暮れに、母方の田舎、新潟県上越市にある酒舗から日本酒を取り寄せました。

上掲の4本、年内に「ぶなの露」と「呼友」を賞味し、年が明け、現在は「鶴齢」を楽しんでいるところです。最後に「八海山 越後で候」ですね。
「ぶなの露」と「呼友」は近い味わいでしたが、いま呑んでいる「鶴齢」は最初の2本とはかなり異なる飲み口です。美味しいお刺身と合いそうです。
夢をほとんど見ないという人もいるようですが、あたしは割と夢を見るタイプです。もちろん、まるっきり夢など見ずに朝までぐっすりという日もありますが、たいていは夢を見ます。それも一晩に一つではなく、いくつか見ることもあります。
実は、高校時代にあたしが呪われた子供だと噂されたという、まるで奇妙な夢を見たと書きましたが、実は同じ晩にもう一つ夢を見ていまして、それはこんな内容でした。
これまでも「新年の抱負」とか「一年を振り返って」といったことは考えないと、このダイアリーで述べてきましたが、夢の中であたしはなぜか今年の抱負を述べているのです。それが
今年は女の子とディズニーランドへ行く
というものでした。
なんでディスニーランドなのか、あたしにもわかりません。いや、恋人同士が行くところと言えばディズニーランドだろ、という青臭くも単純な発想なんだと思います。キティラーのあたしが、サンリオ・ピューロランドではなく、ディズニーランドへ行こうというのが、いかにも夢っぽいです。それにしても、まるで高校生のような発想だと、われながら思います。
この新年の抱負を、Facebookに書き込んだところ、数時間のうちに「姪っ子と行くんだろ」というコメントが複数寄せられました。
「おお、その手があったか」と寄せられたコメントに感心するあたし。確かに、妹のところの姪っ子も「女の子」には違いありませんし、妹家族と一緒にディズニーランドへ行くという可能性もなくはないとは思います。そうすれば、この新年の抱負というか希望は叶ってしまいます。
いや、それは意味が違うでしょ!
ちなみに妹家族は、妹家族だけで、あるいは地元の友達家族と一緒にディズニーランドへ行ったことは数回あるみたいですが、あたしは一緒に行ったことはありません。別に一緒に行きたかったという気はさらさらないですし、誘って欲しいと思っているわけでもありません。どうせ一緒に行っても、あたしの財布を当てにされるだけなのはわかっていますから、誘われない方が、正直なところ気楽です。ホッとします。
しかし、夢の中で高らかに掲げた今年の目標が、その刹那、こうも易々とお笑いのオチのように落とされると、新年早々憂鬱な気分になります。決して、笑いごとではありません。
で、実際問題、「誰か一緒にディズニーランドへ行きたい人でもいるの?」と聞かれれば、別にディズニーランドへ行きたいという気はさらさらないのですが、誘われれば二つ返事で承諾しそうな気はします。
初夢とは、元日に起きたときに見ていた夢ではなく、一般には元日の晩に寝て1月2日に起きたときに見ていた夢を言うらしいです。となると、昨晩見ていた夢のことですね。変な夢を見ました。
時代設定は高校の頃です。ただ、同級生とか先生とかが出てくるわけではありません。いや、数名クラスメートとおぼしき人物は出てきましたが、あたしの知らない人でした。
さて、夢の内容です。
ちょうど文化祭か何かの準備中で、教室の飾り付けか何かをやっているあたしがいます。クラスメートや先生の名前が書かれたプレートみたいなものを廊下の壁に貼っているのがあたしの仕事でした。何のためにそんなことをしているのか知りませんが、あたしは自分なりに一生懸命その仕事をしていたのです。
そこへ、クラスメートが一人やってきて、慌ててあたしの手から名前の書かれたプレートをひったくったのです。「あー、危ないところだった」と言わんばかりの勢いです。いや、実際そう言っていたような気もします。キョトンとしているあたしに向ってそのクラスメートは「また誰かが大けがするところだった」と言うのです。
