Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
寒い時はより寒く?
晴れてはいますが暖かくはない祝日、建国記念日。より寒さを感じようなんて気持ちは毛頭ありませんが、以前録っておいた映画を視聴しておりました。まずはこちらです。
「フローズン」です。一応、大ヒット映画「ソウ
」のスタッフが再集結して作った作品だと言うことですが、なんかB級感があります。
内容を簡単におさらいしておくと、若者(大学生)三人がスキー場へ遊びに来ます。もう本日の営業時間は終わりというタイミングで、最後にもう一滑りしたいからとリフトの係員に無理を言って乗せてもらうが、係員の交替などで三人がリフトに乗っているのを忘れた(滑り降りてきた別の三人組と勘違い)係員のせいでリフトが止められてしまいます。週末だけ営業するスキー場なのか、運悪く三人が乗ったのは日曜の晩、つまり次の週末までリフトが動くことはない、スタッフなどが見回りに来ることもないという状況です。
最後の一滑りですから時刻はもう日が暮れる頃。あっという間に暗くなり、営業終了したスキー場は照明も消されます。真夜中の山の中、やや吹雪のリフトの上で取り残される三人。飛び降りようにも十数メートルはあろうかという高さです。男子が一人飛び降りますが、足を折り動けなくなり、オオカミの餌食となりますが、週末はふつうにスキー客で賑わう場所に、これだけ野生の狼がいるというのも不思議な話です。日が暮れかけた頃、一台の整備車両がパトロールのようにリフトの下にやってきます。リフトの上からスキー板やスノーボードを投げてアピールするのにパトロール車の運転手は気づきません。これも、いくら寒くて手がかじかんでいる、高いリフトの上からだからコントロールが難しいとは言え、あそこまで近寄っていたのだからボンネットに当てるくらいは出来ると思うのですが、ほとんど当たらず、パトロール車も帰ってしまいました。まあ、ここで助けられたら映画になりませんから、おきまりのストーリー展開ですが。
その後、残った男性がワイヤーをつたって支柱まで移動し、ハシゴで下へ下りて麓まで助けを呼びに向かいます。その後を追いかける狼たち。いつまでたっても戻ってこない男性を、一人寂しく不安に駆られながらリフトの上で待つ女性(最初に飛び降りた男性のガールフレンド)。二人目の男性が移動しようとした衝撃でワイヤーが切れ、ズルズルと下へ落下してしまいます。一気に落ちたのではないので足の骨こそ折りませんでしたが、落ちてきたリフトが向こうずねに当たって、たぶん骨が折れたような感じです。とにかく這いながら麓へ向かいます。途中、支柱から下りて助けを求めに言った男性がオオカミに喰われている現場を目撃しまうs。幸いにも狼たちは男性を喰うのに忙しく、その女性はなんとか麓の国道(県道? 村道?)までたどり着き、通りかかった車の男性に助けられおしまい。
最初の方のシーンで指名手配のポスターを伏線のように映しているシーンがあるのですが、あれがなんだったのか? 最後に助けたドライバーが犯人だった、というドッキリもなければ、助かったと思ったのは女性の妄想で、目が覚めたらやはり自分はまだ一人ぼっちでリフトの上にいた、なんていうどんでん返しもありません。もうひとひねり欲しいところです。
続いて、冷えきった体を温めるのにふさわしいかわかりませんが、鑑賞したのはこちらです。
「血の伯爵夫人」です。劇場未公開の作品だそうです。DVDやBlu-rayも発売されていないようです。WOWOWでやっていたものです。
ストーリーは歴史上の人物、エリーザベト・バートリの物語です。寡聞にして、こんな女性がいたことを知りませんでした。確かに、追いに対する恐怖から正気を失い狂気に走った哀しい女性の物語とも言えます。ナレーションにもありましたが、果たしてどこまでが真実なのか、彼女を罪に問うた側のでっち上げはないのか、歴史学界でも議論があるようですが、恐らく、このような話が語られる何らかの原因は彼女の素行にあったのでしょうね。
最初のうちは、若い男性と恋におちるのだから、もう少し若々しいきれいな女優さんを使えばよかったのにと思いましたが、自分が置いていく恐怖を表現するわけですから、見るからに若くてきれいな女優ではストーリーが破綻してしまいますね。
ワンシージー
よく晴れた日曜日、東京は上野公園にあります東京国立博物館へ行って参りました。目的は現在開催中の王羲之展、円空展を見るためです。
平成館をフルに使っていた王羲之展に比べると、本館の大階段奥の大部屋一つで開催されている円空展とでは、人の混み具合もかなり異なるのではと予想していました。確かに王羲之展の方が多くの人が入っているのでしょうが、円空展も負けてはいません。むしろ会場が一部屋しかないために混雑具合で言えば、円空展の方が立錐の余地がないくらいでした。
さて、まずは王羲之展です。ちなみに、ご存じだとは思いますが、王羲之の「羲」の字は「義」ではありません。「羲」です。上半分の「羊」は共通していますが、下が異なります。もしかすると「おうぎしって漢字で書いてみて」と言うと、多くの人が「王義之」と書いてしまうかもしれないですね。くれぐれもお間違いのないように(笑)。
それともう一つ。王羲之では最も有名と言ってよい「蘭亭序」。まさか、「伊藤蘭の亭主だから水谷豊のこと」なんて思っている人はいませんよね?……(-_-;)
さて、王羲之ですから、基本は書跡です。書籍ではなく書跡です。唐の太宗が国中の王羲之の書を残らず集めた(集めようとした)のは有名な話で、すべて自分の陵墓に副葬品として埋めたから真筆は一つも残っていない、という話も巷間よく聞かれるエピソードですが、史実はどうだったのでしょう?
