Rockfield's Diary
染井吉野ナンシーの官能ダイアリー
新書コーナーではなく人文書コーナーで

文庫クセジュの『デカルト』が紹介されています。
文庫クセジュなので、書店では文庫・新書コーナーに並んでいることが多いと思いますが、こういうタイトル、内容ですので、人文書コーナーにも置いていただければ幸いです。
東京にいながらにして京都へ?

今朝のフジテレビ系「めざましどようび」の星占い。かに座は左のようなご託宣でした。
なんとラッキーポイントが「美術館」ではありませんか!
最近、美術館も博物館も行っていないなあ、と思っていたところ、たまたまチケットいただいたので、今日は母を誘い、美術館へ出かけようと思っていたのです。
で、どこへ行ったかと言いますと、東京ミッドタウンのサントリー美術館です。久しぶりですね。最後に来たのは何の展覧会だったでしょう? ちょっと思い出せませんが、二、三年前に来ているはずです。その時は一人で来たのだったと思います。
で、今回の展覧会は「醍醐寺展」です。寺社巡りが好きなあたしですが、京都にある実際の醍醐寺は行ったことがなかったので、ちょうどよかったです。それに、たまには母を都心へ連れ出さないと老け込んでしまいますから……(笑)。
混むのは嫌なので、母もあたしも朝が早いのは全く苦にならないので、朝一番で行ってきました。10時オープンですが、ほぼオープンと同時に入ったような具合で、サントリー美術館以外のテナントのは、コンビニやコーヒーショップなどを除くとまだ開店していないミッドタウンでした。
サントリー美術館の展示室は2フロアありますが、それほど広い会場ではないので、1時間もかからずに見終わってしまいました。最初の部屋こそ多少の人がいましたが、それ以外はガラガラ。階を移ってからはほとんど観覧客のいない状態でした。別にそんなに駆け足で見てきたわけではないんですけどね。
展覧は、例えば不動明王などを掛け軸などの絵画で見せたすぐそばに不動明王の像が配置されるといった感じでよく工夫されていました。素人でもわかりやすい展示だったと思います。
右の写真は展覧会の図録です。2500円でした。
そんなミッドタウン、ほとんどのショップは11時オープンなんでしょうね。展覧を見終わって出て来ても、ほぼやっていません。
テナントショップが営業していないということは、あちこちでシャッターが降りていて、ふだんなら通れるところが通れなかったり、ミッドタウンの中を移動するのが意外と面倒でした。まあ、そのぶん、展覧はゆっくり観られたわけですが。
で、帰りがけに、左のようなオブジェをエスカレーター脇に見つけました。
ご覧のように犬が3匹。もちろん作り物ですが、何の掲示もなく、誰が作ったものなのか、展示の趣旨は何なのか、まるでわかりません。来館者を和ませようというのであれば、柵で囲って近づけなくしているのはどうかと思いますし、そもそも陶器か何かで出来ているような質感(見た目は)なので、寒々しく感じてしまうのですが……
読んでいるとなんか臭ってきそうで、体もムズムズ痒くなります

夕刊と朝刊でそれぞれ……

まもなく上演になる「修道女たち」の記事が大きく載っていました。
前にも書きましたが、やはり朝日新聞って演劇情報をコンスタントに載せてくれますね。
そして同作の書籍版『修道女たち』は、11月上旬に刊行予定です。残念ながら公演チケットを入手できなかった方はこちらの書籍を是非どうぞ。
公演は東京の後、兵庫と北九州でも行なわれます。
そしてこちらは今朝の朝日新聞、東京版のみの掲載だと思われます。太宰治に関する記事です。
太宰治は、今年が没後70年、来年が生誕110年というアニバーサリー。関連する出版物も多くなっていますが。催しももちろんいろいろあるようです。
ということで、あたしの勤務先からは『三つの空白 太宰治の誕生』がお陰様でよく売れています。まだ読んでいないという方もこの機会に是非どうぞ。
五十三次以上ありました

東海道五十三次を歩くのが流行っているのでしょうか?
とはいえ、歩くのは健康によいというのはずいぶん長いこと言われていますので、今さら驚くことではありませんが。
記事の中には、カードが復活しているということも書いてありますが、それって永谷園がお茶漬けの素に同封していたカードのことですよね? これって確かランダムで一枚入っていて、それとは別に応募すると1セットのカードが当たるはずでした。
というわけで、上の写真のように、あたしも持っているのです。
正確に言いますと、あたしが幼少のみぎり、永谷園に応募してもらったものですから、かれこれ40年近く持っていたわけです。この1セットのカードは裏は白ですが、お茶漬けに付いているカードだと裏に説明書きがありました。
で、この1セットですが、眺めてみますと、数枚足りません。なくしてしまったようです(涙)。
それに「東海道五十三次」ではありますが、草津の後に大津と京都まであって、番号は55まで振られていました。