どういう説明があったのか覚えていませんが、どうやらその少し前から、生徒や先生でケガをする人が続出していたらしいのです。幸い命に別状はないものの、人によってはかなりの大けがを負った人もいたようです。それらの人たちに共通するのは、ケガをする前にあたしと何らかの接触があったということなんです。別にトラブルとまでは言いませんが、例えば先生だと授業中にあたしを指名した、クラスメートならあたしと一緒に日直当番をやったとか、そんな些細な接触です。
しかし、何故かあたしとそういう接触というか関わりがあった後、みなケガを負っているのです。そのころにはクラスメートも先生もあたしに近寄るなという空気になっていて、誰もあたしに話しかけようとはしません。ですから、この文化祭の準備も、あたしが手にしたプレートのクラスメートや先生に何か災いが起こるのではないかと恐れて、そのクラスメートはあたしからプレートを取り上げたのです。
「あいつは疫病神だ」「あいつは呪われている」「悪魔の子だ」といった噂が学校中に流れ始めたのですが、あたしにはまるでそんな自覚はなく、クラスメートや先生のケガとあたしとの因果関係ももちろんわからないままでした。学校にありがちな都市伝説ですが、あたしはそのために学校中で村八分にされてしまったのです。
細部には、いろいろ辻褄の合わないところや、話が突然飛ぶところもありましたが、だいたいこんな感じでした。
はぁ~、これがあたしの初夢とは……
元旦は、元日の朝のことなので、7時半になろうとしている今、この時間に使ってもよいのかどうか……。あたしの感覚では7時半というのは、かなり「昼間」に近い感覚なんですよね。でも、まあ、日の出が6時半ころだったと思いますので、それから1時間程度ですから、まだ「朝」と呼んでもよいのでしょう。
「旦」が朝だというのは、その時を見てもすぐにわかりますよね? 太陽が地平線からひょっこりと顔を出したところを捉えた象形文字。一日の始まりである朝を表わしたところから転じて物事の始まりなども示すようになり、「月旦」と言えば、その月の初めを言うようになり、さらには、三国時代に人物鑑定で有名な許劭が月初めに人物評をしたことから、「月旦」は人について論評することを意味するようになった、といった蘊蓄は辞書を調べればすぐに出てくると思います。そもそも「旦」という字は、「元旦」「月旦」「一旦」くらいしか熟語が思いつかないでしょうし(汗)。
さて昨晩は結局、一分一秒たりとも紅白を見ずに布団に入ってしまいました。紅と白、どっちが勝ったのでしょう?
実は昨日からまた喉の調子がおかしくなってきました。昨日は午前中にちょっと会社へ行って来たと書きましたが(書いたのはFacebookにです)、帰りのクルマの中(はい、マイカーで行ったのです!)でちょっと寒気を感じていました。もちろん会社で作業しているときは暖房を付けていましたし、クルマの中も暖房を付けていましたから、寒かったなんてことはないはずなのですが、なぜかちょっと寒気を感じながら運転していたのです。完全に治らないうちに出かけたりしたのがいけなかったのか? あるいはさらにその前日、30日に立川まで出かけたのがよくなかったのか。
とにかく、昨晩は8時すぎに寝床に入って本を読んでいたのですが、9時前には寝てしまいました。夜中に目が覚めたとき、頭が痛かったのを覚えています。今朝は、頭痛こそ収まっているのですが、喉の痛みは少し前の状態に逆戻りしています。唾を飲み込むと喉が痛みます。熱いお茶を飲むと喉にしみます。
そんな調子なので、三が日はずーっと家でのんびりしていようと思います。もともと出かける予定などもなかったので。
えっ、初詣は?
