買い出し?

この前の日曜日から妹家族が来ています。早いもので、一番上の姪っ子が小2、二番目の甥っ子は年長、一番下の姪っ子が年中ということで、4月からはついに小学生が二人、次の年には全員小学生になろうとしています。

思い出してみますと、一番下の子が生まれたのは3月1日。ようやく産院から退院した妹が子供三人を抱えて自宅生活を始めた矢先、東日本大震災が起こったのです。その当時はまだうちの近所に住んでいたので、すぐに母が素っ飛んでいって、アパートの妹宅よりも戸建てのわが家の方がまだ安心かと、じきにわが家へ移動して、あたしと妹の旦那の帰宅を待っていたのでした。

あたしたち大人にとっては東日本大震災もつい先日のことのような気がしますが、姪っ子を見ていると、もうこんなに大きくなって、月日がたつのは早いものだと実感します。

閑話休題。

さて今日は、妹夫婦と上二人は外苑前駅からほど近いわが家の菩提寺兼墓所へ、「たまには父親の墓参りでもしないと……」ということで四人で出かけ、そのまま原宿あたりを買い物しながらぶらぶらしてきたそうです。子供たち二人は初原宿。もう少し大きくなったらもっと楽しくなり、友達同士で来るのようになるのでしょうが、とりあえずは人生初めての原宿を楽しんだようです。

そしてあたしと母、それと一番下の子は、こちらは三人で新宿の高島屋の地下へ買い物へ行きました。なんで高島屋まで行ったのかといいますと、そこに京都の漬け物屋、村上重が出店しているからです。毎年秋に、あたしが京都出張へ行ったおりに村上重で漬け物を買ってきていたのですが、今年はその出張がなかったので、東京の高島屋で済ませたというわけです。

師走の新宿、百貨店の食品売り場ですから、もっと混んでいるかと想像していたのですが、そりゃ確かに人は多かったですが、思っていたよりは少なめでした。明日が混むのでしょうか? それとも不景気で高島屋へ買い物へ来る人が減っているのでしょうか?

買い物を済ませて、折角なので姪っ子たちにケーニヒスクローネのスイーツを買い、さてお昼はどこで……

お土産に中村屋のカリーパンを買っていこうと思っていたので、地下道を中村屋まで歩き、そうだ、ここのレストランで食べていこうと決め、なんとほんの5分くらい待っただけですんなりと入れました。姪っ子には中村屋のカリーはちょっと辛いのでと案じていましたが、オムライスもメニューあり、姪っ子はとても美味しいと言って頬張るように食べていました。あたしはもちろんカリー。さすがの味です。

その後、カリーパン、ピロシキパン、中華海鮮パンを買って、新宿駅から中央線で帰宅、という買い出し(?)の旅でした。

探しものは何ですか?

昨日の帰路のことです。書店回りの後、買い物をしました。ちょっとした文房具で、金額も2000円ちょっとです。

そして中央線。

仕事のための重い鞄を肩から提げ、今し方買った文房具の袋、スーパーやコンビニで商品を入れてくれるようなビニールの袋ですが、それを手に持って乗り込みました。車内で当然のことながら読書です。鞄から取り出して本を広げて読み始めます。

いつもなら鞄を肩から提げたまま、片手で本を持ち、片手は吊り輪を掴む、という恰好になりますが、この日は買い物をしたビニール袋で片手が塞がっていました。なので、そのビニール袋を網棚に載せて本を読み始めたのです。文房具ですから、ややかさばるとはいえ、それほど重いものではなく、重さだけを問題にするなら仕事の鞄を網棚に載せる方が理にかなっています。網棚は他の客の荷物でいっぱいになっているわけではなく、十二分に余裕がありましたから。

しかし、あたしは鞄は肩から提げたまま、ビニール袋の方だけ網棚に載せてしまったのです。そしてその後は本の世界にどっぷり。乗った電車は中央特快。新宿からだと中野、三鷹、国分寺と停車駅が少ないのが嬉しいところ。いつもなら、特快に乗れた場合は国分寺まで行き、そこからバスで帰宅するのですが、この日は武蔵小金井北口のダイソーで更に買い物をするつもりがあったので、三鷹で特快を降り、快速に乗り換えました。

特快から降りたあたしは、三鷹駅のホームを少し歩いていました。武蔵小金井駅で階段に近いドアに乗り込もうと思っていたからです。そして乗ってきた特快は発車していきました。その刹那、網棚の上にビニール袋を置き忘れてきてしまったことを思い出したのです。

あっ、と思ったときには後の祭り。特快はスピードをあげて三鷹駅から離れていきます。とにもかくにも駅員に伝えないと、と思ったあたしは三鷹駅の改札口へ向かいました。だって、ホームに駅員なんていませんから。すると、総武線・東西線のホームにある遺失物取扱所へ行くように教えられ、更にそちらへ。そこで、乗ってきた電車と乗っていた車両、忘れ物を置いた網棚は進行方向右側か左側か、忘れ物は何か、形状は、などを聞かれました。

