冷戦は遠くなりにけり?

店頭に新刊の『死神の報復(上)』『死神の報復(下)』が並び始めたことと思います。同書のサブタイトルは「レーガンとゴルバチョフの軍拡競争」、まさに冷戦を扱ったノンフィクションです。

 

ところで冷戦と言うと既に過去のことでしょうか? 確かに冷戦は、象徴的な事例としては89年の東欧の民主化、ベルリンの壁崩壊に至る流れの中で終結し、アメリカ一強時代が到来したということになっていると思います。しかし、冷戦が終わって、世界に平和が訪れたのかと言われれば、さにあらず。アメリカ一強時代も終わり、米中二強時代と呼ばれることもある昨今です。

書店の棚を見ますと、「冷戦」という棚、プレートを持っているところは珍しい、否、ほとんどないのではないでしょうか? では冷戦時代は既に過去のことで、もう振り返ってみる必要はないのでしょうか? そんなことはありません。確かに陸続と、とは言えないですが、それでも少なからぬ書籍が、冷戦が終結した現在でも刊行されています。むしろ冷戦から少し時間がたち、冷戦とは何だったのか、あの時代、米ソ両大国はどのような駆け引きを繰り広げていたのか、といった問題について冷静に、客観的に語ることができるようになったのではないでしょうか?

そして、歴史は繰り返すと言ったり、歴史を鑑とするという言葉があるように、冷戦時代を改めて見つめ直すことが、米中二強時代や混迷を深める世界情勢について考えるヒントになるのではないでしょうか?

ところで、上で冷戦という棚、という言い方をしました。そして、そんな棚を設けている書店はほとんどないとも書きました。では本署は書店でどんなところに置かれているのでしょうか? まだ入荷したばかりですから「新刊コーナー」に置かれていることが多いと思いますが、まずは「海外事情」や「国際政治」のコーナーだと思います。「海外事情」の場合、「アメリカ」あるいは「ロシア」のところに置かれると思います。

次に考えられるのは、「文芸」コーナーの「海外ノンフィクション」でしょうか? 確かに、本書は研究書と言うよりは読み物ですので、「海外ノンフィクション」がふさわしいかもしれません。中規模の書店になると、そこまで細かい分類はしていないところもあると思います。そうなると、「各国史」の「アメリカ史」や「ロシア史・ソ連史」のコーナーになると思います。

で、本書の特徴なのですが、冷戦時代と言うと、米ソ両国がお互いに軍拡競争に邁進し、核開発でしのぎを削っていたような印象を持っていると思います。が、実はレーガンもゴルバチョフも核兵器削減、全廃を目指していたということが本書で明らかにされます。

「核兵器のない世界」は実現できるのか? 冷戦の「負の遺産」を清算できるのか?

というのが本書のキモです。そう考えると、核兵器の全廃への道がいまだ見通せない現在、改めてこの時代を、レーガン、ゴルバチョフ両首脳の思いに耳を傾ける価値があるのではないでしょうか?

『盆栽』著者、来日イベント@セルバンテス文化センター

火曜日の晩、東京は市ヶ谷にあるセルバンテス文化センターで、『盆栽/木々の私生活』の著者アレハンドロ・サンブラさんのトークイベントがありました。著者来日というのは、海外文学の場合なかなか稀なことですが、今年はちょっと当たり年ですね。

あいにくの空模様でしたが、熱心な方々、およそ50名ほどが来場していました。その半分、3分の1くらいはネイティブ、残りの日本人もほぼ全員スペイン語に堪能な方ばかりのようで、英語すらチンプンカンプンのあたしなどまるっきり浮いていました。それでも同時通訳があったので、とても愉しく興味深い内容のイベントでした。以下、手元のメモから、イベントの内容を少しご紹介します。あくまで通訳を介しての、なおかつ聞きながらのメモですので、あたしの聞き間違いや理解不足は多々あると思いますので、その点はあらかじめご了承ください。