それはそうと、王羲之の書、そんなにすばらしいでしょうか? 世に能書と呼ばれる人は日本にも中国にも大勢いますが、とにかく書聖と崇められる王羲之が最高峰と言うことになっています。でも、あたし、今回の展覧会を見ても、それほど王羲之の書がよいとは感じないのです。王羲之よりももっと好きな字はありますし、能書かもいます。すぐに名前や作品が出てきませんが、見ただけですばらしい、すごいと思えるような書はほかにいくらでもあり、そんな中で王羲之の書が一頭抜きんでているかと問われれば、あたしにはそうは感じないのです。
もちろん、こういったものはそれぞれの人の感覚、感性によるものですから、「王羲之ってそれほどでもないよね」ということを他の人に強制するつもりはありません。あたしだって決して下手だといってるわけではありません。あくまで王羲之よりも「うまいなあ」と感じる書がほかにあるというだけのことです。
ついで円空展。
円空という名前くらいはどこかで聞いたことがあるなという程度の知識でしたが、なんとも言えない、素朴なぬくもりのある仏様ですね。決して精緻な技巧を施した仏様という感じではありません。もちろん、かなり細かな彫りが施されたものもありますが、多くは荒削りな、言葉は悪いですが、児童の夏休みの宿題の木彫のような、ほのぼのとしたものばかりです。都の貴族が愛好するのではなく、田舎に暮らす庶民が心から信心する対象、そんな雰囲気がある仏像ばかりです。
円空って、鎌倉か室町の人かと思っていたら、江戸前期の人だったのですね。だから仏像もこれだけ残ったのでしょうか?
数年後には?
CDがネット配信によって衰退したというのはよく聞く話です。阪急が書籍のブックファーストと同様、かつてはCDショップのサウンドファーストをやっていたのは知っている人も多いでしょうが、音楽配信が始まってじきにすべて閉店してしまいました。最期のサウンドファーストがなくなってどれくらいになるでしょうか? 書籍業界も電子書籍が始まっているので、いずれは同じ運命をたどると予想している人も少なくありません。
で、こんなニュースがありました。
ほんの一握りの売れる作品と、大多数の売れない作品という二極化。
近年のハリー・ポッターや村上春樹、東野圭吾などの売れ方を見ているようです。芥川賞や直木賞もかつてほどではないにしても、そこそこはまだ売れますが、ノーベル賞など村上春樹が取らなければ、もはや書店店頭の売り上げには何の効果ももたらさないようです。賞がらみで言えば、芥川・直木に比するのは本屋大賞くらいでしょうけど、これも一位以外は見向きもされないとは、書店の人からよく聞く話です。
個性を育むとか、個性の時代とか言いながら、多くの人が右へ倣え、人と同じ流れに乗っていれば安心、という風潮がかなり極端になってきているのでしょうか?
一部の作家の作品だけはミリオンセラーになるけれど、あとは100部、200部作れれば御の字、そんな時代が遠からず来るのでしょうか? もちろん音楽と書籍は、扱い方にしろ、鑑賞するための道具にしろ、かなり差異がありますから、同じように書籍も衰退するとは思いたくありませんが。





