LINEって、なんだ?

このダイアリーはWordPressというソフトです。以前はMovableTypeを使っていましたが、より軽快なこちらに切り換えたのが2012年10月の頃ですから、ほぼ一年半が経過したことになります。MovableTypeは、それなりにカスタマイズのやり方も覚えて使っていたのですが、時々動きがおかしくなることもあり、そのころはやり始めていたWordpressに乗り換えたわけです。

基本的な日記はこのWordPressを使っていて、ここに書き込むとFacebookに自動で投稿されるように設定してあります。Facebookには直接投稿することもあるので、そういった合間にこのダイアリーの文章も時々顔を出しているという具合です。

芸能人にも大流行のTwitterは、アカウントだけ持っていて、Facebookに書き込むとTwitterにも投稿されるようにしてあります。直接Twitterに投稿する(つぶやく)ことはしていません。

で、世間ではこういった連携サービスがいろいろあるようで、それを歓迎する人もいれば、「うざったい」「あっちにもこっちにも同じ投稿を流すな」と眉をひそめている人もいるようです。確かに、そう思う人の気持ちもわからなくはないですが、基本的に、「友達」であれば、そこまで嫌がることもないのではないかと思いますし、そんなにイヤなら「友達」を解除すればよいだけの話ではないでしょうか。あたしはそう思っています。

で、LINEです。

これはどういうしくみなのかよくわかっていません。わかっていないと言えば、Twitterもわかっていないことにかわりはなく、リツイートとか、ハッシュタグとか、言葉では聞いたことがあるものの、それが何であるか、まるでわかっていません。それでもTwitterの場合は、連携機能を使って投稿している(つぶやいている)ので、まだうすぼんやりとはイメージできるのですが、LINEはまるっきりやっていないので何もかもがわかりません。

でも、ネットなどで「LINEを使った情報発信」といったニュースを聞くと、少しでも自社の書籍の情報を発信したいという気持ちがわき起こるものです。これを利用しない手はないのではないか、と思います。

ただLINEとは、聞くところによると「無料通話アプリ」だとか。基本的には一対一のアプリなのでしょうか。タイムラインというのはあるようなので、そこなら不特定多数への情報発信が可能なのでしょうか?

と、ネットの聞きかじりというか、俄仕込みの知識で考えているのですが、よくわかりません。検索してみるとWordPressの投稿に「LINEへ送る」というボタンを設置することができるらしいのですが、それを設置したからどうなるのか、それを押したらどうなるのか、そもそも押す(クリックする)のは誰なのか、すべてが謎です。そもそもFacebookのように、投稿が自動的に連携されるようなしくみはないのでしょうか?

と、そんなことに悩んでいる週末です。

とりあえずは、LINEを始めてみるのが先でしょうか?

同じ死因

料理人の周富徳さんが亡くなりました。あたし自身は彼の料理を食べたこともなければ、彼の訃報を聞いてもそれほどの感慨があるわけではないのですが、彼の死因をニュースで聞いて、ちょっと平静ではいられなくなりました。

誤嚥性肺炎

そもそもこの漢字を読めない人も多いかも知れませんね。「ごえんせいはいえん」です。本来胃の方へ送られなければならない食べ物が、食道などの機能が弱ることで肺に入ってしまい、そのために肺が詰まって肺炎を引き起こし死に至るというものです。あたしの父親の死因がこれで死んでいるんです。

父は多発性脳梗塞を長いこと患い、勤務先を早期退社となり、自宅療養と中短期の入院やデイサービスを併用し、5年ほどで他界しました。多発性脳梗塞は、あたしのような素人から見ると、軽いボケという感じで、徐々に症状が進行し、途中からは家族のこともわからず、食事をしたのに食べていないと言ったり、真夏の暑い日にセーターを着てみたり、入浴や下の世話まで母とあたしでやっていた時期がしばらくありました。

そんな苦労を、今回の訃報を聞いて思い出しました。周富徳さんの家庭は、わが家なんかよりもはるかにお金持ちでしょうから、もっと設備の整った病院で万端のケアを受けていたでしょうから、家族の方の負担はもう少し少なくてすんだのではないかと思いますが……

本を選ぶ? 選べない?

