さよなら、タブレット

あたしの手元からタブレットがなくなりました。

この半年くらい、ドコモの「F-02F」を使っていました。外回り営業に出た時に、メールのチェックなど、それなりに重宝していたので、これがないと不便です。いや、無ければ無いなりに慣れてしまうのでしょうか?

別になくしたわけではありません。修理に出したのです。

では壊したのかというと、そういうわけではなく、壊れたわけでもありません。

実は、液晶の端の方が黄ばむという現象に、この数日気づきまして、よく見ると、画面の四辺のうち三辺に黄色い帯のような筋が入っているのです。もちろん画面の汚れではありません。拭いていましたが落ちません。かといって、操作や使用に支障があるのかと問われると、特にそういうこともなく、端っこの方なので気にしなければ気にならない程度のものです。

ただ、念のためネットで検索してみると、この症状、意外とヒットするんです。画面の黄ばみ以外に問題がなければ無償修理をしてくれるという情報もあり(←傷やへこみなど、いろいろチェックされ、そういうのがあると有償になる場合もあるようです)、とりあえずは、どんな対応をしてくれるか、本日午前中に近所のドコモショップへ行ってきました。

その結果、確かに黄ばみが確認され、他に傷などの問題もないので無償修理ということになり、タブレットを預けてきたという始末。ちなみに、ネットでヒットした記事の中には修理されて戻ってきても、しばらくするとまた黄ばみが出た、というものもありました。となると、何か根本的な問題、設計上の問題があるのかもしれませんね。とにかく、修理から戻ってこないと何とも言えません。

で、修理に出している間、ドコモショップでは代替機を貸してくれるということでしたが、二世代前のモデルしかないということなので断わりました。ですから修理が終わるまでタブレットなしの生活となります。それもまたスッキリしてよいかも、と思っています。

多少の不便はあるでしょうけど、タブレットのない生活自体にはあまり心配とか不安はないのですが、一番憂鬱なのは修理が終わって戻ってきた時です。タブレットは修理に出すに当たって初期化してしまいましたので、戻ってきた時には、カスタマイズした部分がすべてパーです。後から自分でインストールしたアプリもすべて無くなっているはずです。使わないアプリなら再インストールしなくても構わないですが、いったい何をインストールしてあったのか、そういう環境をバックアップしておけばよかったかな、いや、そもそもそういうバックアップの仕方ってあるのか、できるのか、そこがわかりません。

使っていた環境に戻すのに時間がかかりそうです。それに、一週間程度と言われましたが、そのくらいで戻ってくるのか……

礼讃

本日見本出しの新刊『読書礼讃』はアルベルト・マングェルの著作です。

彼の書籍は既に白水社からは『図書館 愛書家の楽園』と『奇想の美術館』の二点を出していて、これが三点目になります。

 

また柏書房からは『読書の歴史』も出ています。

これらのタイトルからも、もっぱら本にまつわるあれやこれやを精力的に書いている方だということがわかります。

それはともかく、今回の新刊のタイトル、さすがに「らいさん」は読めますよね? 白水社には今回の本以外にも『個の礼讃』『日常礼讃』といった本があるので書店から注文の電話がかかってくることがあります。そういうときに「れいさん」と読む人がいらっしゃるのです。

 

これくらいルビが振っていなくても読めて当たり前の単語なのか、底まで求めるのは酷なのか、どうなのでしょう? 一般日本人にアンケートをしたら何割くらいの人がきちんと読めるのでしょうか? という思いもありますが、やはり書店員ならこれくらいは読めて欲しいという気持ちもあります。

「礼」を「らい」と読むのは中国古典をやっている人ならしばしば見かけるはずです。有名な『礼記』は「らいき」と読みますし、その他にも『周礼』は「しゅらい」、『儀礼』は「ぎれい」ではなく「ぎらい」と読み、この三つの古典を総称して「三礼=さんらい」と呼びます。『周礼』など「しゅうれい」ではなく、「しゅうらい」でもなく、「しゅらい」と読むわけですから、このあたりは専門家以外には読めなくても仕方ないところでしょう。ただ、中国古典をやっている人は、このような古典の名称を日常的に目にするので、「礼讃」を「らいさん」と読める確率が高いだろうなあとは思います。

ところで、この礼讃、いま「礼讃」と書きましたが、他社の本などでは「礼賛」という表記も散見されますね。「讃」なのか、「賛」なのか、ということです。これは通用する文字ですが、「讃」は常用漢字ではないのでしょうか? だから「讃」を避けて「賛」と書くようになったのではないでしょうか? 現代日本語ではどちらでもよいみたいですが、そうなると後は文字面、見た目の問題でしょうか? やはりなんか「ごんべん」が付いている方が格好良く見えるのはあたしだけでしょうか?

