近所のローソンへ買い物に行ったら、こんなスイーツがありました。
キティちゃんとポムポムプリンですね。
調べてみますと、「食べマス」という和菓子のシリーズのようです。ローソンとサンリオのコラボということでしょうか? 確か、元AKB48の渡辺麻友はポムポムプリンが大好きだったはず。既にゲットしているのでしょうか?
しかし、こういう商品、本当に好きな人は「かわいそうで食べられない」と言いますが、その点あたしは薄情なので、キティラーとはいえ平気で食べられます(汗)。
今宵は八重洲ブックセンター本店でのトークイベントを聞きに行ってきました。
みすず書房から『福島第一 廃炉の記録』を刊行した西澤丞さんのトークです。トークイベントの感想は改めて書くとして、金曜日の晩の東京駅についてちょっと感じたことを書きます。
金曜日と言わず、ほとんどの晩、あたしは8時すぎには寝床に入り本を読んでいます。帰宅が遅くなることは、今宵のようにイベントなどがない限り、極力避けていまして早寝早起きを励行しています。ですから、こうしてたまに晩に外にいると、まだまだ元気に戯れている人々に圧倒されるのです。ましてや今日は金曜日、さらに人も多い気がします(←ふだんこういう時間に外にいないので、多いのか少ないのか判断できません)。
さて、金曜晩の東京駅です。新宿や池袋、渋谷とは異なる空気があります。それはこれから遠出をする人の多さだと思います。これら三駅と比べ東京駅は新幹線の発着駅です。ですから、これから旅行へ行く人、一週間の東京暮らし(出張?)を終えて地元へ帰る人などが目に付きます。さらに、トークイベントへ向かうために出てきた八重洲口は高速バスの乗り場が出てすぐのところにあり、こちらもそれぞれのバスに乗って目的地へ向かう人でごった返していました。既に満席というアナウンスも聞こえましたが、やはり金曜日だからでしょうか?
この空気感と言いますか、雰囲気と言いますか、つまりは東京駅の喧騒なんですが、これって出張帰りの新大阪駅で感じるものとよく似ています。あちらも新幹線に乗って目的地へ向かう人で、特に金曜の午後6時台は混雑しています。主として東京へ帰るサラリーマンが主で、東京駅とは少し構成が異なりますが、東京駅も最大多数はサラリーマンでしょうから、やはり似ています。
ただ、新大阪の場合、ターミナルとしての喧騒はお隣、大阪駅が担っていますので、新大阪は純粋に新幹線ためだけの駅に特化していると思います。それに対して東京駅は、新幹線もありますが、東京の主要ターミナルの一つとしての機能も併せ持っています。だから、余計に混雑もしていますし、雑多な感じもあります。
それでも、今宵、東京駅を歩いていて、なんだか新大阪駅にいるような気分になったのは、共通するものを感じたからなんでしょうね。この感覚、わかっていただけますでしょうか?
今朝の朝日新聞です。
水色で塗られている部分に具体例が挙がっていますが、さすがに上六つは「いまどき、そんな風に思っている人いるの?」と言えるような内容ですね。これらはすべて個人差ではないでしょうか? そういう人もいれば、そうでない人もいる、という感じだと思います。
最後の「LGBTの人はオシャレ」というのは、そういう言説があること自体知りませんでした。そうなんですか? ってうっかり信じそうになるあたしのような人間が、無意識の偏見を助長し、社会にまき散らしているのでしょう。
ちなみに、最初の項目、「女性はこまやかな心遣いができる」というのは、ズボラな女性も数え切れないくらい見ていますから(もちろん男性も)、典型的な個人差の問題だとは思います。ただ、男性が女性に対して細やかな心遣いを求める傾向にある、というのは大方の男性が頷けるのではないでしょうか?
