軽~くギックリ

先々週から続く喉の不具合。つまりは今週はもう3週目なわけで、それも水曜日ですから半ばも過ぎ、いい加減、自分の咳にもイライラが募ります。ましてや周囲の人にとってはうるさい上に、なにか菌をまき散らされているような不愉快な気分を味わわせているのではないかと危惧しております。

喉の痛みという点ではかなりよくなっているのですが、痰が絡んでいるような喉のいがらっぽさは相変わらずで、喘息患者のようなヒーヒーいう咳がまだ治まりません。先週末からはずっとお腹と、もうちょっと下の下腹部が痛く、それはお腹を壊しているというのではなく、単に咳のしすぎで腹筋が痛むという、いわば筋肉痛の状態です。

それに加えて今週に入った途端、こんどは腰が痛み始めました。これは完全に軽いぎっくり腰の症状です。かつて朝のラッシュの中央線での不自然な姿勢のせいで腰を痛め、そこへ持ってきて当時のバイトの肉体労働でかるいギックリ腰になったことがあります。その時と同じ症状です。咳をするとお腹と腰が痛く、痛いからめいっぱい咳こめず、咳き込めないから喉がすっきりしないという悪循環。もうイヤになります。

でも、明日、休暇を取りました。病院へ行ってみます。近所に耳鼻咽喉科があるので、そこへ行ってみようと思います。やはり遺書に処方してもらう薬が一番ではないでしょうか? さっさと行けばよかったものを、すぐに治るだろうと高を括り、なおかつ会議や何やらで休む時間が取れず、ここまで来てしまいました。それも明日でおさらばしたいところです。

 

車検

わが家のクルマの車検でした。ちょうど来月の26日が車検の期日で、ひと月前から手続き可能ということで、先週の月曜日、会社から帰宅後、近所の販売会社へ持ち込みました。

わが家のクルマは、以前、このダイアリーにアップしたこともあるかと思いますが、日産のエルグランドです。ふだん、それほど乗るわけではないのですが、子供を三人抱えた妹家族が遊びに来ると、やはり大勢で乗れる車でないとダメなので、こういうワンボックス、ミニバンにしております。運転はしやすいですし、大きさの割りには小回りのきくステアリングです。

しかし、買い換えてからもう三年たったのか、という感じです。あっという間でした。その間、事故もなく古書もなく、大きな遠出こそしておりませんが、快適に走ってくれています。

日産のエルグランドにしろ、トヨタのアルファードにしろ、たぶん、7人乗りや7人乗りのクルマで、大人が7人なり8人で1泊二日、2泊三日の旅をするとしたら、実はかなり窮屈です。座席というよりも、恐らく荷物が載りきらないのではないかと思います。もちろん3列目の後ろに荷物スペースはありますが、大人7人の荷物を積むにはスペースは小さすぎると思います。もちろん一人がどれくらいの荷物を持ってくるのかにもよりますが、キャンプとか別荘など、多少は自分たちで荷物を持ち込まないとならないような旅行ではたぶん載せきれないでしょう。

こういったミニバンは、大人は5人程度まで、三列目はシートを倒して荷物置き場にする、というのが妥当なのではないかと思います。もちろん、二列目、三列目の居住性を少し制限し、シート感覚を狭めれば、三列目の後ろのスペースが広くなりますのでそれなりに荷物を置けるようになりますが、それも限度があります。

なにより、この手の車は、二列目、三列目のエレガントなシート、高級車の乗り心地を追及した内装ですから、足も満足伸ばせないようなシート感覚は本末転倒でしょうね。このあたりが、このクラスの車を選ぶ際の難しいところではないかと思います。

※実際のクルマは、上記のリンク先、以前のダイアリーに掲載しております!

