Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
実は独りよがり?
これは紀伊國屋書店新宿本店のフロアガイドのページです。一階から八階まで整然とジャンル分けされています。で、こちらがジュンク堂書店大阪本店のフロアマップのPDFファイルです。二ページ目には棚の細かいジャンルが書き込まれています。
ところで実際に店頭へ行きますと、もちろんこういう詳しい店内マップは置いてありますが、入り口近くの看板や案内図にはここまで詳しくは書いていないものです。ジュンク堂さんもこのPDFの1ページ目に書いてある程度の案内がせいぜいであったりします。
これまであたしはこういった案内や看板で何の疑問も感じていませんでした。これくらいで十分でしょ、という気持ちでした。ただ最近『パンダが来た道』という本が刊行され、この本の営業をしようと思いますと、書店では多くの場合、「動物」というジャンルに置かれています。で、その「動物」ですが、この二つの店内案内からどこにあるかわかりますか?
あたし、書店の中で探してしまいました。結局、お店の方に聞いたのですが、紀伊国屋なら4階の理工書、ジュンク堂も3階の理工にあるんですよね。これって常識なんでしょうか? 確かに事細かに看板や案内図に載せることは不可能でしょうが、動物が理工にあるって本屋を使う人には自明なのでしょうか?
そう思って、自社のホームグランドと言える人文を見ますと、紀伊國屋さんは比較的細かく書いてありますが、ジュンク堂さんは3階に「人文」とあるだけです。多くの書店でもジュンク堂タイプだと思います。これで哲学・思想とか日本史、世界史がここにありますよって、多くのお客様にわかるのだろうか、そんなことを思ってしまいました。
そりゃ、こういったジャンルの本を見に来る人には言わずもがなな気もしますが、もしかすると、それ以外の人にはものすごーく不親切な表記なのかもしれない、そう感じました。となると、わが社も入っている「人文会」という名称も、実は「そもそも人文って何よ?」という人が日本人の大多数なのかもしれないですね。
今年はやけに…
いろんな芸能人が「3・11」についてブログなどに書いていますね。それと同時に、今年はテレビでの震災特集番組がやけに目に付くと思います。丸三年がそれほどきりのよい数字だとは思いませんが、なぜか目立つように感じます。
3年たって何か思うのか、感じるのかと問われると、残念ながら、あたしには特に感想はありません。他人の気持ちを忖度する能力を欠いているあたしは、忘れてはいけないとか、いまだに心が痛むとか、そういう気持ちがわきません。
そもそも前にも書いたかもしれませんが、あたしは3年前の震災を体感していないのです。いえ、東京にいましたから体感していないというのは語弊があります。確かに揺れを経験していますが、やや大きな地震という感覚しかないのです。これも書きましたが、あの日あたしはトーハンの桶川倉庫にいました。日常とは異なる場所にいると、地震がどれだけの大きさだったか感じにくくなるものです。あたしも初めは大型トラックのせいでこんなに揺れているのだろうと思ったくらいです。桶川からの帰宅も確かに電車が止まってしまい苦労はしましたけど、それほど大変なことはなく帰宅できました。中央線がしばしば停まるのを経験しているので、電車やバスが来ない、来ても車内が大混雑というは慣れっこです。それを差し引けば、比較的順調に、何時間も歩くなんていうこともなく、自宅に帰り着くことができたわけですから、ラッキーと言うほかはありません。
瓦礫が堕ちてきて怖い思いをしたとか、道路がうねって車が通れない、自宅が崩壊、半壊しているということもなく、そういう事態はあくまでテレビで見ただけですので、そして幸いにも身内に被災者もいないので、思いを馳せるということもなくこの3年を過ごしてきてしまったなあという気分です。
で、始めに戻りますが、人それぞれ迎え方があってしかるべきだと思いますが、今年はやけにマスコミを上げて3・11を盛り上げようとしているように感じます。なんででしょう?
人体のもっとも強い筋肉は舌である
英語が話される国がある。でもそこでは、わたしたちみたいには英語を話さない。わたしたちは母語を、旅行の手荷物のなか、化粧ポーチに隠して、外国で、他人に向かって英語を話す。想像しにくいことだけれど、彼らにとっては英語が母語だ。しかもそれが唯一のことばであることもしばしば。このことについて、彼らはみじんの疑念も抱かない。
この世界で、彼らは困惑しているにちがいない。だって世界のどんな説明書も、どんなくだらない曲の歌詞も、レストランのメニューも、仕事上の連絡も、エレベーターの昇降ボタンさえ、彼らの母語で記されているのだから。彼らがなにを話しているのか、どんなときでも、みんなにわかる。私的なメモには、特別な暗号が必要かもしれない。彼らがどこにいようとも、みなが彼らに無制限にアクセスできる。だれもが、なにもかもが。
英語話者を守るため、あるプロジェクトがすでに進行中だと聞いた。話者の死に絶えた、もうだれにも必要とされていないちいさな言語のひとつの使用を、彼らに認めるという計画だ。英語話者も、自分たちだけのものが持てるように。
『逃亡派』より。





