!の映画を鑑賞。作品は以下の2本、「[アパートメント:143]」と「アパリション-悪霊-
」です。
前者はもうそろそろ飽きてきたフェイク・ドキュメンタリーのホラー、後者はややフェイク・ドキュメンタリーっぽさを含みつつも、フツーのホラー映画です。
「アパートメント」ですが、母を交通事故で亡くし、男で一つで娘と息子を育てている三人家族の部屋でおかしな現象が起きるので、大学教授とおぼしき専門家に調査を依頼し、専門家と助手二人が部屋にやってきて、家中にカメラを設置し検証を試みるというおきまりのストーリー。専門家は超常現象も自然界の現象の一部であるとの考えの下、この家で起こっている現象も思春期の不安定な娘が起こしているものであると主張するのですが、それにしては起きることが尋常ではありません。悪霊の仕業と言ってしまえば済みそうなものを、と思います。
娘は母親が死んだのは父親のせいだと思い込んでいて、また思春期ですから父親に反抗的な態度をとり続けます。そんな亡母が父親を恨んでさまよい出てきているのかと思いきや、どうもそんな感じではありません。いかにも母親っぽい霊の姿を映したりしていますが、それが果たして母親なのか誰にもわかりません。話が進むにつれ、母親が理想的な母、妻、女性であったのではなく、むしろ最後は精神に異常を来し、自宅に男を連れ込み、何日も風呂に入らず仕事にも行かないようになり、最後は恐らく錯乱状態で車を走らせ事故を起こしたのでしょう。ただ、娘はそんな母親を受け入れられず、あくまで母親を理想化しようとしている、そこに現実のギャップが生まれ精神が不安定になり……
以上のように、あくまで科学ですべて割りきれる、説明がつくというスタンスで行くのであれば、それはそれで納得しますが、結局最後までこの家の現象は解決せず、原因も不明のまま。要するに、この家で起こっていた現象は、家族の誰かに母親ではない、何かの悪霊が取り憑いて起きているものであることを匂わせて幕切れです。この現象は母親が生きていた頃に家族四人で住んでいた家でも起こっていたようですから、それなら母親がおかしくなったのも説明がつきそうです。でも、本作ではそこまで立ち入らずに終わっています。もうそろそろこの手のフェイクの手法もアイデアが出尽くした感がありますね。
次に後者、「アパリション」ですが、こちらは科学好きな大学生が降霊実見のようなものを行なって悪霊をこの世界に引き込んでしまったというストーリー。話の中では悪霊でも、幽霊でもなく、邪悪な何か、という表現でしたので、結局正体がなんであったのかはわかりません。そいつらの目的はこの世界を征服するということらしいですが(そこまでわかっているのに正体が何かわからないというのも不思議)、その割りには主人公たち以外の人や家に危害が及んでいる様子はなく、あくまで逃げても逃げても主人公たちだけを追ってくる感じです。
最後も、結局は全員やられて終わりという感じで、これで終わったのか、この後、どうやって世界を征服するのかまるで想像できません。たとえば主人公たちに乗り移って周りの人たちを一人ずつ血祭りに上げていく、という感じなら、それは理解できますが、そのようなストーリー展開ではなさそうです。
家具が動いたり、カビが生えたり、植物が枯れたり、どれもこれまでの悪霊映画と同じ現象で、これのどこに「正体のわからない何か」だと断定できる要素があるのか? よっぽど悪霊を呼び込んでしまったと言ってしまった方がわかりやすいのにと思います。
やはり日本人としては、ある特定の人に怨みを持って死んでいった人の怨念が祟る、そういうストーリーの方がゾクゾクして怖いと感じられますよね。
某某出版会
昨夜は人文・社会系出版五団体の合同新年会でしたが、この「人文・社会系出版五団体って何?」という人も多いのではないでしょうか? もったいつけるものでもないので正解を発表しますと、法経会、歴史書懇話会、大学出版部協会、国語・国文学出版会、人文会の五つの団体のことです。どれも複数の出版社で作っている団体です。基本的に破損ジャンルの書籍の販売促進と普及を目的とした集まりで、大手出版社に比べるとどうしても営業力が劣るので、数社が一緒になって盛り上げていこうという思いもあります。
