とりあえず晴れていますが……

倉敷の朝です。

ホテルの窓から外を見ると雨は降っていませんし、曇りがちの晴れ、と言える空模様。

が、テレビの天気予報を見ると、今日はこれから雨のようで、また被害が出るのでしょうか?

晴れる?

広島での一夜が明けました。

昨夜は広島の書店の方との懇親会。とても美味しく、とても愉しいひとときでした。

が、その時も外は土砂降り。かなりの雨でした。広島で雨といえば、ニュースでも大きく報じられた土砂崩れが思い出されます。昨夜も広島市には警報が出ていました。

恐る恐る書店の方に伺うと、やはりその時の降り方はいつもと違ったようです。なんとも言えぬ、恐ろしい降り方だったとか。

一夜明けた今朝。外は青空が見えていますが、テレビのニュースでは山陽線の脱線のニュースを伝えています。広島では今回もかなりの被害が出ているようです。

地図を作った想い出が蘇る

パリが大変なことになっているようですね。

ただし、今回はテロではなく洪水のようなので、ひと安心とはもちろん言えませんが、人が人を殺め、憎悪を生み出すものでないことがなによりだと思います。

とはいえ、死者もたくさん出ているとか。あたしの勤務先のTwitterでも取り上げております。

で、ここに載っている『パリが沈んだ日』って、見返しとか本文中に、詳細なパリの市街図が載っているはずです。実はその地図、あたしが作ったんです。イラストレーターで、ちまちまと。

懐かしい想い出です。

それにしても、セーヌ川って定期的に氾濫を起こしているみたいですね。排水施設とかどうなっているのでしょうか?

生涯未婚率

生涯未婚率とは、生命保険文化センターのサイトによると

生涯未婚率というのは、「45~49歳」と「50~54歳」未婚率の平均値から、「50歳時」の未婚率(結婚したことがない人の割合)を算出したものです。生涯を通して未婚である人の割合を示すものではありません。

ただし50歳で未婚の人は、将来的にも結婚する予定がないと考えることもできることから、生涯独身でいる人がどのくらいいるかを示す統計指標として使われます。

とあります。まあ、あえて調べなくとも、最近はテレビなどでもしょっちゅう聞かれる言葉ですので、意味はほとんどの方が正確ではなくとも知っていると思います。つまりは「50歳の時に結婚していなかったら一生結婚できない」ってことでしょ、なんて開き直ってしまいそうですが、これ、案外実感です。

かつて、あたしが大学院(修士)を出て社会人になったころ、既に若者の晩婚化は言われていましたが、それでも男性だって30歳までには結婚するもの、という常識とまでは言わなくとも、そんな社会の空気がありました。もちろん、女性の社会進出も進んでいましたから、結婚までの腰掛け、といった見方も薄れてはいましたが、それでも女性だって20代後半にはゴールインする、という感じが漂っていたように記憶しています。

いや、この記憶、曖昧です。まるっきり正確ではありません。

だって、あたしが当事者になったことがないので、そんな感じもどんな感じもまるでわからないのですから。それに、ほとんど友達らしい友達もいないあたしは結婚式に呼ばれることもほとんどなかったので、周囲が結婚ラッシュ、という時期もわからず今に至る、という具合です。

でもまあ、少なくとも現在ほどの晩婚化にはなっていなかったことだけは確かです。

で、あたしです。

この歳まで恋人がいたことがないので、「そろそろけじめをつけなければ」という思いに囚われたことはありません。20代後半というか20代は、体を悪くした父の介護でほぼ潰れてしまいました。最後の段階でははほぼ入院状態でしたが、いわゆるボケなので、体に病気があるわけでもなく、なかなか入院はさせてもらえません。なまじ体が動きますし年寄りと言うほどの年齢にもなっていなかったので、かなり厄介な障害者でした、父は。それを母と二人、5年以上、介護していたわけですから、恋愛や結婚どころではありません。

ただ、父が病気になっていなかったら恋人が出来たのか、と問われると、自信を持って「それはない」と断言できます。あたしが適齢期に恋人もできなければ結婚もできなかったのは父のせいではありません。むしろ逆で、できないことの言い訳に父を利用していた、と言えるかもしれません。

