2017年のアーカイブ
年に一度のメンテナンス
今日の午前中は健康診断でした。
毎年この時季に受けていますが、前の晩は軽めに済ませ、午後9時以降は飲食禁止。今朝も飲食禁止でしたけど、空腹感は別に問題ないです。あえて言えば、お茶が飲めないのがツラいです。昨晩に関しては、たいてい9時には寝てますので、9時以降の飲食禁止も別に苦ではありませんでした。
さて、健康診断で最大の敵(?)はバリウムです。あれ、毎回全部は飲めません。ゆっくり飲んでるんですが、いい加減、技師がしびれを切らして「カップを置いてください」というので、実際には3分の1くらいは飲み残しています。
ただ、昨年あたりから気になるのはバリウムではなく問診の方です。一通り検診を受けた後に診察があるのですが、あらかじめ書いておく問診票に「体調が悪い」とか、「立ちくらみがある」とかチェックを入れておくのですが、医者から一切聞かれません。すべてスルーされます。そんなんで、よいのでしょうか?
さて、午後はどうしましょう? バリウムを流すための下剤を飲んでいるので、あまり外出はしたくないのですが……
これからの大学について考えるなら
書店店頭に並んでいました。
「週刊 東洋経済」の増刊『本当に強い大学2017』です。やはり2018年問題を控え、大学の生き残りは深刻なようです。
また安倍首相が経団連創立70周年記念パーティーでしたあいさつの中で、やはり地方大学の許可について触れていたそうです。国を挙げて大学問題に取り組むつもりなのでしょうか?
でしたら、手始めに首相みずからが『消えゆく「限界大学」』などを読んだら如何でしょう? あたしはそう思います。
そんな本はありません!
中公新書の『応仁の乱』が人気です。いまだに売れ続けているようです。本屋へ行くとたくさん並んでいます。
ところが、そのすぐそばに『マンガで読む応仁の乱』という文庫本が並んでいるのを見つけました。「応仁の乱が人気なので、すぐにこういう二匹目のドジョウ狙いの本が出てきたか」と思ってよく見ると、作者はなんと石ノ森章太郎です。
いや、石ノ森章太郎はとっくの昔に亡くなっているはず、今回のブームに乗って新作なんて書けるわけがありません。と思って手に取って見ると、なんとそれは中公文庫版の「マンガ日本の歴史」の第22巻、『王法・仏法の破滅-応仁の乱』でした。もちろん作画は石ノ森章太郎です。なんのことはない、もともとあった文庫に、ほぼカバーと同じ大きさの帯を掛けただけなのです。
ズルい、と言うよりは、ウマい、という感じですね。でも、パッと見たお客様がその場では買わずに他のお店に行って買おうと思い、「文庫サイズで、マンガで読む応仁の乱ってありますか?」と聞いても、そんな本ありません。検索しても出て来ないのではないでしょうか?

しかし、面白いもので、中央公論新社のウェブサイトで同書を検索すると、上のような画像が現われますが、アマゾンで検索すると上のようにほぼカバーと同じ大きさの「オビ」が掛かった画像が表示されます。
Bye For Nowよりも世界中の誰よりきっと
今朝の情報番組でやっていましたが、T-BOLANが完全復活だそうで。
それを伝える番組内で流れているのはほとんどが上の曲「離したくはない」です。この曲がやはり代表曲になるのでしょうか? 確かに聞き覚えはありますけど、あたし的にはT-BOLANというとこちらなんです。
「Bye For Now」です。この曲の方がよくかかっていたような印象があるんですよね。
ただ、いずれにせよ、あたし、別にT-BOLANのファンだったわけでもなければ、曲をよく聴いていたわけでもありません。どちらかというと、同じ頃に流行っていたWANDSの方が好きでした。WANDSと言えば、
「もっと強く抱きしめたなら」とか、そしてミポリンとのデュエット
「世界中の誰よりきっと」ですよね。
ただ今どきの若い人だと「T-BOLAN」も「WANDS」も読めないのでしょうか?