デート

仲のよい英文科出身の女の子に聞いた話です。

どうしてそういう話になったのかは覚えていませんが、いや、その女の子と休みの日にお出かけしたときに出た話題だったような記憶が甦ってきました。とにかく、聞いた話です。

その英文科にネイティブの男性の先生がいて、たまたま授業で「デート」の話になったそうです。その先生曰く、「デートというのは未婚の男女が時間を決めて会うことだから、既婚者である僕は君たちとデートは出来ない」とおっしゃったそうです。言葉の厳密な定義に照らせば、このネイティブの先生が女子学生とデートしたとしても、それはデートとは言わないんだ、ということなのでしょう。

と、まあ、その英文科出身の女の子は、そんな話をしてくれました。

そのネイティブの先生の定義が正しいのか否か、あたしは知りませんし、その後特にこだわって調べたわけではありません。あるいはそのネイティブの先生がどちら出身かはわかりませんが、イギリスとアメリカとオーストラリアで異なるとか、あるいは一国の中でも地域によって異なる、そういった地域差なのかも知れません。

ただ、もしこの定義が正しいのであれば、この先生と女子学生がデートをした場合、それは英語では何と表現するのでしょう? 片一方が既婚の場合です。あるいは両方が既婚者の場合だとどうでしょう? 日本語なら不倫? いや、会ってお茶するくらいで不倫とは言いませんよね? それに既婚者同士という場合、その二人が夫婦というケースも既婚者同士になりますよね? そうなると、やはり英語ではどういう表現を用いるのでしょう?

と、突然、デートに飢えたあたしはそんなことを思い出してしまいました(汗)。

距離感が難しい

碧野圭『書店ガール 3』読了。『書店ガール』『書店ガール 2』と読んできて第三作目です。

 

今回もジュンク堂とおぼしき書店チェーンが舞台ですが、主役の二人が一緒に活躍する機会は少ないです。かたや東京で育児と仕事との両立に悩み、かたや仙台で震災との関わり方に悩む、そんなシチュエーションです。ストーリー自体は、この手の作品の宿命として、あくまでも前向きに前向きに、頑張れば結果はついてくる、一生懸命さはきっと誰かが見ていてくれる、という応援メッセージ的なもので、これまでと変わりありません。

ただ、読んでいて、今回は三年たった東日本大震災のことが大きなテーマとして取り上げられていて、被災者との距離の取り方が難しいな、という気がしました。この作品に限らず、被災者を扱ったものにはしばしばこの難しさが感じられます。簡単に言ってしまうと、さほど被害を受けていない東京の人間は震災を忘れた方がよいのか、それとももっと東北の人に何かした方がよいのか、そんなこんな。

この作品に出てくる東北の人の声が、すべての声を代表しているとは思いませんが、こちらが何を思い、何を考えても「所詮、お前たち東京の人間にはわかりっこねえ」と言われているような気がします。そう言われてしまうと、こちらもわかるわけはないし、辛い体験なんてわかりたいとも思わない、と言い返したくなります。どう接すればよいのか、それともむしろ接しない方がよいのか、とりあえずは考えてみるしかないのか、そんな風に思います。

さて、もう一つのテーマは育児と仕事です。どうしても夫婦共働きだと女性にしわ寄せが行ってしまう日本社会。この作品でも子育てと主婦業と書店人としての葛藤が描かれています。出版社の編集がみんながみんな毎日のように深夜まで働いているというのは、いくらなんでも極端だと思いますが、ここに描かれている夫(出版社の編集)は、それでもまだマシな方なんでしょうか?