さて、それから時が過ぎ、かつては「50歳で結婚できていないからって、一生結婚できないとは限らないのでは?」と漠然と思っていたあたしですが、50が視界に入ってきた昨今、「いや、確かに50歳で結婚していなかったら、ほぼ間違いなくそのまま独身人生を歩むことになるな」というのが実感として理解できます。現にあたしがそうですから。

まさか、いまさら結婚して子作り子育てなんて無理でしょう? そもそも、高齢出産も可能になったとは言え、子供を作ろうと考えると、相当な年の差婚になりますが、そんなあたしを選んでくれる若い人がいるとは思えません。かといって、子供を持たない結婚なんて、あたしの場合、考えられません。やはり結婚するからには子供が欲しいと思います。

というわけで、可能性としては子持ちバツイチの人との結婚が一番高いと思うわけです。「えっ、自分の子供じゃなくてもいいの?」という疑問を持たれるかもしれませんが、確かに上の言葉と矛盾している感じもしますが、そこはあまりこだわっていません。あくまで子供が好きだということです。ちなみに、バツイチではなく、バツ2でもバツ3でも構わないのですが、さすがにそこまで離婚が多いと、やはりどこか問題があるのかな、という気もしてしまいます。

ただ、それを言うなら、たとえ複数離婚をしていても、裏を返せば複数結婚できたということ。つまり、しっかり誰かに愛されたということでしょう。あたしみたいに一回も結婚できない人間よりははるかにマシなのではないか、とも思います。

というわけで、リミットまであと少し!

カンボジアで活躍する日本人

どうやら紙面には載っていなくて、あくまでネットのみのようですが、朝日新聞のウェブサイトにこんな記事がありました。

カンボジアで無農薬野菜「日本流で途上国の農業変える」

海外で日本人が農業の技術指導を行なっているという記事はしばしば目にしますが、無農薬ですから途上国にとっては高級野菜ですよね。

この記事を見て思い出したのは、あたしの勤務先から出ているこの本。

 

カンボジアに村をつくった日本人』です。やはりカンボジアで活躍する日本人ということになりますでしょうか? カンボジアと言えば、多くの日本人はやはりクメール・ルージュの大虐殺を思い出すのでしょうか? 『ポル・ポト』なんて評伝も刊行していますので、ご興味のある方はどうぞ。

でも、やはりまずは言葉でしょうか? 文字も独特なカンボジア語。入門書の定番と言えばこちら、『ニューエクスプレス カンボジア語』です。

迷子札

二年前に行方不明になった少女が東中野で保護された事件が少し前にありました。犯人はたまたま目にした少女の後を付けて自宅を確認し、表札か何かで少女の名前を確認していた、というようなことが報道されていました。事件発生時、自分の名前を呼ばれたので少女も何も疑わず、犯人の言うことを信じてしまったということです。

この事件も典型的ですが、最近は子供の持ち物に名前を書かない、名札を胸に付けない、付けたとしても裏返し、あるいは蓋付きの名札を使用する、といった対策が採られていると聞きました。

たまたま先日遊びに来ていた妹家族。小3、小1、年長という子供を抱えているのですが、人目に付くところに名前を書かないようにしていると妹は言っていました。幼稚園などの道具にはお母さんが夜鍋して名前を付けるのが習慣のようになっていますが、それもパッと見えるところには付けなくなっているようです。

時代は変わった。いまの日本ってそんなに物騒なのか、と思います。「昔はよかった」と主張するつもりはありませんし、かつては隣近所の目があったから、それが防犯にも役立っていた、という意見に頷く点もありますが、見知らぬ人がうろうろしていたら目立ってしまうほど閉鎖的で窮屈な地縁社会を徐々に解体していったのが今の日本ですから、こういう犯罪が起きやすくなるのももっともでしょう。

それにしても、あたしが子供のころ、あたしも、そして上に登場した妹も首から「迷子札」をぶら下げていました。「迷子札」は「まいごふだ」です。最近の若い人には何のことかさっぱりわからないと思いますが、自分の名前と住所、電話番号が書いてあったと記憶しています。

