なぜか、あたしの勤務先の本が多くなっているような……

下の写真はブックファースト新宿店、人文書コーナーのフェアの模様です。今月いっぱいなので、もう数日で終了ですが……

ヒトラーのフェアです。

いえ、違います。

 

慶應義塾大学出版会の『ブラックアース(上)』『ブラックアース(下)』に合わせたフェアです。ホロコーストを扱った本ですので、当然のことながらヒトラーを外すわけにはいきませんし、ヒトラーとナチドイツを含めたフェアとなっています。ナチにせよ、ヒトラーにせよ、ホロコーストにせよ、集めようと思えばどうしても際限なく集まってしまうでしょう。担当の方曰く、何を省くか、どれだけに縮めるかで苦心されたようです。

そんな中、あたしの勤務先の『ヒトラー(上)』『ヒトラー(下)』はもちろんのこと、『ヒトラーと哲学者』や『独裁者は30日で生まれた』まで並べていただきました。

 

 

ありがたいことです。

アフリカは実のところどうなっているのか?

アフリカ開発会議が開かれている(開かれていた?)からですね、このところテレビや新聞でもアフリカ関係の記事が多くなっています。しかし、全体的なトーンとしては、

日本は出遅れている
既に中国が進出しまくっている
日本企業が行っても安全なのか?

というものが多い気がします。確かに、アフリカには既に大量の中国資本が投下されていて、それらを扱った本も何冊か出ています。あたしも読みましたが、こんなものが目につきます。

中国第二の大陸アフリカ』『中国が喰いモノにするアフリカを日本が救う』『喰い尽くされるアフリカ』です。探せば他にもたくさんあるでしょうし、少し前にこんなダイアリーも書きました。

  

これらの本を読むと、確かに日本は出遅れているようです。中国がかなり幅広く進出しています。ただし、今回の会議で日本側が主張したように、確かな技術や人材育成という面では挽回の余地がありそうです。中国は労働者も中国から連れて来て、ほとんど現地の雇用を生んでいないとか、中国が作ったものはすぐに壊れる、使い物にならなくなる、といった評判も立っているようです。

その一方、金にものを言わせて中国はアフリカ諸国の中枢を押さえてしまっているので、庶民がいくら反対しても政府は中国の言いなりだという声も聞かれるようです。そうなると、なかなか日本が食い込むのは難しいと思います。東南アジアでも、価格では中国の安値攻勢と勝負にならず、なおかつ資金もすべて出してくれる中国に受注を奪われている事例がたくさんあります。発展途上国にとっては、多少レベルは悪くとも安い方がよい、そしてすぐに作ってくれる方がありがたい、という事情も作用しているのでしょう。

こういう問題は、一回大きな会議を開いたからといって、すぐに日本企業の受注が伸びるとは思えません。少しずつ少しずつ見方を増やしていくしかないのではないでしょうか?

ネコの墓場

一昨日のことです。仕事から帰宅すると母が言うのです。

「庭で猫が死んでたから、市役所に連絡した」と。

「えっ、それで処分してもらったの?」とあたし。

詳しく話を聞いてみますと、わが家の庭でネコが死んでいたそうです。近所には猫を飼っている人がいるようで、うろうろ散歩しているネコが時々うちの庭を通ったりすることがあります。それくらいならよいのですが、軟らかい土の上でオシッコやウンチをしていくことがあり、母は常々それに憤慨しておりました(糞害でもあります)。

で、しょっちゅうネコが来たりしているので、今回も「シッ、シッ」と追い払おうとしましたが、横たわった猫は動こうとしません。近づいても動かないので、これは死んでいるに違いないと判断した母は市役所へ相談の電話をかけたそうです。

市役所の人曰く、ビニールの袋か何かに入れて玄関先に出しておいてください、回収に伺います、とのこと。しかしねえ、小さいとはいえ、猫一匹の大きさがあれば、それなりに重いはず。ほぼほぼ後期高齢者の母に持ち上げられるとも思いませんし、そもそも死体を触りたいと思う人がどれくらいいるでしょうか? まあ、自分の飼い猫、飼い犬なら別でしょうけど、こんな縁もゆかりもない野良猫(?)、ひとんちの庭で死ぬなんて、というのが正直な感想です。