みそか

今日は8月31日。本来なら夏休みの最終日ですが、今年は土曜日なのであともう一日、9月1日も夏休みということで、一日得をしたような気分の学生さんも多いのではないでしょうか? とはいえ、早いところでは既に今週から二学期が始まっているとか。週休二日制の影響で授業時間数が足りないのでしょうか? ただ十数年前ならともかく、これだけ熱帯化した現在の日本で、8月の後半から授業が開始だなんて、空調設備が整っている学校以外ではとても授業にならないのではないでしょうか? そんな気がします。

さて、今日は31日ですが、旧暦の場合、月の最終日、30日を「みそか」と呼びます。となると、現在のように31日ある月の場合、31日をみそかと呼ぶべきなのか、それともやはり30日をみそかと呼ぶべきなのか、あたしは時々悩んでおります。旧暦には31日がありませんから、そんな悩みはなかったはずです。現在12月31日を「おおみそか」と呼びますが、それは一年の最後の日という意味で「おお」を付けて呼んでいるわけですよね。

となると、やはり「みそか」は「30日」という意味よりも、「その月の最終日」という意味の方が正しいのでしょうか? もちろん旧暦ですと最終日、イコール30日なので何の問題も生じませんし矛盾もないわけですが。年に何回か、31日なると思い出す、あたしの心の奥底の悩みです(笑)。

今朝の中央線

相変わらずの喉の痛み、つらいです。いつもとはかなり声が違うので、「大丈夫?」と皆さまから心配されるのは嬉しいのですが、喉の痛み以外は比較的元気なので始末が悪いところ。

ただ、今朝は違いました。

最寄り駅までのバスは特に問題もなく、いつもどおりでした。そして中央線。いつもの時刻のいつものドア、至っていつもどおりの朝の通勤風景です。iPodで音楽を聴きながら、ここ数日は『平安朝の生活と文学』を読んでいます。これもいつもどおりです。

異変に気づいたのは阿佐ヶ谷、高円寺あたりです。とにかく気持ちが悪いのです。飲み会などで飲み過ぎて、帰りの電車で気分が悪くなって、吐きそうな、いや、吐かなさそうな、そんな胸から喉にかけてのあたりがモヤモヤとした気分で、やや意識が遠のき気味で、ふらふらと目が回る感じで、実際に体は揺れていないでしょうけど、気分はすっかり回っている感じで、立ちくらみっぽい症状。貧血で倒れる人ってこんな感じなのかな、と思いつつ、「あといくつ、あといくつ」と数えながら立っておりました。

もしこの時、鏡で顔を見たら真っ青になっているのではないか、唇は紫色になっているのではないか、そんな気になりました。中野で一回降りようか、いや大丈夫そうだ、新宿まで行ってみよう。新宿でどうする、降りるか、四ッ谷まで行けるよね。そんな心の中で自問自答を繰り返しながらなんとかお茶の水到着。車中で具合が悪くなって、電車の運行を妨げるようなことだけはなんとか避けられました。

爽やかとは言えないまでも、電車から降りて外の空気を吸って、少しは楽になりましたが、会社についても、頭がふらふらする感じと気持ちの悪さは抜けません。中央線の中から断続的に続いている生あくびをこらえつつ午前中を耐えしのぐと、昼頃には気分の悪さ、頭のフラフラ具合はかなり治まりました。

風邪、なんですよね? しっかり休まないとダメですか?

 

の、の、喉が……

痛いです。

昨日からです。

夏風邪というものでしょうか?

ふだん、それこそ年中、頭が痛くなることはあります。そういう頭痛発の風邪というのは、もうしょっちゅうなんです。いわゆる偏頭痛持ちで、それは風邪とは違うのかもしれませんが、でも本格的に風邪を引く時は、まずは頭が痛くなり、体の節々が痛くなりだるくなり、そして寝込むというパターンが多く、喉に来ることは年に一回か二回程度です。

その、滅多に訪れない喉の痛みに襲われています。頭なら頭痛、お腹なら腹痛と言いますが、喉の場合はなんと呼ぶのでしょう? 咽喉痛ですか? 医学的にあるかもしれませんが、日常的な語彙ではないですね。

まあ、それはともかく、声がガラガラなのが困ります。周囲の人は「ナンシー、辛そうだから、もう帰ったら」なんて言ってくれますが、こちらとしてはふだん耐えがたい痛みに襲われることもある頭痛もなく、もちろん熱もないので、喉以外の体調はすこぶるいつも通りなんです。確かに声だけ聞いていれば辛そうかもしれませんが、そして現に辛いですけど、それほどいたわられるほどの症状でもないんですよね。

朝からガラガラだった声ですが、やはり営業部ですので電話が鳴りますので応対しないとなりません。会社はやはり乾燥するのか、埃っぽいのか、だんだんガラガラ度合いがひどくなり、喉も痛くなってきました。空咳がやたらと出ますし、痰が絡むような喉の違和感もあります。

夕飯後に薬を飲んだので、今日も早めに寝ようと思いますが、明日、目覚めたら少しはよくなっているのでしょうか?