さて、この『盆栽』、当初は詩を書くつもりでいたけれど、なかなか書き上げられないので、小説にしてみたら出来上がった作品だそうです。ただしチリでは相手にされず、スペインの出版社が興味を締めてしてくれて出版にこぎ着けた、とのことです。ただ、スペインで出版できたからこそ世界的に成功できたと思うので、全く予想していなかった展開だったそうです。

上にもあるように、邦訳の『盆栽』は表紙に盆栽のイラストをあしらっていますが、最初にスペインで出した時も凡才を表紙に使っていたそうです。が、邦訳のイラストを気に入って、今ではスペイン語版も邦訳のイラストを転用しているとのこと(現物未見ですが……)。

 

サンブラさんの小説の執筆態度は、スケッチを描くような書き方だそうです。つまり、何度も何度も書き直しながら仕上げていくわけで、それは病気を治療するような感じであるとは本人の弁。また同作は既に映画化されているのですが、まさか映画化されるとは想いもしなかったというのが最初の感想だったそうで、狂気の沙汰ではないかとも思ったそうです。

また映画は小説とは別のものなので少し距離をおいていたとも語っていて、『盆栽』という作品を使って監督が言いたいことを表現したものだと感じているそうで、作品を奪われるという気持ちもあったけど、決して嫌な気持ちではなかったそうです。作品に対して自分にはできない解釈を監督がしてくれたので自分の世界も広がった楽しい体験ではあったけれど、奪われたという感覚があったのも確かで、喜びと落胆という矛盾した気持ちだそうです。ただし、原書は40分もあれば読めてしまう長さなのに、映画は90分もあるという不思議な関係(たいていは原作を読む方が時間がかかる)だと言って会場を笑わせていました。

「盆栽」は自然に手を加えるものであるので、痛みを伴うものであり、最初は当惑した気持ちを抱いてたそうです。自分も盆栽を育ててみたことはあるが、最初の盆栽は友達からのプレゼントだったけれど、枯らしてしまったそうです。チリでは90年代に盆栽ブームがあったそうですが、気軽に買っては枯らしてしまう人も多かったようです。

サンブラさん自身、盆栽を初めとして日本文化にはとても興味を持っていて、文学者では川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫、大江健三郎、安部公房などが好きなようですが、繰り返し読んでいるのは『枕草子』だそうです。また映画では小津安二郎の作品が好きだと語っていました。94年に大学に入学した当時、その大学には日本文学などのコースがなく、その後開設されたそうで、もし自分が入学時に存在していたらきっと専攻していただろうとのこと。

まだ邦訳されていない新作の『選択肢』について、大学入試をパロディー化したもので、入試問題(=選択肢)という、ある意味、文学とは対極にあるものを題材にしてみた。自分の受験時代、何を学んでいるのか、何のために学んでいるのかわからなくなり、そんな受験勉強を小説化してみたものだそうです。

とまあ、ざっと以上のような感じです。

そんなイベントのあった当日、あたしのネクタイはこんな柄でした。別に『盆栽』のカバーイラストを意識したわけではないのですが、当日来場されたチリ大使が開口一番、あたしのネクタイを指さして、カバーと同じだと喜んでくださいました。

とうとうアダルト作品を出版?

近々『ブラインド・マッサージ』という本を出します。海外文学のシリーズ《エクス・リブリス》の一冊です。

タイトルがわかりにくいでしょうか? 原題は「推拿」といって、ここからもわかるとおり中国の作品です。盲目のマッサージ師の物語です。

ところが、上の画像をご覧ください。アマゾンで本書を検索すると、まずはこんな画面が表示されます。ジャンルを指定しなかったので、本以外でも「ブラインド・マッサージ」という検索ワードでヒットする商品がいろいろと並びます。

幸いにも、最初に出てくるのが本書なのですが、画像が表示されず、「警告」なんて書かれています。警告を無視してクリックすると下の画面です。

なんと、年齢確認をされてしまいます。あたしの勤務先の刊行物で年齢を制限しているようなものは一切ないのですが……(汗)

