昨日の東京は雪でした。夕方には青空も見えましたが、とにかく気温が上がらない一日でした。
上の写真は、わが家の門の脇、いわゆる門柱とでも言うのでしょうか。そこに積もった雪の写真です。3センチから5センチくらい積もってますよね?
上の写真は玄関から門へ向かう通路。狭いです。でも雪が積もってます。出入りのために人が歩いたので、雪はだいぶ少なくなっていますが、それでもこのくらいの積雪になりました。
そんな寒い一日ではありましたが、週刊プレイボーイの増刊(?)、乃木坂特集号をゲットです!
時事ニュースなどの話題
東京の天気予報。今日はこの後雪になるとか……
11月に雪が降ったら数十年ぶり、もし積雪ということになったら観測史上初とか、そんなことをニュースでアナウンサーが伝えていましたが、果たして本当に明日起きたら外は銀世界、なんてことになっているのでしょうか?
いえ、別に期待しているわけではありません。
仕事のある身としては雪で交通機関が麻痺するのだけはやめてもらいたいところです。
いや、もう完全に首都圏の交通が麻痺して、通勤どころじゃないよ、というレベルになってくれるのであれば、仕事を休めばよいだけなので話は簡単なのですが、中途半端にダイヤが乱れ、会社を休めるほどの積雪ではない、というの一番困ります。
そもそも、その後の天気予報を見ていませんが、明日は基本的に晴れなのか、曇りなのか、それとも雪のち雨なのか?
これから夕方のニュースを確認して明日に備えないとなりません。
昨日の朝日新聞夕刊にこんな記事が載っていました。
「天敵不在で? シカ繁殖」です。
この手のニュースは時々テレビや新聞で見かけます。異常繁殖しているのはシカ以外にもいるようで、食物連鎖のトップに君臨していたオオカミが絶滅してしまったため生態系のバランスが崩れ、いろいろな被害、弊害が出ているとのこと。その説の当否やオオカミが復活すれば解決するのか、あたしのような素人には判断できませんが、だからこそ本を読んで知識を増やす必要があるのではないでしょうか?
ということで、あたしの勤務先ではそのための書籍を何冊か刊行しております。
『オオカミを放つ』『オオカミが日本を救う!』『ウルフ・ウォーズ』『オオカミ 迫害から復権へ』などです。とりあえず、考えるきっかけにいかがでしょうか?
「山・鉾・屋台行事」などが無形文化遺産に登録されるというニュース。テレビや新聞でも大きく取り上げられていましたね。
日本だと「和食」とか「歌舞伎」などが登録されているようです。
上はそれを伝える朝日新聞の記事。ちなみに、ここでインタビューに答えている植木行宣さんは、あたしの勤務先から出ていた『山・鉾・屋台の祭り―風流の開花』の著者です。同書は既に品切れで再販の予定もありませんので、『山・鉾・屋台行事 祭りを飾る民俗造形』をどうぞ。
ガッキー主演のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」が人気ですね。あたしも毎週視ています。
星野源演じる、恋愛経験ゼロ、プロの独身35歳がなんとも言えずシンパシーを感じます。あの悶々とした感じ、よーくわかります。しかし、彼などまだマシ。あたしなど、その後さらに10数年もプロの独身をやっているわけですから……
いや、なんの自慢にもなりませんが(汗)。
で、そんなことを思っていたら今朝の読売新聞ですね、こんな記事がありました。
あたしに言わせれば、別に「結婚したくない」わけではなく、「できない」だけであって、自分なりの努力をしたのかと問われると、笑って誤魔化すしかありませんが、それでも「したくない」なんて一度も思ったことはありません。
一方、こちらは朝日新聞。あたしの場合、小さいころからほぼほぼ友だちと呼べるような存在はいなかったので、交友が多いなんてことはなく、少ないどころか皆無に近いです。となると、結婚願望が小さいということになってしまいますね。そんなことはないと思うのですが、現実に結婚できていないわけですから、実は願望がないのかもしれません。
冷静に考えてみますと、友だちがいないというのはつまり他人を信用できないということであって、他人を信用できない人間に結婚相手なんて見つかるわけがないというもの。恋人だって出来たことがありませんから、これは間違いのない事実!
