遅れてきたエイプリルフール

4月1日がエイプリルフールというのは、ほぼ誰でも知っていることでしょう。アメリカなどでは大企業が本気の嘘広告を出したりするらしいですが、日本ではあまり見ないですね。信じやすい国民性なのでしょうか?

で、あたしですが、特に嘘などついていませんが、エイプリルフールが過ぎ去ってから、それっぽい夢を見ました。どんな夢かと言いますと、あたしが会社を辞めるとエイプリルフールのネタとして嘘をついた夢です。ところが、あたしは嘘のつもりだったのですが、それがなぜか本当になってしまい、辞めるつもりもないのに会社を辞めることになってしまったという夢でした。

うーん、これが正夢だったら怖いです。どこでどう間違ったらそんなことになってしまうのか? それとも、実はあたしの心の奥底に会社を辞めたいという本音が隠れているのでしょうか? とにもかくにも、わけのわからない夢でした。

ところで、今朝の星占い、局や番組によって結果が全然違うのは気にせず、あたしが見ていたテレビ朝日系の「ゴーちゃんほし占い」では、かに座は第三位でした。それはまあよいのですが、「幸運のカギ」は「ベストセラー小説」なのに、ご託宣では「専門書をチェックするとうれしい発見が」とありました。

ベストセラー小説も気にしながら、専門書もチェックするとは、なかなか忙しいものですね。でも結局どちらもやってないんですけど……

まだちょっと早い井の頭公園

昨日から、妹が姪っ子と甥っ子を連れて遊びに来ています。

いや、この表現は正しくないです。

正確には、昨日はあたしが代休を取って(←まだ消化していなかった、先日の関西ツアーの休日出勤分が1日残っていたので)、朝からマイカーで妹宅(沼津)まで迎えに行き、昼前にわが家に到着していたのです。

天気もよく、まだ時間もあるということで、昨日の午後は皆でららぽーと立川立飛まで買い物に行って来ました。ちなみに、ここのタワーレコードは欅坂46の志田愛佳推しの店員がいるということで、欅坂オタには聖地の一つと呼ばれている場所でもあります。

甥っ子姪っ子連れでしたのでタワーレコードはこっそり横目でチラッと覗いただけですが、相変わらずの店頭ディスプレイでした。その代わりと言ってはなんですが、久しぶりにオリオン書房を覗いてきました。

さて、閑話休題。

明けて本日。昼前から井の頭公園へ出かけてきました。姪っ子が、井の頭公園の動物園モルモットを抱っこしたいと言ったので、それに行ってみたわけです。

それにしても井の頭公園、何年ぶりでしょうか? 小さいころは家族でよく来ていましたし、何回かに一回は動物園も見学していました。ゾウの花子が死んじゃったんですよね。あたしが小さいときから人気者でした。

で、リス園でリスが動いているところを動画で撮影してみました。予想以上のすばしっこさですね。あんなに走るのが速いとは! そういえば、昔々、ライオスネコーヒーキャンディーのCMでキャンディーを持って逃げるリスをアメフトの選手が追いかけるというのがありましたが、あのCMのリスがそれほどすばしっこい印象はなかったですけどね。

そうそう、井の頭公園の桜はまだちょっと早いですね。一部、咲き始めていましたけど!

人と語り合う?

昨晩のトークイベント。

「大人の読書会」というのも話題の一つでした。

読んだ本について、好きな本について人と語り合うというのは自分にはない視点、着眼点が発見でき、とても愉しい場だと言います。果たして本当なのでしょうか?

あたしは昔から本が好きでしたけど、人と話しても意見が合いません。

いや、意見が合わないのは「自分にはない視点」として歓迎すべきことなのでしょうが、あたしの場合、ほぼ全員から「それはおかしい」とか、「そう思うのはおまえだけだ」と指摘され、愉しい思いを経験したことがありません。

所詮、他人に語っても理解してもらえない、だったら言うだけムダ、だと思います。

そんなことはない。おまえの伝え方はよくないのではないか、という考え方もあるでしょう。でも、一生懸命他人に伝えるための努力をする時間があるくらいなら、そんな手間をかけているのなら、一人で本を読んでいた方がよっぽどマシです。

そんな人、多いのではないでしょうか?