途中までは両立に悩み、本来の自分を見失っていた主人公も後半はしっかりと未来を見据え、本来の自分を取り戻し、自信を持って周りの人を巻き込んでいきます。この後半の周りの人を巻き込んでいく過程、パート3まで来たこのシリーズの醍醐味でもあるわけですが、実はあたしが一番苦手としていることはこれです。ここが読んでいて一番辛いです。やはり読んでいると、登場人物に自分を置き換えて読んでしまうのですが、このところが一番面倒で、うざったく感じます。もちろん大きなフェアとか、企画を遂行するのには周囲の協力は必要ですが、ここまでの熱意ってないですし、出せません。こんな巻き込み型の人が周囲にいたら、こちらが疲れてしまいそうで、たぶん自然と距離を取るようになるだろうな、と思います。

それにしても、この業界のもっとドン底を、そろそろこのシリーズでも描いてもよいのではないかと、そんな気がします。

もう死んでいるのかも?

先日、紀伊國屋書店で飴屋法水さんのトークイベントのゲスト朝吹真理子さんの『きことわ』を読みました。イベントの前後にちょこっとだけを言葉を交わす機会がありましたが、あたしなんかよりもはるかに落ち着いた感じが漂っていたのですが、あたしよりかなり年下なんですよね。しかし、本作を読むとその独特の言葉遣い、単語の選び方、やはりあたしよりずっと年上に感じられます。

さて『きことわ』ですが、特に何かがあるという作品ではありません。四半世紀も前、母親が管理人をしている物件(別荘)によく来ていたきこ(貴子)と遊んだ想い出を持つとわ(永遠子)。その別荘をきこの家が手放すことになり、解体も近いというので残っている家具などの整理に訪れ四半世紀ぶりに再会を果たします。そして荷造りをして別れる。ただそれだけの話です。

そのあいまに、きこもとわもそれぞれが記憶している想い出の情景がよみがえり、それが挟み込まれて描かれます。よい喩えになっているか不安ですが、誰かと面と向かって話しているのに、その話ながら頭の中では別のことを考えている、そんな感じです。そして、この作品ではその目の前にいる相手の会話を丹念に描きつつ、頭の中の情景も丹念に描いているのです。更には、そんな自分の周囲の様子、目に映るもの、そしてそこから連想されて心に浮かぶもの、そういったものが一つも漏らさず文字にされている、そんな作品です。

と、書いてしまうと簡単なようですが、実際に自分がそれを書いて見ろといわれれば、すぐにでもその難しさがわかるというもの。そして、朝吹さんの筆致のせいなのでしょう、この作品は推さなかった自分が未来を覗き見て(空想して)描いているのか、あるいは齢を重ねた現在の自分が子供のころを懐かしんで書いているのか、どちらが小説の中の「いま」の時間なのかあやふやです。

そして、読み終わった時に感じたのは、もしかして、二十五年後の別荘で再会したというのは嘘ではないのか。きこは既に亡くなっていて、とわが勝手にきこがそこにいるかのように夢想しているだけではないのか。あるいは逆に、とわが既に亡くなっていて、久しぶりに訪れた別荘できこが永遠との想い出に浸っているだけの話なのではないか。そんな気がしてきました。

たぶん、そう解釈してもよいのではないかと、そんな風に思います。

 

韓国ホラー

WOWOWでやっていました。韓国映画「ホラー・ストーリーズ」です。日本では公開されていないようですし,DVDやブルーレイも発売されていないようです。

あらすじは、ある女子高生が目を覚ますと手足を縛られ口には粘着テープという状態。ちょっと薄気味の悪い青年が包丁を片手にいて、彼女に怖い話をしろ、と脅迫します。なんでも眠れなくて、怖い話を聞くと眠れるのだそうです。そんなのあるか(?)という疑問はさておき、加除のは必至に怖い話を語って聞かせます。その四つの話で構成されるのが本映画です。

一つめのお話は、父親は離婚しているのか死別しているのか、とにかく母親が働いていて夜も弟と二人で留守番をしている少女の目線で描かれます。この二人が留守番をしているところへ宅配の配達を装った変質者の男が押し入り、二人は逃げ惑い怖い思いをするというストーリーです。

二つめはスチュワーデス(今はキャビンアテンダントというべきか?)が主人公で、ようやく捕まった連続女性殺人という凶悪犯の護送のフライトに当たってしまった彼女が怖いめに遭います。機内は機長と副操縦士に自分ともう一人のCA。それに犯人と護送の刑事二人。たまたま床に落ちていた釘を密かに拾った犯人が刑事を倒し、CAを殺し、機長、副操縦士も手にかけ、主人公のCAが凶悪犯に立ち向かうという内容です。

