あたしは死んでます

昨日、風邪を引いたのではないかと書きました。

ダイアリーを更新した後、じきに寝たのですが、そこからが辛かったです。

下すは戻すはで何回かトイレに駆け込みました。気分の悪さはあらかた「リーバス」してしまった後はすっきりしましたが、下すの方は今日一日だめです。今日は朝食を抜いたので、もう下すものがないのですが、ずーっとお腹がグルグル言っていました。午後からはだいぶよくなって、昼食は軽めに食べましたが、まだちょっと体の関節が痛いです。熱があるような気はしませんが、とにかく腰が痛いです。

ようやく風呂に入り、夕食を食べ、再び風邪薬を飲んだので、今夜も早めに布団に入ろうと思っています。

それにしても、あたしって学校や会社がある時には具合が悪くならず、休みの時に体調を崩しがちなんですよね、昔から。たぶん今晩ぐっすり眠れば、明日はけろっとして起きられるのではないかと思います。いや、起きられないと困るでしょう? 明日はアフター5に団交ですよ、団交!

 

風邪か?

今日は暖かくなるはずが意外と寒かったですね。

外出もしないどころか、家から一歩も出ていないので、外の気温もわかりませんが、それほど暖かいような感じはしません。

だからなのでしょうか? 午後からだるいです。ちょっと気持ちも悪いです。

風邪の引き始めでしょうか?

夕食後、薬を飲んだので、今日は早く寝ようと思います。いつものことですが……

なんと鷹揚な

午後から東京国立博物館へ「大神社展」のレセプションに参加するため出かけてまいりました。お歴々のあいさつの後、いよいよ内覧会です。最初の部屋こそ混んでいましたが、そこは飛ばして次の部屋から見学です。そもそも内覧会なので、決まった人数しかいないわけです。後から次々に新たなお客さんが入ってくるわけではありませんし、むしろあとは帰るだけですので、あっという間にゆったりとした鑑賞の時間が訪れました。

基本的には仏教が伝来することによって、造作にしろ意匠にしろ相当な影響を受けたと思われますが、そんな中にもどこか仏教徒は違う、根本的に異なるものが見え隠れします。どのあたりまでもオリジナル神道で、どこからが仏教かぶれしたものか、専門家ではないあたしにはよくわかりませんが、見ているととても面白いです。

神像などは仏像とは異なる独特の風貌をしています。当時の日本人が杏奈面相であったとは思えませんから、あの風体はどこから着想を得たのでしょう? ふつう人と異なる<神>を表わすのであれば、目を三つにするとか、角があるとか、わかりやすい特徴を備えるのではないかと思いますが、そうではなく、どう見ても別の人種を表わしているようにしか見えないものがありました。当時の日本人が、そんなに人相の異なる人間に出会う機会があったのでしょうか? もちろん中国人、朝鮮人であれば、日本人とそれほど変わらないでしょうから、それ以外の国の人と思われますが。

それはともかく、なんだかんだ言っても神仏の親和性が強く感じられたのも確かです。僧形の神様の像がありましたが、解説文には神様が出家して僧形となった姿を表わしたもの、というような説明がありました。神様が出家するなんて発想、たぶん一神教の世界では考えられないのではないでしょうか? そんなところにも宗教に対する古代日本人のおおらかさが感じられました。

 

定期入れ

財布がもうボロボロになってきたので買い換えなければと思っていたところ、実は定期入れも、もう長いこと使っていて古くなっているので買い換えなければならないということに思い至りました。

安いのを探せばそれなりにありますが、安いものは安いなりの理由があります。逆に高いものは、それこそなんで、というくらい高いものがたくさんあります。年も年だから、あんまり安っぽいものを持つのも憚られるし、かといって身分不相応な高級品はもっとみっともないと思うので、そこそこのもので手を打とうと考えてはおります。どれにしょうかと、ほぼ狙いも付けております。

が、その前に、とりあえず定期入れを買うことにしました。選んだのはこれです。

フライングスコッツマンというブランドの商品です。定期入れにカード(名刺)入れがついた商品です。時々、名刺交換する必要が生じますが、得てして名刺入れを持ってきてなく、定期入れの中に数枚だけでも入れておけば、と思うことがしばしばあるのです。それで今回はこういう製品にしてみました。色はブラウンの方です。