それでも、とりあえずこちらは成人ですのでクリックして進むと、下のように、ようやく目的の商品ページへたどりつくことができました。

ちなみに、カバーはこんな感じです。

そんなに猥褻な感じを与えるでしょうか? 少なくとも画像には局部が写っているとか、そういったことはないですよね? ごく普通の文芸作品の表紙だと思うのですが。

第一、「茅盾文学賞」なんて文字まで躍っているのにポルノやAV作品のわけがない、そもそもあたしの勤務先がそういった作品を出すわけがないと思うのですが、これはなぞです。

でもって、本書は既に中国で映画化されているのですが、映画がアダルトだと判断されているのでしょうか? その予告編がこちらですけど、うーん、これを見る限り、どう考えてもAV作品ではないですよね?

一青窈さんもブログで取り上げてくださっているのに、アダルト作品なわけがないじゃないですか! アマゾンの不思議。

まだまだサティ

昨日の朝日新聞の記事です。

エリック・サティの特集記事です。サティと言えば、CDもたくさん出ていますので、曲を聴きたい方はそちらを! 書物で知識を得たいという方にはまずはこちら、『エリック・サティ』がお薦めです。

新書サイズでお手頃です。またサティとその時代について興味を持たれた方にはこちら、『祝宴の時代』があります。

ちょっとお値段は張りますが、幻の名著と言われた作品です。

今日は終戦の日ですよね?

テレビのニュース番組や情報番組、どうして終戦の日のニュースよりも、SMAPのニュースの方が扱いが大きいのでしょう? そりゃ戦没者慰霊祭の中継、天皇陛下のお言葉なんてつまらないかもしれません。閣僚や国会議員が靖国神社へ参拝したというニュースも一般国民には「だから何?」という程度の関心しか持たれないかもしれません。

それでも、やはり先の大戦について考える、戦後70年の平和のありがたみをかみしめるような報道が、もっとあってしかるべきだと思うのですが、それよりもはるかにSMAP解散のニュースの方が扱いも大きいし、時間も長いです。

うーん、疑問。

テレビ各局に、ジャニーズ事務所からトップニュースに準じた扱いをしろとか、何分以上時間を費やせ、といった圧力がかかっているのでしょうか? まあNHKまでがオリンピック中継の最中に、ニュース速報のテロップを流したという話ですから、民放各局は言わずもがなでしょうけど、なんか腑に落ちませんね。

天使は天使らしく、悪魔は悪魔らしく

いよいよ本日で盆休みも終わり。

ただ、あと一日、夏休みを各自自由に取りなさいという勤務先のお達しもあるので、今月中にもう一日休もうとは思っていますが、会議とかイベントとか、意外と休みが取れないのよね……(涙)

閑話休題。

雨が降りそうで降らない本日、視聴したのはこちら、「ダークウォッチ 戦慄の館」です。

怪しげな洋館、人の死に様が見えてしまう主人公。こういう設定から予想されるのは、この主人公が自分の出生の秘密を解くため洋館に乗り込み、そこに巣喰う悪魔を退治して、自分の忌まわしい能力とも縁を切るというストーリー。

が、話は後半になるとどんでん返しです。なんと主人公は悪魔の子。例の洋館は悪魔たちを封じ込めている場所。途中で主人公が知り合った測量隊や立ち寄った街の連中は悪魔。そして洋館で主人公たちを襲ってきた斧を振りかざす連中は天使、洋館に住む浮浪者のような男も悪魔を封じ込めている側の人。

なんという意表を突いた設定でしょう。ただ、そう聞かされると、斧で襲ってきた連中が測量隊を狙っていたのも納得です。主人公を襲わなかったのは、彼が完全には悪魔の子ではなかったから、あくまで悪を解き放つ鍵を握るだけの存在で、まだ悪魔にはなっていなかったからでしょうか?