昨夜のように、人の話を聞いて面白く感じることはあります。でも、自分の考えを理解してもらえる自信もなければ、そんなことに時間をかけたいとも思いません。一方的に聞いているだけで、聴衆の一人で十分です。まさにネット世界のROMですね。

でも読書って、ある意味、著者の意見を一方的に聞くだけです。もちろんそこから自分でいろいろ考えることはあっても、それを著者にぶつける機会などほとんどありません。トークイベントや講演会を聞きに行くのも、行為としては同種なのではないか、そんな風に思います。

だから、あたしには読書会は無理です。

願わくば花の下にて春死なん、その如月の望月の頃、なんてメランコリックな気持ちになりがち?

このところ華やかな衣裳をまとった女性を見かるようになりました。

はい、卒業式の着物です。振り袖の女性もいれば、袴姿の女性もいます。振り袖だと成人式っぽくもありますので、やはり袴姿が多いでしょうか?

で、そういう華やいだ女性に見とれるということもなくはないのですが、今年の場合、なぜか一緒にいる父母に目がいってしまいます。

少し前まで、大学を卒業するような子供を持つ人は明らかにあたしよりも年上でした。しかし、今年気づいたのは、そんな卒業生と一緒にいる父母がどうもあたしと同じような年齢になっているということです。

つまり、あたしが人並みの人生を送っていたとして、ごくごくフツーに恋愛をし、しかるべき伴侶を見つけていたとしたら、今ごろはあんな風に娘なり息子なりの卒業式、それも大学の卒業式に参加していたのかなあ、ということに改めて思い至ったというわけです。

もちろん晩婚化が進む昨今、どの親もあたしと同年輩とは言いません。やはりあたしより年上とおぼしき人の方が多いように感じられます。でも、明らかにあたしと同じくらい、いやもしかしたら若いかな、という人もチラホラ見受けられるのが今年の大きな特徴なのです。

これはちょっとショックです。どこであたしの人生狂ってしまったのでしょう?

ここまで来るにはいろいろあったかもしれないけれど、そんなことを乗り越えて、とりあえずは幸せそうな親子の図、というのを目にしてしまうと、少なくともあたしの人生にはそういう類の幸せはありえないんだなあとという現実を突きつけられている感じです。

そういう幸せが欲しかったのか、と問われると、あたしは昔から子供好きでしたので、子供は欲しいとずーっと思っていましたので、欲しかったという気持ちが少なからずあります。もちろん、ある程度大きく育った子供を可愛がれるのか、持ったことがないので自身はありませんが……

見比べてみると面白い!

本屋の店頭で似たような本が並んでいました。

 

紫紅社の『日本の女性風俗史』と光村推古書院の『日本服飾史(女性編)』です。

前者にはご覧のように内容紹介動画まで用意されていますが、これでおわかりになるかと思いますが、歴史上の様々な衣裳を着た女性の写真が、まさに色鮮やか、絢爛豪華に登場する一冊です。

それに対して後者ですが、内容としては前者と同じような本です。そしてウェブサイトには数ページ分の見本が載っています。その見本ページをご覧いただければわかるように、こちらの本では歴代の衣裳がイラストで紹介されています。

さあ、ここで両者を見比べてみるとなかなか面白いです。生身の人間が衣裳を着ている前者はリアルではあるものの、ちょっと印象が強すぎて、衣裳の記憶が残りません。後者の方があたしの好みではあったのですが、如何でしょう?

