ずいぶんと変わりましたよ!

ジュンク堂書店の大阪本店がリニューアルしました。先週の関西ツアーで立ち寄ってみたのですが、いやー、ガラリと印象が変わりました。

上の図がそのフロアガイドです。もともと2階と3階に分かれていたフロアはそのままで、1階にあったコミックが2階に吸収されました。2階は、これまでは入ると目の前がレジでしたが、レジの位置が変わってしまいました。

あまり棚の並びを換えずに、ジャンルの配置を換えただけですと、慣れているお客様は却って迷うのではないでしょうか。むしろこれくらい、レジの位置から変えてしまう方が、お客様も最初から棚を探しまわることになるので、戸惑わなくて済むのではないでしょうか?

そして3階です。これまでは専門書フロアでしたが、それはあまり変わりません。ただコミックが2階に上がった影響で、芸術が3階にお引っ越しとなりました。また3階は上がってすぐのレジの位置こそ変わらないものの、レジ前から真っ直ぐに伸びていた中央の通路がなくなってっしまいました。こちらもかなりのインパクトです。

あたしも慣れるのに時間がかかりそうです(汗)。

そして3階奥にあった喫茶がなくなり、またフロア奥のエスカレーターも閉鎖されました。フロアの移動は表側のエスカレーターのみとなり、これはちょっと不便ですね。奥のエスカレーター部分も、取り壊して売り場になるのか、そのまま壁で仕切られるだけで終わるのか、まだ未定のようです。

掲示の多言語表記が気になる

関西ツアーで泊まっていたホテルのトイレ。ペーパーホルダーに貼ってあった注意書き。

この英語、日本語のとおりなのですが、あまりにも日本語どおりな気がして、なんとなく気になってしまいました。もちろん英語ネイティブの方には通じると思うのですが、果たして自然な英語なのでしょうか? 誰か教えて欲しいものです。

書店回りの途次、とあるモールで入ったトイレ。シートクリーナの使いたかが四か国語で表記されていました。日本語の他には英語と中国語、韓国語というオーソドックスなものです。

そして、同じトイレのペーパーホルダーが上の写真。こちらは何故か、英語とフランス語で説明されています。うーん、なんでこちらにフランス語が表記されているのでしょう?

そもそも、街中のこの手の表記って、英中韓がほとんどで、中には中国語が簡繁二通りで表記されていることもあって、ずいぶんと偏っているなあと感じることが多いです。もちろん、それだけ台湾や香港からの訪日客が多いのでしょうし、訪日客の大多数が中国と韓国からの方なのでしょう。

あたしの勤務先的には、もう少しフランス語やドイツ語、スペイン語、ロシア語などの表記も増えて欲しいと思うこともありますが、そこまで訪日客が多くはないのでしょうか? あるいは欧米の人はみんな英語ができると思われているのでしょうか?

20時は活動時間か、就寝時間か?

本日より関西ツアーです。いつもより半月ほど遅いでしょうか? でも晴天に恵まれ、暑すぎず、寒すぎず快適なツアー初日でした。

今日はまず京都で新幹線を降り、京都の書店を回っていました。ホテルは大阪梅田なので、ある程度回ったら大阪へ向かわなければなりません。とりあえずホテルのチェックインを済ませておかないと……

なんだかんだで京都を発つのが7時を回ってしまい、梅田に着いたのは8時を回った頃でした。チェックインの前に、「そうだ、阪急百貨店で夕食を買っていくか」と思ったのですが、なんと阪急百貨店は8時で閉店!

えーっ、大都会大阪の最大の繁華街のデパートが8時で終わりなんて、ちょっと早すぎませんか? あたしはてっきり9時まではやっているものと思い、この時間なら少し割引きで弁当や惣菜が買えると思っていたのですが、なんということでしょう。

仕方なく、ツアー初日の夕食はコンビニ弁当でした。

と、阪急百貨店に文句を言っても詮無いことですね。なにせ、ふだんのあたしは、自分が8時すぎには寝てしまう生活をしているわけで、デパートの営業が8時までなのを責める資格がありません。

まあ、いいです。ツアーはまだ続きます。明日はデパ地下グルメにします!

かつては存在しなかったはず?

札幌の朝です。

目覚めてバスルームへ入ったら、なんと大きなゴキちゃんが、テカテカと黒光りと言いますか、焦げ茶光りと言いますか、とにかくうごめいていました。

しかし、あたしは少しも慌てることなく、シャワーの温度を高めに設定し、ほぼ熱湯に近いお湯をゴキちゃんに注ぎました。これが一番効果的、即効性もあって、床とかを汚さないで済む退治の仕方です。

断末魔の声を上げたかどうか、それはわかりませんが、ゴキちゃんはじきに事切れました。朝からひと仕事でした!

