大晦日もただの一日

大晦日。

仕事している人も大勢いるんだろうなあ、と思います。郊外型ショッピングモールなどでは、多くのところが明日、元日もいつもどおりに営業(若干、開店や閉店時刻が変わる程度?)するのでしょうね。小売業の宿命とはいえご愁傷様です。書店でも、そういうモールに入っているテナントの場合、やはり明日もやっているんですよね。同じチェーンの書店でも立地条件が異なるだけで営業日が異なるなんて……

さて、なにかと慌ただしい師走、と言われますが、あたしはいつもどおりに過ごしています。年末年始の休みも、やや長めの連休くらいにしか考えていません。今年は結局、年賀状を買わなかったし、妹家族も来ていないので、特に正月らしいこともせず、お節料理もありません。

お節料理って、うちの場合、昔からほとんど作っていないんですよね。用意したとしても、せいぜい卵焼きと伊達巻き、それに筑前煮っぽい煮物、それとお雑煮くらいです。ほぼ買ってきた物を並べるだけです。あたしが子供のころは、まだまだお正月は3日くらいまではスーパーも営業せず、もちろんコンビニなんてなかったので、それなりに不便ではありましたが、世の中すべてがそうだったので、あまり不便ということを感じませんでした。ですから、暮れに、パンとか日持ちのするものをまとめ買いして、2日以降は比較的ふつうの生活に戻っていた、という記憶があります。

もちろん、うちは帰省しなければならない故郷がないので、盆も暮れもわざわざ混んだ電車に押し込まれて、あるいはほとんど動かない高速の渋滞に巻き込まれて帰省する、という体験はありません。恐らく、今後もそういうことはしないで済みそうな予感がします。ああまでして帰らないとならないものなのでしょうか? 不思議です。

で、大晦日ですが、過去にも書いたことがあるような気がしますが、あたしの場合、ただの一日でしかありませんので、取り立てていつもと過ごし方が変わることはありません。こういう休み中も、だいたい6時前後には起床していますので、夜も9時頃には寝てしまいます。それは年末年始といえども変わりません。

ここ数年、いやほぼ学生のころからの変わらぬ過ごし方ですが、大晦日も9時すぎには布団に入ります。紅白歌合戦も最後まで見ません。と言いますか、ほとんど見ていません。だからといって裏番組を見ているわけでもなく、だいたい8時半とか9時になると、いつもどおり布団に入って本を読み、そのまま眠くなったら寝てしまうというタイムテーブルです。

元日も、だいたい6時くらいには目が覚めます。目が覚めたら起き出します。あたしの場合、子供のころから、朝ご飯は牛乳をレンジで温めてココア(粉末)を入れます。それと食パンをオーブンで焼いたトースト、これだけです。親は何もしてくれません。自分で勝手にやります。親が既に起きていても、あるいはまだ寝ていたとしても、そんなことには関係なく自分勝手に朝食を済ませます。

ですので、元日も同じです。6時頃に起きて、ココアとトーストという朝食を勝手に食べることが、ほぼ毎年の通例です。お節的なものは昼とか晩ご飯でいただきます。

いや、元日については明日また書きましょう。今日は大晦日ですね。

大掃除もほとんどしません。多少は机の回りを片づけたり、埃がたまっているタンスのすき間を掃除したり、といった程度です。ふだんから、それほど散らかすタイプではないので、それに、これ以上整理のしようがないくらいものがあふれているので、もう大掃除はやっていないです。

いや、たぶん断捨離を実行したら捨てるべきものはたくさんあるはずです。まずは万をもって数えるところまではいってないと思いますが、千をもって数えるほどはある本ですね。読まないんだったら捨てれば、と本に興味のない人は言うでしょうが、あたしは本を捨てるという習慣がないので、これらは捨てられません。あたしが死んだら、遺族(誰が残っているのだろう?)に処分してもらいます。

ということで、今夜も紅白はほとんど見ずに寝ることになるでしょう。

種の保存

ここ数日、喉が痛くて、軽い風邪っぴき状態が続いているからなのか、変な夢を見ました。あたしが主人公なのではなく、あくまで夢の中の世界を観察しているという夢でした。

この数年、日本人の晩婚化、非婚化、そしてそれに伴う出生率の減少が話題となっています。つまりは、若者が子供を作らなくなったということなわけですが、それについて、いろいろな人が議論をしているのです。会議室でだったのか、シンポジウムのような広い会場でだったのかは覚えていませんが、とにかく学者がたくさん集まっていたようでした。