さて、エンディング。結局主人公も悪魔の側になってしまい、主人公の恋人(身重)が浮浪者っぽい男に助けられます。たぶん主人公は、この浮浪者っぽい男に倒されてしまったことでしょう。この男の活躍で悪魔が解き放たれるのは阻止できたようです。

しかし、身重の彼女が生んだ少年、彼には悪魔の子の血が流れているわけですよね。それでやられてしまった主人公同様、悪魔の囁きが聞こえるようです。この子がもう少し大きくなって、たぶん主人公と同じく23歳になったときに、父親と同じような運命が待ち受けているのでしょう。そして、あの浮浪者のような男がやはり助けてくれるのかもしれません。

が、やはりいまひとつわかりにくい作品でした。

悪霊の仕業か、人間の仕業か?

本日は「死霊高校」を視聴。もう見飽きた感のあるPOVの映画です。

簡単にあらすじを紹介しますと、舞台は20年前の、とある高校の文化祭(かな?)。この映画の原題でもある「GALLOWS(=絞首刑)」という劇の上演中に、誤って本当に役者を演じていた生徒が首を吊って死んでしまうという事故が起きます。そして時は流れて現代。忌まわしい記憶の残るあの劇を再び上演することになった高校生たち。しかし、演技に不安を抱えた主人公が友人に唆され、上演前日の晩に学校へ忍び込み、舞台装置などを壊して上演できないようにしようとします。しかし、そこで恐怖の体験をすることに……

POVの場合、どうしてもビデオを回し続けないとならないわけで、多くの作品では「この状況でよくビデオを回していられるなあ」ということが気になるのですが、本作の場合、灯りのつかない体育館(講堂?)なので、ビデオをつけることで懐中電灯代わりにするという役回りになっています。それはそれなりに説得力がありますが、例によって、ビデオを回している生徒がウザイです。アメリカのティーエイジャー・ホラーにありがちな、うるさいだけで早々と殺人鬼に殺されてしまうタイプ、まさしくそれです。

それはともかく、本作の場合、20年前に事故で死んだ生徒の霊が襲っているようなのですが、途中で、現在の上演で主人公をやる男子生徒の父親が、20年前に本来は絞首刑になる主人公を演じるはずだったことがわかります。父親が当日なぜ役を代わることになったのかは語られていませんが、そのために急遽代役で主人公を演じた生徒が死んでしまったのですから後味が悪いでしょうね。

で、そんな因縁など知らずに主人公を演じることになった男子生徒に対し、ヒロイン役の女子生徒は実は20年前のヒロイン役の女子生徒の娘。なおかつ20年前の事故で死んだ男子生徒が恋人であったようなので、現在の部のヒロインは20年前に亡くなった男子生徒の娘でもあるような、ないような……

結局、この母娘が事故とはいえ死んだ恋人(娘から見たら父親)の恨みを晴らしたのが今回の事件の真相のようですが、かなりの怪力が見られたり、科学的に説明しづらいところも多々あるので、やはり死んだ生徒の怨霊も一枚噛んでいるようです。というよりも、よりホラー映画らしく解釈すれば、死んだ生徒の霊が、自分の恋人と娘を使って恨みを晴らしている、ということでしょう。

問題は、では死んだ生徒、確かに非業の死ですけど、別に誰かに仕組まれて殺されたとか、死んでも誰も悲しまなかったとか、そんなことはなかったはずです。その証拠に、この作品の上演を20年も封印していたわけですから。それを今になって(死んだ生徒の霊の力によって)再演させたとするならば、再演した理由はなんなのでしょうか? 自分が事故死することになったきっかけを作った級友の息子に復讐するためでしょうか? いや、だったらその級友(主人公をやることになった男子生徒の父親)は健在でピンピンしているわけですから、彼本人に復讐すればよいのではないでしょうか? なんで息子なのでしょう? このあたりがわかりません。

そして、そもそも事故で死んだ生徒、恨みを抱え怨霊化するような死に方だったでしょうか? そのあたりの説明がやや手薄です。それとも当時恋人だった女性の悲しみと未練などが混ざりあって、恋人の霊を成仏させなかった(キリスト教で成仏という表現も変ですが……汗)のでしょうか。そしてそのために恋人の霊は悪霊化してしまったのでしょうか?

