2015年のアーカイブ
洋書と一緒に
紀伊國屋書店の新宿本店の7階は洋書売り場です。新宿南店ほどではありませんが、充実した洋書の品揃えです。
あっ、7階は洋書の他に芸術書売り場でもありますので、念のため。
で、その7階で、ただいま日本翻訳大賞の受賞作のフェアが行なわれています。
「翻訳大賞の受賞作なら、2階の文芸売り場じゃないの?」という疑問もあるかと思います。確かに2階にも受賞作が並んでいますが、7階は洋書売り場です。受賞作である邦訳と一緒に洋書、つまり原書も並べているのです。
【7階洋書】本日19:00から新宿紀伊國屋南店サザンシアターで第一回日本翻訳大賞授賞式があります。当日券もでるので是非ともご参加ください。写真は新宿本店で開催の『日本翻訳大賞フェア』です。こちらも是非お立ち寄りくださいませ!ma pic.twitter.com/NrxpyU39Pg
— 紀伊國屋書店新宿本店 (@KinoShinjuku) 2015, 4月 19
洋書を扱っている書店ならではのフェアですね。
横文字はほとんどわからないあたしですが、装丁を見比べるだけでも面白いです。原書のイラストや写真をそのまま使っているもの、ちょっとアレンジを加えたもの、原書とはまるっきり違う装丁の邦訳、それぞれです。
惜しいかな。『愉楽』の原書は、中国で発売されたものではなく、英訳が並んでいるんです。中国語版が見たかった! というのは無理な願いでしょうか?
やはり日本人はオオカミが好き?
こんな本が刊行されたようです。
雄山閣の『日本人とオオカミ』です。2004年にも同名の書籍が出ていますので、新装復刊なのでしょうか?
それはさておき、サブタイトルが「世界でも特異なその関係と歴史」とあるように、書店でも「動物」の棚ではなく、「日本史」や「民俗学」といった人文の棚に置かれているようです。やはり日本人とオオカミの関係は特殊なのでしょうかね? なにしろ名前からして「大いなる神」ですから。少なくともヨーロッパのような悪いイメージはほとんどなかったと思われます。
さて、実はあたしの勤務先もいろいろオオカミ本を刊行しているのですが、全体としては生態系の中でのオオカミの存在という、いわゆる「オオカミ復活」論的な著作が多いのですが、そんな中に混じってこんな一冊があります。
『オオカミ 迫害から復権へ』です。この本はヨーロッパにおけるオオカミ受容史と言ったらよいのでしょうか、オオカミが度のようなイメージを持たれてきたのかについて考察した本です。海外の著作の翻訳のため、この本では日本人とオオカミについてはほとんど触れられていません。あたしも読んだときに、「これに日本人に関する部分が加わったらもっと面白くなって、もっと売れるようになるんじゃないか」と思ったものです。
で、雄山閣の本です。この両者を併せて読めば、非常に面白い東西文化比較になるのではないでしょうか?
いま一歩の掘り下げを期待
まっすぐに…愛
沢田聖子のセルフカバーアルバム「Singer Song Writer ~RED PURPLE~」が発売になりました。アマゾンなどでは売っていません。沢田聖子ウェブサイトからの注文になります。ちょっともたついていたのですが、あたしもようやく注文を出しました(汗)。
これまで「Green」「Blue」と出してきて、いよいよ第三弾です。個人的には「Green」「Blue」の2作に収められている楽曲は、リアルタイムで、アルバムが出た時期に聴いていました。まさしく、あたしの青春時代の曲です。それに対しこの「Red」は収録曲リストを見ると、あたしがやや沢田聖子から離れた時期の曲が多いかな、と感じます。でも、ほとんど知っている曲ですから、やはりあたしの人生で一番聴いているのは沢田聖子ですね。
今回のアルバムの中では最後の曲、「まっすぐに…愛」が、やはり一番好きです。
この曲は男性目線の歌詞なので、だから余計心に響くのかな、という気がします。メロディも素敵ですし。ちなみに、沢田聖子にはこういう男性の立場からの曲も何曲かあって、どれも佳曲です。特に「シオン」なんて名曲中の名曲ではないでしょうか?
さて、このセルフカバーアルバムは、やはりオリジナルとはかなりアレンジが異なり、「Green」「Blue」もオリジナルに慣れ親しんだ耳には「へえー、こんな感じに換えたんだ」という新鮮な驚きがありました。きっと今回の「Red」も同じ驚きが味わえるのではないでしょうか?
ただし、「やっぱり昔の曲の方がいいよ」という声があるのも無理からぬこと。近々、そんな人のために「アーリーデイズ・ベスト」という、当時の音源を使ったベスト・アルバムが発売になります。これは沢田聖子自身もブログで
クラウンが叩き台として選曲していたのは
今までと全く代わり映えのしない曲ばかり…
なので、今では入手困難な初期のシングルB面曲
しかもオリジナルアルバムに収録されていない楽曲を提案
と書いていますし、さらに「オリジナルを聴いた事がない方は聴き比べて下さいな」とも。
これはこれで、ファンとしてはとても楽しみな一枚です。もちろん、こちらもあたしは予約済みです。こちらは、アマゾンなどで購入できるCDです。
もう少し尖った方がよい?