午前中にちょっと買い物がてら、本屋さんへ行きました。妹のところの子供がこの春、小学生と幼稚園児になる(なった?)ので「何か本でも買ってあげるか」と思ったからです。

いや、思うことは少し前から思っていて、具体的にどんなものがよいか、本屋さんで実物を見てこようと思ったわけです。

自分の読みたい本を選ぶなら簡単ですが、他人に、それも幼い子供に買ってあげる本を選ぶのは簡単ではありませんね。あたしとしては、まずは漢字辞典、国語辞典あたりにしよう、という心づもりだったのですが、これも小学館、三省堂、旺文社、ベネッセ、学研などなど何社からも出ていて、どれがよいのか皆目見当が付きません。これが自分が買う漢和辞典であれば、とりあえず全部買おうという気にもなるのですが、まさかそういうわけにもいきません。とりあえず「版が一番新しいのがいいかな?」などと思いつつ、いくつか手に取って見てました。

出版社によっては子供が好きそうなキャラクターをあしらったものがありますが、せいぜいが函と表紙に使っているだけで、本文は通常版とまるっきり変わりませんので、これにどういう意味があるのか、大人目線では疑問です。でもちょうど売り場で作業をしていた書店員さんと話をしていたら、たとえそんなイラストでもそこに子供が興味を示して日常的に本を手に取ってくれるようになるのであれば大いに効果があると思えるようになってきました。そうです。本は手に取ってもらえなければ何の意味もありません。親戚の大人が子供に本を贈ってやったという自己満足でしかなかったら意味がないですから。

そんなアドバイスを受けつつ、次に感じたのは通常版と卓上版です。いくつかの出版社は国語辞典でも通常版と卓上版の二種類を用意していました。卓上版の方が一回りか二回り大きく、文字も当然大きくなっています。「これは見やすい!」と感じるのは老眼のある初老の人だけで、子供にとってはどちらがよいのだろうと思いました。これが高学年ならともかく、まだまだピカピカの小学一年生です。大きな辞典は扱うのに苦労するのではないでしょうか? そんな気もします。ちなみに、妹のところの姪っ子は幼稚園の卒園時に卒園祝いとして国語辞典をもらってきています。いま書いた卓上版の方です。ならば、これとセットの漢字辞典を買ってあげればよいかなとも思いますが、それがどれなのか、すぐにはわからず、またこれだけ辞典が並んでいると、「あれ、妹に見せてもらった卒園祝いの国語辞典はどれだったかな?」とわからなくなってきてしまいました。

続いて購入候補として考えているのは図鑑です。見て楽しめる図鑑は、国語辞典や漢字辞典以上に、子供も楽しんでくれるのではないでしょうか? ちょっとした世の中の疑問に答えてくれるような図鑑から、乗り物、動植物など、いろいろありますね。経済的に余裕があるのであれば、そういうものを全部揃えて買ってあげたくなりますが、ここは心を鬼にして(?)、なにかこれというものを一冊買ってあげようと考えているのですが、これもちょっと目移りしてしまいます。

先程、国語辞典の卓上版は重くて大きくて子供には扱いづらいのではと書きましたが、それを言ったら図鑑はそれこそ卓上版よりもっと大きくて重いですよね。もちろんポケット版のみに辞典もありますが、図版が命の図鑑でミニを選択するなんてありえません。ただ、図鑑って、物によってはかなり高いものもあります。「へえー、こんなにするんだ」というのが偽らざる感想です。

で、結局、何を買ったのと聞かれそうですが、実は買っていません。本日はとりあえずどんなものがあるか見ただけです。特に図鑑は、妹に、姪っ子たちが何に興味を持っているかを確認してからにしようかな、と思います。乗り物が好きなら乗り物図鑑、動物が好きなら動物図鑑、とまあ、そんなことを考えています。

あとは、どこで買うかも問題です。

妹一家は静岡に住んでいるので、たまに来たり、こちらから行ったりすることはありますが、そうそう頻繁に逢うわけではありません。本屋で買って持ち帰り、自分で荷造りして発送するのでしょうか? だったらアマゾンなどのネット書店で購入し、受取人を妹にしておけば発送の手間がかかりません。特に最近のネット書店は送料無料がほとんどですから、発送の手間も費用もかからずに済みます。

