年に数回あるかないか!

今朝は目覚ましで起きました。

あたしが目覚まし時計に起こされるのは、年に数回あるかないかという確率ですので、今日は実にレアな一日であったと言えます。

目覚ましは毎朝4時20分にセットしています。めざまし手起きることはほとんどないのですが、平日は毎晩目覚ましをセットしてから寝ています。念のため、あくまで保険です。ですから、今朝は4時20分に起きたというわけです。

ではふだんは、と言いますと、だいたい4時前には目が覚め、そして起きてしまいます。3時40分から50分くらいの間で起きることが多いでしょうか。前の晩が遅かったり、体調がすぐれなかったり、そういうことでもなければ、だいだいその時間には目が覚めるものです。

今朝は、実は3時20分頃に一度目が覚めました。でも、さすがにまだ起きるには早いし暗いので、もうちょっと寝ているかと目を閉じたら目覚ましが鳴ったというわけです。もちろん、目覚ましが鳴れば、いつまでも鳴らしておくなんてことはせず、すぐに止めて起きます。昔から、目覚ましは1秒か2秒も鳴れば起きられますし、すぐに止められます。

目覚ましを止めてまた寝てしまうなんてことは、生まれてこの方、過去に一度か二度しか経験ありません。それくらい寝起きはよい方です。学生時代には「起きた瞬間から因数分解の問題が解ける」と豪語したものです。そのくらい、寝ぼけているということもなく、起きた瞬間から昼間と同じ頭の働きになるタイプでした。

よくいますよね? 目覚ましを何台もセットして、それでも起きられないという人。親がどんなに起こそうとしても起きない人。あたしはそういうのとは無縁でした。昔から、ほとんど親の助けを借りずに自分で起きられましたから、うちの親は、子供を起こすということで苦労したことはないはずです。

むしろ、ここ数年は母親から「もう少し布団の中で寝ていてくれ」と頼まれるくらいです。が、一度目覚めてしまうと簡単には再び眠れないので、やはり起きてしまうことになります。

これでは、毎晩8時すぎには眠くなってしまうはずです……(汗)

あっ、ちなみに、休日(仕事がない日、早く起きる必要のない日)でも、朝6時には起きます。いつまでもグズグズ寝ているのが嫌いなのです。休日にお昼頃まで寝ているとか、起こすまで起きないとか、そういうタイプの人って「だらしない人」だと思って軽蔑してしまいます。

今ほどではないにせよ、昔から朝は早かったですし、強かったです。

体育の日に思ふ……(涙)

昨日までの三連休。体育の日は10月の10日じゃないとしっくりこないよ、と思ってしまうあたしは、正真正銘、昭和の人間なのでしょうか?

例によって、三連休は引き籠もっていました。家の外へ出たのは、近所のスーパーへ水をくみに行ったくらいです。最近、スーパーなどで専用容器を購入すると、あとは水をくみ放題っていうサービスがあるじゃないですか? あれです。

土曜日の午後、そんな水汲みに外へ出たのですが、ちょうど近所の幼稚園の運動会が終わった頃合いだったのでしょうか、小さい子供連れの夫婦をたくさん見かけました。子供を挟んで見るからに幸せそうな親子連れです。

で、そんな若い夫婦を見ていて思いました。「あたしの人生に、こういう状景が訪れることはないんだな」という実感です。そもそも、いまから結婚して子供をもうけるなんて、たぶん無理でしょう。仮に、ものすごーく奇跡のようなことが起きて結婚でき、子供が出来たとして、その子が幼稚園に上がるころ、あたしは何歳になっているでしょうか? とても土曜日に目撃した若い夫婦の仲間に入るなんてできません。

昨今は男女ともに結婚年齢、出産年齢が上がっていますので、さすがに「おじいちゃんと孫」とまでは思われないにせよ、ああいう若い夫婦の姿を見ていると、「いや、やっぱり孫を連れたおじいちゃん」に見えてしまうだろうな、と思うのです。

これも自分のこれまでの人生の歩み方のせいなので、誰が悪いわけでもありません。若い夫婦の中に入れずに、そのせいで子供が不利益を被るなんて、それも悲しい話です。しかし時間を巻き戻すことはできませんから、あたしが若いお父さんになることはもう不可能なわけで、そうなると、人生においていろいろなことを諦めていかなければならないのだなあ、と改めて思わされる休日でした。

そうそう、こんな本、読み始めました。『<40男>はなぜ嫌われるか』です。

営業部に遷って10年を超えたというのに、あたしはいまだに出版社営業として一人前とは見做されていないのでしょうか?