年に一度の真剣勝負!

午前中は年に一回の健康診断でした。本来なら6月ごろに受けるはずでしたが、出張が重なり、気づいたら健診の日が過ぎてしまっていたというわけです。特に先方から「ナンシーさん、受診されていませんね。ちゃんと来てください」といった催促はなく、こちらも年に一回のことですし受けておかなければという気持ちはあるので、先日連絡を取ったら、8月は比較的空いているということだったので今日になった次第です。

午前中の健診なので、昨日は午後9時以降の飲食は禁止、今朝も朝食は抜きです。それくらいは別に構いませんが、今朝起きてお茶も飲めないというのは毎年一回のこととはいえ辛いですね。で、健診です。確かに空いていました。ふだんの3分の2くらいの人数ではないでしょうか?

注射とか全く気にならないので、あたしは健康診断自体に苦手意識はありませんが、この数年飲むようになったバリウムが、やはりご多分に漏れず嫌いです。今年もありました。何が嫌いって、最初に飲むあのシュワシュワとした粉末、そしてドロッとした液体。どちらもイヤです。でも、なによりも嫌いなのは、こちらを自由に動かそうとする医者(技師?)の指示です。

毎年闘っています。「はい、こちらを向いて」と言われると、首だけ動かし、「体全体を斜めにこちらに向けてください」と言われて、やおらゆっくりと動くという具合です。「こちらかうつぶせになって。はい、そのままこんどは仰向け」という指示も、向こうの指示する声のスピードは一切無視、あくまでこちらのペースで体を動かします。うつぶせになっては一休みし、仰向けになっては一休みし、という感じです。毎年、医者との真剣な勝負です。

今年も、まずはシュワシュワとした粉末を飲まされましたが、あれを飲むための水、あんな少量でどうしてみんな飲めるのでしょうか? 「ゲップはしないでください」と言われるのはドリフのコントにもありましたが、聞こえないところで小さくゲップをしていたのは言うまでもありません。この粉末は胃を膨らませる膨張剤か何かですよね。そしてその後に飲むドロッとした液体がバリウムでしょう。ドリフのコントでは牛乳でしたから飲みやすそうでしたけど、溶かした鉛を飲んでいるような重たい液体です。「これを全部飲んでください」と言われても、とても一気に飲めるわけはありません。ちょこっとずつ、休み休み飲んでいたら、「はい、コップはそちらに置いてください」と、まだ半分くらいしか飲み終わっていないのに打ち切られてしまいました。まあ、あんなものを全部飲まなくてよかったのはラッキーでしたが。そして、ここから先は医者の指示と、抵抗するあたしの勝負、闘いなのです。

でも、結局は最後に飲む下剤が一番恐怖です。

あたしは小さいころからあまり胃腸が丈夫ではないので、腹を下しやすく、下剤なんか使わなくてもすぐに腹を下せます。そんなあたしが敢えて下痢を誘発する下剤を飲むなんて! ですので、毎年この日は午後からの書店回りは遠慮しています。お腹の様子を気にしながら営業するなんて辛すぎます。今年の場合、ちょうど会社のパソコンのリースが切れ、新しいパソコンが既に届いているので、データの移し替えの作業に午後を当てることにしました。早めに終わったら、お腹の具合と相談しつつ、帰りがけに一軒か二軒営業回りをして直帰しようと考えていたのですが、データ移行に思いのほか時間をとられ、結局5時まで会社におりました。それでも移行は完全に終わったわけではなく、続きは週明けです。それまでにはバリウムはすべて出てしまっているでしょう!