さて、次は財布ですが、定期入れに比べるとやはり高い買い物なので、もう少し時間をおいてからにしようと思います。

あ、牡蠣ながら思い出しました。名刺入れもそろそろ買い替え時なんです。

プリウスを見た

既に書きましたが、先日福島へ出張に行きました。

とある書店に向かう途中、タクシーに乗っていると、隣の車線を走る車が目に留まりました。何気なく車種を確認すると、おしりのところにプリウスと英語で書かれたロゴがあります。ああ、プリウスか、そう言えば見覚えのある車体だなあと思いつつ、福島でもこうやって普通にハイブリッド車が走っているんだなあ、地球にやさしいという意識はいまや都会も地方も関係ないんだなあ、などと思いながら、走っていくプリウスを眺めておりました。

が、その刹那。プリウスの空いている窓から手が伸び、指に挟んだタバコの灰をチョンチョン……窓から落としているではありませんか!

プリウスに乗るなんて、大気汚染とか地球環境とか、そういうものに関心が高い人が乗るクルマでしょ、それなのに、そういうクルマに乗っている人がタバコの灰を窓から落としているなんて……

あの分では、きっと吸い終わったタバコも窓から放り投げるのでしょうね。これではプリウスも泣いています。

 

銀ぶら

月曜日から妹が子供三人を連れて遊びに来ています。で、今日は祝日なのでどこかへ連れて行かなければならないなあ、ということで銀座へ行きました。

まずは新橋で降りて博品館へ。やはり子供ですからおもちゃが好きでしょ、というわけです。しかし、ここのようにおもちゃのデパートとなると、大型のトイザラスもそうでしょうが、子供は目移りしてどれか一つを選ぶなんて出来ないですよね。とはいえ、子供にも個性があって、今回の甥っ子、姪っ子に限らず、数多くの親戚の子供を見てきましたが、こういうときにしっかりと自分の欲しいものを一つ決められる子と、なかなか決められない子がいるものです。

博品館で買い物をした後は中央通りの歩行者天国を歩いて四丁目、そして数寄屋橋方面へ。子供連れなので、不二家レストランに入りました。幸いそれほど待たずに入ることが出来ましたが、一階の数寄屋バーグはかなり並んでいました。こちらでゆっくりランチの後はニューメルサ内のユザワヤへ行きました。妹のところは長女は既に幼稚園へ行っていますが、この4月からは長男が幼稚園なので、いろいろと準備用品を買いに寄ったというわけです。

買い物も済み、有楽町へ向かう途中、西銀座デパート内にあるサンリオショップへ立ち寄りました。ここは外せません(笑)。1階と2階、2フロアのなかなか大きなお店です。ここでもやはり子供には欲しいものがあっちにもこっちにも。またまたちょこっと買い物をして、ようやく帰路となりました。

もちろん、あたしもサンリオショップで買い物を愉しみました!

 

ワンシージー

よく晴れた日曜日、東京は上野公園にあります東京国立博物館へ行って参りました。目的は現在開催中の王羲之展円空展を見るためです。

平成館をフルに使っていた王羲之展に比べると、本館の大階段奥の大部屋一つで開催されている円空展とでは、人の混み具合もかなり異なるのではと予想していました。確かに王羲之展の方が多くの人が入っているのでしょうが、円空展も負けてはいません。むしろ会場が一部屋しかないために混雑具合で言えば、円空展の方が立錐の余地がないくらいでした。

さて、まずは王羲之展です。ちなみに、ご存じだとは思いますが、王羲之の「羲」の字は「義」ではありません。「羲」です。上半分の「羊」は共通していますが、下が異なります。もしかすると「おうぎしって漢字で書いてみて」と言うと、多くの人が「王義之」と書いてしまうかもしれないですね。くれぐれもお間違いのないように(笑)。

それともう一つ。王羲之では最も有名と言ってよい「蘭亭序」。まさか、「伊藤蘭の亭主だから水谷豊のこと」なんて思っている人はいませんよね?……(-_-;)

さて、王羲之ですから、基本は書跡です。書籍ではなく書跡です。唐の太宗が国中の王羲之の書を残らず集めた(集めようとした)のは有名な話で、すべて自分の陵墓に副葬品として埋めたから真筆は一つも残っていない、という話も巷間よく聞かれるエピソードですが、史実はどうだったのでしょう?

