Nancy Sensual World

このたび、「染井吉野ナンシーの官能世界」は引っ越しました。新しい世界はこちらになります。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 自動では新しい世界に飛びませんので悪しからず……

新着ニュース

まもなく自著も刊行予定

今日も朝日新聞です。

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。

この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』です。

フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。

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最近のRockfield's Diary

モンテーニュを盛り上げろ?

講談社の学術文庫でこんな本が出ていました。

モンテーニュ よく生き、よく死ぬために』です。内容紹介には

モンテーニュの生涯をたどりながら『エセー』の重要なくだりを引用しつつ考察し、またモンテーニュの生涯に戻っていく。

とありますので、『エセー』抄と言ったら失礼かも知れませんが、いわゆる「エセーを読む」「エセーから生きるヒントをもらう」といった類いの本でしょう。

だとすると思い出されるのがこの本です。

あたしの勤務先の『寝るまえ5分のモンテーニュ 「エセー」入門』です。こちらはフランスでベストセラーになった「エセー」抄です。もともとは毎日一つずつエセーから文章を引いて解説を加えるという、フランスの人気ラジオ番組だったそうです。

さて、このモンテーニュ本、いや、エセー本。どちらも値段は手頃ですし、軽薄な自己啓発本では飽き足らない方、長く世の東西で読み継がれてきた古典から、生きるとはどういうことか、改めて見つめ直すためのヒントを探してみませんか?

日本の出版界は不甲斐ない?

下の写真は今朝の朝日新聞の紙面、火野葦平の記事です。

読んだことはありませんが、名前くらいはもちろん知っています。読んでみたいなあとも思っています。

そして、この記事を興味深く読んだ人はあたしだけではないでしょう。そんな人があたしと同様、「火野葦平、読んでみるか」と思ったとしても不思議ではないはずです。朝日新聞の影響力を考えると、日本全国、今日一日でどれくらいの人が「火野葦平を読んでみよう」と思ったことか。

しかし、この記事の情報欄「もっと学ぶ」によれば、彼の作品は全集しかないようです。すべて全集に入っているから全集を買えばよい、というのはバブルのころの発想で、今では図書館ですら全集の購入には二の足を踏むのではないでしょうか。

そもそも、火野葦平といったら『麦と兵隊』ではないかと思うのですが、こういった代表作が単行本で手に入らなくなっているとは、日本の出版界ってこれでよいのでしょうか? これは出版社の人間としてではなく、本好きな人間としての素朴な疑問です。

前にもこのダイアリーで書いたような記憶があるのですが、現代作家は別として、日本って昭和戦前以前の作家の作品、あるいは文学史に残る古典が単行本では手に入らない国ですよね。ある程度は岩波文庫や新潮文庫、角川文庫などの文庫本として残っていますが、単行本ではほぼ皆無です。

そりゃ出版社の事情というのもわかりますが、これってどうなのでしょう? 文庫本で手に入るだけマシ、という意見もわかりますが、単行本が手に入らないというのも寂しくはないでしょうか?

 

司修さんの『本の魔法』を読むまでもなく、作品と本の装丁とは切っても切れない仲です。そりゃあ、装丁に凝った文庫本もなくはないですが、基本的に文庫本はその文庫レーベルの装丁に倣うもの。単行本のように、その本ごとにこだわった装丁を施しているものは稀です。本当に好きな本だったら、文庫本ではなく単行本で所持したいものではないでしょうか?

また、こうも思います。夏目漱石を研究しているアメリカ人の大学生が念願叶って初めて日本を訪れたとき、喜び勇んで本屋へ行って「日本文学」の棚をいくら探しても、そこに夏目漱石の『坊っちゃん』も『草枕』も、『吾輩は猫である』も置いていないのを見て愕然とするのではないか、と。

彼がたどたどしい日本語で店員さんに漱石の本が欲しいと伝えても、案内されるのは岩波文庫の棚の前。「漱石はここにあります」と言われた彼はどう思うでしょう。「やったー、漱石の原書だ」と喜んで買ってくれるのでしょうか? 一概には言えませんが、彼は日本に来れば、日本的な装丁を施された漱石の本が買えると思って来日したのではないでしょうか?

そういう期待に応えられない日本の出版界、あたしは不甲斐ないと思うのです。

いや、それでもしっかり文庫本で残しているだけマシなのでしょうか? でも、話は最初に戻って火野葦平は? 全集があるだけマシなのでしょうか?