最近の話です。

郊外の、とある書店に営業へ行きました。バックルームで入店証をもらい売り場へ行くというスタイルのその書店、バックルーム前の廊下にはお店の人でもなければ、出版社の営業マンでもない人が何人かいました。見るからに学生という感じ。何だろうと思ってみていましたが、すぐに理由がわかりました。

その書店はチェーン店の一つなのですが、そのチェーンで近々新規店がオープンするので、新店のバイト面接をその店でやっていたわけです。あたしが見たのはそれに応募して面接を受けに来た人ということです。

あたしの方はいつものように営業を終え、再びバックルームへ戻ってきて入店証を返し辞去しようと思っていたのですが、その廊下の壁に新店の完成予想イラストが何枚か貼ってあったので、つい眺めてしまいました。「ふーん、こんどはこういうお店ができるのか。あたしの担当エリアだからオープンしたら行かないと」などと思いながら見ていたところ、面接担当の社員の人から、「面接にいらした方ですか? ではこちらの用紙に必要事項を……」と声をかけられてしまいました。

「いや、違います。出版社の営業です」と答えたものの、あたしゃ今さっきバックルームから出てきたところですよ、それにバイトに応募するにはいささか年を食っていませんでしょうか、と心の中で思いました。

そもそもバイトの応募資格、特に年齢制限がどれくらいなのか知りませんが、あたしって意外と若く見られたのでしょうか? それでも、あたしが目撃した「いかにも学生」という若さあふれる連中とは一見して違うのがわかるはずです。あたしだって底まで若く見えるだなんて図々しいことは思っていません。

それなら、あたしはどう見えたのでしょうか? あの場所は、あたし以外にも営業に来た出版社の人間が入れ替わり立ち替わり訪れる場所ですから、お店のスタッフでなければ出版社の人間というのが相場だと思うのです。でも、あたしが声をかけられたということは、少なくとも出版社の営業には見られなかったということですよね。

うーん、情けない。

あたしって、別に営業としての貫禄が欲しいとまでは思いませんが、出入りの業者に見えないほど冴えない人間なのでしょうか? いや、確かに自分でも自覚していますが、あたしは見た目は貧相で、第一印象もよくない、否、悪いタイプですから、営業には向いていないことはわかっていますけど、それでももうかれこれ十年は営業をやっているのですが……

あえて言い訳をするならば、声をかけてきたスタッフの人はチェーンの本部から来ていた人のようで、これがもしそのお店のスタッフの方だったら何度も通っているあたしの顔に見覚えがあって、「ああ、出版社の営業さん」と認識してくれていたのではないか、とは思います。

でもでも、別に出版社の営業だと思われなくても構いません。それよりもバイトの面接に来た人間に思われたということは、あたしが、よい歳をして無職の人間に見えたということですよね? それがちょっとショックです。

重陽の命日

今日、9月9日は重陽の節句。なんてこと、いまの日本人で覚えている人、意識している人はどのくらいいるのでしょうか? 9は陽、6が陰ということも古代中国思想を学んでないとわからないでしょうし……

でも、あたしにとって9月9日は命日です。

ああ、そうだね、毛沢東の命日だよね、ナンシーは中国史を学んでいたから、やはり毛沢東の命日が気になるんでしょ?

