外資系ってサイテー

実に不愉快な夢を見ました。

どういう業務なのかわかりませんが、あたしの勤務先が、ある外資系の会社と契約したのです。どういう契約なのか、何をしてもらうのか、夢の中ではまるでわかりません。ただ、あたしがこちら側の窓口役になっていまして、その企業といろいろ連絡を取ったりしているのです。

ところが先方、契約するまではやたら低姿勢で頻繁に連絡も寄越すし、愛想がよかったのですが、契約したとたんに態度が変わりました。こちらから連絡(電話)しても担当者は外出中、打ち合わせ中、来客中ばかりで捕まりません。折り返しの電話を頼んでもかかってなど来ません。ならばとメールで用件を送っても、やはり返信は来ず。

いくつか詰めないとならない案件もあるので、やむを得ず直接先方のオフィスに出向くと、アポのない訪問に露骨に嫌な顔をされ、不機嫌この上ないという態度です。開口一番「来るときはアポを取ってください」と言うので、「何度電話しても捕まらないじゃないか」と文句を言うも、「つながるまでかけ続けろ」と言わんばかりの口ぶり。

いったい何様のつもりなんだ、と思います。そもそも夢の中で、なんのためにこの会社と契約したのかわからないのでフラストレーションがたまる一方で、こんな不愉快な思いをするくらいなら契約を解除した方がいいのではと思いました。

これが外資系なんだよ、と夢の中で周囲に慰められました。

HOTが欲しい?

10時を回りました。

ふだんならとっくに寝ている(!)時間です、いや、本当に。

でも、今日はちょっと飲み会がありまして、先程帰宅したわけです。帰る道すがら、パラパラと雨が降ってきましたね。明日は土砂降りなのだとか。こういう時期の雨って、窓が開けられなくなるのでいやです。

どんなに暑い日でも、窓が開いていると、そよと風が吹けばそれなりに涼しさを感じるものですが、雨ですと窓は閉めっきり。風なんて入る余地もありません。そして室内は蒸し暑くなるという悪循環。さて、明日はどんな天気になるのでしょう?

ところで、このところの猛暑で、熱中症対策にコンビニでドリンクを買うことが多いです。昼間、外回りの途次に買うときは冷たいのを買いますが、社内で仕事をしているときなどは、それなりに冷房も効いているので、あえて冷たいのではなく、ホットのドリンクが飲みたくなります。

しかし、この時期のコンビニはまだしも、自販機ではホットはほとんど見かけません。すべてがアイスの自販機ばかりです。「まあ、夏なんだからしょうがない」とは思いますが、ではこれが冬になるとすべてホットになるかというと、そういうことはなく、真冬でもアイスはいくつか残っているものです。夏になるとホットが消えるという、かなり偏った商品構成です。

そして、辛うじて残るホットもコーヒーばかりです。あたしのようにコーヒーを飲まない人は選択肢がほとんどありません。コンビニですとレジのそばに置いてある保温器にコーヒーの他に紅茶や緑茶、ポタージュなどのホットが置いてあったりしますのでまだよいのですが……。

ちなみに、誰かに聞いたのですが、「庶民はコーヒーを飲み、貴族は紅茶を飲む」そうです。あたしはコーヒーではなく紅茶党なので貴族というわけでしょうか?

で、ドリンクだけでなく、食べ物にも同じようなことが言えます。

コンビニの弁当、親子丼とか中華丼などの、レンジでチンする丼物は、もちろん温めて食べるものばかりなのですが、休日など、ご飯ではなく麺類が食べたくなるときってあるじゃないですか? そういう時、コンビののメニューは、冬ですと暖かいラーメンやそば、うどんがたくさんあるのですが、この時期はラーメンなら冷し中華やつけ麺、うどんはぶっかけ、そばはとろろそばなど、つまりほぼすべてが冷たい麺類なのです。

いや、真夏だって暖かい麺類を食べたい人っていると思うのですよ。特に、クーラーでよく冷えた部屋の中で温かいものを食べるというのは、なかなか乙なものです。あたしは真夏のクーラーの効いた部屋で食べる鍋焼きうどんが大好きです。そんな人、あたし以外にも多いと思うのですが、コンビニにはほとんど置いていませんね。

コンビニって、メニューの栄枯盛衰が激しいですし、POSレジで売れ筋の管理は徹底されているでしょうから、夏に温かい麺類を買う人がほとんどいないというデータ上から導き出された結論なのでしょうね。

福利厚生?