 

 

 

という夢を見ました(^_^;)。

何ででしょう? 昨日ぼんやりと「北海道には昔はゴキブリっていなかったんだよねぇ」なんて思っていたからでしょうか?

さて、実はもう一つ、とある元気のよい商店街の元気娘、二十代半ばくらいでしょうか、その女の子(女性)が突然、その商店街にあるお寺の住職さんに夢中になってしまい、大騒動を巻き起こすという夢も見ました。

そのお寺にはなかなかイケメンの若い坊さんが数人もいるのに、その子が恋したのはもう初老の住職。年の差いくつどころか、ほぼ親子。もちろん住職さんは仏門の身、娘には見向きもしません。

とにかく娘の一方的な情熱が空回りして、というドタバタコメディーな夢でした。これはどういう暗示なのでしょうね?

では、研修旅行二日目です!

もう少し整理したいと思うのですが……

同じ本を2冊、時に3冊買ってしまうことがあります。

もちろん一時に買うのではなく、店頭で目にして「あっ、買っておかなきゃ」と思って買うのですが、いざ自宅へ持ち帰って書架に収める段になると同じ本がそこに置いてある、という具合です。

「どうして買った本を覚えていないの」と問われれば、「しょっちゅう本を買っているから」としか答えようがありません、いろいろ買っているので「これはまだ買っていないだろう」と思ったつもりが、既にちゃんと購入済みだったというわけです。

ふだんは手に取らないようなジャンルの本であればそういうことも少ないのですが、興味のあるジャンルの本だとこうした間違いを犯してしまいます。特に中国関係ですとその傾向が強いです。複数買ってしまうよりも、まだ買っていなかったことを恐れているのでしょう。

自覚があるので、最近はその場では買わずにタイトルをメモし、一度家に帰って自宅の書架を確認してから買うようにしていますが、それでも買ってみたら「やっぱり持ってた」ということがあります。なんでそうなるのか、さらに考えてみますと、本が多すぎるから全部を把握し切れていないためだとわかります。

上の写真は、廊下に置いてある書架です。もう自分の部屋は満杯なので、天井に達するほどの薄型の書架を置いていますが、ご覧のようにもういっぱいです。おわかりのように、薄型の書架ということもあって、文庫や新書が多いのですが、一応はレーベルごとに並べています。

しかし、これだけ増えてくるとレーベルごとに置けなくなってきます。端の方や上の方の棚はいろいろなレーベルがごっちゃに置かれていたりします。そうなると、既に買ってあった本なのか、まだ買っていない本なのかがわかりづらくなってしまうのです。

以前にもアップしたことありますが、あたしの部屋の書架は既にこんな状態です。写っているのは、ほぼ中国で発行された本です。中国で発行された書籍は、ここに写っている量の数倍もの分量があたしの部屋に置いてあります。

そして下の写真。これも以前に一度書きましたが、あたしの部屋の書架に置いてある文庫や新書です。写っているのは、昔懐かしい装丁の、講談社現代新書です。

このようにレーベルごとで並べていたのですが、足りなくなって新しい書架に置くようになり、それが積もり積もって、どのレーベルがどの書架にどれくらい置いてあるのか、把握しきれなくなっているのです。

上の写真は中公新書です。これも既にこの書架は満杯なので、一枚目の写真、廊下に置いてある書架にかなり並んでいます。こうして2か所くらいにまとめられればよい方で、岩波文庫などは4か所くらいに分かれてしまっているので……(汗)

上の写真は、中華書局の「二十四史」の棚。これも前にアップしたことがありますね。人名索引や地名索引なども数十冊はあります。最近は、こうした中国発行の書籍は買わなくなって久しいですが、これらをいつの時点で処分することになるのか……

こんな状況なので、どの本がどこに置いてあるか把握しきれなくなっているのです。中国発行のものは、だいたい経史子集でまとめるようにしているのと、最近買っていないのでまだましですが、それでも中国へ行くことがあったら、古い時代の北京や上海の写真集とか、買っちゃうんだと思います。

死んだ!

