安住の地は何処?

昨日のTBS系「報道特集」の特集の一つは「中国・人権活動家の苦難」でした。

 

中国における人権活動家の苦難は『中国 消し去られた記録』などにも克明に描かれており、本人だけではなく、その家族にまで政府の監視が行なわれているわけで、海外に亡命する活動家も少なくないようです。しかし、文春新書『「暗黒・中国」からの脱出』を読むと、これまで活動家の逃避地でもあったタイなども決して安心して潜伏できる地ではなくなっているようで、著者の顔伯鈞氏が報道特集にインタビューで登場し、答えていました。

東南アジアは、四川省や雲南省から地続きで越境でき、渡った先には逃亡者を匿ったり逃がしたりする組織などもあるようです。しかし中国政府はタイ政府などに圧力をかけ、活動家らの逮捕・引き渡しを行なわせているようです。迫害を受けて亡命・逃亡している人を本国に引き渡すというタイ政府の姿勢も問題ありですが、そもそも彼らが亡命せざるを得ないような状況に追い込んだ中国政府の弾圧が、そもそも国際的な人権感覚に照らし合わせてみた場合におかしなものであるということです。

来年の、5年に一度の党大会に向けて、引き締めや弾圧を厳しくこそすれ緩めることはないと思われる中国政府ですので、ここはやはり経済的に中国に依存している東南アジア諸国では歯向かうのは難しいでしょうから、西側が結束して働きかけるしかないのではないでしょうか? とはいえ、その西側ですら、中国市場から閉め出されるのを恐れ、中国に媚びを売るような態度に終始して、人権などで中国に毅然とした態度を取れなくなっていますから、どうしようもないですね。

顔伯鈞氏をはじめ、海外に暮らす活動家が一日も早く中国へ戻って家族と平和に暮らせる日が来ることを願います。たぶん、そういう存在の最大なのがダライ・ラマなのでしょう。チベットや新疆は民族問題、宗教問題という別の問題も絡んで、特に独立という領土問題があるので、なおさら厄介ではありますが、これも解決の糸口はあるのでしょうか?

制服と言えば

松田聖子です。

ある年代の方には名曲「制服」が蘇ってくるはず!

閑話休題。

朝日新聞に載っていた中学の制服についてです。

「制服は高い」「私服よりも安上がり」「個性を尊重して欲しい」「一体感がある」などなど、記事で紹介されている意見はどれももっともです。

で、今朝の記事の中にあった杉並区の向陽中学。制服が1994年に制服を廃止したとありました。確かに、あたしが杉並に住んでいたころ、向陽中学は制服があったと記憶していましたから、その後なくなったのでしょう。

ちなみに、あたしは同じ杉並区でも宮前中学でした。この宮前中学、現在はどんな制服なのか、あるいは制服などないのか、卒業後はまったく関わりがないので知りませんが、あたしが通っていたころは実に面白い状況でした。

過去に書いたことがあるかもしれませんが、当時の宮前中学、基本は私服だったのです。でも、男子だけは学ラン着用という不文律があって、男子生徒はみな学生服を着ていました。いわゆる詰め襟です。そして女子はまるっきりの私服です。ブレザーとかセーラーとかそんなのではなく、本当に私服でした。

なので、ちょっとした集合写真を撮ると、男子はみんな詰め襟なのに女子はバラバラ、という実に奇妙な写真が撮れたのです。もちろん遠足とか、そういう時は男子も私服でしたので、男子と女子の違和感はありませんでしたが、日常の学校生活ではものの見事な違和感、珍景が出現していたのです。

なんでそんなことになったのか、あたしは知りません。ただ、特に男子から「自分たちも私服にして欲しい」とか、女子から「制服が欲しい」といった大きな声が起きたという記憶もありませんので、なんとなくそれに従っていて疑問も感じていなかったのでしょう。今風に悪く言えば「大人にスポイルされていた」とでも表現するのでしょうか? ただ、そんな意識すらなかった中学時代でした。

「もんじゅ」の廃炉と満洲国

高速増殖炉の「もんじゅ」が廃炉になるというニュース

ニュースで伝えられている程度の知識しか持ち合わせておりませんが、あれだけのお金を費やして何の成果も挙げられず見事な失敗に終わる。いや、あれだけやってきたんだから、多少は何らかの得るものがあってもよさそうなものですが、そのあたりどうなんでしょう? 専門家のご意見をぜひ聞いてみたいところです。