それはそうと、王羲之の書、そんなにすばらしいでしょうか? 世に能書と呼ばれる人は日本にも中国にも大勢いますが、とにかく書聖と崇められる王羲之が最高峰と言うことになっています。でも、あたし、今回の展覧会を見ても、それほど王羲之の書がよいとは感じないのです。王羲之よりももっと好きな字はありますし、能書かもいます。すぐに名前や作品が出てきませんが、見ただけですばらしい、すごいと思えるような書はほかにいくらでもあり、そんな中で王羲之の書が一頭抜きんでているかと問われれば、あたしにはそうは感じないのです。

もちろん、こういったものはそれぞれの人の感覚、感性によるものですから、「王羲之ってそれほどでもないよね」ということを他の人に強制するつもりはありません。あたしだって決して下手だといってるわけではありません。あくまで王羲之よりも「うまいなあ」と感じる書がほかにあるというだけのことです。

ついで円空展。

円空という名前くらいはどこかで聞いたことがあるなという程度の知識でしたが、なんとも言えない、素朴なぬくもりのある仏様ですね。決して精緻な技巧を施した仏様という感じではありません。もちろん、かなり細かな彫りが施されたものもありますが、多くは荒削りな、言葉は悪いですが、児童の夏休みの宿題の木彫のような、ほのぼのとしたものばかりです。都の貴族が愛好するのではなく、田舎に暮らす庶民が心から信心する対象、そんな雰囲気がある仏像ばかりです。

円空って、鎌倉か室町の人かと思っていたら、江戸前期の人だったのですね。だから仏像もこれだけ残ったのでしょうか?

時計を探して

あたしは腕時計をしていません。高校の頃からです。

中学までは教室委時計があり、記憶が定かではありませんが、時計をしていくのは禁止だったような気がします。高校生になって初めて腕時計をするようになったと思います。でも、高校の二年生くらいから腕にするのをやめ、ベルトにぶる下げるようになりました。汗をかくのが嫌だったのが理由です。別に金属アレルギーというわけではありません。

以後、大学時代、社会人になってから、ずーっと腕時計をしていません。昔、家族にクリスマスか誕生日のお祝いで腕時計を買ってもらったことがありましたが、全くしなかったです。埃をかぶったまま、あの時計はどうなったことやら……

ですから、世間でG-Shockなどが流行っても、ほとんど食指を動かされることもなく、大学生の頃から、もっぱら懐中時計をしておりました。懐中とは言っても、一昔前の映画に出てくる執事のようにチョッキのポケットに忍ばせて、というのではなく、ズボンのベルトに取り付け、ズボンのポケットに入れていました。冬になると、コートをまくり上げないとならないので、結構不便ですが、それでも腕時計をしようとは思いませんでした。

その懐中時計、落としたり傷がついたりして、何代目かのを使っていたのですが、あまりにも安物だからなのか、時計本体の鎖が取り付けられている部分が壊れてしまいました。なんとか取り付けて、騙し騙し使っていたのですが、すぐに取れるようになってしまい、もう諦めました。懐中時計なのに鎖がないなんて、冗談ではありません。

新しいのを買いたいなあと思い続けて数ヶ月がたちましたが、いまだに買っていません。気に入ったのがない、というのもありますが、見つけられないというのが正解です。

実は、掛け時計や置き時計では昨今増えてきた「電波時計」が欲しいのです、いや、探しているのです。でも、見つかりません。ネットで懐中時計の電波時計を検索しても、いろいろ出てくるのですが、実はたった一種類の製品しかヒットしていません。この商品は以前使っていました。また、それを使ってもよいのですが、7000円から8000円くらいします。時計としては安いですが、無くしやすいし、傷つきやすいので、そんなに高いのは買いたいとは思いません。

が、とりあえず値段のことは無視するとしても、この商品以外に電波時計の懐中時計って、どうやら存在しないみたいなのです。フック時計でも構わないと思っているのですが、それでもやはり電波時計は見つかりません。

こうなったら、もう諦めて電波ではなく、フツーの時計で手を打つとしましょうか?