三つめは、継母とその連れ子の妹にイヤミを言われ続ける姉(父親は既に亡くなっているらしいが、それなりの遺産があるのか生活は裕福)が、かなりの歳ではあるが見た目の若さを保つ金持ちの後添えになることが決まります。が、妹がちょっかいを出し、結局、その男性は姉ではなく妹と結婚することになります。が、その男性が若さを保つ秘訣というのは結婚相手の若い女性を殺してはその肉体をキムチにして食すること。妹もあえなくキムチにされ、そのキムチがお裾分けとして姉と継母の元へと送られてくるところで終わり。一番グロテスクで後味の悪い作品ですね。

四つめは街中がゾンビだらけになり、数少ない非感染者を救って回っている救急車に傷を負った娘を連れた母親が乗り込んできます。必死の手当の甲斐なく娘は一向によくならず病院へ着くまで持つのかどうか、という具合。というよりも、この娘もゾンビ化してしまっているのではないかという疑いもあり、医者は娘を下ろそうとしますが看護婦がそれを止めようとします。このあたり、状況から考えても医師の主張の方が正しいと思うのですが、作品としては正義感を振りかざす、弱い者の味方としての看護婦にスポットが当たっています。が、そのうち救急車にもゾンビが群がり始め、医師はもみ合いの中で救急車から落ち、運転手もゾンビにやられてしまいます。結局、看護婦も救急車から落ち、残った母と娘は、結局、娘は既にゾンビであった、というオチ。

で、この四つの話を聞き終わって男は遂に眠ってしまいます。助かった、と思った女子高生は、包丁で縛られていた縄を切り、逃げだそうとしたところで……

って、まあ、最後のオチはご想像の通りです。全体の話は特に一話目などは日本的な怖がらせ方だなあと感じますsh、ぞれぞれが趣向を凝らした、かなり趣の異なる作品四つなので飽きずに見られました。韓国ホラーも最近ご無沙汰でしたが、やはり面白いですね。

しっかり立つんだ!

社会人にとってカバンは大事な武器です。

なので、その選択には苦労します。なかなかしっくりとしたものが見つかりません。小さいと荷物が入りきらず、もう一つカバンを持つ羽目になりますし、大きすぎるとこんどは邪魔になります。ちょうどよい大きさというのが難しいのです。

あたしの場合ですと、やはり注文書などの書類が多いのと、弁当箱も入れるので、そしてタブレットも入っているとなると、そこそこの収納力が必要になります。では大容量ならよいのかと言えば、書店で注文書を出す時に弁当箱がチラチラ見えるようなのは避けたいところ。従って、注文書を入れるスペースと弁当箱などを言えるスペースとは分かれている方がありがたいものです。

で、使っていますのが、マンハッタンパッセージの製品です。これは以前にも書きました。その後、もう少し小振りのものも買いまして、ふだんはこの二つを使い分けております。

小振りというのが、こちら、上の写真、「#8170-BK」というモデルです。

そして以前にも紹介した、最初に買ったのがこちら、同じく上の写真、「#8003-k」になります。

で、どちらもそれなりに使いやすいのですが、最近になってやはりと言いますか、ちょっと気に入らないところが出てきました。上の写真を見てお気づきになりましたか?

そうです。どちらも真っ直ぐに立たないのです。表と言うのか、前と言うのかわかりませんが、両方とも荷物を入れていると、上の写真のように斜めになるのです。写真ではやや厚みのあるじゅうたんの上に置いていますからそうでもありませんが、これを板の間に置いたりすると倒れそうになります。これでは電車の網棚に載せた時にも困ります。なにせ、きちんと立っていてくれないのですから。

表側にあるポケットがメインの底部よりも1センチか2センチ高いんですよね。なので、そのぶん傾いてしまう感じです。外側のポケットもメインの底部と同じ位置に付いていれば問題ないと思うのですが。

世のビジネスカバン、カタログなどを見ると「自立」という項目があったりします。自律ではなく自立です。漢字は間違っていません。つまり何か支えになるものに寄りかからせなくても倒れずに立っている、ということです。それを売りにしているカバンも結構ありますが、マンハッタンパッセージのカバンは、辛うじて倒れはしませんが、とても立っていると言える状態ではありませんね。

どうしても使っていると、型崩れが起きてきますので、最初のうちはしっかり立っていたものも、だんだんと倒れてくるのかもしれません。なんか人間の姿、衰えを見ているようで……

ランチパック、こんなにあったのね!