いま読むなら、これ! 夏休みの読書感想文対策本

連日の猛暑です。何をするのもかったるいと感じるのはあたしだけではないでしょう。お盆休みも終わるわけで、「あっ、夏休みの宿題、まだ終わってない!」と青ざめている学生の方も多いのでは?

この時季に、まだ終わっていないのを思い出して青くなるのは、読書感想文が最右翼ではないでしょうか? なにせ、読書感想文の場合、読む&書くという、どちらも至極面倒な作業をこなさないとならないわけですから。ちゃちゃっと一時間かそこらで済ませることができないタイプの課題ですね。

だからでしょう、夏休みに書店員さんが聞かれるお客様からの質問で多いのは「簡単に読み終わる」「すぐに読み終わる」本はどれですか? というもの。「面白い本はないですか?」という質問ならいろいろ答えてあげたくもなりますが、「すぐに読み終わる」なんていう質問には、正直、答えたくないのが書店員さんの本音ではないでしょうか? いや、本を買ってくれるなら、この際うるさいことを言うのはやめましょう。

で、それでも夏休みの残り日数を考えると、長い作品には手を出したくないというのは本音だと思います。出来れば短いもの、そして読んで面白いものを選びたくなるものです。

そこであたしのお薦めは、ズバリこれ、『魔法の夜』です。

えー、ガイブン? 難しくない? という意見が聞こえてきそうですが、これに冠してはガイブンというハードルはほとんど感じないでしょう。舞台はアメリカのとある田舎の街です。そして季節は夏。暑くて寝苦しい夜に、眠れないで街中に出てきた人たちのオムニバスです。

部屋の中にいたら息苦しくて死にそうだという少女、長いこと新作が書けないでいる中年の小説家、夜な夜な他人の家に忍び込んでいたずらをしている少女たち、ショーウィンドーのマネキンに恋をする酔っ払い、そんな酔っ払いに見つめられ、月明かりの下、動き出すマネキン、そして屋根裏で活動を開始するおもちゃたち。

こんな人たちの、ある夏の一夜の物語が本作です。どうです? 寝苦しい夜、本書を片手にちょっと家から抜け出して、公園のベンチか何かで本書を広げてみては如何でしょう? 原書にも「月の光でお読みください」と書いてあるので、外で読むのが正しい読み方です。きっと朝までには読み終わってしまう程度の長さです。

それに、たぶんクラスメートの多くが日本人作家の作品の感想文を書く中にあって、ガイブン、それもミルハウザーの作品で感想文を書いたら、これはちょっとカッコいいと思うのですが!

こんどは韓国ホラー

殺人漫画」視聴。

韓国のホラーです。人気のウェブ漫画が、そこに描かれているとおりに殺人事件が起こることから始まる作品です。なんで漫画のとおりに人が死ぬのか。ですから、それは自殺なのか他殺なのか、決定的なところはありません。種明かしをすると、主人公であるマンガ家が亡霊たちと交信し、彼らの声を聞いてそれを漫画に描いているということ。亡霊たちはマンガ家を焚きつけて作品を描かせ、自分たちはその通りに殺人を実行している、ということのようです。亡霊の仕業ですから、自殺の理由が見つからなくても、他殺の証拠が残っていない以上、警察としては自殺として処理するほかないでしょうね。

さて、亡霊の仕業ということにすると、主人公であるマンガ家の行為に前半と後半で辻褄が合わないところがある気もしますが、これは犯人を追う刑事にも言えるのですが、皆が皆、自分の過去の過ちをなかったことにして忘れ去っていたわけで、それをこの事件によって(亡霊によって?)思い出させられたということのようです。

結局最後は、亡霊たちに魂を売った主人公のマンガ家だけが生き延び、それ以外の連中は死を免れ得なかったことになります。亡霊にサジェスチョンを受けていたことや、過去の殺人まで思い出してからの主人公は、逆に清々とした涼やかな顔をして、かえって怖いです。