とはいえ、結局プルトニウムにせよ、核燃料サイクルにせよ、あまりにも杜撰な計画、そして動き出したら止まらないぜ(←昔ヒットした曲の歌詞みたい?)という体質の組織。本当に見事な失敗、まさしく失敗の本質という感じ。

ところで「もんじゅ」って「文殊菩薩」から命名されているんですよね? ウィキペディアではもう一つ「ふげん」というのもあるらしいですから、これは当然「普賢菩薩」のことでしょう。

で、文殊菩薩と言えば、あたしなどは反射的に満洲族を思い出してしまいます。そして、そこからの連想で、満洲国へと飛躍していくわけですが、いみじくも満洲国も見事な失敗に終わってしまったわけですよね。

満洲国も五族共和、王道楽土の理想を掲げていたわけですが、確かにそういう面があったかもしれませんし、それによる成果も上がっているところがあったのでしょう。でもその代償はあまりにも大きいと言わざるを得ないと思います。あれだけの犠牲を払って得たものはこれだけ、という気がしてなりません。

まさしく今回の「もんじゅ」と一緒。否、「もんじゅ」が「満洲国」と一緒と言うべきでしょうか? 日本にとって、「もんじゅ」を冠した事業は失敗に終わるという法則が成り立つのではないでしょうか? 歴史は繰り返すと言いますが、見事としか言いようがないです。

評価は別にしてくれなくてもいいから、それぞれの特徴を教えて欲しい

今朝の朝日新聞に載っていました。

歴史漫画が熾烈な競争なんだとか。

でも、確かこの手のマンガが売れだしたのって十年以上前ではないでしょうか? それがこの数年、参入出版社が増えたということなのでしょうか? 大不況と言われる出版界の中にあって数少ない成長ジャンルですから、そこに参入したくなる気持ちも理解できます。

で、たぶん作画者とか、シリーズ全体の監修者とか、各社が趣向を凝らしているのだと思います。実際にどれかを買った人からは、「よかった」という意見も出れば、「よくなかった」「買ってはいけない」といった辛辣な意見も出ていることでしょう。恐らくちょっとネットをググってみればぞろぞろ出てくるのでしょう。

あたしとしては、甥っ子、姪っ子がいるので、そろそろこういったものが必要になるかなと感じているので、どれがよいか気になります。あまりにも否定的な意見がネットに溢れているようだと、やはり買おうという気は起こりません。

で、新聞記事ですから、何か史実の捏造とか、明らかなミスがあるものは別として(そんな本、きちんとした出版社が出すわけがありませんが)、各シリーズの特徴を持って伝えてもらいたいです。

マンガだけでなく、読む部分も充実しているとか、近代史に力を入れているとか、最新の考古学の発掘成果を取り入れているとか、やはり他社のシリーズとの差別化も考えているでしょうから、そういったところをもっと伝えて欲しいと思います。

まあ、新聞にそんなことを求めなくても、「まんが日本の歴史 比較」といったキーワードでググってみれば、さまざまなシリーズを比較・評価しているサイトがいくつも上がってきます。そういうのを見ればよいのかもしれませんが、やはりサイトの情報というのは鵜呑みにしてよいものか、いまひとつ信が置けないので……(汗)

「読書ノート」サイトや「個人書評」サイトが無数にあるというのに、つまり本を読んだ感想をこれだけ伝えたがっている人がいるというのに、読書感想文は苦痛なのでしょうか?

朝日新聞の朝刊に載っていました。「読書感想文書き方マニュアル」なるものがあるのだとか。

どんな宿題や課題も、あんちょことか模範回答があって、それを丸写しすればよいのであれば楽だなあ、とはあたしが子供のころにも存在した感情です。読書感想文も同じです。

ただ、感想文ですから、感想は人によってさまざま、丸写しできるような性格のものではないと、あたしなどは思っていました。そして、夏休みの読書感想文に対する意見というか立場としては

1.本は好きだし、書くのも好きだから苦にならなかった人。あたしはほぼほぼ、ここに該当します。
2.本を読むのは好きだけど、感想文は書くのは苦手、嫌いという人。こういう人も意外と多いですね。かなりの読書家でも、こういうタイプが少なくなかったりします。
3.そして本を読むのも、感想文を書くのも苦手、嫌いな人。

以上の3タイプが代表的なところではないでしょうか。

で、上掲の朝日新聞の記事について、出版社の人間としてあたしが思うことは、とりあえず本を読むのが嫌いにはならないで欲しい、ということです。感想文は二の次です。本を読んで面白かったら、それを人に話したくなるものです。それくらいで十分ではないでしょうか? あと、表現が苦手な子もいるでしょうから、字数制限(最低も最大も)はなくして欲しいと思います。