先日、ランチパックの四つ入りというのを取り上げたのですが、それはこちらでした。

4種のおいしさ(たまご・ツナマヨネーズ・ロースハム・チーズクリーム)

この商品を初めて見た時には嬉しく思いました。なぜなら、ランチパックはこれまで同じ味のサンドが二つ入っている製品ばかりで、同じものを二つも食べるのは飽きちゃう、できれば別々の味の商品が入っていればいいのにとずっと思っていたからです。

で、確かに違う味が一つずつ入った商品というのはこれまでにもありました。ただ、個人的にはどうも組み合わせがしっくりこない、一方は好きだけどもう一方はちょっとなぁという組み合わせが多く、なんとなく受け入れられずに来ました。

が、この四つ入りですと、一つ一つが小さいので、前に感じが「あまり好きじゃないなぁ」という嫌悪感というか苦手意識も感じることなく食べられます。「そうそう、このくらいのボリュームがいいのよ」という感じです。

というわけで喜んでいたところ、なんとこの四つ入り、他のパターンもあるではないですか! それがこれです。

4種のおいしさ(焼肉・焼そば・ポテトサラダ・たまご)

ですが、これだけではありませんでした。こんなの(↓)もあれば、

4種のスイーツ

こんなの(↓)もあるんです。

3種のおいしさ(ベーコンエッグ・ソーセージ・ポテトサラダ)

これは4種じゃなくて、3種ですね。このタイプ、今後ますます増えるのでしょうか? 乙女としては、いろいろな種類をちょこっとずつ食べられるのが嬉しいですね。

コミック風(?)カンフー映画

WOWOWで香港映画「TAICHI」が放送されていました。二部作で、「TAICHI/太極 ゼロ」と「TAICHI/太極 ヒーロー」です。(三部作ということになっていますが、とりあえず第三弾の情報がないのと、パート2でなんとなく大団円になっているので、ここでは「二部作」と書きます。)

 

どんな映画かと言いますと、太極拳の創始者・楊露禅が太極拳を会得するまでの修業時代を描いた作品です。そこに、清末の世相を織り交ぜ、ジャッキー・チェンの映画にありがちな、「腐敗した清朝政府の暴政とそれに拳法で立ち向かう英雄」という図式になっています。

太極拳については、ウィキペディアを見ますと、その創始についてはいくつかの説があるようで、楊露禅が創始したという説も有力なものとしてあるようですから、この映画がまるっきり史実を無視したフィクションというわけでもなさそうです。とはいえ、ほぼ9割方はフィクションなんでしょうけどね。

楊露禅が陳家溝で修行したことは事実のようですが、果たして宗師の娘と結婚したのか、陳玉娘という娘(楊露禅から見たら妻)がいたのかどうか、ウィキペディアにはそのあたりのことまでは書かれていません。中国のサイトを見ればもう少し詳しいことがわかるかもしれませんが、この映画を楽しむのにそこまでする必要もないでしょう。

で、この映画ですが、パート2の「ヒーロー」の方は上に述べたような、これまであった清末が舞台のカンフー映画と同じテイストですが、パート1「ゼロ」の方は字幕の出し方が独特で、マンガを見ているような感じで面白かったです。実際、時々漫画というか劇画が挟み込まれ、こういう作り方って日本の映画にもハリウッドの映画にもないなあという気がしました。

さて、映画の主人公はジェット・リー同様、いわゆるハンサムと言うよりも憎めないタイプの青年です。たぶん、今後のカンフー映画のスターになっていくのではないかと期待できます。それよりも、あまり登場シーンは多くないのですが、この主人公・露禅の母親役でスー・チーが出ているんですよね。ついこの前までは娘役という感じだったのが母親役をやるようになったとは。なんとなく、コン・リーを思わせる雰囲気が漂っていました。