 

美を愛でるこころ~和様の書~

本日より三日間の盆休み。

休みの日は出かけずに自宅で録りためた映画などを見て過ごすのが習いとなっているのですが、今日は違います。東京国利博物館へ「和様の書」を見に行ってきました。

さて、本展覧会、はっきり言ってしまえば書道の展覧会です。来ている方はやや年配の方が多いかなと言う気がしますし、皆さん、書道を稽古されていらっしゃるのでしょうか? ふと感じた疑問は、見に来ている方のうち、どれくらいの人が展示されている名筆の数々を読めるのかということです。つまりは崩し字です。

書ですから、やはり読めなかったら面白さは半減してしまうのではないか、否、そもそも読めない人に書のよさがわかるのか、という意見もあるかと思います。あたしもその意見にうなずかないわけではなく、やはり一文字一文字しっかり読める楷書が好みといえば好みです。

ただ、その一方、たとえば連綿で、何と書いてあるのかまるっきり読めない作品でも、懐紙・料紙がが美しく、その美しさを引き立て、あるいは引き立てられているような作品は美しいなあと感じます。今回の展示品でいうならば、竹生島経のようなすっきりとした、読みやすい文字の作品が個人的な好みではあるのですが、元永本古今和歌集のような作品も好きです。

この流れで言えば、当然のことながら平家納経は別格の美しさですし、紺紙金泥や金銀交書の法華経などもやはり美しいなあと感じられます。逆に、能書家の作品だと解説に書かれていても、平凡な、草食のない料紙に書かれているものにはあまり惹かれません。正直、いったいどこがいいんだろう、と思うこともしばしばです。

ところで、多くの作品は鑑賞用、特に茶の席での掛け軸だったりするわけですが、当時の人、そして江戸・明治くらいまでの文化人ならば、こういう崩し字も難なく読めたわけですよね? であればこそ、こういった作品が床の間に飾ってあっても、それを賞翫できるわけで、飾った主人の方も鼻高々となるわけでしょう。

でも、現代人の場合、読める人ってどれくらいいるのでしょう。この展覧会を見に来た人はさすがに読める人の割合が高いのだと思いますが、たぶん、上野の駅前でランダムにインタビューしたら9割以上の人が読めない(作品にもよるでしょうが…)のではないかと思います。そうなると、和様の書って、現代人はどういう風に鑑賞したらよいのか。上に書いたように、料紙との対比など、ただただ美的に鑑賞すればよいのでしょうか。

もちろん、あたしは先に読みやすい字が好きだと書きました。お経などは一文字一文字は何という漢字だか見ればわかります。でもお経として読めるのか、となると話は別で、結局、文章として読めないのであれば、連綿の崩し字が読めないことと大差ないのではないかとも思います。

その思いは、東博の後に銀座線で表参道へ向かい、根津美術館で「曼荼羅展」を見た時に改めて感じました。

あたしは曼荼羅とかチベット仏教のタンカなどが好きで、過去にも何度か展覧会を見に行っています。色や意匠、とにかく毎回目を奪われますが、ではあたしは曼荼羅が表わしているもの、描いているものを理解しているのかと問われれば、否と答えるしかありません。決して仏教的な理解に基づいて鑑賞しているわけではなく、ただ単純に美術品として好みであるというだけのことです。

となると、和様の書が読めないということも、別に鑑賞する、好ましく思うという時に、決して間違った態度ではないのかな、という気もします。もちろん曼荼羅を見るにはしっかりとした知識の裏付けを持って見るべきだという意見もあるでしょうし、それを言われたら返す言葉もありません。でも、わからなくてもなんかいいなあと感じる、それで十分なのではないかな、と思えば、なんて書いてあるか読めない名筆でも、とにかく眺めていればよいのではないかと思います。

ところで、「和様の書」展で最後に思ったのですが、中国の影響を受けつつも日本独自の進化・発展を遂げたのが和様の書であるというならば、

今日も暑いですね

→ 今日も暑ぃτ〃すね

→ 今日も暑レヽτ〃すЙё

→ 今日м○暑レヽτ〃£Йё

といった描き方をする、現代の通称ギャル文字は和様の書の最末端に位置する現象なのではないかと感じました。最後の一角で、これらギャル文字の展示があれば、「おお、トーハクも変わったなあ」と感じられたのでしょうけど。

ちなみに、文字は読めなくたってよいのだそうです。

同館副館長島谷氏の『書の美』にそう書いてありました。

キティちゃんが待ってる!

先日来、妹が子供3人を連れてわが家に来ております。こちらは仕事がありますので、そうそう休んでもいられませんが、それでもせっかく遊びに来ているわけですから、どこかへ連れて行ってやらねば沽券にかかわるというもの。

で、来ましたのが、東京は西郊、多摩センターにありますサンリオピューロランドです。はい、キティちゃんの国です。キティラーとしては外すことのできない聖地です。甥っ子、姪っ子よりもあたしの方が行きたかったのかも?