で、触れもせずにしばらくすると市役所の人が到着。母が庭に案内すると猫の死体が消えていました。えっ、と驚きつつ周囲を探すと縁の下でゴロンと横になっているのを発見。他のネコか何かが運んだ? まだ生きている? とわけもわからず、市役所の人が引っ張り出そうとすると、猫は驚いて逃げていったそうです。

とりあえずは死体ではなかったわけですが、暑さで弱っていたのでしょうか? 土の上、縁の下、どちらも比較的涼しいところですよね。ネコは涼しいところを探して休んでいただけなのでしょうか? その割に、母に追い立てられても動きもしなかったというのは、人間に慣れている飼い猫だったのでしょうか?

昨日からは雨なので猫はやってきませんが、今後も今回のことに味を占めて、また涼みにやってくるかもしれませんので、母と猫の攻防戦は続くかもしれません。ちなみに、母は猫が嫌いです。

本屋がなくなると本当に困るのか?

下の写真は、21日の朝日新聞読書欄に載っていた記事です。

本屋がなくなったら、困るじゃないか』に関する記事です。

この手の書籍は何冊か出ていたと思います。本屋が減っているというニュースも時々思い出したように流れますし、統計的にもそうなのでしょう。ただ書店の数だけを比較しても意味はない、売り場面積(坪数)で比較しないと、という意見もあります。ただし、通路の幅とか棚の高さとか、坪数だけでは計れないという意見も聞かれます。

結局、そうなると比較しようがなくなるわけで、こういう場合は思いきって、ある程度の批判は承知で統計などの数字を使うしかないと思います。

で、都道府県別の書店の数ですが、こんなページに表が載っていました。「2013年5月1日現在」の数字だそうです。そして、数年のタイムラグはありますが、「2016年4月1日現在」の都道県別の人口です。この二つから、人口10万人あたりの書店の数を出してみますと、上位は

高知県(16.33)、香川県(16.27)、石川県(15.5)、徳島県(15.47)、京都府(15.36)

となりました。そして下位は

神奈川県(8.06)、埼玉県(8.59)、沖縄県(8.78)、千葉県(8.94)、佐賀県(9.12)

です。高知県と神奈川県で倍の開きがありますが、全体的には11店から12店あたりに集中していて、それほど極端な地域格差は感じられませんし、都会と田舎とで書店の数に大きな違いがあるとも言えないようです。あえて言えば、上の下位を見てもおわかりのように、都会ほど書店が少ない傾向が見られるといったところでしょうか? 東京都は22位、広島県が27位、愛知県が28位、大阪府が29位、宮城県が32位、兵庫県が40位、福岡県が41位です。

もちろん、上に書いたように坪数を加味すれば都会の順位は上がってくると思いますが、身近に本屋があるかないかという視点で考えた場合には、都会ほど書店が少ないと言えるかもしれません。

で、それでどの程度人々は困っているのでしょうか? 確かに本屋をよく利用する人は困るでしょうけど、それはどんな小売業にだって言えることです。そして近所のお店がなくなるのは、近所の人たちが使わなくなったから、行かなくなったからであり、それはその周辺の住民にとってそのお店がそれほど必要とされていなかったからにほかなりません。

もちろん後継者がいないのでお店をたたむ、ということもあるでしょうが、多くの場合は需要がなくなったから消えていくものだと思います。それをなくなってから困ると言っても、だったらあなたたちが前々からもっと利用すればよかったのではないですか、という気がします。

「だって、行ったって欲しい本がないから」という意見もよく聞きます。本のように多種多様の商品が出ていて、お客のニーズも店でバラバラですと誰もが満足する品揃えなんて無理です。どの程度の品揃えを目指すか、そこが難しいところだと思います。アマゾンだって自社の倉庫に置いてあるのはほんの一部ですから、置いてない本に関して言えば、街の本屋に注文するのもアマゾンを使うのも流通上はスピードに変わりはありません。