子供を作らないと言っても、あえて作らない夫婦・カップルもいるが、中には経済的に作れない人だっているし、欲しいし努力もしているけどできない人もいる、といった議論が交わされる中、これだけ子供を作らないことが問題になっているのに、なんで日本は性風俗産業が盛んなんだ、という話題も出てきて、いや、日本は世界的に見て性風俗産業が盛んなのか否か、議論はどんどん明後日の方向へ行ってしまっていました。

そんな中、また別の人が話を戻して、日本人はどうして子供を作らないのか、と改めて提起。作らないのではなく、作り方を知らないのか、といった極論まで出てきました。いや、どんな生物も、教えられなくたって子孫を残しているわけで、これに関しては教えなくたって自然と理解するものではないか、という至極もっともな意見が出されましたが、そこに疑義も呈されました。

そんな議論を聞きながら、あたしが思い出したのは、映画「青い珊瑚礁」です。

 

この映画の中で、子供だった二人は特に姓の知識もないまま成長し、でもブルック・シールズには赤ん坊が出来ます。彼女が嶋の原住民にレイプされたわけではないですから、当然二人の間の子供です。まるっきり知識がなくとも、このように子孫を作る能力というのは生物に本来的に備わっているはずだ、という意見が出される一方、現在の日本の子供に、果たしてこの本来の能力があるのだろうか、という意見が出されたわけです。

疑問を出した学者が、実験的に現在の日本の子供を使って実見をしてみようという衝撃の提案をしました。さすがに無人島に放り出すことはできないので、どこか人里離れた施設に男の子と女の子を隔離して、食べ物などはきちんと与えるとして、性的な知識が一切入らないような環境を作って生活させたら、成長した二人は教えなくとも子供を作るようになるのだろうか、という実験です。

いくらなんでも、それは人権侵害ではないか、という意見が出される中、やってみる価値はある、という賛成意見も少なからずありました。ただ、果たしてそういう環境でよいのか、という問題も提起されました。上記の映画のように、ほぼ原始的なな生活を送らざるをえなくなると、人間の欲望や衣食住という根源的なものに集中し、だからこそ種の保存という方向にも向うのだろうけど、現在の日本のように衣食住に関してはほぼ充足されていて、その他にもさまざまな娯楽があるような社会では、果たして種の保存という本能が目覚めるのだろうか、という意見です。

では、実験に参加する男の子と女の子にはフツーの生活を送ってもらうけど、性的な情報だけは一切シャットアウトしたらどうなるだろうか、という意見も出されましたが、性的情報を一切シャットアウトしたフツーの生活という実験場をどうやって構築するのか、そこで議論は紛糾です。

はい、なんでこんな夢を見てしまったのか、わかりません。特に読んでいた本、見ていたテレビでこういった話題が出ていたわけではありませんので、全くの偶然なんだと思います。あたしの潜在意識にこういう考えがあるのでしょうか? それはともかく、夢の中の学者たちの意見の中で、やはり興味深いのは「人間は教えなくても子供を作れるのかどうか」という点です。現在の社会では、なんだかんだ言ってもネットやマンガ、ドラマに映画など、セックスシーンが氾濫していて、それなりに性行為に小さいころから触れる機会はあります。あれが子供を作る行為と同じなんだと認識している子供は少ないのかも知れませんが。また、農家などで牛や馬を買っていると種付けなどがあって、体験的に子供を作るということを知る機会もあったかと思います。しかし、そういう機会をすべて遮断した場合、今の日本の子供や若者は、子供を作るという本能を持っているのか、保持しているのか、個人的には多少疑問に思えたりします。

あたしの匂い

タイトルは「匂い」ではなく「臭い」の間違いではないか、と言われそうですが、とりあえずは「匂い」でよいのです。

先日、妹家族が来ていたと書きましたが、26日の晩には帰りました。27日から、また地元でいろいろと年末の行事があるのだそうです。子供を持つと、家族を持つと、忙しいことですね。タイトルは、そんな妹家族にまつわるエピソードです。

ちょうど一年前くらいにタブレットを機種交換しました。新しいタブレットは液晶に黄色いシミが出て、一度修理に出したものの、最近またシミが目立つようになったと、このダイアリーでも書きました。機種交換とは言っても、古い機種を渡して新しい機種を持ってくるというわけではなく、古い機種も手元に持っていてもよいことは、ガラケーやスマホと同じです。ドコモの窓口の方も、「新しい機種にトラブルがあったときに、SIMカードを差し替えれば古い機種も使えるので」と言ってくれましたし、カメラ機能などはSIMカードとは関係なく使えます。また、無線LAN環境さえあれば、別にSIMカードがなくても使えるのは、誰でも知っていることではないでしょうか。