平日ではありますが、やはり夏休みになったので、中高生も多いですね。もちろん小さい子供を連れたお母さん、お父さん、おじいちゃん、おばあちゃんなんかもいます。

でも、一番目だったのは中国人、韓国人です。ほんと、そこらじゅうが中国人、韓国人という感じで、一瞬日本にいるということを忘れそうになります。

日本人だと、記念に写真を撮るようなオブジェは小さい子供がポーズを取るところ、という感覚がありますが(やはり、大人は恥ずかしい?)、中国の人、韓国の人はそんなことは露ほども気にせず、思い思いのポーズで写真を撮っていました。すごいです。

しかし、ふと思いました。こういうところへ、おっさんが6人や8人くらいの集団で来て、いろいろなアトラクションをノリノリで楽しんでいたら、係のお兄さん、お姉さんはやりにくいのだろうか、と。

宿題は終わった!

7月も終わり、いつの間にか8月。今年もあっという間に終わるのだなあ、と感じます。

学生が夏休みに入る時期というのは小中高ではそれほど変わらないのでしょうが、大学はあたしのころより若干遅くなっている感じですね。あたしは7月の半ばか、20日頃から休みだったような印象を持っているのですが、今の大学生は8月から休みというところもあるみたいですね。

セメスター制の影響で8月、9月が夏休みなのでしょうか? かつて、あたしたちよりも更に10年、20年前は7月、8月が夏休みで、9月から新学期だったとのことです。ちなみに、あたしたちのころは9月の半ば過ぎから新学期という感じでした。こんな夏休みでしたから、あたしたちのころは既にお中元配達のバイトはできない状況になっていましたが、今の学生は(真面目に授業に出ていれば)完全にダメでしょうね。

と、大学はどうでもよいのです。むしろ小中高の夏休みです。夏休み入っての一週間、テレビの情報番組で何回か夏休みの過ごし方的な特集をやっているのを見ました。あらかじめ計画を立てて過ごすのか否か、宿題は予定通り終わらせるか、といった内容です。宿題については、テレビに出ている人たちはテレビ的、番組的な答えというのでしょうか、ほとんどが「8月の末に慌ててやった」と言っていましたが、もう少し計画的にやっていた人はいないのでしょうか?

あたしは小学生のころから、かなり計画的にやってしまうタイプでした。毎日書く絵日記という宿題があった記憶はないのですが、毎日やらなければいけないもの以外は、夏休みの前半で済ませてしまうタイプでした。ドリルなども、だいたい8月の初旬には終わらせるようにしていましたので、今年で言えば、この週末が一つのヤマと言えます。もしあたしがいま小中の生徒だったら、3日(土)、4日(日)までに宿題をすべて終わらせるように予定を立てていたでしょう。そう言えば、夏休みの前半って、小学校の時はプールがありましたね。懐かしい。

で、高校の時ですが、高校には試験休みがあります。だいたい7月の半ばに試験が2日か3日あり、そのあと一週間試験休みに入り、試験休みが明けて終業式、そして夏休み本番という流れでした。冬休みも同じような具合でしたから、長期休暇の前に一週間ほどのプレ休暇があったと言えます。

夏休みの宿題は、その前に既に出されていましたので、あたしはこの試験休みに宿題を済ませてしまうことが多かったです。試験休みだいたいは一週間です。毎日真面目に取り組めば、ほとんどの宿題は終わります。ですから、あたしは夏休みの宿題を終業式に自宅へ持って帰るのではなく、やり終えた宿題を終業式の日に学校へ持って行き、ロッカーへしまって身軽になって夏休みに突入していました。確か一度だけ終業式の日に先生に「もう宿題やっちゃったから、今日出してもいいですか」と聞いた覚えがあります。もちろん却下されましたが(笑)。

どうして皆さん、宿題をさっさとやらないのですかね?

そして嵐がやってきた

静岡に住む妹家族がやってきました。約一週間半の滞在です。ちびっ子三人の世話をしないとなりません。子供は好きですが、やはり普段やっていないことなので疲れるでしょうね。