つまり家族で出かけて万が一あたしや妹が迷子になった場合、たぶんあたしたちは親とはぐれて泣いているであろうと思われますが、そんなあたしを見つけた見ず知らずの大人たちが、あたしが首からぶら下げている迷子札を見て、わが家に電話をしてくる、あるいは連れてきてくれる、デパートなどの中ならば館内放送を流してくれる、といったことができるための切り札だったのです。子供は泣き出してしまったら、いくら尋ねても自分の名前を言えなくなってしまうものです。それでも迷子札があればかなり安心、というわけです。

あの当時、誰も迷子札から誘拐だとか、そういった犯罪が引き起こされるなんて思ってもいなかった時代です。いつから変わってしまったのかと思います。

ちなみに「迷子札」をネットで検索すると、昨今は人間の子供ではなく、ペット用が主流なんですね。まあ、ある意味、幼児は動物と変わらないですから、用途としては正しいのでしょうけど。

五月人形は怖い?

五月人形の表情がかわいくなっているというニュース

あの人形って魔除けの意味があったと思うので、だから勇ましい顔立ちだったと思うのですけど、それが優しく、可愛らしくなってしまったら、魔除けの意味がないのではないでしょうか?

と、最初にこのニュースを聞いたときは思いました。そして、それと同時に思い浮かんだのは、ジャポニカ学習帳の表紙の写真。

これも以前に、「昆虫の写真は怖い」という意見が寄せられて、昆虫の写真を使った学習帳が消えたというニュースがありましたね。この時は、親、特に母親が虫が苦手だからといって、子供のノートの絵柄にまで嫌悪感を示すのはどうかと思ったのですが、カワイイ路線はドンドン拡大の一途のようです。

この二つのニュース、人形の顔つきと昆虫の写真とでは事情は異なりますし、虫をかわいらしく描いて虫でなくなってしまったら本末転倒ですから、なかなか難しいところですが、どちらにせよ、あたしの最初の感想は「愚かしい行為だな」というものでした。自分の好き嫌いを子供に押しつけるなんて、と思いました。五月人形にしろ昆虫の写真にしろ、子供自身がどう思うか、どう感じるかが肝心なのではないでしょうか?

と考えながら、「でも、母親が嫌うものは子供も嫌うかな?」と思ったりもします。子供も母親に好かれたいと思えば、自分の感情を押し殺して母親の好みに迎合することはあるようですから、本当は虫の写真が表紙になっているノートが欲しくても、それを言い出せないということはあるかもしれません。

が、このニュースを聞きながら、しばらくしてあたしは考え直しました。

この二つとちょっと異なるのですが、子供のころ、わが家の書架にあった偉人伝の表紙が怖いということを書きましたが、それを思い出したのです。当時の偉人伝は、かなり劇画調のイラストで、シュヴァイツァーやヘレンケラーなどが描かれていました。ブスッとして怖そうな爺さん、婆さんの絵、子供には正視に耐えませんでした。

だから、最近のゲームに出てくる歴史上の人物のイラストはイケメンだったり、文庫本の表紙もイマドキのイラストになっていたりするのですよね。

さらに思い出すのは、偉人伝の表紙だけではなく、小学校のころの音楽室に飾ってあった音楽家たちの肖像画です。ベートーヴェンやバッハなど、ものすごく怖い顔が、それも一人や二人ではなく大勢で教室の上の方から見下ろしている音楽室は、それこそ学校の階段でした。あれを怖いと感じたことのある小学生はかなり多いのではないでしょうか?

とまあ、偉人伝や音楽室など、親の好みとは関係なく怖く感じるものってたくさんあるわけで、五月人形や学習帳にクレームを付ける人も、自分が子供のころそういう思いをしたからなのでしょうね。

それにしても、音楽室の肖像画って、今も飾っている学校が多いのでしょうか? あれって文部省の指導があったのでしょうか?

日本のことなのか中国のことなのか?

