Nancy Sensual World

このたび、「染井吉野ナンシーの官能世界」は引っ越しました。新しい世界はこちらになります。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 自動では新しい世界に飛びませんので悪しからず……

新着ニュース

まもなく自著も刊行予定

今日も朝日新聞です。

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。

この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』です。

フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。

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最近のRockfield's Diary

人文書の「星座」

昨日のトークイベント、お題は「人文書の『星座』とブランド・イメージ~『ちくま学芸文庫』の経験から~」でした。筑摩書房社長の熊沢さんの入社当時や筑摩書房創業のころのエピソードを語る前半と、ちくま学芸文庫についての後半という一時間のトークでした。

まずは筑摩書房創業のころの話、概略はウィキペディアでもわかりますが……(汗)

創業者は古田晁で、長野出身、東京大学出の人物。彼が臼井吉見、中村光夫、唐木順三の三人をブレーンとして始めたそうです。臼井も吉田と同郷の東大出で日本文学を専門としており、唐木は京大出身で哲学・思想が専門、中村はフランスの文学や思想が専門。これが筑摩書房の出版ジャンルの三本柱となっていったそうです。最初に取り組んだ刊行物は中野重治の随筆抄、宇野浩二の文芸三昧、中村光夫のフロオベルとモウパッサンだったそうです。ちなみに中村光夫は宇野浩三の紹介で筑摩書房と関わりができたそうです。

 

さて筑摩書房創業に当たって古田は岩波書店の岩波茂雄、みすず書房の小尾俊人に相談をしていたそうです。その岩波書店は雑誌「世界」で一貫してリベラル左派の立場を維持し、みすず書房はメルロ=ポンティ、レヴィ=ストロース、アーレントなど1960年代から70年代にかけて非マルクス主義の立場の翻訳書を刊行して地歩を固めていたのに対し、筑摩書房は雑誌の「展望」が右も左も掲載する多様性を持っていたそうです。そして当時の流行もあるのでしょう、日本文学全集という大きな企画を成功させ、出版社としての経営も軌道に乗ったわけですが、全集のようなものは「編集もの」であって筑摩書房にはオリジナルの企画が少ないという弱みがあったようです。

そんな筑摩書房、倒産をくぐり抜け、ちくま学芸文庫を創刊します。重厚長大な全集の時代から文庫・新書を中心としたペーパーバックの時代へという変化もあり、ブランドイメージの転換を図ったようです。ただし学芸文庫に収録できそうな自社の人文系単行本は創刊から2年ほどするとストックがなくなり、文庫オリジナルや他社の単行本を文庫化する必要に迫られたようです。

この時、岩波文庫が既に古典と呼ばれる人文系を独占しているような状況で、ちくま学芸文庫の独自性を出さなければならなくなり、岩波文庫が手薄だった20世紀の作品を積極的に収録していく方針を立てたようです。その後の東西冷戦の崩壊など世界が大きく動いた20世紀を振り返る、20世紀クラシックスという文庫内レーベルを立ち上げハイデガーやアーレント、ベンヤミンなどを積極的に収録していったそうです。もちろん、当初はそれほど売れたわけではなかったようですが、20世紀の人文科学を俯瞰できるようなラインナップが徐々に形成されたいったそうです。

熊沢さんの意図としては、このような文庫は既にあるものの再集成にすぎないのかという問いに対し、沈殿していたものを新たな文脈に置き直す作業、新たな文脈を創り出す作業だと位置付けることだったそうです。そして取り上げた作品群を一覧すると何かしらの図柄を作っていき、それが夜空の星座に見えるようになってくるそうです。当時既に大哲学者として知られていたハイデガーと、まだ注目も少なかったアーレントなどを一緒に並べるというのは文庫レーベルだからこそできたことで、それぞれを単行本として刊行したのでは、そのような星座は見えてこないし、そのように見える読者の想像力をかき立てることもできないわけで、そこにちくま学芸文庫の意義があると考えているようです。

外出先からLinkStation

先日、わが家のルーターを変えたと書きました。その折りにちょっとだけ触れていたわが家のネットワークHDDですが、外出先からもアクセスできるのですが、その設定がうまくいかなくて試行錯誤していたのですが、なんとか解決しましたので、備忘録がてら、ここに書いておこうと思います。

先にも書きましたが、「LS410DX」と「LS411DX」です。これはバッファローの製品です。バッファロー製品は、バッファローが運営している「WebAccess」という機能を備えたHDDがほとんどで、この機能を使って外出先からアクセスできるようになるわけです。