少し前、あたしの勤務先にこんな物が設置されました。

オフィスグリコというものだそうです。家庭用常備薬みたいに「使った(食べた)分だけお支払い」ってことなのでしょうか? そのあたりのしくみ、よく理解していませんが、「仕事の合間に小腹が空いたらどうぞ」ということで設置されました。ひとつ100円で引き出しの中の菓子が食べられる(買える?)ようです。お菓子が買えるから、上部についている集金箱は「カエル」の貯金箱なのですかね? さあ、果たして、どれくらいの社員が利用するのでしょうか? ちなみにその下は以前から設置されている冷蔵庫です。

ちなみに、このオフィスグリコが置いてある給湯室にはこんな給湯器も置いてあります。アイスとホット、真ん中が冷水・温水(熱湯?)で、右側に煎茶、左側に黒ウーロン茶が出るようになっています。

煎茶はわかるとして、もう一つの選択肢が黒ウーロン茶だなんて、なんて社員の健康を考えてくれているのでしょう? 黒ウーロン茶は特保でしたっけ? とにかく脂肪を燃焼してくれるのですよね? 違いましたっけ?

で、以上はあたしの勤務先の公共スペースに設置されている、誰もが使えるものです。こういうのを福利厚生施設というのでしょうか? それに対しまして、あたしは自分の机に飴ちゃんを常備しています。

上の写真のように、百均で買ってきた引き出しに、常にフルーツ飴が入っています。いまはセブンイレブンのキャンペーンで買った乃木坂46の飴が入っていますが……(汗)

余談ですが、あたしの机には飴入れと同じ引き出しがいくつか置いてありまして、その中には展覧会を見に行ったときに買ってきた一筆箋がいろいろストックされています。書店の方、読者の方に何かを送らなければならないとき、便箋を使うまでもない場合、一筆箋にちょこちょこっと書いて送ります。とても重宝しています。

メール社会の昨今、一筆箋をそれほどしょっちゅう使うわけでもないので、それなりに長持ちします。なので、あまり季節感が出すぎる柄やデザインのものは選ばないようにしています。いつでも使える、そんな一筆箋が好みです。

メッシの時間、ナンシーの時間

かつてヒットした書籍に『ゾウの時間 ネズミの時間』があります。これは大きなゾウと小さなネズミの時間感覚が異なるということを解いていた本だったと思います。読んでいないのでゴメンナサイ。

で、今回のタイトルはそれをパクったわけですが、実は本日はあたしの誕生日であり、なおかつサッカー界のスーパースター、メッシの誕生日でもあるのです。ちなみに、AKB48、否、こんど新潟にできるNGT48のキャプテンに就任した北原里英の誕生日でもあります。まあ、〈きたりえ〉はどうでもいいですかね?

さて少し前、あたしの勤務先であたしとメッシと誕生日が一緒だという話題になり、「誕生日が同じなのに、この収入の違いはなんだ」という流れになりました。たぶん、メッシの一試合、いや、一蹴りで、あたしの年収の数年分、ひと試合まるまるなら、それこそあたしの生涯獲得賃金何人分になるのか、という話になりました。

そこで出てきたセリフが「メッシの時間、ナンシーの時間」です。

そういえば、かつて矢沢のえーちゃんが「お前の年収、矢沢の二秒」と言ったとか言わないとか、そんな話がありましたが、まさにそれです。

「ナンシーの年収、メッシの一蹴り」でもあるわけですね。

台と丘と山

最近業界で評判のKaBoS宮前平店へ行ってきました。

業界の人でないと「それ、何?」って感じでしょうか? 本屋さんです。KaBoS(カボス)というのがチェーンの名前で、その宮前平にあるお店が宮前平店です。KaBoSは福井に本部のある勝木書店が展開している郊外型大型店舗の名称です。宮前平店は、少し前にカフェや文具コーナーを新たに設け、その結果書籍売り場の面積が減ってしまったのに売り上げは落ちていないということで評判らしいのです。

と、あたしはここで別に宮前平店のことを縷々書きたいわけではありません。書きたいのはその立地です。店舗の名前からどこにあるのかすぐにわかる人は、首都圏の方でも少数ではないかと思います。宮前平は田園都市線の駅の名前です。行政区画的にいえば神奈川県川崎市宮前区となります。宮前平の駅を降り、宮前区役所に向かって割と急な坂道を10分ほど登り、登り切ったらこんどはその半分くらい降りてちょっと行ったところにあります。駅から徒歩10分から15分といったところでしょうか? ものすごく遠いわけではありませんが、いま書いたような坂道、かなり急峻なので、暑い夏の日や雨の降る日には積極的に行きたいとは思わない立地です。ただし、区役所が目の前だからでしょうか、お店の隣にはちょっとしたショッピングセンターがあって、駅からはちょっと距離があるものの、この付近の商業的な中心地域ではあるようです。