出版業界にはこの他にもいろいろ「某某出版会」というのがあり、どんなものがあるのか、あたしも詳しいことは知りませんし、果たして実際のところいくつあるのかもわかりません。あたしの勤務先では上掲の人文会とヤングアダルト出版会に入っています。その他、出版会とはちょっと性格が異なりますが、目録刊行会というのもあり、これもほぼ各ジャンルに存在している感じがします。
と書いているのですが、「こういう出版会はないんだ」と感じることも時々あります。たとえば、あたしの勤務先に引きつけて言えば「海外文学出版会(仮)」のような団体です。そもそも日本文学でも出版会って聞いたことないので(作家協会はありますが)、たぶん海外文学などはるかになさそうです。でも日本文学ならば(古典ではなく、あくまで現代作品)書店の王道ですので、わざわざ出版会を作って活動しなくても大丈夫なのでしょう。そういう見地からすると、海外文学出版会(仮)はあってもよさそうな気もしますが、ないですね。できそうな雰囲気もないですし。
次に思いつくのは「西洋史出版会(仮)」です。上掲の歴史書懇話会は歴史を名乗ってはいますが、基本的には日本史を得意とする出版社の集まりで、西洋史という感じではありません。あたしの勤務先などは逆に日本紙はほとんど出して折らず、もっぱら西洋史ばかりですから、そういう出版社が集まって出版会を作ってもよいのではないかなあと思うときがあります。とはいえ、あたしの勤務先の場合、出している本はほぼすべて翻訳物なので、日本人の著作を中心に出している出版社とはやはり相容れないのでしょうか? 業界にいてもこのあたりの加減ってわかりません。
個人的には「一冊あたり800グラム以上の書籍出版会」とか、「一冊あたり500ページ以上の書籍出版会」といった、ちょっとふざけた出版会があってもよいのに、とそんな風に思ったりしています。いや、これは出版会を作るのではなく、そういうテーマでフェアでもやった方がよいのでしょうか?
フェア熟成中?
町田は斜め?
パンダだからこそ
『パンダが来た道』読了。
本書の副題は「人と歩んだ150年」です。しかし、本書を読むと「人と歩んだ」のか、それとも「否応なく歩かされた」のか、はたまた「人につきまとわれた」のか、いろいろ考えさせられます。
パンダなどを知らないヨーロッパ人が初めてパンダを見たら、その動きといい、毛皮の色といい、一瞬で虜になってしまうのも理解できます。そしてそれは捕獲してヨーロッパへ持ち帰ろうとする気持ちもわかります。あの頃のヨーロッパ人はアフリカでもアジアでも現地のことのなどお構いなし、自分たちのやっていることはすべて正義だと言わんばかりの行動でしたから。
しかし、じきに生態調査、保護、繁殖といった動きが生まれ、世界の野生動物保護のシンボルにまで上り詰めます。現実問題として、現段階でパンダは保護しないと絶滅が危惧されるような動物なのか、いったい野生のパンダは何頭生息しているのか、まるっきりわかっていないようです。それでも野生動物保護という国際的な運動においてパンダが果たした役割というのはあまりにも大きいものです。ロゴマークとしても白と黒の模様はモノクロ印刷でも問題なしという現金なところから、実物のパンダを見れば(特に赤ちゃんパンダなど)、ほとんどの人を魅了する愛くるしさなどはシンボルとするにふさわしい動物でしょう。
本書は、このように世界中で愛され、大事にされるパンダが、それでもまだ解明されていない問題が多いことを教えてくれます。パンダほど世界中の関心を集め、資金も集め、多くの学者が研究している動物ですらこの有様です。パンダのようにメジャーでない動物、愛くるしくはない動物の研究の現状を想像すると暗澹たる気持ちになります。