昨晩の夕食の時のことです。
わが家はテーブルではなく卓袱台なので、正座あるいはあぐらをかいて食事をしております。そんな昨夜の夕食時、いつものように食事をはじめた途端、足に激痛が走りました。いや、激痛というのはちょっと言いすぎかも知れません。そんなのたうち回るほどの痛みではありませんでしたから。
もっと鈍い痛み。一番近いのは痙ったときのような痛みが、左足の土踏まずのあたりを襲いました。別に座るときにひねったわけでもなければ、床に何かが落ちているのを知らずに踏みつけたわけでもありません。なんだろうと思って左足を見ましたが、特に傷があるわけでもなく、血が流れているわけでもありません。
しかし、その刹那、左足の土踏まずのところが赤紫色にちょっと変色しているのを見つけました。鈍い痛みなので、本当にそこが痛みの原因なのか図りかねてはいたのですが、ちょっと触ると、やはりそこが痛みます。もちろんぶつけたわけではありません。内出血しているのはわかりますが原因は不明です。
いや、隣にいた母が言いました、それは皮膚の下で血管が切れたのだ、と。
確かに、そうでしょう。血豆ほどはっきりしたものではなくとも、内出血したときは皮膚がこんな風になります。でも、なんで内出血なんてしたのでしょう?
これまた母曰く、年をとると、そんなことしょっちゅう起こるようになるんだ、と。
ああ、そうなのか、あたしもそんな年なのか、と思いつつ、これが足の裏でよかったと思いました。幸い痛みはじきに収まり、赤紫色のところを押せば多少は痛みますが、歩くのに支障はありません。ただ、もしこれが頭の中で起こっていたとしたら、いわゆる脳内出血ですよね? 怖すぎます。もしかして、これからは足の裏から徐々に上へ上がっていって、いずれ頸、そして頭部へと内出血を起こす箇所が移動していくのでしょうか? そうなったときが、あたしの人生の幕切れですね。
ところで、足で思い出したと言いますか、最近ちょっと感じることがあります。それはサラリーマンの靴のことです。いわゆる革靴というやつですが、それを見ていると、先の尖った靴を履いている人が目立つなあ、と感じるのです。昨今はやりって、尖った靴なのでしょうか?

具体的に言えば、上の写真のような靴です。こういうのが流行しているのか、とちょっと思って、街行くビジネスマンの足下を見てしまいます。履きやすい、歩きやすいのでしょうか?

あたしなんかは、どちらかというと、上の写真のような先の丸っこい靴ばかり履いているので時代遅れなのでしょうか? そんなことを考えている今日この頃です。 まあ、こればっかりは好みの問題もありますからね。
オリオン・ランキング?
視聴率があまりにも低くて第9話で最終回(いわゆる打ち切り?)と噂されている「戦う!書店ガール」ですが、今週の放送を見ていて、「ああ、これは脚本が悪いのかな? それともプロデューサーやディレクターの作り方が悪いのかな?」と感じました。
個人的に好き嫌いはあるでしょうが、渡辺麻友にしろ稲森いずみにしろ、演技はそれほど下手だとは感じませんし、見ていられないとも感じません。演者の人たちはよくやっていると思います。でも、ストーリーが……
その前も、店長になった稲森いずみに対するセクハラ発言や扱い、ペガサス書房上層部の男尊女卑的な空気、あまりにも時代錯誤であり、作ったような展開に辟易したものです。あんな展開では見る方だってしらけるに決まっています。と思っていた矢先、今回もありました。
まゆゆ分する北村亜紀と、その恋人・小幡との会話で、ペガサス書房が閉店になり、亜紀が職を失っても自分と結婚するのだから大丈夫、何の問題もないといった発言を小幡がするのです。えっ、いまどきの若者がそんな意識なの、少なくともこれまでの言行を見る限り、小幡にそんな昔気質な雰囲気は感じられなかったんだけど。それに、そもそもあのセリフの展開って、自然でもなければ必然性も感じられないんですけど。
そんな感じでした。たぶん、こういうところに視聴者は嫌悪を感じてしまうのではないでしょうか?
さて、そんなドラマの中、今回は面白いシーンを見つけました。
ペガサス書房吉祥寺店を閉店させないためにスタッフがいろいろ知恵を出し合います。何かアイデアはないかと本を読んだりネットを調べたりするわけです。そんな中、三田がPCでネットを見ていたときの画面にちょっとクスッと笑ってしまいました。
三田が見ていたサイト、たぶんORICONのサイトをパクったものでしょうが、ランキングのサイトでした。そのサイトのタイトルがなんと「ORION RANKING」、オリオン・ランキングと書いてあったのです。
ペガサス書房の吉祥寺店がジュンク堂書店の吉祥寺店で撮影されていることは既に有名です、原作小説もパート2以降はジュンク堂書店吉祥寺店とおぼしき書店が舞台です。しかし、本来、単行本で刊行されたパート1
は立川のオリオン書房がモデル、舞台であったことは、これもまた有名な話です。今回、オリオン書房的な要素がまるでドラマに出てこないから、せめてこんなところにでもとディレクターか誰かの遊び心で紛れ込んだのでしょうか?