この夏、クワガタをもらったと、以前書きました

小学生の時以来の昆虫飼育、この歳になっても、それなりに心躍るものですね。

が、悲しいことに、じきにオス、メスそれぞれ一匹が死んでしまいました。飼い方が悪かったのか、と言われても、小学生以来なので、それに小学生の時だって決して気を遣って飼っていたわけでもないので、ノウハウなんてありません。カブトムシ、クワガタムシ用のエサをホームセンターで買ってきて与えていただけです。

オスが一匹だけになってしまったクワガタ。

その後、妹のところの姪っ子が欲しがったので、夏にわが家へ遊びに来たときに持って帰らせました。そして、姪っ子たちは喜んで世話をしていたようです。

先日、姪っ子たちの運動会を見物に母と二人、妹の家へ行きましたが、その時もクワガタは健在で、元気に籠の中を歩き回っていました。

それが、昨日、妹から連絡があり、朝起きたら死んでいた、とのこと。クワガタの寿命がどのくらいなのか知りませんが、長生きと言えるのでしょうか、それとも越冬させることもできたのでしょうか?

子供がのびのび、すくすくと育っている! と言えば聞こえはよいけれど、その実態は……

まだその話をしているのか、と思われるかも知れませんが、昨日の姪っ子、甥っ子の運動会の話です。

小学校ですから1年生から6年生までがいるわけで、体の大きさがかなり違います。1年生と6年生の差、というだけでなく、1年生の中にも幼稚園児のように小さい子もいれば、高学年と思えるくらい大きな子もいますし、6年生でも大人びた子も入れば、低学年が紛れ込んでいるような子もいました。

それに関しては昔だって、自分が小学生のころだってそうだったはずなので驚きはしませんが、今回感じたのは、子供の中にふくよかな子が多いということです。はっきり言ってしまえば、デブということです。

そりゃ、あたしが子供のころにも太った同級生はいましたし、学校の中に何人もいました。みんながみんな痩せていたなんて言うつもりはありません。

しかし、今回、久々に小学生を大量に見て、太った子が昔に比べて多くなったような印象を受けました。そして、子供がそうであれば親もそうであるのが当たり前のように、ふくよかな両親が多かったです。

妹に言わせると、田舎なのでクルマ社会だから歩かなくなってデブが多い、とのこと。確かに、たかが小学校の運動会なのに、学校の周囲の道は路上駐車だらけで、大型車だと横を通るのにひと苦労する状態でした。小学校なんて、そんなに遠くから通っているわけはないのだから、クルマで来る必要がどこにあるのでしょう? あたしが小学校の時は、やはり多くの親が見に来ていましたが、クルマできているような親はいなかったはずです。親もデブ、子供もデブ、デブだから歩くのが大変なので、ちょっと近くへ行くにもクルマで行く、そんな地方の現状が見事に表われた光景でした。

ところで、運動会ではさまざまな場面で音楽が流れています。運動会用の音楽集などもあるのでしょうけど、創作ダンスなどでAKB48をはじめとしたアイドルたちの楽曲もずいぶんと流れていました。

あれって、著作権使用料みたいなものはクリアされているのでしょうか? あたしはこのくらいはよいのではないかと考える立場ですが、昨今のJASRACは街のピアノ教室からも徴収しようとしているようですので、小学校の運動会で使われる歌手の楽曲、問題にならないのでしょうか?

そんなことを考えながら、子どもたちのダンスを見ていました。

下痢止めと止瀉薬

少し前からこんなCMを見かけるようになりました。

ビオフェルミン下痢止め」のCMです。以前は、「ビオフェルミン止瀉薬」のCMがよく流れていたと思うのですが、最近は「下痢止め」の方ばかりが流れているようです。

サイトを見ますと、どちらの製品もあるようで、別に名称が変更になったわけではありません。

「止瀉薬」時代、CMを見るたびに、「下痢止めという表現だと、やはりあまりにも露骨なのでお茶の間に流れるテレビCMとしてはふさわしくないから止瀉薬なんて難しい言葉を使うのかしら?」と思いながら見ていたものです。しかし、このところ、「下痢止め」ばかりを見かけ、テレビでは「止瀉薬」はとんとお目にかかれません。

もちろん別々の製品なので、メーカーが今は「下痢止め」の方をプッシュしている、という事情もあるのでしょうが、やはり「止瀉薬」ではわかりにくい、という理由もあったのではないでしょうか? 第一、止瀉薬って耳だけで聞いたとき、どれくらいの人が下痢止めだって理解できるでしょう? 更に言えば、止瀉薬ってすぐに漢字で書ける人はどのくらいいるのでしょう?

背に腹は代えられず、やはり商品ですから知られて買われなければ意味がありません。それで「止瀉薬」から「下痢止め」になったのでしょうか?