そして、そして、たぶんこの映画を観た男性であれば誰もがヒロイン、陳玉娘役を演じたアンジェラ・ベイビーに魅了されたのではないでしょうか? 映画の中では柴咲コウや堀北真希に見えるところが多々ありました。柴咲コウと堀北真希が似ているのかと問われると「ハイ」とは言いにくいかもしれませんが、少なくともこの映画の中のアンジェラ・ベイビーはそう見えるシーンやカットがたくさんありました。(写真はこちらのサイトをご覧ください。)

ただ、公式サイトのフォト画像ではもっとモデルっぽい表情をしていますめ。いずれにせよ、とてもきれいな女優さんです。近いところでは、6月から主演した「メモリー」という恋愛映画が公開になるようです。でも、ネットで「アンジェラ・ベイビー」と入力するとたちどころに「整形」という語が出てくるんですよね。この手の噂はよくわかりません。化粧一つでかなり変わりますし、整形と言ってもちょこっといじくるものから、原形を留めないようなものまでありますし……

怨念は海を越え……

スターチャンネルで「呪怨」シリーズのハリウッドリメイク三作が放送されていました。

 

確か「パート1」「パート2」は観たことがあったような記憶があるので、視聴したのは未見とはっきりしている「パート3」です。

この「呪怨」シリーズ、基本はある男性が妻と子供を惨殺して自分も自殺した、その凄惨な事件が起きた家に彼らの怨霊が取り憑き、そこを訪れた者たちにさらに取り憑いて死に至らしめるというストーリーです。それが海を越えてアメリカにまで行ってしまうわけですね。まあ、日本の悪霊というのは場所に取り憑く場合もありますが、たいていは人に取り憑くもので、一度取り憑かれたらどこまで逃げても追ってくる怖い存在で、そのあたりの怖さがアメリカ版でどこまで出せているのか……

パート2がうろ覚えなのですが、日本から渡ってきた怨霊が、シカゴのアパートに住む一家を死に至らしめてしまったというところから、このパート3はスタートです。まずは一家の生き残りの少年が収容された病院で殺されます。もちろん怨霊によって。初めは精神疾患だと思い込んでいた少年の主治医も、悪霊の存在に気づき始めたところで同様に殺されます。

そしてところ変わって日本。そもそもの発端となった事件の被害者・伽耶子には妹がいて、その妹が悪夢に悩まされ、シカゴの事件を知って海を渡ります。イタコの血を引く自分がなんとかしなければ、という使命感なのでしょう。個人的には彼女が準主役的な活躍をして怨霊を鎮めるのを期待しましたが、活躍するのはほんの一部、それも活躍と呼ぶにはあまりにもショボいです。

本作の主人公は、問題のシカゴのアパートの管理人をしている三兄弟です。一番上の兄が管理人で、妹は恋人と近々ニューヨークへ旅立つ準備中。一番下の妹は喘息持ちで体が弱く、まだ小学生です。こんな事件があったのでは住む人もいない、つまり家賃収入も望めないアパートとなってしまい、オーナーから解雇を言い渡される兄。少々イラついています。喘息の末の妹を抱え、仕事もなくし、上の妹がニューヨークへ行ってしまったら、どうやって生活していくのかと悩んでいるようです。

そんな3人にも悪霊の手が伸びてきて……

さて、個人的に悪霊が取り憑くという話は好きです。いかにも日本的で、おどろおどろしいので大好物です。ただ、人に取り憑くからこそ、むやみやたら、誰にでも取り憑くことに違和感を感じるのも事実です。徹底的に特定の人に取り憑かないとダメでしょ、という気がします。そして立ち向かう伽耶子の妹役の日本人。加山雄三の娘さんらしいですが、日本の映画やドラマではほとんど見たことがないですね。

彼女の活躍がショボいと書きましたが、主人公があくまでアパート管理人の兄妹なわけですから、彼女が大活躍しなくても構いませんが、主人公兄妹が悪霊に立ち向かうためのキーになる人ではあるので、もう少し見せ場があってもよかったのではないか、あまりにもあっさりと悪霊に殺されてしまうとは。それでも、悪霊を封じるヒントは与えているわけですが。

結局、妹二人は助かるわけですが、最後の最後、やはり呪いは続く的なエンディング。どこへ逃げてもついてくるのですね。まだまだ続編が作られるのでしょうか?