と思ったあなた、違います。確かに今日は毛沢東の命日ではありますが、あたしにとっては父親の命日なのです。はい、父親です。紛れもなく実の父のことです。ちょうど19年前の今日、朝ですが、亡くなりました。61歳でした。

その日も今日のように雨で、だから残暑は少し和らいで、でも少し湿度の高い日でした。月曜の朝だったので、あたしはいつもどおり出勤しました。会社でその日の仕事を始めて少したったころ自宅の母から電話がかかってきて、病院から緊急の連絡が入ったから早く帰ってきなさい、とのこと。取るものとりあえず、急ぎ帰宅し、すぐに病院へ向かいました。自宅からは車で、空いていれば15分もあれば着けるのですが、雨とまだ朝のラッシュ時間帯だったので西武線の踏切が閉まっている時間が長く、もう少し時間がかかってしまいました。

病院へ着くと、既に父は事切れておりました。あたしに連絡をしてすぐに病院へ来た母も死に目には間に合わなかったそうです。父は家族に看取られることもないまま亡くなりました。

朝の早い段階で、チューブで入れていた栄養が逆流して誤嚥性肺炎を引き起こしていたらしいので、その時点で自宅に連絡をもらえれば、たとえ本人の意識はないにせよ、死に際に間に合ったのではないかという憾みは残っていますが、今さら言ってもしょうがない、と諦めました。でも誤嚥性肺炎なんて、苦しかっただろうな、とは思います。死に顔が非常に穏やかだったのだけが救いです。

トラ、トラ、トラ

まずは本を並べてみます。

新潮クレスト・ブックスの『タイガーズ・ワイフ』、2012年8月刊。

早川書房の『夜が来ると』、2015年6月刊。

そして再びクレスト・ブックスの『あなたを選んでくれるもの』、2015年8月刊。

どうでしょう? なんでこんなに虎ばかり……。それも、なんとなく似たテイストの虎が……

他にも、絵のタッチは異なりますが、早川書房の『雪山の白い虎』もトラが表紙です。

いや、単に新潮社と早川書房がトラ好きなだけ?

夏が過ぎゆく

タイトルだけを見ると、どこぞの曲のタイトルが歌詞の一節のようですが、棚卸しも終わり、夏も終わるという感じがします。気温としてはもう秋、もうすぐそこまで冬が来ているのではと思えなくもないような肌寒さになっている東京ですが、たぶんもう一度暑さは戻ってくると思っています。なにせ、暑さ寒さも彼岸までと言うじゃないですか!

それはそうと、昨今は既に二学期が始まっている小中学生も多いそうで、なんかかわいそうだなあと感じます。やはり二学期は9月1日から出ないとおかしな感じです。まあ、その分、冬休みが長いところもあるようですが……

で、この季節になると聞きたくなるのがこの曲です。ZONEの「Secret Base」です。

やっぱりいい曲ですね。でも、このPVを見ていて思い出したのです。バスに乗って友達との別れを描くって、この曲もそうじゃないかって。

AKB48の「十年桜」です。バスでの別れですね。

ちなみに、この曲のころはまだAKB48も全国区ではなかったですよね。というよりも、全国区になったころには辞めているメンバーも何人か映っています。篠田麻里子がロングヘアだったり、まゆゆもずいぶんと感じが違うなあと思います。月日のたつのは早いものです。

が、夏の終わりと言えば、やはり、あたし的にはこの曲です。

鈴木祥子の「夏はどこへ行った」です。たぶん、多くの人が知らないと思いますが、実によい曲ですので、もっと知ってもらいたいと思います。

うーん、ライブバージョンよりも、こちらのオリジナル(CD版?)の方がいいかしら?

たまには子供の相手

昨日から妹家族が来ています。

別に孫を迎えるおじいさん、おばあさんではありませんが、たまに来たときには少しはかまってやらないとならないでしょう。

というわけで、本日は、まずは午前中に高尾のトリックアート美術館へ行って来ました。ここはずいぶん前に、母方の従姉妹の子供を連れて来たことがあります。あの時のもあったトリックアートもあれば、その時はなかったようなトリックアートもありました。が、いずれにせよ、なかなか楽しいものです。

しかし、中国人が多いですね。高尾山には外国人観光客が増えているとは聞いていましたが、ここは高尾山口の駅前ですから、高尾山とセットで寄るにもちょうどよいのではないでしょうか?