あたしも、それまでのタブレットを持っていたのですが、子供の遊び道具としても使えるからと、妹家族にあげてしまいました。「あげた」というのが法律上問題であるのであれば、「貸している」ということになります。妹夫婦の家は、家の中に無線LANがあるようなので家の中であればタブレットも使えるはずですから。

で、妹や妹の旦那が、ちょっとしたネットでの調べものなどに便利に使っているそうなのですが、やはり今の時代の子供です。まだ幼稚園児なのに、甥っ子や姪っ子が器用にこういったデバイスを使っているというのです。あたしの子供のころには考えられない事態です。同じ子供と言っても、根本から違う人種なのではないかと感じます。

それはそうと、あるとき、一番下の姪っ子(3歳)がタブレットを抱えて匂いを嗅いでいるのを妹が見つけました。「何やってるの?」と聞くと、姪っ子は「おじちゃんの匂いがする」との答え。妹はその時点では、「お兄ちゃんがずっと持ち歩いて使っていたから、加齢臭がついているんだろう」くらいに思ったそうです。ただ、それを聞いた小一の姪っ子、年中組の甥っ子も代わる代わるタブレットの匂いを嗅いで、やはり「おじちゃんの匂いがする」と言ったので、妹も恐る恐るタブレットに鼻を近づけてみたそうです。

すると、お香のような香りがタブレットについていたそうです。

はい、あたしが仕事に使っているカバンには匂い袋が入っています。ですから、カバンを空けるとふわっとお香のよい香りが立ち上ることがままあります。匂いに敏感な人であれば、すぐに気づくのではないでしょうか? 仕事上では時々書店員さんに「なんか、いい匂いがする」と指摘されることがありますし、注文書がほのかに香っていたりします。そんなカバンにタブレットも入れて持ち歩いていたので、タブレットにも匂い袋の香りが移ってしまったのでしょう。

しかし、姪っ子や甥っ子にとって、あたしの匂いが「オヤジ臭」ではなく「匂い袋」の香りだなんて、ちょっと嬉しいエピソードではないですか! 先日も京都で匂い袋を買ってきたところですし、これからも素敵な香りを漂わせて仕事に励みたいと思います。

というわけで、タイトルは「臭い」ではなく「匂い」なんです。

昔から変わらず

昨日で年内の仕事納でした。まだまだ働いている書店員さんをはじめとした小売業界の方には申し訳ありませんが、年明け4日まで正月休みです。

さて、一昨日の晩、夜中に目が覚めたときに喉が痛くて、「これは風邪か?」と思いつつ、とりあえず薬を飲んで昨日をしのぎました。体中が痛いのですが、これも風邪の熱から来る痛みなのか、水曜日に重い荷物を持ったことから来る筋肉痛なのか、いまひとつはっきりしないまま、なんとか昨日をやり過ごしたわけです。

昨晩も、食後に風邪薬を飲み、できるだけ早くに布団に入りましたが、今朝も体はだるく、喉が痛いです。これで寝込んでしまうと、たぶん年内ずっと体調不良のまま行きそうなので、ここはなんとか踏ん張って本復したいところです。

しかし、仕事があるうちはなんとか元気に出勤するのに、休みに入った途端に具合が悪くなるって、あたしの場合、昔からなんです。小学校や中学校の時も、終業式までは元気に学校へ行ってくるのに、休みに入った途端に体調を崩すということがしばしばありました。一番鮮明に覚えているのは、何年生の時かは忘れましたが、終業式が終わって帰宅して、家で昼ご飯を食べる前に具合が悪くなってきて、そのまま寝込んだことです。

あたして、それくらい、ふだんの学校や仕事では気を張っているのでしょうか? そして休みになった途端にその緊張の糸がプツンと切れてしまうのでしょうか? だとしたら、ものすごい集中力ですし、オンとオフの切替のうまさとも言えますね。いや、もちろん体調なんか崩さないのがいいのはわかっていますが……(汗)

とりあえず喉は相変わらず痛いですが、パソコンの場合はキーボードを打つだけで、喉には負担をかけないからまだマシです。

シアバターの香り

23日から妹家族が来ています。来ると、甥っ子姪っ子の風呂入れはあたしの当番となります。小一の姪、年中さんの甥、年少さんの姪と、三人を風呂に入れ、否、三人と一緒に風呂に入り、頭を洗って体を洗ってやるわけです。

で、23日ですが、久々の風呂入れでもあったので、三人を洗った後、あたしは自分のリンスをすすぐのを忘れてしまいました。風呂から上がり、しばらくして、なんとなく頭髪がぬるぬるしていて、妙に匂うので、リンスをすすぎ忘れているのに気づきました。しかし、頭髪はもうほとんど乾きかけていましたので、もうそのままにしてしまいました。

で、24日です。

その日のあたしは、一日中、頭髪からシアバターの香りが立ち上っている一日でした。まあ、臭いよりはマシでしょうが……

もちろん、その晩は忘れずに、リンスをちゃんとすすぎました!