いやいや、こんなことを高らかに宣言したって始まりません。自分が惨めになるだけです。
話は戻って「逃げ恥」、星野源が「この先、みくりさんに好きな人ができて結婚したら、この生活は続けられないし、御厨さんはこの家を出て行くことになる。それでも僕は一人、ずーっと一人なんだ」と心の中でつぶやくシーンがありました(セリフはうろ覚えです)。あたしも、同居している、そろそろ高齢の母が亡くなったら、ずーっと一人ぼっちで、情けない老人になって、誰にも看取られずに死んでいくんだろうなあと、最近しみじみ思います。
24歳の女性が不明となり、元交際相手の男性が死体遺棄の容疑で逮捕されたという事件。痛ましい事件ですね。少なくとも一刻も早く遺体が見つかるとよいのですが……
それにしても、この事件であたしがついつい気になってしまったのは、二人の年齢。殺害された女性は24歳、逮捕された元交際相手の男性が50歳です。
なんとまあ、親子ほども歳が離れています。いえ別に、それが悪いと言いたいわけではありません。愛があれば歳の差なんて、とは昔から言い古されたセリフですが、二人がよければそれでよいではない、というのが個人的な感想です。
あたしとしては、むしろ正直なところ、羨ましいなあと思うのです。この手の事件、時々あります。逮捕されたときというのは意気消沈しているか、不貞不貞しい態度を取っているかのどちらかなので、そういう状態が映ったテレビ映像で判断してはよくないかもしれませんが、はっきり言って「どうしてこんな冴えない男を好きになったんだろうか?」という疑問が湧いてきます。
そして、「こんな男でも、こんな若い彼女ができたのに、あたしって……」と自己嫌悪に陥るのが常です。たとえ事件前にケンカ別れしていたとしても、ある期間は交際していた、恋人同士であったという事実があるわけですよね? あたしのように、人生にそういう期間が一切存在しない身からすると、羨ましいと言うほかありません。そんな時期がちょっとでもあれば、あとはその余韻で活きていけると思うのは未経験者だからでしょうか?
もしかして、この手の事件の犯人って、ずーっとモテない人生を送ってきて、たまたま若い恋人が出来てしまったがために、それに対する執着が激しすぎて、いざ別れることになったら、気持ちの整理がつかず凶行に及んでしまった、というのが事件の顛末なのでしょうか? だとすると、あたしもその予備軍になる資格、十二分にありますね(汗)。
さて、もう一つ、この事件であたしが反応してしまったのは、殺害された女性の姓です。
乃木坂46ファンなら、ひめたんを思い出してしまったのではないでしょうか? もちろん、ひめたんとは何の関係もないのでしょうけど。
昨日の朝日新聞夕刊の一面に載っていた記事です。
夕刊ですし、それほど大きな扱いでもないので、内容はあまり詳しいことが書いてあるわけではありませんが、個人的には非常に興味深い記事です。
小中学校の司書、実態はどんなものなのでしょう? 職業柄、こういう話題について話を聞くことがありますが、国語の先生が司書の資格も持っていて、授業の片手間に担当しているという話もよく聞きます。そうであるなら、司書としての仕事はどの程度できているのでしょう? それでも、こういった統計上は、「わが校は資格を持った図書館司書を配置している」ということになるのですかね?