トリックアート美術館は一時間ほどで出てきてしまいましたので(じっくりとすべてのトリックアートで写真を撮ったりしていたら、倍の時間がかかったアのではないでしょうか?)、その後は道の駅八王子滝山へ寄り、昼食です。ここもかなりの混雑でした。新鮮野菜や果物など、まさしく市場です。ここはほぼ全員が日本人だったのではないでしょうか?

そして帰路、若葉ケヤキモールマザウェイで、甥っ子、姪っ子に洋服を買ってやりました。このお店は、このところ妹家族が来るたびに洋服を買いに来ている気がします(汗)。

うーん、夏休みらしい一日ですね。

今宵はこれから焼き肉を食べに行く予定です。

指導者としては有能? 無能?

戦後70年だからというわけではありませんが、いや、そういうわけだからなのでしょうが、このところ第二次世界大戦関係の本を続けざまに読んでるなあ、という気がします。

  

やはり主役の一人であるヒトラーは関心を持たざるを得ないのですが、『第二次世界大戦1939-45』にせよ、『ヒトラーとナチ・ドイツ』にせよ、読んでいると、ヒトラーって有能な指導者だったのだろうかという疑問がわいてきます。

もちろんカリスマ的な存在で、歴史上の重要人物であるということは間違いないと思います。良くも悪くも(「良くも」は無い?)歴史を作った人ではあるでしょう。しかし、上記のような本を読んでいると、戦争指導者としても政治家としても、どれだけの手腕を持っていたのか、そこに疑問を持たざるを得ません。

確かに第一次世界大戦後の疲弊したドイツを立て直し、失業率を改善したという実績はありますが、それも上掲の本を読んでいると必ずしもヒトラーの功績ではなく、前任者たちがまいた種がヒトラー政権の時になってようやく花開いたらしいのです。ヒトラー自身に明確な政策というものがあったのか、はなはだ疑問です。

いや、政策というのであれば、反ユダヤ主義をはじめいくつか挙げられますが、それがドイツという国舵取り役として正しい政策だったのか。歴史のその後を知っているわれわれには「間違っていた」ということは簡単ですが、確かに当時のドイツ人の欲するところではあったわけで、それをうまくすくい取り、言葉にし、明確な目標・政策とした手腕は並々ならぬものがあったでしょう。そこまでは認めざるを得ません。ただ、それ以外の政策となると、彼は何をしたのでしょう?

ドイツの生存のために東欧へ勢力圏を広げるという方針は、当時としてはまだ「アリ」だったと思います。特に反ロシア、反ボルシェヴィキという点では英仏の支持や協力も十分得られたのではないかと思います。にもかかわらず西の方、フランスへ兵を進めるということもやってしまう点において、深謀遠慮と言いますか、先の先を見通す目を持っていなかったのかな、と思います。

ナチ政権は閣議というものを開かなかったようで、すべてはヒトラーの一存、ひらめき、思いつきで決められていったようで、途中からはほとんど「狂気の沙汰」の連続、とても兵法のいろはがわかっているとは思えないような指示ばかりになりますので、彼が軍事指導者としては二流、三流であったことは間違いないと思います。なので、せめて政治家としてはどうであったのかと考えても、めぼしい成果を挙げられないのです。

いや、数冊の本を読んだだけの付け焼き刃な知識ですから、これくらいでナチを語ってはいけないのかも知れませんが……

臭い?