電波時計問題、再び

少し前に、あたしん家の電波時計について書きましたが、最近ちょっと面白い現象を発見したのでご報告。

下の写真は、わが家のリビングに置いてある時計です。

取り立てて特別なものではありません。セイコーの製品、壁掛けではなく置き時計、テーブルの上に置いています。液晶がグラデーションでいろいろな色に変わるところが売りのようですが、あたし的には夜、部屋の電気が消えているときでも液晶が明るく光っているので時刻がわかるところがポイントでした。

これがどうした? と言われそうですが、以前のダイアリーでは電子レンジの近くの時計は電波を受信できないと書きました。この時計も電子レンジ台で電子レンジのすぐ上に置いておくと電波を受信できません。

しかし、いま置いてある場所はやはり電子レンジの近く。ただしレンジの上ではなく、少し下の方、テーブルの上です。ここだと電波を受信できています。電子レンジの磁力がどちらの方向に、どのくらいの強さで出ているのか知りませんが、とにかく距離的にはほとんど変わらないのに、ここだと電波が受信できているのです。

が、ご覧ください。よく見てください。最近の電波時計の受信マークの部分ですが、この表示が正しいのであれば、この時計は東日本ではなく、西日本の電波を拾っていることになります。

電波時計の電波は東日本と西日本とそれぞれの送信所から発せられているということは知っていましたが、その送信所、わが家の場合、どう考えても東日本の方が至近です。はるかかなたの西日本の電波をどうして受信しているのか? 確かに東京にも西日本の電波は届いているようではありますが。

ちなみに、わが家の他の電波時計で、東か西かわかる機能が付いているもので確認すると、この時計以外はすべて東日本の電波を拾っています。この時計の個性なのか、この場所の問題なのか。悩みは尽きません(笑)。

日本語の美しさ

確か高校時代のこと。

日本語の文章を書くときに漢字ばかりだと紙面が黒々としてしまうので適度に平仮名に開いて書くと美しい。漢字と平仮名のバランスが見事なのは三島由紀夫の文章だと、国語の教師が言ったのを覚えています。今となっては、どの先生だったのかも覚えていないし、本当に国語の教師だったのかも忘れてしまいましたが、この発言内容だけは鮮明に覚えています。

果たして三島の文章が美しいのか否か、あたしには判別できませんが、その時に教師が挙げたのは『潮騒』でした。齋藤飛鳥(乃木坂46)の写真集『潮騒』ではありません(爆)。

 

と言われても、『潮騒』も含め、当時も今も三島の作品を読んだことがないのですが、確かに文章中の漢字の割合は気になるものです。ただし、このバランスが美しいと一概に言えるのか、そう思います。

漢字が苦手な人には漢字の多い文章は見ただけでウンザリでしょうけど、日本語の特性から言って、ある程度漢字を使わないと意味が判別しづらいのも事実です。最近読んだ本では『<軍>の中国史』の漢字(平仮名?)の使い方がちょっと読みづらかったです。

たぶん中国ものは人名や地名など、それでなくとも感じばかりになるので、それ以外については出来るだけ平仮名を使うようにしたのだと思いますが、あまりにも簡単なものまで平仮名になっているので却って読みづらかったです。

確かにあたしのように中国史に慣れている人は、漢字がたくさん並んでいてもそれほど苦にならないでしょうけど、一般の方だとこのくらいが調度よいのでしょうか? しかし、このテーマの本を一般の方がどれくらい読むかという問題もありますし、難しいところだと思います。

民謡がブーム?

このところ、朝日新聞の夕刊で始まった連載「民謡をたどって」。

実はあたしの勤務先で、以前『民謡秘宝紀行』という本を出していました。現在は品切れなのですが、在庫があれば注文が殺到したでしょうか?

ラッシュ時の電車内、リュックサックのマナーが乱れていませんか?