最近流行りのセレクト型の書店、あるいはカフェ併設の書店。カフェ併設の場合はカフェの売り上げで賄っているのでしょうから話が違ってきますが、ではセレクト型の書店ならどこでやっても成り立つのでしょうか? 例えば電車もないバスも通っていないような田舎でやっていても、人は来てくれるのでしょうか? そこにしか置いていない本があるなら行くかもしれませんが、インターネットが発達した現在、そこでしか手に入らない本なんて数えるほどでしょう。おしゃれにディスプレイしたって、誰も来なければ見てくれる人もいないし、商売としては成り立たないのではないでしょうか? やはりそれなりに人が集まるところ、集まりやすいところでないと、という気がします。

と悲観的なことばかり書いてしまいましたが、本を必要とする人にとって本屋がなくなってもアマゾンや楽天ブックス、セブンネットショッピングなどのネット書店があれば、とりあえずは入手は可能なので問題ない、という人もいるはずです。あるいは紀伊國屋書店やジュンク堂書店などのように電子書籍ストアのあるところなら、電子書籍を買ってもよいでしょう。本屋がなくなるということと、本がなくなるということ(紙か電子化は別として)は別問題ですから、今後も本屋がどんどん無くなっていったとしても意外と代替産業が発達して、それなりに便利にやっていける、決して困るということはならないのではないか、という気もします。

今日はアカです、といっても別に革命的なわけではありません!

毎朝チェックしている、テレビ朝日系「グッド!モーニング」の星占い。本日のかに座のご託宣は

電話での会話が開運のきっかけに。気になる相手に思い切って連絡して近況報告をしてみましょう。季節の話題で盛り上がれる日。

でした。「うーん、気になる相手って誰よ?」という気分です。特に誰かに連絡を取ったりすることもなく一日が終わろうとしています……(汗)

で、ご託宣とは別に

ラッキーカラー:
幸運のカギ:ボウリング

というのが今日のかに座でした。というわけで、本日のいでたちはこちら!

赤いブラウスではなく白ですが、赤い金魚が泳いでいます。そしてネクタイは赤いパンダネクタイ。そしてそして、靴下もご覧のとおり。

ちょっと赤と呼ぶには抵抗がありますが、まあ、一応は赤系の色ということでお許しくださいませ。ちなみに、写真はありませんが、ハンカチも赤でした!

あっ、そうそう。でも帰宅途中、とっても懐かしい元書店員さんに逢いました。もう何年ぶりでしょう? いきなり声をかけられて、でもほぼすぐに顔は思い出せましたし、名前も思い出せました(笑)。「気になる相手」ではありませんでしたが、とても嬉しい邂逅でした。

ごくごくフツーの人生を送っていたなら……

昨日は夏休みをとりました。あたしの勤務先では、有給休暇とは別に夏の期間中(厳密に7月、8月内に、と決まっているわけではありません)に2日の一斉休業と、あと一日、各自が自由に取得する夏休みがあります。その一日を昨日、使用したわけです。

で、特に出かける用事もなく、雨だというので、家で本を読んだりテレビを見たりしていましたが、ふと思いました。

これ、世間一般的なサラリーマンであれば、この時期に会社を休むというのは、「子供の夏休みの宿題を手伝うため」というのが、常識的な休暇理由ではないかと。

確かに、考えれば考えるほど、そのとおりではないかと思えてきます。いや、宿題を手伝うのだったら、もう少し切羽詰まった時期じゃないの、という意見もありそうですが、最近は25日くらいから2学期が始まる小学校もあるみたいで、8月31日が夏休みの最終日とは限らないようです。

で、想像なのか妄想なのか、とにかく考えてみますと、もしあたしが結婚していて、子供がいたとしたら、果たして子供の宿題を手伝っていたりするのでしょうか?

あたしの子供だから、宿題なんて計画的に片づけて、このじきにジタバタするなんてことはないはず、そう思いたいです。だって、あたしがそうでしたから。宿題は、毎日やらないとならない日記のようなものを除けば、だいたい7月中、遅くとも8月初めには終わらせるというのが毎年のことでした。

そんなあたしの子供なら……

子供はおろか、結婚もできないあたしが、こんな妄想をしてひがな休日を過ごしているなんて、なんて愚かな人生でしょう。

英語圏の本が一冊もない!