この時既に特快は次の国分寺に着いていたでしょう。係員はダイヤとにらめっこして、終着である高尾駅へ電話して車内捜索を頼もうとしたのですが、電話には誰も出ず。とりあえず、その場は仕方なく氏名と連絡先を伝え、何か見つかったら連絡しますという言葉を頼りに、再び中央線に乗り込みました。

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中→日→中

今朝の朝日新聞の紙面です。

みんなのたあ坊の菜根譚 新装版』の広告です。『菜根譚』といえば中国の古典。『論語』や『老子』『孫子』といった古典ほど著名な作品ではないかもしれませんが、人生訓として根強い人気を誇るものです。この手の名言、箴言集って、なんだかんだと言って、手を変え品を変えてっずーっと売れてますね。悩める人が多いのでしょうか?

それがこのたびは「新装版」となって登場です。上で「手を変え品を変え」と書きましたが、時代の空気や人々の気質に合わせどう変えていくのか、そこが長く売れる秘訣なのだと思います。イラストをふんだんに加えたり、1ページに大きな文字で1行か2行しか書いていないようなレイアウトにしたり、もうアイデアは出尽くしたのではないかと思うと、また別なタイプが出てきますからすごいものです。

今回の「新装版」は英語と中国語を加えたのが売りのようですね。なぜ日本人向けの名言集に英語訳と中国語訳が付くのか、あたしのような凡人にはその意味がわかりません。『菜根譚』の気に入った一節を英語で言ってみたいと思う人がそんなにたくさんいるのでしょうか? あるいは出版社としては英語圏の人にも売ろうとしているのでしょうか?

まあ、この国際化時代ですから百歩譲って英語訳が付いているのは理解するとして、問題は中国語訳です。これも世界を席巻する中国経済を考慮してということなのでしょうか? 確かにこれからの時代、英語が国際語なら中国語だって十分国際語と言えるかもしれません。

ただ、考えてみますと『菜根譚』って中国古典ですからもともと中国語で書かれているわけですよね。もちろん古典中国語、日本人ならいわゆる漢文ですから現代中国語とは異なりますけど、それでも本来中国語だったものを日本語に訳し、さらにまた中国語に訳すなんて……

たとえて言えば、『源氏物語』を英語に訳し、その英語訳からまた日本語に訳す、といったところでしょうか? 日本人だったら『源氏物語』を原文で読める、というわけではないので、だからこそ谷崎をはじめ多くの人が現代語訳を試みているわけですから、『菜根譚』だって原文のまま読める中国人は多くないと思います。現代中国語訳は便利だとは思います。

でも、それを言うなら、中国でも古典の現代語訳は多数出ています。『論語』の現代語訳だけでもいくつもあるでしょうし、有名な中国古典は軒並み現代語訳されています。となると、この『菜根譚』の中国語訳って誰のためのものでしょうか? これで中国語を勉強するとは思えませんし、中国に売り込むとも考えられませんし……

うーん、ちょっとわかりません。

上の写真も今朝の朝日新聞の広告。雑誌の広告ですね。雑誌名や特集のタイトルを見ればわかるはずなのに、あたしメイン特集「今すぐホオジロ類に会いに行こう」を見て、「ホオジロザメって、そんなに種類があるのかしら?」と思ってしまいました。だって「類」って書いてあるのですから、少なくとも数種類はいるんだろうなと思ってしまったのです。

寝るのが遅くても早く目が覚める!

早く寝たら早く目が覚めてしまうと書いたばかりなのですが、どうもそうではないようです。

昨晩は版元仲間との飲み会で、自宅に帰り着いたのは11時くらい。既に飲んでいる時点であたし的には寝る時間に突入していたのですが、そうも言ってはいられません。楽しい一時でした。

で、帰宅後、風呂、そしてメールチェックなどをこなし、寝床に入ってちょっと本を読み、たぶん眠りついたのが日付が変わるころ。

それなのに、それなのに、今朝も3時すぎには目が覚めてしまいました。別に目覚ましなんかかけていないですよ。自然と目が覚めてしまったのです。

もう、ここまで来ると、体のどこかが悪いのではないか、そんな気さえしてきます。

早く寝ると、早く目が覚めるものよね……

昨日は一日体がだるかったです。

疲れと言うよりは、風邪の引き始めなのかもしれません。

が、たぶん、体力とか肉体的なものではなく、もっと精神的なものが原因なのではないかと思っています。いや、ほぼそうだと確信しています。

だって、あまりにもショッキングなことがあって、だから精神的にものすごくダメージを受けていて、ちょっとやそっとじゃ立ち直れないのではないか、という感じなんです。

とりあえず仕事はしていますし、会社にも行っていますし、人の面前では元気に振る舞っていますが、どんよりとした気怠さ、肩にずっしりとのしかかる重さ、すべて気分的なもの、精神的なものだとわかっているのです。