それに小中学校の蔵書の問題もあると思います。内容的な「質」の問題については、児童書に詳しくないので偉そうなことは言えません。が、外見の「質」であれば、あたしにもわかります。
これまでいくつか中学や高校などの図書室を見学させてもらいましたが、蔵書量もピンキリ、それにかなり傷んだ書籍が大半という学校も数多く見られました。新刊を購入する予算も足りないのに、既に所蔵している書籍がボロボロになったので買い直す、そんな予算はほとんど捻出できていないようです。
そもそも小中高で図書館を持っているところって、どのくらいあるのでしょう? ほとんど、ほぼすべての学校が図書館ではなく図書室ですよね? 一般の教室よりちょっと広い程度の面積でしょうか? 読むための机なども置いてありますから、書架自体は数えるほどしかないところも多いです。かつて見学した図書室なんて、冊数だけで言えば、あたしの自宅よりも少ないものでした。これで児童、生徒たちのフォロー、支援が可能なのだろうかと思いました。
記事にもあるように、アクティブラーニングでこれからは図書室、図書館の役割が増すと思いますので、学校もそうですが行政も真剣に向き合わないとならない問題ではないでしょうか? それが大人になったときの本との接し方にも関係してくると思うので。
ちなみに、非常に充実している図書室も数多く視ました。生徒が引っ切りなしに来室するし、明るくて開放感のある部屋。確か、畳かカーペットが敷いてあって、椅子ではなく床に座って本を読んでいる子もいる、そんな図書室もありました。そういうところは、やはり図書室や読書というものに対する理解が進んでいる学校ですね。もっと増えてほしいものです。
昨夜から、今年のノーベル文学賞がボブ・ディランに決まったという話題で持ちきり……というほどでもないか。
しかし、今朝の朝日新聞の一面が上の画像ですが、タイ国王の逝去とボブ・ディランのノーベル賞受賞って、扱いが逆ではないかと思うのはあたしだけでしょうか? 別にタイ国王のニュースが圧倒的に大きいはずだ、とまでは言いません。それでも、この大きさの比率はちょっとおかしいのではないか、と思います。
それはそうと、ボブ・ディランの受賞でちょっと沸いているのが欅坂46のヲタたち。彼女たちのセカンド・シングル「世界には愛しかない」の通常盤に「ボブディランは返さない」という曲が収録されているのです。これでちょっとヲタたちが「おおーっ」って騒いでいるわけです。
しかし、「ボブディラン」って何? 「ボブ・ディラン」ですよね? 秋元康、わざとなのでしょうか?
閑話休題、ノーベル文学賞。
毎年ノーベル文学賞の時季になると書店店頭では関連書籍のコーナーを作って、特に村上春樹コーナーを大々的に作って拡販に努めるのが恒例、ほとんど年中行事のようになっています。ハルキが受賞しなくても、たいていは邦訳のある作品が受賞するので、発表と共に自店には在庫があるか、何か邦訳はでているのか、どこの出版社から出ているのか、既に品切れや絶版になっていないか、などなど毎年書店員の方は忙しいと思います。
もちろん出版社も自社の本が関連するか否か、それによって売り上げが変わるので固唾を呑んで見守っていたりします。
が、毎年発表が夜の7時や8時ころになるので、出版社は業務終了、書店員だって帰宅している方も多いはず。発注したりといった作業は翌朝以降になるのが常です。もちろん親しい出版社営業マンを知っていれば、その人のケータイに電話をして、在庫確認やら在庫確保やら、いろいろお願いしたりすることも、やはり風物詩です。
しかし、ノーベル賞を取ったからといって本が売れるのか、と問われると、実はかなり慎重に見極めないとならないだろう、というのが出版社の人間としての意見です。恐らく今日は朝から、ディラン関連書籍を出している出版社にはたくさんの電話やファクスが来ると思います。それを全部受けていたら、確かにかなりの部数になります。売り上げ金額だってそれなりに計上できるでしょう。でも、実際に売れるのかというと、これがまったくわかりません。
邦訳が単行本しか出ていないような作家ですと、代表作はそこそこ売れます。特に新聞に受賞作家のプロフィールが載りますが、そこに取り上げられた作品は比較的よく売れます。しかし、単行本だけでなく文庫も出ていたりすると文庫ばかりが売れ、単行本はほとんど売れない可能性が高いです。やはり、「ノーベル書を取ったようだから一冊くらい読んでみるか」という読者にとって価格というのはかなり大きな判断材料になるようです。