おい! それじゃあ、せっかく相談に乗ってくれて、アドバイスまでしてくれた書店員さんの気持ちはどうなるんだ! と責められそうですが、確かにそうなんですよね。ネット書店は本選びのアドバイスをしてくれるわけではありませんし、相談に乗ってくれるわけでもありません。読者レビューがありますが、あれはリアル本屋で言えば、棚の前で「この本面白かったよ」と友達同士で話している他のお客の声、くらいのものでしかありません。あてにもなれば、ならないときもある、その程度のものでしょう。

もし姪っ子と一緒に本屋に行ったのであれば、その場で子供が気に入った本を買ってあげるということもできますし、するでしょうけど、自分一人で選んでいると、どうしてもその後のことまで考えてしまって……

それにしても、妹の家にはほとんど本がありません。今の時代、リビングに文学全集や百科事典が並んでいる必要はないでしょうが、やはり小さい頃から本と触れあえる環境を用意してあげるというのも親として大事なことなのではないかと勝手に思っているあたしです。ちなみにわが家は学生時代からの流れで数千冊、もしかしたら万に届く本が所狭しと並んでいるので、姪っ子、甥っ子たちはわが家に来ると家に本があるというのはどういうことか身を以て体験できるわけですが。

翻訳本の友

紀伊國屋書店新宿本店の海外文学の棚で、こんなものが配布されていました!

「翻訳本の友」とあります。四折になっているチラシです。傍らに「2014 1~3月」と書いてありますので、季刊のチラシなのでしょうか?

広げるとこんな感じです。

各社の翻訳本、1月と2月のラインナップが網羅されています。しかも手書き! 表だけかと思いきや、裏もあります。

裏面は2月の続きと3月のラインナップ。こちらももちろん手書き! 担当の方の、翻訳本に対する愛を感じます。

それにしても、このリスト、文庫は含まれていませんよね。単行本だけでもこんなに出ているんですね。海外文学は売れないと言われながらも、各社こんなに出しているとは! トヨサキ社長も喜んでいることでしょう。

思い出しましたが、紀伊国屋の本店と言えば、昨年末にも一年間の翻訳本リストが置いてありましたね。こちらはエクセルをプリントアウトしたものだった記憶がありますが……

桜吹雪の下に

東京は桜が散り始めてきました。帰り際、わが家の近所の桜のトンネルは、夕暮れの風に吹かれ、まさしく桜吹雪の状態で、とてもきれいですが、悲しみもこみ上げてきます。

あたし、桜を見ると、どうしても切なくなるんですよね。

さすがに、満開の桜の木の下に死体が埋まっているとは思いませんが、桜吹雪を見上げながら、切なくなって視線を下に下ろすと、一本の桜の木の根元に一人の初老の浮浪者がうずくまっています。桜見物なんて洒落たことをしているわけではなく、その浮浪者は既に息絶えているのです。桜の木の根元で、幹に寄りかかって遂に力尽きそこで息を引き取ったのです。

道行く人は誰一人、その浮浪者に注意を向けません。春の宵、桜を愛でながら居眠りでもしていると思っているのか、あるいは見るからに汚いその浮浪者と関わりになるのを避けているだけなのか。

きれいな桜と花と、蝿がたかり蛆がわきそうな浮浪者の骸。グロテスクな一幅の絵画です。

しかし、浮浪者の顔をよーく見ると、どこかに見覚えがある顔です。しばし考えを巡らせて思い至りました。あたしの5年後か10年後の姿です。たとえ桜の木の下を選んだとはいえ、詰まるところ野垂れ死に。西行のように格好良くはいきません。たぶん、あたしは畳の上で死ねないのかな、そんな予感に囚われました。

こういうのを白昼夢というのでしょうか? いや、白昼ではなく夕暮れ時のことですが。

小田急線って!

久々にかなり痛む頭をごまかしながら、本日は小田急線沿線の書店の販促に出ました。

が、もうヒドいのなんのって!