ところで、ビオフェルミンの「下痢止め」と「止瀉薬」って、効能など何が異なるのでしょう? サイトの説明ではよくわかりません(汗)。ちなみに、あたしは正露丸が好きです。

人間牧場?

奇妙な夢を見ました。

あたしは広大な牧場にいます。幼稚園だか保育園の子供たちとペアになって牧場を散策するという活動のようなものに参加していて、あたしも女の子と一緒に牧場を散歩していました。もしかしたら姪っ子だったのかも知れませんが、今年度から一番下の姪っ子も小学生になりましたので、このあたり夢というのはいい加減です。

で、その牧場ですが、牛がいたり、作物が植わっていたりして、のどかです。

歩いていたら牛がいたのですが、よくいるようなホルスタインでもなければ、松阪牛のような、スルッとした感じの牛ではありませんでした。種類はわかりませんが毛むくじゃらで、大きさもかなりの巨体でした。もちろん牛ですからゾウほどの大きさはないにせよ、子象くらいはありそうな、ふつうの牛よりははるかに大きなもので、だから顔だってものすごく大きく、一緒にいた女の子は泣き出してしまったくらいです。

女の子が怖がるので、あたしはその子を抱っこして牧場を散歩していました。何が植わっていたかは覚えていませんが、野菜とか果物などの畑が広がっていた記憶があります。そんな牧場の中、抱っこしていた女の子が「ヒトがいる」と言いました。その牧場には他にも何組も大人と幼稚園児のペアで来ていましたが、牧場が広いのであたしたちの周囲、目の届く範囲には他のペアはいなかったはず、いるのは鎖に繋がれた牧羊犬が数匹です。

女の子が指さすのはその犬のことで、なんと気づいたら、それは犬ではなく、人間だったのです。浮浪者のように髪も髭も伸び放題、半裸というか全裸に近い男性だったと思いますが、とにかく人間です。人間が何人か鎖に繋がれているのです。

近づいても唸ることはなかったですが不気味です。目をギロギロさせて睨んでくるわけでもなく、焦点の定まらない視線はどこを見ているのやら……。そのうちの一匹、否、一人が我々に気づくと、いきなり話しかけてきました。

自分たちは季節労働者のようにこの牧場に雇われて、牧羊犬ならぬ牧羊人として家畜の番をしたり、畑を荒らされないように見張っているのだとのこと。確かに、米や果物が盗まれる事件が続いているというニュースもありますが、なんで人間がこんな畜生のようなことをさせられているのでしょう?

どうも、差別というか階級といいますか、そんなものが厳然としてある世界に迷い込んでしまったような夢でした。大牧場を経営する富裕層とその牧場で犬のように働かされる貧民層。そんな牧場に、遠足のように見学に来ているあたしたちはいったいどちらの側の人間なのでしょう?

いろいろ考えさせられる夢でした。さすがに、人間自体を家畜のように飼うところまでは行っていませんが、この世界が進んだら、いずれそういう事態も起こるのではないか、そんな気もします。

色彩のセンス

承前。

本の装丁に関して、しばしば社内の同僚と意見が異なるわけですが、それって子供のころからの育った環境のせいなのでしょうか?

と考えていたら思い出したことがあります。

小学校の何年生だったか忘れましたが、授業参観があったときのことです。たぶん二学期に入ってからのことだと思いますが、先生があたしたち生徒に「夏と言えば何色をイメージしますか?」という質問をしました。最終的にアンケートを取ったのかは覚えていません。あたしの他に何名くらいの生徒が答えたのかも記憶にはありません。

覚えているのはただ一つ、あたしも先生に指名されて答えたのですが、その答えは「茶色」というものでした。

夏と言えば茶色。

これって小学生の答えとして正解なのでしょうか? 今にして思うと、先生は太陽の赤、海の青、ひまわりの黄色、といった色を答えることを期待していたのかも知れません。しかし、あたしの答えは茶色です。

そのことをよく覚えているのは、家に戻ってから授業参観に来ていた母親に「なんだってお前は茶色なんて答えたんだ」と言われたからです。あたしとして、何のおかしなところもない、至極まっとうな答えのつもりだったのですが……

あたしの頭の中では、夏休みに林の中でカブトムシやクワガタムシを捕った思い出が残っていて、その虫の色が、黒光りと言うよりは茶色、焦げ茶だったこと、林の中の地面は土なのでやはり茶色、カブトムシなどを留まらせるための木も茶色、という風にとにかく茶色のオンパレードだったのです。

夏と言えば茶色に何の疑いを挟む余地はありません。

この夏の思い出、色彩センス、やはり他の児童とは異なっていたのでしょうか?