日曜日は青山ブックセンター本店で、月曜日は下北沢の本屋B&Bで、それぞれトークイベント。

日曜日の方は、金原瑞人さんが音頭を取って、天野健太郎さん、斎藤真理子さんを迎えて、台湾と韓国の文学と映画について語るひととき。

 

カステラ』は第一回日本翻訳大賞の受賞作、『歩道橋の魔術師』は第二回日本翻訳大賞の最終選考で最初は大賞に推されていた作品、そんな2作品の訳者を迎えての翻訳文学談義となりましたが、あたしの印象では映画の話の方が多かったと思います。決して興味がないわけではありませんが、あまり見ている方ではないので、タイトルくらいは知っていても内容はチンプンカンプンなので、あたしとしてはちょっと残念でした。

まずは台湾映画、台湾文学について天野さんのお話。

2000年代は台湾映画の暗黒時代で、侯孝賢などは「つまらない」と思われるようになっていたそうです。天野さんが留学した頃がそれに当たっていて、映画で見たような鬱屈した人々をイメージしていたけれど、実際に台湾に来てみると、人々は明るくてよくしゃべるという落差を感じたそうです。映画は娯楽としてはまだまだ重要であったようですが、若者はハリウッド映画を見ていたようで、それ以前の90年代は香港映画が見られていたそうです。

 

そして「海角七号」のヒットが台湾映画暗黒時代の終わり、ニューシネマの呪縛を解いた作品になったようです。天野さんご本人は「藍色夏恋」がよかったととのこと。

続いて斎藤さんによる韓国映画のお話。

斎藤さんの調べによると、日本では88年まで劇場で上映された韓国映画はなかったそうです。80年代までの韓国というと、軍事独裁政権や農協の叔父さんたちが買春ツアーに訪れるというイメージしかなかったような時代だったそうです。当時の韓国国内では、映画館で、本編が始まる前には国歌斉唱があり、時事ニュース(大統領の動向など)の映像が流れ、ようやく映画そのものが始まるというスタイルだったそうです。現在は、日本では年に数十本の韓国映画が上映されるようになり、まさに隔世の感があるとのこと。

そして斎藤さんのお薦めが「殺人の追憶」だそうです。この映画を見て、韓国映画に対する見方が変わったそうです。韓国映画は、やはりアクション、悪く言えば暴力、かなりグロテスクなシーンも多い印象を受けますが、そういう映画の他にも恋愛ものなども盛んに作られているのが現状だそうです。

さて、文学についてですが、台湾文学は寡作な作家が多く、作品ごとにガラッと作風を変えてしまうことも多々あり、そういった事情からジャンルがなかなか成熟せず、シリーズものも生まれにくいそうです。一方、韓国文学は40代前後からさらに若い世代に面白い作家が育ってきていて、天下国家を論じるのではない作品が多くなってきたそうです。

台湾、韓国どちらも以前から日本での翻訳は刊行されていたけれど、古典的名作といった感じのものが多く、なかなか日本では浸透してこなかったけれど、最近になって数も増え、日本人にも楽しめる作品が増えてきているようです。それは、あたしにとっても嬉しいことです。

ついで、月曜日のB&B。

こちらはボラーニョの『第三帝国』刊行記念のトークイベント。訳者の柳原孝敦さんと米光一成さんが登壇。なにせ、同書の後半は往年の名作シミュレーションゲーム「第三帝国」を主人公がやり続けるという内容なので、ゲームデザイナーである米光さんがゲームというものについて熱く語ってくださいました。

ウォーゲームと呼ばれるこのゲーム。現在ではコンピューターゲームに押されて退潮気味なのでしょうけど、小説の世界である1987年頃はまだまだ盛況だったはず。大会なども開かれていたのは事実で、米光さんの話によると、この手のゲーマーには現役の軍人がかなり多く含まれていたそうです。戦国武将が将棋を愛好したように、ウォーゲームで実際の戦争をシミュレーションしていたのでしょう。

そして、そんなゲームばかりをしていると、実際に戦力を動かしてみたくなるというのも道理。あくまでゲームの中だけでならよいのですが、本当に戦争を起こされたら、たまったものではありませんね。