そして、何のために感想文を書くのか、ということを生徒に納得させること、感想文というのは(その本について他人に伝えるという目的がある以上)論理的な文章でなければならず、そういう文章を組み立てる(書く)訓練というものを、先にやっておかないとならないのではないでしょうか? そんな風にも思います。

ところで、夏休みの読書感想文が典型的だからこうして記事にもなるのでしょうけど、あたしが子供のころは、遠足へ行ってきたら感想文、運動会・学芸会が終わったら感想文、という記憶があります。なにかにつけて感想文を書かせられたという想い出があるのですが、これはあたしの記憶違いでしょうか?

アフリカは実のところどうなっているのか?

アフリカ開発会議が開かれている(開かれていた?)からですね、このところテレビや新聞でもアフリカ関係の記事が多くなっています。しかし、全体的なトーンとしては、

日本は出遅れている
既に中国が進出しまくっている
日本企業が行っても安全なのか?

というものが多い気がします。確かに、アフリカには既に大量の中国資本が投下されていて、それらを扱った本も何冊か出ています。あたしも読みましたが、こんなものが目につきます。

中国第二の大陸アフリカ』『中国が喰いモノにするアフリカを日本が救う』『喰い尽くされるアフリカ』です。探せば他にもたくさんあるでしょうし、少し前にこんなダイアリーも書きました。

  

これらの本を読むと、確かに日本は出遅れているようです。中国がかなり幅広く進出しています。ただし、今回の会議で日本側が主張したように、確かな技術や人材育成という面では挽回の余地がありそうです。中国は労働者も中国から連れて来て、ほとんど現地の雇用を生んでいないとか、中国が作ったものはすぐに壊れる、使い物にならなくなる、といった評判も立っているようです。

その一方、金にものを言わせて中国はアフリカ諸国の中枢を押さえてしまっているので、庶民がいくら反対しても政府は中国の言いなりだという声も聞かれるようです。そうなると、なかなか日本が食い込むのは難しいと思います。東南アジアでも、価格では中国の安値攻勢と勝負にならず、なおかつ資金もすべて出してくれる中国に受注を奪われている事例がたくさんあります。発展途上国にとっては、多少レベルは悪くとも安い方がよい、そしてすぐに作ってくれる方がありがたい、という事情も作用しているのでしょう。

こういう問題は、一回大きな会議を開いたからといって、すぐに日本企業の受注が伸びるとは思えません。少しずつ少しずつ見方を増やしていくしかないのではないでしょうか?

この猛暑、そしてゲリラ豪雨の東京で4年後に本当にオリンピックを開けるの?

昨日のTBS系「報道特集」で、「猛暑の東京~4年後の五輪は?」という特集をやっていました。

確かに、この気温と湿度。日本人は嫌でも慣らされるでしょうけど、外国人選手や観光客の方々は大丈夫なのでしょうか、と本気で心配になります。気温だけなら、東京よりもっと暑いところ出身の選手は大勢いるでしょうけど、この湿度と、大都会特有の暑さ、アスファルトの照り返し、こういうのは独特だと思いますので……

そう考えると、こういう気候条件がわかっていながら夏の五輪を誘致しようと思った人たちは、どういう見解をお持ちだったのか、ということが気になります。日本人ですら毎年熱中症が報告されているわけですから、いきなり来日した人ならもっと熱中症になりやすいのではないでしょうか?

言葉は悪いですけど、「五輪のために日本へようこそ」というのは「地獄への招待状」のような気がします。五輪は記録を競う場ではなく名誉だとも言われますが、それでもこれほど過酷な条件でプレイさせるというのは、アスリートに対する敬意を欠いているような気もします。

ただ、同番組を見ていて、だからこそ、東京五輪を期に、ヒートアイランドや都市型気候の改善を図るチャンスにしようという試みもあるようで、五輪とは関係なく進めて欲しいと思いました。とはいえ、やはり東京ではなくせめて仙台や札幌など少しでも北の方に開催地を変更ができないものか、と思ってしまいます。

今日は終戦の日ですよね?

