Rockfield's Diary
染井吉野ナンシーの官能ダイアリー
百年前の三国志?

英雄か梟雄か凡将か

『張作霖』が面白いです。タイトルどおり、奉天郊外で日本軍によって爆殺された中国の軍閥・張作霖の評伝です。
張作霖、恐らく日本ではいま述べたように「日本軍に殺された」という印象しかない人がほとんどでしょう。そして張作霖爆殺を意味する「満州某重大事件」という歴史ワードも「知らない」「聞いたことない」という人が増えているのではないかと思います。そんな張作霖、あたしも中国史を専攻していたとはいえ、それほど詳しく知っていたわけではありません。が、本書を読んで目から鱗でした。
日本軍の満洲侵略、共産化したソ連の南下という外患、国内に目を転じれば軍閥間の飽くことなき権力争い、そして南からは蒋介石率いる北伐軍が迫り、そんな情勢下、東北三省をまとめ上げ、勢力を維持していくのは至難の業だったはず。それを見事にやってのけた張作霖はやはり稀代の英雄だったのでしょうか? あるいは梟雄と読んだ方がふさわしいのでしょうか?
本書ではそんな張作霖と家族たち(ファミリー)について、冒険活劇のように描き出しています。まるで『三国志』や『史記』『水滸伝』を読んでいるかのような錯覚に捕らわれますし、あたしは読んだことありませんが北方謙三の中国ものに通じる痛快さがあるのではないでしょうか?
それにしても、張作霖も含め、時代の流れ、外敵の侵略という時勢を考えれば、お互いに争っているのではなく一致協力して日本に立ち向かうべきだったのではないでしょうか? どうしてそれが出来なかったのか。そのあたりの軍閥群像劇は同著者による『覇王と革命』に譲るとして、これだけの統率力を持ちながらも、結局は並居る軍閥とさほど変わらない行動しか取れなかった張作霖が残念でありません。
1917年という年

明治の思想家たち

人と語り合う?

昨晩のトークイベント。
「大人の読書会」というのも話題の一つでした。
読んだ本について、好きな本について人と語り合うというのは自分にはない視点、着眼点が発見でき、とても愉しい場だと言います。果たして本当なのでしょうか?
あたしは昔から本が好きでしたけど、人と話しても意見が合いません。
いや、意見が合わないのは「自分にはない視点」として歓迎すべきことなのでしょうが、あたしの場合、ほぼ全員から「それはおかしい」とか、「そう思うのはおまえだけだ」と指摘され、愉しい思いを経験したことがありません。
所詮、他人に語っても理解してもらえない、だったら言うだけムダ、だと思います。
そんなことはない。おまえの伝え方はよくないのではないか、という考え方もあるでしょう。でも、一生懸命他人に伝えるための努力をする時間があるくらいなら、そんな手間をかけているのなら、一人で本を読んでいた方がよっぽどマシです。
そんな人、多いのではないでしょうか?
昨夜のように、人の話を聞いて面白く感じることはあります。でも、自分の考えを理解してもらえる自信もなければ、そんなことに時間をかけたいとも思いません。一方的に聞いているだけで、聴衆の一人で十分です。まさにネット世界のROMですね。
でも読書って、ある意味、著者の意見を一方的に聞くだけです。もちろんそこから自分でいろいろ考えることはあっても、それを著者にぶつける機会などほとんどありません。トークイベントや講演会を聞きに行くのも、行為としては同種なのではないか、そんな風に思います。
だから、あたしには読書会は無理です。