さて駅から上ってくる坂道のほぼてっぺんに小学校がありました。川崎市立富士見台小学校と書いてありました。駅からの坂も富士見坂とありましたので、この学校からも富士山がきれいに見えるのでしょうね。しかし、ここで一つ疑問が。

あたしが小学生のころ住んでいた杉並区の高井戸。京王線の下高井戸ではなく、井の頭線の高井戸ですが、その隣には富士見ヶ丘という駅があり、駅からは遠いですが富士見ヶ丘小学校というのもありました。あのあたりのどの辺を富士見ヶ丘と呼んだのか知りませんが、たぶん富士山が見える高台があったのでしょうね。

で、丘と台です。どっちの方が高いのでしょう? 丘というと山の小さいもの、低いものをイメージしてしまいますが、台というともう少し面積の広いところがイメージされるのですが、正確な違いってわかりません。

そんなことを懐かしみながら、駅からの坂を歩いていました。そして宮前平、宮前区という名前、あたしの中学は杉並区立宮前中学でしたので、「宮前」という響きにはちょっとした郷愁を覚えます。あっ、念のために書いておきますと、小学校は富士見ヶ丘小学校ではなく、区立高井戸小学校でした。なんと今年で創立140周年。あたしが在校時に100周年の式典があったのですが、もうそんな月日が流れたのですね。

上の写真は、そんな高井戸小学校の百周年記念の時に全校生徒がもらった文鎮です。平成の今だったら「なんで文鎮なの?」って声が聞こえてきそうですが、当時としてもなぜ文鎮だったのか、一生徒であったあたしにはわかりません(爆)。PTAって書いてありますから、お父さん、お母さんたちの考えだったのでしょうか? でも、いまだにあたしのデスクで、こうしてペーパーウェイトとして活躍していますから、実は先見の明があったのかもしれません。当時の文部大臣は永井道雄だったのですね。

もう少し尖った方がよい?

昨晩の夕食の時のことです。

わが家はテーブルではなく卓袱台なので、正座あるいはあぐらをかいて食事をしております。そんな昨夜の夕食時、いつものように食事をはじめた途端、足に激痛が走りました。いや、激痛というのはちょっと言いすぎかも知れません。そんなのたうち回るほどの痛みではありませんでしたから。

もっと鈍い痛み。一番近いのは痙ったときのような痛みが、左足の土踏まずのあたりを襲いました。別に座るときにひねったわけでもなければ、床に何かが落ちているのを知らずに踏みつけたわけでもありません。なんだろうと思って左足を見ましたが、特に傷があるわけでもなく、血が流れているわけでもありません。

しかし、その刹那、左足の土踏まずのところが赤紫色にちょっと変色しているのを見つけました。鈍い痛みなので、本当にそこが痛みの原因なのか図りかねてはいたのですが、ちょっと触ると、やはりそこが痛みます。もちろんぶつけたわけではありません。内出血しているのはわかりますが原因は不明です。

いや、隣にいた母が言いました、それは皮膚の下で血管が切れたのだ、と。

確かに、そうでしょう。血豆ほどはっきりしたものではなくとも、内出血したときは皮膚がこんな風になります。でも、なんで内出血なんてしたのでしょう?

これまた母曰く、年をとると、そんなことしょっちゅう起こるようになるんだ、と。

ああ、そうなのか、あたしもそんな年なのか、と思いつつ、これが足の裏でよかったと思いました。幸い痛みはじきに収まり、赤紫色のところを押せば多少は痛みますが、歩くのに支障はありません。ただ、もしこれが頭の中で起こっていたとしたら、いわゆる脳内出血ですよね? 怖すぎます。もしかして、これからは足の裏から徐々に上へ上がっていって、いずれ頸、そして頭部へと内出血を起こす箇所が移動していくのでしょうか? そうなったときが、あたしの人生の幕切れですね。

ところで、足で思い出したと言いますか、最近ちょっと感じることがあります。それはサラリーマンの靴のことです。いわゆる革靴というやつですが、それを見ていると、先の尖った靴を履いている人が目立つなあ、と感じるのです。昨今はやりって、尖った靴なのでしょうか?

先の尖った靴 先の尖った靴

具体的に言えば、上の写真のような靴です。こういうのが流行しているのか、とちょっと思って、街行くビジネスマンの足下を見てしまいます。履きやすい、歩きやすいのでしょうか?