テレビのニュース番組や情報番組、どうして終戦の日のニュースよりも、SMAPのニュースの方が扱いが大きいのでしょう? そりゃ戦没者慰霊祭の中継、天皇陛下のお言葉なんてつまらないかもしれません。閣僚や国会議員が靖国神社へ参拝したというニュースも一般国民には「だから何?」という程度の関心しか持たれないかもしれません。

それでも、やはり先の大戦について考える、戦後70年の平和のありがたみをかみしめるような報道が、もっとあってしかるべきだと思うのですが、それよりもはるかにSMAP解散のニュースの方が扱いも大きいし、時間も長いです。

うーん、疑問。

テレビ各局に、ジャニーズ事務所からトップニュースに準じた扱いをしろとか、何分以上時間を費やせ、といった圧力がかかっているのでしょうか? まあNHKまでがオリンピック中継の最中に、ニュース速報のテロップを流したという話ですから、民放各局は言わずもがなでしょうけど、なんか腑に落ちませんね。

クセジュGO、それともUブックスGO、あるいはエクス・リブリスGO?

いまや世界中の話題になっているポケモンGO。

あたしはポケモンには全く興味がないですし、ほぼまるっきり見たことがないので、わざわざこのゲームをやろうという気は起きません。ですから世間で人々が夢中になっているのも、単にスマホに夢中になっているというくらいにしか感じられません。

が、ここまでブームになり、社会問題化するとすごいものですね。

で、考えました。

このポケモンGOは街中に現われるポケモンを捕まえるゲームですよね。それと同じように、街中に現われる文庫クセジュをゲットしたら、その電子書籍が手に入る、なんてゲームを作ったらどうだろうか、と。

いや、クセジュが地味でしょうか? だったらUブックスでもいいですし、ガイブン好きにはエクス・リブリスでもいいと思いますが、そういうゲームって流行るでしょうか?

しかしなあ、そうなるとタダで電子書籍を配布してしまうことになりますね。どうにかして課金するシステムを作らないと。とは言っても、電子書籍をゲットするたびに課金されるのでは、誰もゲームをプレイしてくれないか……

うーん、悩ましいところ。いいアイデアだと思ったんですけどね。

投票

とりあえず、行ってきました、参議院選挙。ほぼ毎回、投票開始の7時すぎには行ってきてしまいます。本日は、いつも以上に既に投票に来ている人が多かったです。わが家の近所では関心が高いのでしょうか? それとも昼間の暑くなる前に済ませてしまおうということでしょうか?

さて、毎回思うのですが、選挙管理委員なのか、都や市の職員なのか知りませんが、投票所のスタッフの多さです。確かに不正があってはなりませんが、民主主義未発達の途上国ならまだしも、日本においてあれだけの人数が必要なのでしょうか? 投票所が何か所あるのか知りませんが、彼らの人件費を考えると、一回の選挙に数億円かかるというのもわかりますが、もっと削れるのではないでしょうか? それとも、あの人たちは無給、無償なのでしょうか?

で、参院選。

少なくとも与党には投票しません。あんな勝手気まま、憲法すら無視するような奴に政権を任せておくことはできません。かといって野党も力不足なのは否めません。本来の日本って、敵と味方が峻別され闘うというよりも、お互いがよくよく話し合って、うまい落としどころを見つけていくというのが伝統だったはず。それが日進月歩の今の時代に合わないというのも理解できますが、世界が日進月歩だからこそ、政治には落ち着きを持って、拙速にならないような運営を期待したいところです。

今回の参院選は、ほとんど自民党は触れようとしませんが、やはり憲法改正を目指す勢力が3分の2を越えるか否かが焦点の一つだと思います。こんな状態で改憲に突き進んでよいのでしょうか? 一番大事な政治、政治家に対する信頼がこれほど失墜しているときに、国の大事な進路を奴らに委ねてしまってよいのだろうか、そう思います。

それに投票率が今回はどうなるのでしょう? 60パーセント程度でしょうか? だとすると、先の英国の国民投票ではありませんが、もう少し投票率が上がれば結果が変わっていた可能性もあるわけで、現行の国民投票法は、確か最低投票率の規定がないはずで、このままでは極端な話、国民の1割や2割程度の賛成でも憲法改正は成立してしまいます。これはやはり英国の事例を出すまでもなく問題が大ありではないでしょうか?

多数決を疑う』にも書いてあったと思いますが、やはり全体の3分の2程度の賛成(意見の一致)が得られると、なんとなく皆が同意するようです。一部政治家が3分の2は非常に厳しい(高い)ハードルだというのはおかしいと指摘していたはずです。

うーん、今日の選挙、いろいろと今後の日本の行方を決めることになるのでしょうか?