おおっ、こんなところにオリオンが! と、あたしはテレビ画面の前で若干の狂喜乱舞でした。
重版、そして著者来日
〈エクス・リブリス〉の最新刊『歩道橋の魔術師』が重版になりました。正直に告白してしまえば、「アジアものは売れるかな?」という不安もあったのですが、そんな懸念をふっしゃくする火のような売れ行きです。書店でも順調に消化され、追加注文も届いております。
なんでアジアものは売れないと不安に思っていたか、それはこのダイアリーでも何回か書いていますので贅言しませんが、それでなくとも売れないと言われる海外文学の中でもアジアものはさらに売れない、というのはあたしの勤務先の刊行物に限らず、他社の書籍を見ていても同様のようです。
とはいえ、本書に関して言えば、舞台こそ30年ほど前の台北ですが(いまだに「中華商場」の「ちゅうかしょうば」というルビに馴染めない……汗)、読み始めるとそこが海外だということを忘れてしまうような懐かしさを覚えます。「三丁目の夕日」的な味わいと言っても構わないと思いますし、昭和の香りと呼んでも差し支えないでしょう。
そんな『歩道橋の魔術師』ですが、ほぼ一ヶ月後の6月下旬、著者の呉明益さんが来日されます。いくつかイベントも予定されています。海外文学の場合、訳者によるトークイベントというのはしばしば行なわれますが、著者自身が登壇するトークイベントはなかなか実現しないものです。
日本で開かれるシンポジウムなどに海外の作家が来日することもありますが、タイミングよくその作家の新刊邦訳が出版されていなかったりして、実は出版社や書店の販売促進という面から言えば「惜しい」ことが多いのです。しかし今回は刊行から間もないタイミングでの来日です。新聞などの文化欄でも取り上げられるでしょう。「へえー、そんな作品が出ていたんだ。買ってみようかな、読んでみようかな」という読者が一人でも増えることを期待したいところです。
本当のところは?
妄想、空想、創造
近々刊行予定の『アメリカ大陸のナチ文学』は〈ボラーニョ・コレクション〉の最新刊で、ファン待望の一冊だと思います。タイトルから「いったいどんな本なの?」という興味が生まれると思いますが、決して評論ではありません。
簡単に言ってしまうと、アメリカ大陸(主にラテン)で、戦時中にナチとつながりがあった文学者30名ほどの略歴や人となり、作品解説などをまとめた文学者事典、あるいは文学者列伝です。とはいっても、そんな文学者が実際に存在したわけではなく、すべてボラーニョの創作、彼が頭の中で作りだした文学者であり、作品であり、そして彼らの活動なのです。
えーっ、30名もの架空の人をでっち上げたわけ?
はい、その通りです。ボラーニョ作品と言えば、これでもかというくらい人物を登場させる大パノラマが一つの特徴ですが、本書もその例に漏れず、それだけの文学者をボラーニョが作りだしたのです。巻末には、主な人物の索引的なリスト、彼らの活動の舞台となった主要な文芸誌(もちろん、それも架空)、そして文学者たちの作品リストが数ページにわたって掲載されています。ここまで来ると、もうご立派としか言いようがありませんね。
しかし、こういった作品、過去にもなかったわけではありません。近いところで探すなら、あたしの勤務先の刊行物にもこんなのがございます。
まずは『ユニヴァーサル野球協会』です。これも諸説です。野球小説と言えば当たらずといえども遠からず。ただし、実際に行なわれている野球ではありません。主人公の頭の中で毎晩繰り広げられる想像上の野球リーグの話です。日本にも野球盤といったおもちゃがありますが、ああいう盤ではなくサイコロを使って行なうものではありますが、どんな球種を投げるかだけではなく、各選手の特徴、その日の体調なども考慮し、なおかつ球団経営陣まで登場してしまうほどの規模です。なにせ数チームが存在し、リーグ戦を戦っているわけですから、すごいものです。いや、スゴいのは主人公の拘りというか集中力です。
そしてもう一点、『みんなの空想地図』、これもタイトルどおり、実際にはない架空の都市の都市地図です。子供の落書き程度の地図を想像したとしたら大間違いです。本書を手に取ってぜひその地図をご覧ください、これが架空なのかと思わせるほどの出来栄えです。著者曰く、街の規模から人口を決め、その人口規模であればどのくらいの商業施設が必要か、小学校や中学校はどのくらいあればよいのか、すべてきちんと計画して地図を作り上げているのです。
どうでしょう? これだけの妄想、いや空想。ここまで来ると、立派な創作です。偏執狂などと言ってはいけません。ここまでこだわり抜く、その精神力に脱帽です。