未体験で悪いですか?

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会社の悪口

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気になる本

さて、タイトルが気になった新刊がありました。元TBSのアナウンサー青木裕子のエッセイ、『母、妻、ときどき青木裕子』です。

別にあたしは青木裕子のファンでもなければ、ナイナイの矢部のファンでもありません。気になったのはこのタイトルです。

えっ、自分の名前をタイトルに付けるなんて自意識の強い女だなあ、と思ったのかって? いえ、違います。この単語の出し方なんです。

「母」が最初で次に「妻」、最後に「青木裕子」という自分自身。昨今の女性の独立、自律した女性のライフスタイル、なんていう流れから見ると、まるで逆行している感があります。結婚し子供が出来ると、女性はいまだに「まず母」なのか、と思わされます。

青木裕子の意識として自然と違和感なくこの順番になったのか、それとも編集者や出版社側の意向なのか、そのあたりはわかりませんが、なんとも考えさせられるタイトルだと思いました。一部の評論家などは、こういうタイトルに噛みついて、女性の役割限定、差別だ、と主張したりするのでしょうか?

さて、いよいよ『季刊乃木坂 vol.4 彩冬』が発売です。

もちろん、買います。ここまで「早春」「初夏」「涼秋」ときて「彩冬」なわけですが、こんな日本語あるのでしょうか? いや、でも、乃木坂には「斉藤」姓が多いので、ちょっとしたダジャレでしょうか?

  

まあ、それはいいでしょう。エリカ様がフィーチャーされた4冊目ということで……

だるかった理由

今日の昼前、体が無性にだるくなりました。今日はこの冬一番の寒さということで、そのせいかな、という思いもありました。風邪の引き始め(?)という気がしなくもないですが、まさかインフルエンザとまでは思っていませんでした。

で、昼食後に風邪薬を飲んで、午後から外回りに行きましたが、そんなことをしているうちに退潮はほぼ本復しました。

いま、帰宅してつらつら考えてみるに、今朝は実は3時に目が覚めていたんですよね。ただ、3時に起きだしたら、さすがに同居している母に迷惑でしょうし、暖房などの電気代、ストーブを付けたら灯油代がかかってしまいますので、しばらくは布団の中で本を読んでいました。そして、3時半を回ったので、もういいやと思って起き出したわけです。

つまり、昼前にちょうど疲れと言いますか、眠気と言いますか、そういうもののピークが来ていたのではないかと思います。そりゃそうでしょ。3時半に起きたわけですから、11時半くらいで既に8時間も起きているわけで、疲れもたまるはずです。

外回りの電車の車中で、軽いシエスタを取って、とりあえずは持ちこたえましたが、いま、また睡魔が襲ってきています。さあ、寝るとしますか。

ね?

盲導犬ではありません

ちょこちょこと「ナンシー・カレンダー」の応募メールが届いている今日この頃。別途、馴染みの書店員さんへの配布も行なっておりますが……

ところで、「ナンシーカレンダー」でググってみたらこんなサイトがありました。トロンボーン奏者の方のブログです。その方が勝手いらっしゃる盲導犬がナンシーという名前らしく、しばしばブログにも登場し、そんなナンシーをフィーチャーした記事に「今月のナンシーカレンダー」といったタイトルが使われているのです。

いやー、ナンシー、盲導犬になってしまいましたか?

いえいえ、たぶん、このブログに登場する盲導犬ナンシーはあたしなんかよりも数倍、いや数十倍、数百倍は賢く、愛くるしいのではないでしょうか? 張り合おうということ自体がナンセンスです。

そういえば、盲導犬に針を刺すような事件が少し前に起きましたね。本当に許せない犯罪です。幸いにも、その後模倣犯的な事件が起きていないのが何よりです。

それにしても、テレビでも盲導犬の特集って時々やっていますが、あの忍耐強さ、全く頭が下がります。いくら人間にしつけられた結果とは言え、あそこまで自我を殺して役割に徹することができるものでしょうか? 見ていて毎回そう思います。

最近は、年を取って引退した盲導犬のその後、余生などを扱った番組も多くなった気がしますが、あれも必ず涙を誘われる感動ストーリーですね。この数年、涙もろくなった足しは見ると必ず泣いてしまいます。