Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
ついつい手が伸びる小冊子
書店でのフェアではしばしば小冊子が置かれていることがあります。出版社が作ったものものあれば、書店さんが作ったもの、かなりお金のかかっていそうなものから、手作り感あふれるものまでさまざまです。こういった小冊子がよくはけるフェアはフェア自体もそれなりに盛り上がるものです。
「でも、小冊子って、結局もらっても、その後、見るの?」という疑問がわくのももっともです。確かに、持ち帰ったはいいけれど、どっかに行ってしまったチラシや小冊子も数え切れないほどありますが、自分の勤務先のフェアの参考にしたり、興味のあるフェアの場合、フェアが終わった後に、小冊子を参考に本を購入したりすることもあります。
そうです。小冊子にフェアの書目が載っていると、フェアが終わった後でも「あのフェアで見かけた本、どこの出版社の何ていう本だったっけ?」という疑問にもすぐに答えが出るので重宝します。
多くの書店の方曰く、フェアを終了すると「この前まであそこに並んでいた本、もうないの?」というお客様からの問い合わせが必ず数件はある。そういう時でも、小冊子があれば、お客ならフェアが終わっても本屋で探す手掛かりになりますし、問い合わせを受けた書店の方も探しやすくなるというものです。
そんな小冊子、最近手に入れたものはこちらです。
まずは、紀伊國屋書店新宿南店5Fでやっていた、『本を読むときに何が起きているのか』フェアです。あたしの勤務先の『テヘランでロリータを読む
』も選書されていました。
山本貴光さんによる小冊子がVol.1からVol.3まで置いてありました。これは非常に手作り感のあふれる冊子です。新宿南店以外の書店でもやっているのではないでしょうか?
続きましては、小冊子ではなくチラシです。こちらは出版社がきちんと印刷したものですね。佐藤優さん選書による、文春新書の「戦後70年」フェアのチラシです。
このチラシの工夫している点は、単に佐藤さんが選んだ文春新書だけを並べたのでは宣伝物に堕してしまうので(←いや、フェアの冊子やチラシはすべからく宣伝物ですが……汗)、中を開くと関連年表になっているところです。もちろん年表の事項に関連する文春新書があれば、ちゃんと書いてあるところはさすがです。
でも、こういう感じですと、たとえば歴史の順番に読んでいこうと思うときの手掛かりにもなりますし、「ああ、これについても本が出ていたんだ」と新しく発見するところもあるでしょう。
やはりお客様に持って帰ってもらえるチラシや冊子、これからも工夫して作っていきたいと思います。
それぞれの海外文学入門フェア
苦手という人が多い海外文学。ファンタジーや推理・ミステリーはコンスタントに売れるのに、いわゆる純文学と言いますか、いわゆる海外文学はなかなか手が伸びないのが実情のようです。そんな状況を少しでも改善しようと、この夏提案している海外文学のフェアですが、今回は二店ほどご紹介します。
上の写真は紀伊國屋書店新宿本店です。二階の海外文学コーナの平台で展開中ですが、既にガタついていて数冊売れているようです。こちらのお店の場合、今回のような<入門>的な海外文学ではなく、本格的なものが日常的に売れているわけですが、夏休みになると、そういうコアなお客様だけでなく、たまたま来たから覗いてみた、という海外文学初心者の方も増えるでしょう。こういう手に取りやすい作品を目立つところに置いてみるのは、新しい読者開拓になるのではないかと思います。
続いては、あえてBOXではなく、棚で展開しているフェアです。新百合ヶ丘エルミロードにある有隣堂です。こちらは紀伊國屋書店とは異なり、日常的に売れるのは日本人の作家の作品のようです。だからこそ、時にこういう風に海外文学のフェアを織り交ぜで、お客様に新しい提案をしていくことが必要なのだと思います。ただ、そういう時に、いきなり分厚くて読みごたえのある海外文学では手も伸びないでしょうから、こういう作品でまずはウォーミングアップをしていただくのも一つの方法だと思います。
さて、両店の海外文学フェア、この夏、一人でも二人でも海外文学のファンを増やすのに貢献できれば嬉しい限りです。
広島と長崎、そして杉並
昨日のダイアリーで長崎の平和像について書きました。ここで一つ、あたしは正直に申し上げなければならないことがあります。それは小さいころの気持ちについてです。
小さいころと言っても小学生のころの気持ちなのですが、当時のあたしは広島が嫌いでした。別に悲惨な被爆の展示を見て嫌悪を覚えたというのではありません。ちなみに、最近はそういう理由で展示内容を見直すという動きもあるようですね。
確かに子供には衝撃的で、刺激がきつすぎるかも知れませんが、だからといって目を背けてよいものか、子供だからこそ見せた方がよいのではないか、という気もします。少なくとも、子供にも耐えられるように展示物を改竄するようなことだけはやめてもらいたいところです。
閑話休題。
はい、あたしはそういう展示物を嫌いになったわけではありません。ただ単に、広島に対して虫が好かない、という感情を抱いていたのです。その依って来たるところは、その当時のあたしには、広島が被爆したことを自慢しているように感じられたからです。「どうだ、すごいだろ」と他の都市に対して声高に訴えているように小学生だったあたしには感じられました。
なんでそんな風に感じたのか? 小学生ですから、政治的にどうだ、思想的にどうだ、といった背景があったわけはありません。家庭環境が原因かと問われても、取り立てて政治活動に熱心な家庭ではありませんでし、そういった話題が食卓に上ることもない環境でしたので、これも違うと思います。
子供心にそう感じたというのは、どこかに、当時の広島の核廃絶、原水爆禁止の運動にそういった鼻持ちならないところがあったからなのでしょうか? ですから、当時のあたしには、そういうことをこれ見よがしに訴えない長崎が非常に好ましく感じられたのです。
もちろん、「(当時の幼い気持ちのままに表現するなら)広島って、むかつく」という気持ちはあっても、だからといって核兵器の存在を認めたりしたわけではありませんし、核兵器なんてなくなればよいとは思いますが、当時のあたしがそんなことまでわかっていたのかは疑問です。
そう言えば、中学のころでしたでしょうか、学校で(東京の杉並区立の中学校です)原水爆禁止の署名活動がありました。学校や先生主導ではなく、親にたきつけられた生徒数名が中心になってクラスメートから集めていたと記憶しています。後になって原水爆禁止の運動が杉並から始まったと聞きましたが、そういう運動と関連があったのか、それはわかりません。ただ、当時のあたしは、そういう活動に胡散臭さを感じ、書名を断わったことを覚えています。
やはり、あたしがズレていたのでしょうか?