先の丸っこい靴

あたしなんかは、どちらかというと、上の写真のような先の丸っこい靴ばかり履いているので時代遅れなのでしょうか? そんなことを考えている今日この頃です。 まあ、こればっかりは好みの問題もありますからね。

目覚まし時計の存在意義

朝なかなか起きられない、という人がいます。あたしの親戚など周囲にもいますし、テレビを見ていると芸能人がそういう発言をしているのを聞くこともあります。だからマネージャーに起こしてもらっているとか。

起きられない人の話を聞くと、目覚まし時計をいくつ鳴らしてもダメ、という人が見受けられますが、そういう人って無意識のうちに鳴っている目覚ましを止め再び眠りについてしまうのでしょうか? それとも鳴りっぱなしでもまるで動じず、平気で寝ていられるのでしょうか?

いずれにせよ、あたしには理解不能な人たちであり、どうみてもたるんでいるとしか思えません。別に何時まで寝ていようと構いませんが、遅刻だけはしないでほしいと思います。それさえ守ってくれれば、あたしには何の関係もないことですから、どうでもいいことです。

さて、翻ってあたしですが、このダイアリーにしばしば書いているように、朝は早いです。今朝も5時半に起きました。別に早くから出かける用事があるわけではありません。そんな用事は何もなくても、朝は早く起きます。休みの日でも同じです。

「休みなんだから、もう少し寝ていればいいじゃない」と言われなくもないですが、そうするとその日の晩になかなか眠れなくなり、そうなると次の出勤の日の朝が辛くなる、という悪循環に陥ってしまうので、休日でも平日とそれほど変わらないように心がけているわけです。それでも普段よりは一時間以上遅いのですが。

で、そんなに早く目覚めるわけですが、目覚まし時計を使って起きることはまずありません。もちろん枕元に目覚まし時計は置いてありますし(しかも電波時計!)、毎晩寝るまえにはアラームのスイッチをオンにしてから床に入りますが、目覚ましが鳴るまで寝ているのは年に数回あるくらいで、たいていは目覚ましが鳴る前に起きてしまいます。

そんなに早く目が覚めるので、昼間、特に午後の書店回りの時は異動の電車の中でしばしば睡魔に襲われますし、夜も8時すぎには眠くなってきてしまいます。だいだい普段ですと、8時半くらいには布団に入って、少し本を読み、9時や9時半くらいになると睡魔が襲ってくるので、そのまま就寝というパターンです。

そのくらいの時間に寝ると、まず夜中の11時とか12時くらいに一度目が覚めます。トイレに行くこともあれば、そのまままた眠りにつくこともありますが、たいていは一度目が覚めます。たぶん最初の2時間から3時間くらいでものすごく深く眠ってしまっているのではないかと思います。

そして次に目覚めるのが、だいたい明け方というか夜中というか、2時から3時くらいです。そこから二度寝して4時前くらいに起きる、というのがいつものパターンです。日ごろの習慣になっているので、寝過ごすということもほぼなく、きっちりと目が覚めます。あるときなど、二日続けて同じ時間に目が覚めました。それも枕元の時計を見ると秒まで同じ! ここまで計算され尽くしたような日常を送っていると自分が怖くなります。

プチ断捨離

ふと思い立って、この連休に部屋の片づけをしてみました。片づけとは言っても要らなくなった本を捨てるだけですが……(汗)

基本的に、あたしは本を捨てないタイプなのですが、さすがにPC関係のマニュアルとかは、そもそもそのハードが既にない、ソフトもバージョンアップして使っていない、といったものばかりで書棚に並べていたって開くことはこの数年来なかったわけですから、もう捨ててしまっても構わないだろうと判断したわけです。

PCのマニュアルなどって、そもそも皆さんちゃんと読むことあるのでしょうか?

これはタイプが分かれるみたいですね。マニュアルなどを全然見ずにいきなり機械をいじくり始める人、きちんとマニュアルを読んでだいたいの段取りを頭にたたき込んでから機械に触る人、の二通りに。あたしはどちらかというと後者です。さすがに徹底的に読むわけではありませんが、一応は付属品は揃っているかは確認し、「インストールの仕方」とか、「初めにお読みください」といったものには目を通してから始めます。何も読まずにいきなり始めるということはしません。

で、そのマニュアル類、あれほど素人には意味不明の言葉が並んでいる書籍も珍しいくらいわかりにくいものです。だから、あれだけ分厚くて、ソフトによっては何冊も付属しているマニュアルがあるにもかかわらず、市販のマニュアルが作られるし売れるのでしょう。あたしも製品付属のマニュアルだけでなく、何冊か市販のマニュアルやガイドブックを持っていました。これらをひと思いに処分しようと思ったわけです。

これらのマニュアル、分厚くて、しかも何冊もあると上に書きましたが、その上、アート紙を使っているからか、どれも思いのほか重いです。あまりたくさん積み重ねて縛るとゴミ捨て場に持って行くのも大変な重さになってしまいます。なので適当な分量ずつに分けて縛りました。ちなみに、わが家の地区では本日火曜日が本や段ボールなど資源物の回収日なので、本日朝、それらをゴミに出した次第。

部屋はスッキリしたかって?