本書を読んでいて、パンダよりももっと過酷な状況に置かれ、実際に絶滅が危惧されているにもかかわらず、ほとんど世間の関心も資金も集めていない動物を大賞に活動している人々の怨嗟の声が聞こえるような気がしました。「パンダは恵まれているよなぁ」という恨みに満ちたつぶやきです。
そういう声を聞きつつも、全体の底上げを図るためにもパンダのような人気を博すシンボル的動物の役割というのは大木のではないか、パンダにもっともっと引っ張ってもらわなければ、という気持ちも起こさせます。
「パンダが来た道」は「多くの動物が、いま歩んでいる道」でもあるのでしょう。そして、そんな道など見当たらないたくさんの動物たちもいるのでしょう。
19世紀のフランス
岩波新書の、新刊ではないのですが、つい最近、ふと購入して読み終わった『フランス史10講』がとても面白かったです。
内容としては、西洋史専攻、フランス文学やフランス哲学専攻の学生であれば当然知っていてしかるべき、という内容なのでしょうが、あたしのようにフランスについてはまるで門外漢の人間にはかなり歯応えのある内容でした。中国学専攻のあたしが、何を間違えたか西洋史の授業に紛れ込んでしまったかのような体験でした。
全体は、フランク王国から現代フランスまで、いわゆるフランスという国が現在の形になる源流から説き起こしているわけですが、ゲルマン民族の移動とか、フランス大革命、ナポレオン時代、パリ・コミューンなど、一応は世界史で聞いたような単語はそこらじゅうに散見します。が、改めてフランス史という流れの中で読んでいくと、一筋縄ではいかない内容を含んでいて、一回読んだだけでは理解できないところが多々ありました。著者は東大の先生ですから、東大だとこういうレベルで授業をしているのかな、という気もしました。
で、読んでいてわからないながらも興味を持ちつつ進めていくと、19世紀というのが、なかなかフランス史の中で面白い時代のように感じられてきました。フランス大革命を過ぎ、ナポレオン帝政、更にそれが終わって共和政とか王政とか、またまたまナポレオン三世が出てきたり、そんなことをしている間に第一次世界大戦の時代へ突入していく、大雑把につかんだのはこんな感じです。
ただ、全体的には哲学の分野ではあまりパッとしない時代だったようなんです。同書を読んだ限りでは、これだけ政治が転変すれば、それに併せて哲学思想も百家争鳴になりそうですが、あまりパッとしなかった時代のようです。でも、3月に文庫クセジュで『19世紀フランス哲学』というのが出る予定なので、どんな時代なのか教えてくれるのではないでしょうか? あと、刊行間もない弊社の新刊『革命と反動の図像学』などは大いに啓発してくれるのではないでしょうか? それに、このところまたブームが来ている感のあるトクヴィルも19世紀でしたよね?
うーん、やはり19世紀のフランス思想界、面白そうです。
ちなみに、文学・芸術分野では、19世紀は綺羅星のごとき名前がいくらでも挙がりますね。佐藤賢一さんの「小説フランス革命」の後のフランス史を概説した書物を、学界の方を集結して、あたしの勤務先から出せないものでしょうか? そう『フランス史10講』をもっとパワーアップさせたもので、資料的価値もあり、レファレンス本としても有用なものを!
人妻を落とす?
毎晩寝床で読んでいる『パンダが来た道 人と歩んだ150年』が、もうすぐ読み終わりそうなので、この次は『危険な関係
』の予定です。
でもその前に、同僚から借りた『子爵ヴァルモン』を読んでみました。
『危険な関係』をほぼ忠実に漫画化した作品で、なかなか読み応えがあって面白かったです。
そして、ヴァルモン! 確かに、見てくれが格好いいのでモテるのは当然なのでしょうが、人妻を籠絡するとは! それも相当に貞淑な人妻を、です。最初は警戒され、むしろ毛嫌いされていたはずなのに、最後は虜にさせてしまうなんて、非常に勉強になります。できることなら見倣いたいです。
肝心なのは、まず最初に、良くも悪くも強烈な印象を相手の心に残すということなのでしょうか?