中国 消し去られた記録』を読んでいます。時事通信の記者である著者が中国赴任中に配信した記事と、その解説、背景説明などを織り交ぜたノンフィクションです。

まだまだ最初の方を読んでいるだけなので感想は控えますが、冒頭から習近平政権になって締め付けが厳しくなっているという話題の連続です。しかし、こういった記述を読んでいるときに、ふと思うのは、自民党の憲法草案です。個人の権利よりも国を優先し、「国民は黙って言うことを聞いていればよいのだ」といった高圧的な態度。ちょうど前日に報道特集で取り上げていたこともあり、本書を読んでいると、これはいったい中国のことなのか、それとも日本のことなのか、わからなくなってきます。

どうして、こうも同じような方向へ向かっているのでしょうね、東アジアの両大国は。

中央構造線

熊本の地震のニュースを見ていると、中央構造線という単語がしばしば出てきます。

懐かしいなあ、というのが正直な感想。

中学のころだったか、地理(社会?)の授業で習ったような記憶があります。新潟の糸魚川から静岡の浜松へ向けてフォッサマグナが南北に走っていて、それと垂直に交わるような中央構造線が九州のほぼ真ん中から四国の突き抜け紀伊半島を通っている、というのを覚えさせられたはず。

確かに地震のニュースになると、フォッサマグナにしろ中央構造線にしろ、出てくることもありますが、今回の地震は特に目立つ気がします。場所が場所だけに、関連が疑われるのでしょう。

それにしても、その中学だったかの時は意味もわからず言葉を覚えただけでしたが、大人になってこうしてニュースを見て、再び出会ってなんとなく腑に落ちる感じ。やはり学生時代に勉強はやっておくべきだと思います。

それにしても、今回の地震は、なかなか収まりませんね。火事のように鎮火してしまえば復旧、復興を始められるものと異なり、いつまで続くかわからない地震は、復興もままならないですから、被災者の方の苦労が偲ばれます。

自宅などの壊れ方、住んでいる地区の被害状況、それに個々人の心の持ち様、すべて異なるわけですから、出来るだけきめ細かなケアをしたいところでしょうが、そうも言ってはいられないのではないでしょうか? 行政としては、ある程度は画一的に進めていかないところもあるでしょうね。

しかし、この数年の日本、海外から眺めたら、日本に詳しくない人だったら、そこら中で地震が起きて、都市も家屋もめちゃめちゃになっている国という印象を持たれてしまうのではないでしょうか? 既に九州地区への観光客が減っているということですが、海外からの観光客も、たとえ九州へ寄る予定がなくとも、日本の国土の広さを理解していないと、来日取りやめは大いにありえるでしょう。これはこれで、日本経済には打撃です。

そういえば、何年か前に熊本へ行ったときにも大きな地震があったんだ

熊本の地震、まるで収まる気配が見えませんね。かじりつきでニュースを見ているわけではないのですが、阿蘇山も噴火したとか。やはり地震の影響なのでしょうか? というよりも、九州の地下で何かが起こっているのではないかと思います。

ところで、数年前、何年前だったか正確には思い出せないのですが、人文会の研修旅行で熊本へ行ったことがありました(その後の調べで、2011年の10月だったことが判明)。熊本から博多を回った二泊三日の研修旅行でしたが、初日の熊本の夜、寝静まってから大きな地震があったようです。

「ようです」と書いたのは、あたしは知らなかったからです(汗)。

研修旅行の夜ですから宴会です。料理も美味しく、しこたま飲んでしまい、科なり酔っ払ってしまったあたしは、二次会には参加せず、一次会でホテルへ戻りました。ややよろよろと、若干の吐き気も覚えつつ、とにかくホテルのベッドに戻りたい一心でホテルまでの数分の道のりを這うように歩いたのを覚えています。

ホテルに戻り、シャワーは明日の朝だと決めて、服を脱いでベッドに潜り込み、バタンキュー。たぶん、時刻は9時前後だったのではないかと思います。そしてあたしは朝までぐっすり。翌朝はすっきりと目が覚めたのですが、顔を合わせた同行の面々は口を揃えて昨夜の地震の話をしています。

「えっ、何の話?」というのが正直なあたしの反応。朝もテレビニュースを見ていなかったので、そんな大きな地震があったなんて知らずに二日目が始まっていたのです。後から聞いた話では、今回ほどではないにせよ、当時としてはかなり大きな地震だったようです。それでも起きなかったのですから、相当な酔いだったのでしょう。

なお、この時の研修旅行ですが、三日目、つまり最終日の昼、博多の酒蔵を改装したとかいう料理屋での食事でした。建物が県か市の重要文化財になっていたはずです。そんなところで食べたのですが、帰京後、その建物が火事になったというニュースが入ってきました。行く先々で何かが起こった研修旅行だったわけです。