PC関係の本は、あたしの部屋の中ではそれほどのスペースを取っていたわけではないので、これらを処分したからといって部屋が片付いたような気はしません。それでも宿痾の一部が取れたような気はします。空いた書棚に何を並べようか、それをこれから考えます。

実は、このところ展覧会の図録を入れる場所がなくて床に重ねて積んでいるので、これをなんとかしたいと思っています。でも展覧会図録ってかなり大きなサイズで、普通の書棚ですと高さが入らないんですよね。PC関連の本を入れていたのは安いカラーBOXで、これが今回空いたのですが、高さが入らず、ここに展覧会図録を入れるのは断念せざるを得ません。なかなか難しいものですね。

春の庭

タイトルは小説『春の庭』を意識したわけではありません。全くそのものズバリなので、むしろ何も考えずにつけました(汗)。この時季は桜も終わりましたが、いろいろと花が咲いてきれいなので、そんな自然の美しさをたまには愛でてみた次第。

以下の写真は、わが家の玄関先です。

まずは玄関ドアを開けた目の前。いろいろとプランターが置かれています。

そのうちの一つ。ミニスズランと言ったかな? 個人的にスズランは好きな花ですが、これはもっと可憐な感じがします。

そのプランター類の下の方、露地に植わっているのは……忘れました。

その向かい側はちょっとした柵が設置してありまして、そこに黄色の花が咲いています。バラの仲間だったような……

その黄色い花の下に目を転じると、きれいな藤色の花が露地に植わっています。写真の奥の方が門になります。

で、こちらは玄関の中。ミニ胡蝶蘭が、下駄箱の上に鎮座!

死んでいたかも知れない

昨日、Facebookに

願わくは
花のもとにて
春死なむ
その如月の望月の頃

なんて投稿をしてしまいましたが、別に死のうなんて思っているわけでもなければ、死にたいと思っているわけでもありません。この句が好き、人間いつかは死ぬわけだけど、こんな死に方ができたら理想だな、とは思いますが、まだまだ遠い先の話のことです。

もちろん、エイプリルフール・ネタというのでもありません。昨今、SNSに「これから死にます」的な書き込みをする人も増えているようですが、あたしはそんなことをするつもりはありません。ただ、もしできるのであれば「今し方死にました」という書き込みをしてみたいとは思います。

死んだら書けないでしょう? うーん、そうですね。でもWordPressには投稿予約という機能がありますので、やってやれなくもないですが……

ただ死と言えば、2月の初めに意識を失って倒れてケガをして以来、いつなんどき死ぬかも知れないという気持ちは少なからず芽生えました。その後、3月には関西ツアーに行きましたが、行く先々の書店で「もしあの時打ち所が悪くて死んでいたら、今回、全然知らない人が関西に来ていたかも知れないね」なんて話をしていました。「あれ、ナンシー、どうしたの? どうして来ないの?」と聞かれた関西新担当が、「あっ、ナンシーは先日事故で死にました」なんて、しらっと報告するというのもちょっと面白いかななどと思ったりします。

死を冗談にするのは不謹慎ですが、少なくともあたしは自分から死のうとは思いません。別に宗教的な理由とかではなく、人生を全うできずに途中で命を落とすというのは嫌だなと、単純に思うだけです。

それでも人生で死にたいと思ったこと、生きているのが嫌になったことは一度だけありまして、それは小学生のころ、今ほど陰湿ではないにせよ、クラスで仲間はずれというか、嫌われ者になっていて、もちろん友達と呼べるようなクラスメイトもいなくて、そんな学校生活が嫌になって、「もうどうでもいいや」と思い詰めたことがありました。後にも先にもその時が死にたいと思った唯一の時です。

いや、たぶん死というものがどういうものかよくわかっていなかったと思うので、死にたいと言うよりは、生きているのが嫌になったと言った方が正確かもしれません。ただ、死にたいとは思わなくなりましたが、その時以来、世の中のことや他人に対して「どうでもいいや」と思うようになったのは、今に至るも治りません。