あたし、初詣って行ったことがないんですよ。いや、正確に言うと、何年前、何十年前だったか忘れましたが、一度だけ家族で行ったことがありました。原宿というか外苑前にある菩提寺に大晦日の晩に出かけて行き、その足で明治神宮へ行った、と言う記憶がおぼろげではあるのですが、あります。明治神宮がいけなかったのか、とにかく混んでいて、もううんざりだったというのが正直な感想です。何を祈ったかなど覚えていません。二度と来るものか、と誓ったのではないでしょうか。
後にも先にも、あたしの記憶にある初詣はこれだけ。ついでに言えば、徹夜をしたのもこの時が、後にも先にもただ一度のことだったと思います。あたしは初詣も生涯で一度だけ、徹夜も生涯一度しかしたことがありません。
「学生時代などに友達と誘い合って行かなかった?」というのは、あたしのこのダイアリーを読んでいる方なら愚問だということがおわかりいただけるでしょう。あたしには友達などいませんし、あたしを誘ってくれるような人はどこにもいませんから。もちろん、恋人も生涯一度たりともできたことがないので、恋人と初詣ということもしたことがありません。
こう書くと、「お前は初詣に行きたいのか?」と聞かれそうですが、決して行きたいとは思いません。あんな混んだところへ行こうという気は起きません。近所の神社なら空いているのでしょうけど、そこへも行こうという気は起きませんね。住んでいるのだから、住んでいるところの神様くらいお参りに行けば、という気が起きないわけではありませんが、正月だけ思い出して何か頼み事をするなんて、ちょっと虫がよすぎませんか? あたしはそう思います。それに、神様は決してあたしの願い事なんて聞いてくれないし……(涙)
大晦日。
仕事している人も大勢いるんだろうなあ、と思います。郊外型ショッピングモールなどでは、多くのところが明日、元日もいつもどおりに営業(若干、開店や閉店時刻が変わる程度?)するのでしょうね。小売業の宿命とはいえご愁傷様です。書店でも、そういうモールに入っているテナントの場合、やはり明日もやっているんですよね。同じチェーンの書店でも立地条件が異なるだけで営業日が異なるなんて……
さて、なにかと慌ただしい師走、と言われますが、あたしはいつもどおりに過ごしています。年末年始の休みも、やや長めの連休くらいにしか考えていません。今年は結局、年賀状を買わなかったし、妹家族も来ていないので、特に正月らしいこともせず、お節料理もありません。
お節料理って、うちの場合、昔からほとんど作っていないんですよね。用意したとしても、せいぜい卵焼きと伊達巻き、それに筑前煮っぽい煮物、それとお雑煮くらいです。ほぼ買ってきた物を並べるだけです。あたしが子供のころは、まだまだお正月は3日くらいまではスーパーも営業せず、もちろんコンビニなんてなかったので、それなりに不便ではありましたが、世の中すべてがそうだったので、あまり不便ということを感じませんでした。ですから、暮れに、パンとか日持ちのするものをまとめ買いして、2日以降は比較的ふつうの生活に戻っていた、という記憶があります。
もちろん、うちは帰省しなければならない故郷がないので、盆も暮れもわざわざ混んだ電車に押し込まれて、あるいはほとんど動かない高速の渋滞に巻き込まれて帰省する、という体験はありません。恐らく、今後もそういうことはしないで済みそうな予感がします。ああまでして帰らないとならないものなのでしょうか? 不思議です。
で、大晦日ですが、過去にも書いたことがあるような気がしますが、あたしの場合、ただの一日でしかありませんので、取り立てていつもと過ごし方が変わることはありません。こういう休み中も、だいたい6時前後には起床していますので、夜も9時頃には寝てしまいます。それは年末年始といえども変わりません。
ここ数年、いやほぼ学生のころからの変わらぬ過ごし方ですが、大晦日も9時すぎには布団に入ります。紅白歌合戦も最後まで見ません。と言いますか、ほとんど見ていません。だからといって裏番組を見ているわけでもなく、だいたい8時半とか9時になると、いつもどおり布団に入って本を読み、そのまま眠くなったら寝てしまうというタイムテーブルです。
元日も、だいたい6時くらいには目が覚めます。目が覚めたら起き出します。あたしの場合、子供のころから、朝ご飯は牛乳をレンジで温めてココア(粉末)を入れます。それと食パンをオーブンで焼いたトースト、これだけです。親は何もしてくれません。自分で勝手にやります。親が既に起きていても、あるいはまだ寝ていたとしても、そんなことには関係なく自分勝手に朝食を済ませます。
ですので、元日も同じです。6時頃に起きて、ココアとトーストという朝食を勝手に食べることが、ほぼ毎年の通例です。お節的なものは昼とか晩ご飯でいただきます。
いや、元日については明日また書きましょう。今日は大晦日ですね。