混雑した電車の中では、リュックは背中ではなく、お腹側に背負う(抱える)ように持ってください。

これはしばしば駅や電車内のアナウンスで言われるセリフです。車内を占領する幅(厚み)としては前に持とうが背中に背負おうが同じかも知れませんが、やはりお腹側に持つ方がよい感じですよね。

こういうアナウンスがされるようになってだいぶたちます。ひところは乗り込む前に背中からリュックを下ろして前に持ち変える人も多く見られましたし、現在もそういう人は多いです。

が、なんとなくなのですが、最近またリュックを背中に背負ったままの人が増えているような気がします。それもラッシュ時間帯に。男女を問わず学生に多く見られますし、若い女性も増えている感じです。

で、その理由というか、犯人捜しをするわけではありませんが、それって最近リュックが流行っていて、背負う人が増えたからなのではないかと思うのです。

アネロというブランドのリュック、最近街でよく見かけませんか? かくいう、あたしも一つ持っているのですが、カラーもいろいろあり、サイズも何タイプかあり、革っぽいもの、モコモコのもの、大人から子供まで使えそうで、気づくと女の子を中心にこのブランドのリュックを背負っている人がやたらと目に付きます。

で、にわかにリュックを背負うようになって、ラッシュ時間の電車の乗り方、マナーをよくわかっていない人が多いのではないか、そう思うのですが、如何でしょう?

未体験は不体験?、非体験?

この歳になると、これまでの人生で体験してこなかったことは、恐らく一生体験せずに終わるのではないかという気がしてきます。

いや、気がするだけではなく、本当に体験、経験せずに人生が終わるのだろうという確信のようなものがあります。

どんなものが未体験かというと、例えばスキーやスノボといったウィンタースポーツほぼ全般。たぶん、これから始めたらケガをするだけだと思います。決して運動神経がよい方ではないので。

チャンスはありそうですが、全く足を踏み入れたことがない都道府県というのも数県残っています。これはこれからも仕事で行く機会があるかもしれないので、日本全国全都道府県制覇はできるかも知れませんが、ほとんど数時間しか滞在せず、巡った場所も書店だけでは果たして「行ったことがある」と言ってよいものか……(汗)

それとタバコ。これは全く吸ったことがありません。よく大人に憧れて高校時代に一回くらいは、という話も聞きますが、あたしは高校の頃からタバコが嫌いだったので(自宅では父が吸っていました)、そんな憧れを抱くこともなく現在に至っています。タバコ嫌いはタバコだけでなく、「吸う人も基本的には嫌い」というレベルにまで昂じているので、タバコは一生吸わずに終わると思いますが、これは誇ってもよい未体験ではないでしょうか?

と、なんでこんなことを書き出したかと言いますと、昨日のダイアリーの湯島の話、あんなことを書きましたが、よくよく思い出してみると、ダイアリーにも書いたようにあたしは合格祈願へ行っていないわけですが、それだけでなく初詣も生まれてこの方行ったことがないのではないかと思ったからです。

別に神社仏閣に拒否反応があるとか、別の宗教を信仰しているとか、そういう理由ではありません。むしろ寺社巡りは大好きです。高校から大学生のころは朱印集めにもはまっていました。ですからお寺や神社は割と行く方だと思います。

が、初詣には行ったことがないのです。いや、正確に言いますと、20年か30年前に家族で一度明治神宮へ行った記憶がうっすらとあるのですが、とにかくあの人出、混雑に閉口し、二度と行くものかと思ったものです。ですから、全くないわけではなく、一度だけはある、のです。

正月明けの番組などでタレントが、友達や家族と近所の神社へ初詣に行った、などと話しているのを見かけますが、そういうこともありません。母もあえて行くことはないようです。

初詣に行っていないので、恒例のおみくじも引いたことがありません。筒を振って棒が出て来て、その棒に書いてある番号を申告すると巫女さんがおみくじを渡してくれるのでしたっけ(?)、そういうのをやったことがありません。お金を入れてガチャガチャとレバーを回すとおみくじが出てくる、そんなのをやったことがあったかなあ、というおぼろげな記憶です。

とまあ、正月のテレビなどで初詣のニュースを見、タレントのブログやツイッターでその手のニュースを読むにつけ、「あたしはそういうの、したことないなあ」と思い知る今日この頃でした。

ちなみに、このダイアリーを時々読んでいる方ならおわかりと思いますが、あたしの人生で未体験のまま終わりそうなもので最大のものは結婚です。いや、その前提として恋人を作るということにすら行き着いたことはないので、これもこのまま人生の幕を下ろすことになりそうです(涙)。