で、今回のボブ・ディランです。本はそこそこ出ていると思います。音楽系の雑誌の別冊や増刊でディランを特集したものもあるでしょう。値段がそれほど高くなければ売れると思いますが、少し根の張る評伝的なものは苦戦すると思います。それでも出版社には書店から注文が殺到しているでしょうから、それに踊って増刷したりすると3か月語に返品の山になる可能性が非常に高いので気をつけなければなりません。
特に今回のように受賞者が歌手ですから、これは初めてのことで、本がどれくらい売れるのかまったく予想がつきません。あたしは、本ではなくCDが売れるのではないか、と予想しています。なので、今回は書店ではなく、CDショップが活気づくのではないでしょうか? TUTAYAとかHMVのように半分書店もやっているようなところならよいでしょうが、一般の書店がディランの書籍を集めてコーナーを作っても厳しいのではないか、というのがあたしの遠慮ない予想です。
もちろん、それでもディランの関連書籍がまるっきり売れないということはないはず。やはりこの機会に、ディランの音楽は散々聴きまくってきたから、今度は評伝や評論でも読んでみるか、と考える人は多いはずです。出版業界の一員としては、CDに比べたら売り上げは何十分の一、何百分の一かもしれませんが、そういう人の需要に期待したいところです。
で、最初に取り上げた朝日新聞の「声」欄にこんな投稿が載っていました。10代の子の本に対する提言です。なかなか面白いですね。あたしが興味を持ったのは山形の方の投稿の方です。
友だちが作れなくて本ばかり読んでいた、というのはよくある話です。だから、「本ばかり読んでいて暗い」などとレッテルを貼られ、ますます本の世界にのめり込んでしまう、というのもしばしば聞かされるストーリーです。でもこの投稿者の場合、本好きから同好の士に巡り会え、友だちを作ることに成功したようです。
こういう嬉しい出来事、読んでいるとほっこりしますね。
あたしのように都下在住ですと、昨日の東京の大停電はほとんど無関係。停電になった時間帯も、既に都心の勤務先を離れ、都下を営業中でしたので、家路についてタブレットでニュースを見たときに「東京大停電」の文字が目に飛び込んできて初めて知って驚きました。
で、思い出したのはこれ。映画「大停電の夜に」です。
あたし、この映画は未見ですが、だいたいそんな話なんですよね? いや、夜になる前になんとか復旧しましたっけ、昨日の東京は? 在京のテレビ局、急遽番組変更して、この映画を放送すればよかったのに、と思います。
都内の繁華街では池袋が一番停電していたように報じられていましたけど、池袋の書店さん、ジュンパ・ラヒリの『停電の夜に』を店頭に積んで売ったのでしょうか? 積むほど在庫持っていなかったかしら?
まあ、でも、それはちょっとやりすぎ、不謹慎でしょうか?
いや、とりあえず売るべきは懐中電灯ですね。
朝日新聞の夕刊にこんな記事が載っていました。
思いっきり関東ローカル、それも多摩版限定のような情報。
「ような」と書いてしまいましたが、恐らく23区版にはきっと載っていない記事でしょうね。
つまりは「第1回柴崎立ち飲みフェスティバル」というイベントが行なわれるということのようです。
酒好きなら、ちょっと気になるところでしょうか?
あたしは、そこまで呑兵衛ではないので、それにわざわざ出かけていくのも億劫で完全にスルーですが、実は朝日新聞の見出しを見たとき、一瞬、「立ち飲み」ではなく「立ち読み」に見えたんです。
へえー、立ち読みをあえて公言するイベントを企画するなんて、面白い書店があったものだ。でも柴崎に書店って何があったっけ?
と思ってしまったのです。まあ、見間違いだったわけですが、それでも、立ち飲みしながら立ち読み、それも悪くないのではないか。そんな気もします。あまり酒が過ぎると、読んでいる本の内容が頭に入ってこなくなるでしょうけど、ほどほどの酔いとお気に入りの本。
いや、これって下北沢のB&Bのことですね。B&Bとは、URLを見てもおわかりのように、否、あたしが改めて説明するまでもなく、「BOOK & BEER」のことですからね。
ちなみに「立ち読み」で立川読書倶楽部を思い出せる人は、やはりこの業界の人だけでしょうか?