毎日毎日暑いです。連続猛暑日と連続熱帯夜、鋭意更新中です。

夜に気温が下がらないので、朝から暑い、だから昼間はもっと暑くなる、という悪循環。

冗談抜きで、外回りは自殺行為に近いものを感じます。

さて、そんな暑い日々ですから、当然人は汗をかきます。仕事中ですと、そう簡単に着替えることもできませんし、ましてやシャワーを浴びるなんてこともできません。その結果、汗臭い人が街中にあふれることになるのです。

この一週間、営業回りのときなど電車に乗ると特に感じます。昼間はまだ車内も空いていたりするのでよいのですが、夕方のラッシュ時、外回りも終わって帰路に着いたようなときの車内は、酸っぱい臭いが立ちこめていたりします。

いえ、腋臭がどうの言いたいのではありません。そうではなくて、ごくごくフツーの汗臭さです。あえて言いますが、必ずしも男性ばかりとは限りません。女性でも汗臭い人は結構いるものです。一生懸命外で働いているわけですから、汗は勲章、と言いたいところですが、やはり臭いものは臭いです。

で、気づいたのですが、汗臭い人の特徴とでも言いましょうか、そういうのがあるなあ、ということに。

まず汗っかきな人は当然ですし、やはり太った人は汗をかきやすく、だから汗臭くなりやすいと言えます。ただ、そういうことではなくて感じたのは、Tシャツ姿の人、サラリーマンなどで下着のシャツを着ていない人、そういう人が臭いと感じます。Tシャツ一丁の人は、Tシャツが汗を吸っているので、もろ悪臭源です。ワイシャツの下に下着を着ていないサラリーマンも、ワイシャツが汗を吸って、やはり臭いの原因となっていると思われます。

うーん、下着って大事。若い人はシャツの下に何も着ない人が多いようですが、それってやはりシャツを傷めますし、こんな暑い季節にはよくないですね。

と、こんな風に書いてきて思いました、あたしは臭くないのかしら? 自分の臭いはなかなか気づかないものですから、気になります。とりあえず、ブラウスの下に下着は着用していますが……

あと、こんなの(↑)も使ってます。それとカバンには匂い袋をしのばせております。

下北沢について考える

小田急線沿線が受け持ち区域なので下北沢はよく通ります。もちろん下北沢には三省堂書店やB&Bなどもありますから下車することもあります。そんな下北沢を通るときにいつも思うのです。

この工事、いつ終わるのだろう

って。だって、ずいぶん長いことやっているじゃないですか。いつぞやは水没したことまでありましたよね。まだ終わらないのでしょうか?

で、この工事については他にも思うことがあるのですが、それは出来上がった後の使い方です。小田急の工事概要によると、地下一階が上り下りの緩行電車、地下二階が上り下りの急行電車という使い方をするようです。

つまり、同じ階で緩行から急行に乗り換えるという使い方を想定しないのですよね。これってどうなのだろう、と思います。ふつうは下北沢ほどのターミナルであれば、各駅停車と急行の待ち合わせとかするものではないか、そんな気がします。

ただ、その一方で、まだ新宿からそれほど遠いわけでもないのだから、各駅だろうが急行だろうか、新宿から乗ってくればよいのであって、わざわざ下北沢で乗り換えや待ち合わせを作るのは早すぎるだろう、という考え方もなり立つと思います。これと同じことが京王線の明大前にも言えます。ここも全列車が止まるターミナル駅にもかかわらず、待ち合わせをするためのホームがありません。これも新宿から近すぎるからなのでしょうか? まあ、明大前の場合は、線路をさらに敷くスペースもなさそうな立地ですけど。

と、そんなことを下北沢を通るたびに思っているのです。

そして、もう一つ。小田急線車内での下北沢の表記はローマ字の時は「Shimo-Kitazawa」です。つまり「下・北沢」です。これは「北沢」という地名がベースにあって、その「上」と「下」ということなのでしょう。現に京王線には上北沢という駅があります。

が、さらに一歩踏み込んで考えてみますと、北沢というのも実は南沢というのが近くにあるのではないか、という気がします。しかし、地図を見ても南沢なんてどこにも見当たりません。そしてさらに思うのは、北沢にしろ南沢にしろ、沢と言うくらいだから、どこかに川が流れていて、そこが低くなっていたのではないか、そのそもそもの「沢」はどこなのか、ということです。

たぶん、地名辞典とか、世田谷区の由来のような本を繙けばわかるのでしょうが、とりあえず、下北沢を通るたびにそんなことを思いながら車窓から外を眺めているのです。

おっと、下北沢は地下だから、外を眺めても何も見えないんだった!