知らないものは知らない
「……ですが、いつもお世話になっております」
「こちらこそ、お世話になっております」
「某某さん、いらっしゃいますか?」
「もうしわけありません。外出してしまいまして、本日は社に戻らないのですが」
上記のような会話は日常茶飯事です。たいていの場合、先方は「では、明日またかけ直します」と言うか、「ご伝言、お願いできますか?」という具合の流れになります。まあ、書店からの場合、普通に注文のこともあるので、馴染みの担当者が不在でも「じゃあ、注文、お願いします」となることも多いのですが……。ただ、時に
「某某さんになんとか連絡付きませんか?」
と言われることもあります。滅多にないのですが、全く無いとは言い切れません。たぶん、先方は携帯電話を持っているだろうから、連絡くらい付くはずだと考えているのでしょう。
が、あたしの勤務先は会社として社員に携帯電話(スマホやタブレットも含め)を支給していません。デスクには社員それぞれにPCがありますが、あくまでデスクトップでモバイル端末ではありません。ですから、外へ出てしまった社員へは連絡の取りようがありません。
もちろん、社員の中には故人で携帯電話を持っている人も多数いますので、そこへかければ連絡は取れるのかも知れません。しかし、あたしは誰がケータイを持っていて、誰が持っていないのか知りません。特に知りたいとも思いません。ですから、持っている人の電話番号だって知りません。なので、
「某某さん、ケータイ、持ってないんですか?」
と聞かれても、個人として持っているか持っていないか、あたしはほとんど知らないので
「弊社では社員に携帯電話を持たせていないので……」
と答えています。個人で所有している携帯電話を仕事に使うべきか否か。会社によっては、私物のケータイでも仕事で使っていれば、その分の通話料を負担してくれるところもあるようですし、最初から会社として携帯電話を支給しているところもあるようです。
あたし個人としては、私物のケータイを仕事に使うのはイヤだなあ、と思います。しかし、大方の人は「別にいいじゃない」という感覚なのかも知れません。こういったあたりがグレーなのも日本的と言えるのでしょうか?
ちなみに、あたしは外回りの時はタブレットをカバンに入れています。重いです。これでメールチェックはしていますが、タブレットはあくまで私物ですので、外回りに出たら必ずメールチェックをするとは限りません。バタバタして、自宅に帰り着くまでメールチェックを一度もしないこともしばしばです。
もしかして、これが運命の出逢いになるはずだったのかしら?
昨日の営業回りの時の出来事です。
東京郊外の電車に乗っておりました。座席はほどよく埋まっていたのでドア付近に立って本を読んでいました。あたしが乗っていたのは急行で、とある駅で各駅停車との待ち合わせのために停車しました。
すると、すぐ近くの座席座っていた女性が下りていきました。各駅に乗り換えたのか、その駅が目的地だったのかはわかりません。見かけは学生でも主婦でもなく、明らかに社会人。20代後半から30代前半くらいでしょうか。キャピキャピした若さよりも落ち着きを感じさせる、なかなかきれいな女性でした。
さて、彼女が下りたために空いた座席に座り、引き続き本を読み始めました。しばらくして座席脇の手すりに傘がかかっているのに気づきました。季節柄、日傘でしょうね。細見のちょっとおしゃれな女性ものです。たぶん、いま下りていった彼女のものではないでしょうか?
あたしが発見した時点で、急行電車は待ち合わせのためまだ停車中でした。ドアは開いています。しかし、何分も停まっているはずはなく、そう思う刹那、ホームのベルが鳴りドアが閉まり発車しました。
もしあの時、ドアが開いている内に傘をつかんでホームへ下り、彼女を見つけて(まだ近くにいたでしょうから)傘を渡したら、どうなっていたでしょう? その出会いをきっかけに話が弾んで……
そんなわけないか。人生はドラマではないですし、そもそもわが身をよーく省みろと言われそうです(涙)。しかし、万が一、万万が一ということもなくはないでしょうし、何がきっかけで人生の歯車が回り出すかわかりません。
あたしは、昨日、一歩踏み出すべきだったのでしょうか?
足並みを揃えてケインズ
もう店頭に並んでいるかと思います。
新刊の『ケインズを読み直す 入門現代経済思想』のことです。
あたしも店頭で見ました。ところが、なんとすぐ隣にこんな本が並んでいるではないですか!
中央経済社の『ケインズ 最も偉大な経済学者の激動の生涯』です。あたしの勤務先の新刊より少し前に出ていたみたいですね。ほぼ同時期にケインズの新刊が並ぶとは奇遇です。一方はケインズの経済思想の入門、他方はケインズの評伝ですから、併せ読むとケインズについて理解できるようになる、というところでしょうか?
しかし、イラストのケインズと写真のケインズ、同じ人物に見えますか?
それに、この中央経済社の新刊って、装丁があたしの勤務先の既刊『ガルブレイス 異端派経済学者の肖像』や『アメリカの資本主義』にちょっと似ていませんか? これでは、どれとどれが同じ出版社の本なのか……(汗)