で、男性に好かれたいと思う女性は、男性が求める女性像に近づこうとするわけで、女性はこまやかな心遣いができなければと思い込み信じ込み、それが今度は逆に男性側に「女性はこまやかな心遣いができる」と思われる原因になっているのではないかという気がします。
しかし、こまやかと言うから女性的なニュアンスを受けてしまいますが、相手のことを思いやる気遣いと言い直せば、これは男女を問わず必要なことなのではないかと思います。
そして、あたしに決定的に欠けているのもこの点です。全くもって他人を思いやろうという気持ちが欠如しています。自分中心にわがままに生きています。
だから結婚相手はおろか、恋人も親友もできないままこの歳になってしまったわけです。その自覚はありますが、自省はありません。
知人のSNSで知ったニュースです。朝日新聞の名古屋版で2月に掲載された記事のようです。なんと、愛知大学の『中日大辭典』が遂に電子化される宋です。
振り返ってみますと、あたしが学生のころ、中国語辞典と言えば光生館の『現代中国語辞典』が主流で、岩波の倉石辞典は癖があり、愛知大学の大辞典は文学作品を読む人向き、という評価でした。中国語を学ぶ学生は光生館を買うしかなかった時代です。
その後、あたしが卒業のころになって小学館から『日中辞典』が発売され、その後『中日辞典』も姉妹版として刊行され、光生館独占の中国語辞典の世界に風が吹いたのです。
その小学館の『中日辞典』『日中辞典』は既に電子化され、スマホアプリとなっています。確か最初はCD-ROM版が発売されたのだと記憶しています。辞典・事典はCD-ROMで使う、そういう時代でした。
さて、小学館の辞典が出たとは言え、英和辞典などに比べ選択肢がまだまだ貧弱な中国語辞典の世界。あたしが就職したのは伊地智辞典と呼ばれる『白水社中国語辞典』の編集をするためでしたが、同辞典も既にウェブで使えるようになっています。
それが「weblio」という辞典サイトです。いろいろな辞典が引けますし、これもスマホアプリが配布されています。
伊地智辞典が刊行されたころは、中国語辞典の発売ブームと呼んでもよいような状態で、講談社や角川書店からも本格的な中国語辞典が刊行され、少し遅れて東方書店からも中日辞典が刊行されました。これらの辞典も、スマホアプリとまでは行きませんが、何らかの電子化はされているのではないでしょうか? これだけ電子媒体で出てしまうと、紙の辞書が売れなくなるのも当たり前ですね。
さて、上述の小学館のアプリですが、Android版は同辞典の第2版が電子化されたもので、最新の第3版は電子化されていないようです。しかし、iOS版は上掲のように第3版のアプリが昨年リリースされました。Android版のリリースが待たれます。
新刊の『酸っぱいブドウ/はりねずみ』は『シリアの秘密図書館』と並べたらよいのではないかと書きましたが、新宿の紀伊國屋書店ではこんな風に並んでいました。
本屋大賞の翻訳小説部門の第一位だった『ハリネズミの願い』です。シリアつながりではなく、ハリネズミつながりですね。これはこれでアリですね。
さあ、どちらの方が我らが新刊にとってはよいことなのでしょうか?
「ギブソン」と言ってもメル・ギブソンではありません。もちろん、デビー・ギブソンでもありません。あっ、メル・ギブソンなら知ってても、デビー・ギブソンは知りませんかね?
かつて、すごい人気だった歌手です。その後は太ってしまって、名前も少しだけ変えて映画なんかにも出ていましたが、今はどうしているのでしょう?
で、そのギブソンではなく、ギターのギブソンです。
上の画像は、今朝の朝日新聞です。ギブソンの経営が苦しいようです。アメリカでもロックは流行らないのでしょうか? 日本でも、かつてのバンドブームのころはギターを背負った若者を街でも見かけたものですが、最近はほとんど見かけませんね。
あたしはギターなんてまるで弾けませんが、ギブソン頑張れ、ということで、今日はこんなネクタイをしてみました。
書店店頭で見かけて、なんか似ているなあと思ってしまいました。
『スーパーインテリジェンス』と『フクロウ その歴史・文化・生態』のことです。いえ、単に表紙が似ていると思っただけでして、中味は全く無関係で、恐らくかすりもしないのではないでしょうか?
冗談はさておき、この両者は如何でしょう?
『シリアの秘密図書館 瓦礫から取り出した本で図書館を作った人々』と『酸っぱいブドウ/はりねずみ』です。前者はノンフィクション、後者はフィクションという違いはあります。しかし、出版社の内容紹介を見ますと、前者は
シリア内戦下、政府軍に包囲されたダマスカス近郊の町ダラヤ。死と隣り合わせの日々の中、地下に秘密の図書館を作り、本に希望を見出した人々を描く、魂のノンフィクション。
とあり、後者は
卓越したユーモアと奇想、殺伐とした日常を切り取る鋭い眼差し。現代シリア文学を代表する作家による短篇集と中篇を収録。本邦初訳。
とあり、どちらもシリアの<今>を描いた作品です。ノンフィクションも文芸書コーナーで扱っている書店が多いと思いますので、ここは両者を並べてみるのもよいのではないでしょうか?