Nancy Sensual World

このたび、「染井吉野ナンシーの官能世界」は引っ越しました。新しい世界はこちらになります。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 自動では新しい世界に飛びませんので悪しからず……

新着ニュース

まもなく自著も刊行予定

今日も朝日新聞です。

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。

この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』です。

フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。

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最近のRockfield's Diary

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アマゾンは速いのか?

業界紙の「新文化」にも載っていたので改めてアマゾンについて考えてみました。

よく本屋(リアル書店)は入荷が遅くてアマゾン(ネット書店)は速い、と言われます。これは多分にマスコミの報道の仕方やアマゾンの宣伝に惑わされていると思います。アマゾンだって書店ですから、出版社から見て街の本屋と違いはありません。アマゾンからの注文は速く出荷して、街の書店からの注文は後回し、ということはありません。出荷してから取次を経由して書店に届くのも、たぶん同じだと思います。

アマゾンが速いと言われるのは「自社の倉庫に持っている本は」ということであって、それなら買い物に出かけたときに店頭に目当ての本があればその場で手に入れることの出来る街の本屋の方がはるかに速いです。それなのに「アマゾンは速い」と言われるのは、街の本屋に目当ての本がない場合が多いからでしょう。

アマゾンは、今では日本全国にいくつかの倉庫を持っていますが、そのいくつかの倉庫で全国のお客さんを相手にすればよいのですから実に効率よく在庫できます。でも街の本屋さんは、その地域の人たちの需要を満たせるほどの在庫を持つことは難しいです。勢い、アマゾンにはあるけれど近所の本屋にはない、という状況が生まれます。

でもアマゾンの倉庫にだって在庫していない本はごまんとあります。あたしもかつて、専門書ですが、注文したら2、3週間待たされました。アマゾンも持っていない本なら、上に書いたような流通ルートに変わりはないので、街の本屋と入荷までの時間はほとんど変わりはないのです。もっとそこに気づくべきなのだと思うのですが、ね。

あえて言えば、「いつ届く」というのが利用者から見てはっきりしている、というのがよいのかも知れません。アマゾンに限らず、たいていのネットショップは「商品を手配しています」「出荷しました」「○日頃入荷予定です」といった注文品の追跡が可能ですが、街の本屋の場合、ほとんどブラックボックスですから。

悪霊の住む病院、らしい

自宅で映画鑑賞です。今回は「グレイヴ・エンカウンターズ2」です。パート1を見たのは一年近く前になりますね。どんな作品だったか見るまではうろ覚えでしたが、見始めたら「ああ、あれか」と思い出しました。

 

今回は、パート1はフィクションだと言われているけど、関わった人たちが次々に死んでいて、あれは作り物なんかじゃない、実話だったんだ、と映画マニアの学生が思い込み、その真実を暴くために再び問題の廃墟病院へやってくるという筋書き。

仲間の学生を引き連れやってきて、問題の病院に侵入し、定点監視カメラを設置して、というように、ここから先はパート1とまるっきり同じ展開。あえて新味を言えば、途中でパート1の主人公、地下道で発狂してしまってエンディングとなった人物が、10年間地下道の中で、つまりこの呪われた病院の中で生き続けていたという設定で登場することでしょうか。狂っているんだか、まともなんだか、途中から徐々にまともになっていったようですが、あの環境で10年も生きていられるとは信じられません。あれは病院に取り憑く悪霊に活かされていたのでしょう。だから新たな生け贄を呼び寄せる役割を担うことになり、新しい生け贄が手に入ったら捨てられるという、こちらもおきまりのパターン。

今回は主人公はなんとか助かります。助かるというか逃げ出すというか。仲間すべての犠牲の上になんとか病院から脱出し、パート1の製作会社に撮ったフィルムを持ち込み、ここにこうしてパート2をお届けします、といった趣向になっています。この「記録のために録っていたテープに偶然映り込んでしまった」というモキュメンタリーの手法も飽きることは飽きてきましたし、もうこの手法の限界も見えているわけですが、いつまでやるのでしょう。

パラノーマルのように、自宅で怪奇現象が起きるのでカメラを設置してという設定の場合はリアルさもありますが、こういうある場所を探検していくような、つまり登場人物が移動するような映画では、「果たしてこの状況になってもカメラを持ち歩くか?」「こんなことになってもまだ録ってるの?」といった、ごくごく普通の疑問の方が先に立ちます。

もちろん、戦場カメラマンにしろ、報道カメラマンにしろ、命のやりとりをするような危険な現場でもカメラを手放すことはないのでしょうが、果たして本当にそうなのでしょうか? 本当に自分の命が危険にさらされたときでもカメラを持ち続けるのでしょうか? いや、百歩譲ってカメラを捨てないとしても、こういうモキュメンタリーのように撮り続けていられるのでしょうか?

という疑問があまりにも先に立ってしまい、興醒めになるんですよね。

 

 

と、こんな愚痴をこぼしつつも、あたしはホラー映画が好きなんですよね。それも結構B級ものも。悪霊が好き、というのが根底にあるからでしょうか? 少なくとも人間は裏切るけど、悪霊は裏切らない、あたしはそう思っています。