大掃除もほとんどしません。多少は机の回りを片づけたり、埃がたまっているタンスのすき間を掃除したり、といった程度です。ふだんから、それほど散らかすタイプではないので、それに、これ以上整理のしようがないくらいものがあふれているので、もう大掃除はやっていないです。
いや、たぶん断捨離を実行したら捨てるべきものはたくさんあるはずです。まずは万をもって数えるところまではいってないと思いますが、千をもって数えるほどはある本ですね。読まないんだったら捨てれば、と本に興味のない人は言うでしょうが、あたしは本を捨てるという習慣がないので、これらは捨てられません。あたしが死んだら、遺族(誰が残っているのだろう?)に処分してもらいます。
ということで、今夜も紅白はほとんど見ずに寝ることになるでしょう。
ここ数日、喉が痛くて、軽い風邪っぴき状態が続いているからなのか、変な夢を見ました。あたしが主人公なのではなく、あくまで夢の中の世界を観察しているという夢でした。
この数年、日本人の晩婚化、非婚化、そしてそれに伴う出生率の減少が話題となっています。つまりは、若者が子供を作らなくなったということなわけですが、それについて、いろいろな人が議論をしているのです。会議室でだったのか、シンポジウムのような広い会場でだったのかは覚えていませんが、とにかく学者がたくさん集まっていたようでした。
子供を作らないと言っても、あえて作らない夫婦・カップルもいるが、中には経済的に作れない人だっているし、欲しいし努力もしているけどできない人もいる、といった議論が交わされる中、これだけ子供を作らないことが問題になっているのに、なんで日本は性風俗産業が盛んなんだ、という話題も出てきて、いや、日本は世界的に見て性風俗産業が盛んなのか否か、議論はどんどん明後日の方向へ行ってしまっていました。
そんな中、また別の人が話を戻して、日本人はどうして子供を作らないのか、と改めて提起。作らないのではなく、作り方を知らないのか、といった極論まで出てきました。いや、どんな生物も、教えられなくたって子孫を残しているわけで、これに関しては教えなくたって自然と理解するものではないか、という至極もっともな意見が出されましたが、そこに疑義も呈されました。
そんな議論を聞きながら、あたしが思い出したのは、映画「青い珊瑚礁」です。
この映画の中で、子供だった二人は特に姓の知識もないまま成長し、でもブルック・シールズには赤ん坊が出来ます。彼女が嶋の原住民にレイプされたわけではないですから、当然二人の間の子供です。まるっきり知識がなくとも、このように子孫を作る能力というのは生物に本来的に備わっているはずだ、という意見が出される一方、現在の日本の子供に、果たしてこの本来の能力があるのだろうか、という意見が出されたわけです。
疑問を出した学者が、実験的に現在の日本の子供を使って実見をしてみようという衝撃の提案をしました。さすがに無人島に放り出すことはできないので、どこか人里離れた施設に男の子と女の子を隔離して、食べ物などはきちんと与えるとして、性的な知識が一切入らないような環境を作って生活させたら、成長した二人は教えなくとも子供を作るようになるのだろうか、という実験です。
いくらなんでも、それは人権侵害ではないか、という意見が出される中、やってみる価値はある、という賛成意見も少なからずありました。ただ、果たしてそういう環境でよいのか、という問題も提起されました。上記の映画のように、ほぼ原始的なな生活を送らざるをえなくなると、人間の欲望や衣食住という根源的なものに集中し、だからこそ種の保存という方向にも向うのだろうけど、現在の日本のように衣食住に関してはほぼ充足されていて、その他にもさまざまな娯楽があるような社会では、果たして種の保存という本能が目覚めるのだろうか、という意見です。
では、実験に参加する男の子と女の子にはフツーの生活を送ってもらうけど、性的な情報だけは一切シャットアウトしたらどうなるだろうか、という意見も出されましたが、性的情報を一切シャットアウトしたフツーの生活という実験場をどうやって構築するのか、そこで議論は紛糾です。
はい、なんでこんな夢を見てしまったのか、わかりません。特に読んでいた本、見ていたテレビでこういった話題が出ていたわけではありませんので、全くの偶然なんだと思います。あたしの潜在意識にこういう考えがあるのでしょうか? それはともかく、夢の中の学者たちの意見の中で、やはり興味深いのは「人間は教えなくても子供を作れるのかどうか」という点です。現在の社会では、なんだかんだ言ってもネットやマンガ、ドラマに映画など、セックスシーンが氾濫していて、それなりに性行為に小さいころから触れる機会はあります。あれが子供を作る行為と同じなんだと認識している子供は少ないのかも知れませんが。また、農家などで牛や馬を買っていると種付けなどがあって、体験的に子供を作るということを知る機会もあったかと思います。しかし、そういう機会をすべて遮断した場合、今の日本の子供や若者は、子供を作るという本能を持っているのか、保持しているのか、個人的には多少疑問に思えたりします。