この機能の基本的な使い方はこちらのページなどをご覧いただければわかると思います。が、わが家の場合、ネットワークHDDが複数ある、UPnP機能は無効になっている、という点でマニュアルや設定ガイドとは異なります。そこで参考にしたのがこのページです。基本的にはこのページに従って設定していきます。LinkStationはすべてIPアドレスを自動で割り振るのではなく固定します。

さて、このページのUPnP機能が対応していない場合、つまり「Step.3」に進むわけですが、その前に先にStep.4の「3.各項目を設定します。」の画面を設定してしまいます。ここでUPnP機能を「使わない」にすると「ルーター外部ポート」が表示されるので、これをメモしておきます。この数字は各HDDごとに異なります。また「NAS内部ポート」もデフォルトでは9000ですが、やはりここもHDDが複数あるので、適宜9001とか9002などに変更してHDD同士で重ならないように設定します。

さて、Step.3に戻って、ルーターのポート開放です。「任意のTCP/UDPポート」に先程の「ルーター外部ポート」の番号を、「LAN側ポート」の「TCP/UDPポート」には「9000」とか「9001」など、先程指定した数字を入れます。もちろん、どの設定しているHDDのIPアドレスを間違えていけません。

このポート開放を所持しているHDDの数だけ行なえば完成です。WebAccessの登録も別途やらないといけませんが、いわゆる一番面倒臭い、HDDの設定やルーターのポート開放はこれでできているはずです。

ほぼ真南なのに

本日午後から、ユニコムプラザさがみはらで行なわれたオーサーズカフェに行ってきました。筑摩書房の熊沢社長による「人文書の『星座』とブランド・イメージ~『ちくま学芸文庫』の経験から~」というお話しでした。話の内容については別途リポートするとして、会場へ行くまでの道中について、まずは書きたいと思います。

小平市にあるわが家から会場となったユニコムプラザさがみはらまで、場所は小田急線の相模大野駅前ですから、地図を広げるとほぼほぼ真南に位置しています。さて、そこまでどう行くか? この問題、既にこのダイアリーで何回か書きましたが、長旧線や田園都市線沿線の営業回りからどういうルートで帰宅するかの反対の問題となります。

まず中央線は国分寺か武蔵小金井から乗車なのですが、ネットで検索すると国分寺から新宿まで特快で出て、新宿で小田急線の快速急行に乗るというルートが最初に表示されました。個人的にはわざわざ新宿まで出るなんて「なんて遠回りなんだ」という意識に抗えません。次に出てくるルートは中央線を逆方向、八王子まで行って横浜線で町田、そして小田急線で一つ、というコースです。

でも、ほぼ真南の相模大野まで、個人的にはやはり西国分寺から府中本町、登戸経由で小田急線というのが一番近道のように感じるのです。実際に地図を見ると、上述の八王子経由と真南に対する東西への膨らみ方は似たようなものと感じますが、新宿まで行くのと同様、八王子まで行くのも「あまりにも西まで行ってませんか」という気がしてしまうのです。

で、ネット検索では候補に挙がらなかった府中本町、登戸ルートですが、結論から言いますと、やはり候補に挙がらないだけのことはあります。もちろん乗車時間のほんのちょっとした違いで、乗り継ぎが変わってくるはずですから、一概にダメとは言えないでしょうが、今日に関してはまるで失敗でした。

まず武蔵小金井で乗って西国分寺へ向かったのですが、一つめの国分寺で特別快速の待ち合わせに引っかかりました。特快で立川へ出て、そこから南武線始発に乗るという選択肢もありますが、今日は西国分寺乗り換えを選択したので特快をやり過ごしました。そして西国分寺ではそれほど待たされずに武蔵野線が来ましたが、府中本町の乗り換えでは一本乗れませんでした。武蔵野線から南武線川崎方面への乗り換えは結構時間がかかりますね。

この結果、府中本町でしばらく待って次の川崎行きの乗車して登戸です。ここもJRと小田急なので、お互いに乗り換えの便など考えていない駅です。小田急のホームに来ると、次の電車は多摩急行でした。多摩急行なので新百合ヶ丘まで行って、後続の快速急行に乗り換えて相模大野まで、という顛末でした。路線自体の乗り換えの数以上に電車の種別の乗り換えなどが重なったような気がしました。

帰路ですが、これも同じルートを選択したのですが、相模大野で乗ると急行の新宿行き。快速急行は登戸には停まらないので、「こりゃ、帰路はスムーズに帰れるかな」と思いましたが、登戸に着くと次の南武線は稲城長沼止まり。その次の立川行きを待つ羽目になりました。ただし、チェッと思ったのはここだけ。あとは府中本町も西国分寺も、それほど待たされたり、ホームに着いたら電車が出ちゃったということもなく帰宅できました。

うーん、こちらの沿線担当になって一年半くらいですが、いまだに悩みます。