でも、吹っ切れない……

で、そんなわけなので、昨日は早々に床に入りました。8時すぎには布団に入り、いつものように読書です。でも8時半前には眠くなって寝てしまいました。

小学生か、という突っ込みは置いておき、そんな時間に寝てしまったので、今朝は3時前に目が覚めました。6時間から7時間程度の睡眠時間ですから、決して寝過ぎということもなければ。寝不足ということもない睡眠時間でしょう。

さすがにすぐには寝床からでたりはしませんでしたが、3時半すぎには、もう完全に起きるモードになっていて、4時前に布団から出ました。そんなわけで、今度は逆に今日の昼間に眠くなりました。例によって、体のだるさは継続中です。

風邪ではなく、気分的、精神的なものなので、寝てても悶々、起きても悶々。

こういう状態が長引くと、本当に風邪を引いてしまうのでしょう。なんとか吹っ切らなければ!

実はあたし、平安時代を生きています!

いま読んでいる『性のタブーのない日本』に面白い記述がありました。

貴族社会の人間関係、特に友達関係について述べているくだりです。

この時代の貴族にとって、人間関係というのは身内の家族と、社会的な関係だけなのですね。(P,159)

つまり平安時代の貴族には友達というものがいない、あるのは主従関係、上下関係だけだと言うのです。この部分を読んだとき、「なんてあたしにそっくりなんだ!」と思いました。なぜなら、あたしも人間関係というのは「家族・親戚」「(仕事などで)知っている人」のみだからです。

もちろん現代を生きるあたしには役職上や立場上の上下というのはあっても、人間としての上下ではありませんから、厳密には平安時代とはまるで異なるのですが、家族と社会的な関係しかなくて、友達がいない、友達という関係性を作るすべがないというのは、そのままあたしにも当てはまります。

そうか、あたしは平成の世だというのに、一人だけ平安時代を生きているのかとちょっと納得しました。

ちなみに、あたしにとって人間とは「家族・親戚」「知っている人」「知らない人」の三種類しか存在しません。「毎朝の通勤で見かける人」は、確かに顔くらいは見覚えがあるので「知っている」と言えそうですが、名前を知っているわけでもなければ話したこともないので、あたし的には「知らない人」のカテゴリーに入ります。

つまり、友達はいない、ということです。

リアル・アニマルって?

紀伊國屋書店の新宿本店4階で「リアルアニマルフェア」をやっています。同店のウェブサイトによると

第2期では恒例のジャガード織ネクタイやホッキョクグマのぬいぐるみなど、プレゼントにもぴったりのアイテムが入荷する予定です。

とあったので、どれだけ「リアル」なネクタイが置いてあるかなと期待して、営業回りにかこつけて覗きに行ってみました。が、基本的にはカロラータの商品のフェアです。ネクタイも、あたし的にはビミョーな……

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JR報告

JRにまつわる、ちょっとした体験、二つ。

まずは、帰宅途中の中央線車内でのこと。

途中駅で降りた人がいたので運よく座席に座れました。そしてあたしは本を読んでいたのですが、隣の女性があたしの肩というか、二の腕のあたりを押してきます。あたしに対して無言で「押してくるな」と訴えているような仕種です。

しかし電車の座席って、相当痩せている人同士でもない限り、隣の人と肩が触れ合わないで済ますことなんて出来ませんよね。ましてや夕方のラッシュ時。空いている席なんてありませんから、シートはビッシリすべて埋まっているわけですし。

それなのに数回、そんなことをされました。電車が揺れて、そのために多少寄りかかるようになってしまうのは混雑した電車であれば致し方ないところ。それを執拗に押し返してくるこの女性、相当自意識過剰なタイプなのでしょうか? 見たところ30歳前後でしょうか、自分だって決して華奢なタイプではなく、そして快活そうなタイプにも見えません。

あたしも本を読んでいたのですが、その女性は何かの試験問題集のような、参考書のような本を、ペンを片手に読んでいました。こんな神経質な人では、たぶん試験も失敗するでしょうね。あるいは何度も試験に失敗して後がなく、イライラしていたのでしょうか?