 

こんな街の賑わいが苦手

Facebookにも書きましたように、昨晩はとなる書店員さん(女子!)の結婚披露パーティーがありまして、夕方から外出しました。若干頭が痛かったのは昼過ぎに風邪薬を飲んだので徐々に和らぎましたが、朝からお腹の調子がよくなくて、そちらの方が心配でした。なので、立食パーティーではありましたが、食事は一切せず、乾杯のビールを一杯いただいただけにしておきました。

さて、会場は池袋サンシャインシティの水族館、こういう場所でこんなパーティーを開くことができるなんて知りませんでした。食事込みでいったいいくらくらいするのでしょうね? 上述のようにお腹の調子が悪かったので食事は楽しめませんでしたが、水族館の動物たちは楽しめました。この水族館には初めて来ましたが、そもそも水族館なんて、何年ぶりでしょうか? いや、そもそも生まれてこの方、水族館って来たことがあるのか、そこからして記憶が定かではありません。動物園ならまだしも、水族館は何十年ぶりになると思います。

さて、版のパーティーでしたから自宅を出たのは5時すぎでした。休みの日に、こんな時間から外出するなんていうのは何年ぶりでしょうか? 基本的に外出は早々と済ませ、特に日の短い冬ですから、寒くならないうちに帰宅するのがパターンで、わざわざ暗くなってから出かけるなんて、いつものあたしからすれば、ほとんど狂気の沙汰です。

わが家からですと中央線で新宿経由、山手線あるいは埼京線で池袋というルートになります。土曜の晩の新宿や池袋って、やはり人が多いですね。全員が全員とは言いませんが、だいたいが二人連れだったりします。夫婦、恋人同士もたくさんいますが、友達同士というのも多いです。仲よさそうにワイワイと楽しげに週末の夜を過ごしている姿は、どうも馴染めません。

昔から友達がほとんどいなくて、従って、休みの日に友達と出かけるなんてことを、ほとんど全くしたことがないあたしには、休みの日の寒空にわざわざ街へ出かけてくるなんて理解できません。なんか街にあふれるそういう人たちを見ていると、心が荒むと言いますか、荒れてくると言いますか、ささくれ立ってきてしまいます。一年後や数年後、否、半年後に、まだその相手と楽しい関係が続いているかどうかもわからないのに、どうしてそんな刹那的な快楽に溺れることができるのでしょう?

金曜の晩や土曜の晩は特に享楽的な空気が繁華街には充溢するので、そういったものが苦手なあたしは出来るだけ近づかないようにしてきました。苦手と言うよりもそういったものに縁がないと言った方がより正確かもしれません。いずれにせよ、今回みたいな、出かけなければならない用事でもない限り、わざわざ外出するなんてことはありえないわけで、目的地へ向かう途上、徐々に心にトゲが生えてくるのがわかる、そんな晩でした。

幸せな二人の門出を祝福しなければならないはずが、向かう途中で既に心に悪魔が棲みついてしまっていました。

 

通過しそうな勢い

ふだん乗っている東京の大動脈、JR中央線。いま「大動脈」と書きましたが、恐らく山手線と双璧をなす、東京で最も大切な路線でしょう。基本的に10両編成で走っていて、あたしは通勤にはほぼ中程の車両に乗っています。ところが、このたび、たまたま前の方の車両に乗る機会がありました。

それがどうした、と言われそうですが、これはこれで新鮮な驚きでした。

何に驚いたのか。

それは駅に着くたびに感じました。

列車のスピードです。

いつも乗っている当たりの車両ですと、ホームに滑り込んだ時、いかにも駅に停まるな、というくらい減速しています。もう何年も毎日のようにその車両に乗り慣れているので、だいたい駅に着く時のスピードもわかっているつもりです。

ところが、前の方の車両ですと、駅のホームに滑り込んでいく時のスピードがかなり速いのです。「えっ、こんなスピードで入線して、停まれるの? もしかして、この駅、通過?」と思えるような速度でした。

まあ、考えてみますと、10両ある電車の前の方と中程では、駅のホームに入ってきた時のスピードが違うのは当然のことで、頭で考えればすぐに理解できることです。でも、やはりふだん乗り慣れてしまっていると、こういうとっさの時に、頭で考えるよりも先に体が感じてしまっていると、対応できないものです。

たぶん、こんどは電車の後ろの方に乗ったら、また違った感覚を味わえるのでしょう。