Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
今月のおすすめ本[17年3月]

期待したような広告効果は果たして出るのでしょうか?

あたしの勤務先で出している諸外国語のシリーズ《エクスプレス》をご存じでしょうか? 四六判の《エクスプレス》というシリーズでスタートし、当時は別売りカセットがすべての言語に用意されていました。点数が増えるにつれ、世の中も移り変わり、カセットからCDへと音源が変化していきました。しかし、CDは頭出しのトラック番号が99までしか設定できず、実は語学学習にはカセットテープよりも使い勝手が悪く、あたしの勤務先でも別売りCDを発売するまで多少の逡巡がありました。
しかし時代の流れに逆らうこともできず、いつのころからか別売りのカセットの他に別売りCDも用意するようになりました。しかし、時代の進み方は更に早く、別売りCDを用意したのは数点で、その後は本にCDを貼り付けた語学書が主流となり、《エクスプレス》もそれに伴って《CDエクスプレス》となり、判型も四六判からA5判になりました。判型の変更は見やすさと、CDを貼り付けなければならないという事情もありました。
この《CDエクスプレス》が浸透し、刊行点数も40点を超えたころ、いまから十年くらい前でしょうか、そろそろシリーズ時代をリニューアルしようと言うことになり、カバーデザインも新たにし、中味も一から書き直した《ニューエクスプレス》の刊行が始まりました。現在では《CDエクスプレス》のほとんどの言語が《ニューエクスプレス》にバージョンアップし、なおかつ《ニューエクスプレス》で初めてラインナップに加わった言語もいくつかあります。
ところで、外国語マニアや書店の諸外国語担当の方には慣れ親しんでいただいている《エクスプレス》シリーズですが、《ニューエクスプレス》になってから、新たに《ニューエクスプレス単語集》というのが発売されているのをご存じでしょうか? 新書判と言いますかポケット版と言いますか、とにかくハンディな、でもちょっとしたミニ辞典としても使えるをコンセプトにスタートしました。が、いま述べたように、本家である《ニューエクスプレス》の知名度に比べ、《ニューエクスプレス単語集》の知名度は必ずしも高いとは言えません。
「どうしたらいいだろうか?」と個人的に考えてみました。しかし、お金はかけられません。で、思いついたのが《ニューエクスプレス》を利用する手です。ご覧ください。これは最近刊行された『ニューエクスプレス チベット語』の裏表紙です。
オビには《ニューエクスプレス》のラインナップがずらりと並んでいます。ここのデザインをちょっと工夫して《ニューエクスプレス単語集》も載せるようにしたらどうでしょう? 下の写真は同書の奥付裏広告のページです。ここも《ニューエクスプレス》のラインナップだけで、《単語集》は載っていません。これはもったいないのではないかと思うのです。
読者カードなどを見ていますと、《エクスプレス》の読者は複数の言語を学んでいる、勉強している方が多いようです。趣味で外国語を勉強していらっしゃるようです。ですから、興味のある言葉が目に留まれば、次はそれに手を伸ばすという方が多いと思います。そんなコアな読者に《単語集》も知らしめることができれば、と思うのです。
もちろん、そういう方の多くは既に《単語集》の存在を知っていらっしゃるでしょう。が、案外知らないという方も多いのではないかと思います。なにせ、書店では《ニューエクスプレス》はそれなりに置いていても、《単語集》は置いていないというところが多いですから。
広告を載せないよりは載せた方がよいというのは誰が考えても理解できることだと思います。特に、載せるに当たってお金がかかるわけではありませんから、費用対効果も悪くないはずです。このアイデア、どうでしょう?
読まないといけないわけではないけど……

今朝の朝日新聞の「声」欄にこんな投稿が載っていました。
この質問(?)に対して、出版社や書店の人間はなんと答えるのでしょうか、否、なんと答えるべきなのでしょうか?
時に言われることですが、学校の読書感想文の宿題が読書嫌いを作っている、という意見。
あたしは子供のころから読むのも書くのも好きだったので、それほど読書感想文を苦にした記憶はありませんが、確かに書かなくてはならないのは面倒ではありました。しかし、だからといってそれで読書が嫌いになったりはしませんでした。
昨今の「朝の読書」運動が本嫌いを生みだしている、という意見があります。これも読書感想文と同じことで、やはり強制されると反発してしまうというのは子供のサガなのだと思います。
ただ、朝の読書について言うなら、それに熱心に取り組んでいる学校は模試などの成績が上がっている、確実に学力の向上に結びついているという調査結果もあるそうです。となると、ある程度強制でもやらせることには意義があるのかもしれません。
読書以外にも愉しみはあるし、学べる機会もあるという投稿者の意見は確かにその通りです。ただ、他にあるからこれはイヤ、という態度はどうなのでしょうか? 例えば受験勉強。何のためにやるのかと問われれば大学や高校に合格するためという答えが用意されていますが、ではその勉強内容はその後の人生で役に立つのかと問われると、確かに実生活では直接役に立っていないものが多々あります。
でも、強制的にでも一定量以上の知識を教え込まないと、社会で生きていく上での最低限度の知識が身につかないとも思います。人間誰しも習ったことをすべて覚えていることは不可能で、かなりの部分を忘れてしまうものです。生きていく上で100の知識が必要だとして、その100を身につけるためには300とか400の知識を学ぶ必要があると思います。そういう知識を得るのに、実は最も効率がよいのは読書だと思います。
そして受験勉強が最たるものですが、たとえ嫌なことでも我慢して、歯を食いしばって、自分をそれに追い込んで、一定の期間やり続ける体験というのは、その後生きていく上で必ず役に立つと思います。自分はあれだけ頑張れたのだから、という体験は貴重ではないでしょうか?
あたしはそんな風に思うのですが……
で、話は戻って読書ですが、読みたくなければ読まなくてもいいでしょう。そうやって本を読まないでも生きている人、むしろこの世の大多数の人がそうでしょうから。