もし、もう一回あたしの腕を押してきたら、「押さないでください。あなた痴女ですか?」と言ってやりたかったところです。

と嫌なこともあれば、よいこともあるものです。

JR東日本の駅構内にある自販機で売っている「FromAQUA」は、現在、乃木坂46とコラボ中です。昔ながらの自販機ではなく、次世代自販機で「FromAQUA」を買うと、モニターに乃木坂46のメンバーが現われて、メッセージが表示されます。

先日買ったときは、まいやん(白石麻衣)が出てきてくれたのですが、今日は、なあちゃん(西野七瀬)が現われ、「ありがとうございました」というメッセージを送ってくれました。

こんなささやかなことでテンションが上がってしまうあたしです(汗)。

荀子の二千年

朝日新聞の読書欄です。

ルシファー・エフェクト』が取り上げられていました。

この本、書店で見て、ちょっと気になっていたんですよね。タイトルからして引かれます。どんな本かってよくわかっていなかったのですが、かの有名な「看守と囚人」の実験をやった方の著作だったのですね。

さて、荻上チキさんの評の中に

善人も「状況の力」によってたやすく悪魔となる。

とあります。この部分を読んで思い出されるのは古代中国の思想家・荀子です。ほぼ二千年前の荀子は既に人間の性は悪であり、善であるというのは間違っている。であるから、放っておくと悪になってしまう人間は絶えず礼によって正さなければならないとならない、と主張しました。

こういうところを見ると、人間観察の鋭さにおいて、古代中国は西洋をはるかに凌駕していると感じます。

 

 

荀子について興味をお持ちの方は岩波文庫の『荀子(上)』『荀子(下)』や中公クラシックスの『荀子』、講談社学術文庫の『荀子』などがお薦めです。

海老名:厚木≒立川:八王子かな?

蔦屋が運営を行なうことになった海老名の図書館が話題です。近いうちに見に行ってみようと思いますが、その海老名、ららぽーとも間もなくオープンしますし、一気にあのあたりの中心地になりそうな感じです。あたしの属する業界にとっても、ららぽーとに有隣堂がオープンするので、これもまた注目せざるを得ない点です。

ところで関東の人でも小田急沿線に住んでいないと、海老名と言われてもどんなところかわかりませんよね? あたしも営業回りをしていなかったら、町田の先はチンプンカンプンでしたでしょう。

と書いたように、海老名は小田急線で新宿を発てば町田よりも先になります。いや、町田からでもそれなりに遠いです。そして、海老名のちょっと先が厚木になります。この海老名と厚木、ほぼ隣り合っているわけですが、これまでの印象では厚木の方が栄えていると感じていました。小田急線の駅でも本厚木の方が賑やかなイメージがありますが、それに対して海老名は相鉄線やJR線との乗換駅にもかかわらず、なんとなく地味な印象でした。

が、それも今は昔。海老名の駅前はビナウォークという商業施設があって、かなり賑やかな印象になっています。それでもJR線側はまだまだ寂しい感じでしたが、そちら側に上述のららぽーとができるので、海老名は駅のどっちの側も賑やかになりそうです。ちなみに図書館もららぽーと側にあります。

あくまであたしの印象ですが、厚木と海老名の立場が逆転しそう、いやすると感じます。こちらのページのデータでは乗降客数は本厚木が上回っているようですが、間もなく抜くのではないでしょうか? いや既に抜いているかもしれませんね。

ところで、この厚木と海老名の関係を見ていて思ったのは、JR中央線の西のターミナル、八王子と立川の関係です。かつては八王子が東京の西の中心地で、新宿発の特急あずさは新宿の次の停車駅は八王子でした。立川なんかに停まるあずさはなかったと記憶しています。もちろん、当時はかいじも存在していません。とにかく東京の西の中心都市は八王子というのが衆目の一致するところでしたし、山梨の人が東京へ買い物へ行くと言えば、それは八王子のそごうへ行くということとイコールだったと聞きます。

しかし、その後八王子はそごうも撤退し、南口に商業施設はできたものの、街全体の地盤沈下は誰の目にも明らかです。それに対して立川は伊勢丹や高島屋があり、駅ビルも賑わっていて、最近ではイケアなどますます商業施設の集積が進んでいるように感じます。

立川と海老名は駅の周囲がデッキで結ばれている点も似ています。海老名もららぽーとができて、東京近郊の賑やかな街という印象が強まってくると思います。もちろん立川は既にそうなっています。

それに対して八王子と本厚木は、「東京近郊の賑やかな街」ではなく、「比較的賑やかな地方都市」という雰囲気が濃厚に漂っています。本厚木など、駅からちょっと離れたところにバスセンターがあるというのは、典型的な地方都市だと思います。

立川と海老名がますます賑やかになり、八王子と厚木がじわじわとさびれていく、というシンクロが見られるのでしょうか? 八王子も立川に負けじと頑張っているように、厚木も何か手を打たないと同じ道を歩みそうだと思うのはあたしの杞憂でしょうか。

ちなみに、厚木、厚木と言いましたが、原則として小田急線の本厚木駅を指しています。小田急線では海老名と本厚木の間に厚木という駅があり、JR線との乗換駅でもありますが、ここは早くから本厚木に厚木の顔を奪われてしまっているようです。