頭痛ではありません。いや、もちろん頭痛もヒドかったのですが、歩くたびにその振動が頭に響いて辛かったのですが、それでも書店で営業トークしているぶんには痛みも吹っ飛ぶ、あたしって根っからの営業なのかしら(?)という具合でした。

では、ヒドいのは書店のことか、と問われれば、それも違います。ヒドいのは小田急線そのものです。

白水社からですと、JRで新宿へ出て小田急線というのが順当なのかもしれませんが、その一方、千代田線でそのまま小田急線直通というのも有力な選択肢の一つです。新宿の混雑の中での乗り換えが面倒に感じる人には、こちらの方がよいでしょう。

というわけで、あたしもだいたいこのルートを使います。千代田線には時々「多摩急行」なる種別の電車が走っています。たいていは代々木上原行きで、そこで小田急線に乗り換えなければならないのですが、この多摩急行なら新百合ヶ丘まで乗り換えなしで連れて行ってくれます。

今日の場合、新御茶ノ水駅で待っていると代々木上原行きが来る予定になっていましたが、その5分後は多摩急行でした。代々木上原行きに乗れば、たぶん代々木上原で急行とかに接続しているだろう、いくらなんでも5分後の多摩急行に乗っても同じこと、なんてことにはならないだろうと思ったのですが、代々木上原では各駅停車と待ち合わせただけで、結局この多摩急行に乗る羽目になりました。

で、多摩急行は新百合ヶ丘から多摩センターの方へ行ってしまいます。あたしは本厚木まで行きたかったので新百合ヶ丘で乗り換えです。新百合ヶ丘で乗り換えた電車は快速急行でしたが、これが藤沢行き。これでは相模大野から別れてしまうので、相模大野で急行に再度乗り換えとなります。なんて面倒なのでしょう!

さて、帰路です。海老名でJRに乗り換えて橋本経由で八王子に出るという選択肢もありますが、これは本数がどれだけあるのか、そして八王子までどれくらいかかるのか皆目見当も付きません。この選択肢はパスして小田急線を選びますが、こんどは急行の相模大野行きです。なんで、そんな中途半端なところまでしか行かないのでしょうと愚痴ってみても仕方ありません。相模大野で下りて、藤沢方面から来た快速急行に乗り換えました。

ここで次の選択です。町田で下りて横浜線というルートもあります。でも、これを選ぶのであれば海老名でJRに乗っても同じこと、それをパスした意味がありません。なので、ここは登戸まで行って南武線というルートを選択です。でも、ここで問題があります。相模大野で乗った快速急行は新百合ヶ丘の次は下北沢なんです。登戸には停まらないんです!

では下北沢まで行って井の頭線で吉祥寺経由で帰りますか? もしかすると、それが速いのかもしれませんが、ここは新百合ヶ丘で急行に乗り換えて(多摩センターの方から来た多摩急行に)、登戸へ向かいます。登戸ではちょうど南武線が来たところで、それには乗れませんでした。小田急とJRでまるっきり接続を考えていないダイヤであることがわかります。そしてこの南武線、夕方は登戸止まりがあると以前書きましたが、次に川崎の方から来た電車は登戸止まりでした。ですから乗れません。結局登戸で10分近く待ってやってきた立川行きに乗り込みましたが、こうなると、快速急行で下北沢までいてしまった方がよかったのかも(早かったのかも)しれないですね。

今日はすべてに渡って乗り継ぎが悪かったです。すべては雪のせいだ。いや、違う。小田急線のせいだ!

お前が小田急線になれていないからだ、と言われそうですが、たまに乗る人にこそ優しくあるべきではないのでしょうか、ね? とにかく、どういう乗り方が精神衛生上よいのか、まだまだ試行錯誤が続きそうです。

ちなみに、改めてルート検索をすると、一番最初に出てくるのは町田で横浜線に乗り換え、八王子経由で帰るルート、次に快速急行で下北沢まで行って井の頭線を使うルート、三番目に海老名で相模線に乗り換え八王子経由で帰るルートがヒットしました。あたしが選んだルートは4番目でした。たぶん一番乗り換えが多いので避けられたのでしょう。到着時刻で見ると、どのルートもほんの数分の差しかありません。あとは運賃次第というところでしょうか?

それにしても、諸悪の根源は小田急線!

効果は上がっているのか?

あたしの勤務先の書店営業は、エリアを分けて分担しております。そういう出版社が多いのだと思いますが、出版社によってはエリアや沿線ではなく書店チェーンごとに担当者を割り振っているところもあるようですが、うちはエリア・沿線別です。全国は大まかな地域ごと、首都圏は沿線ごと、という具合です。

その担当地区を、昨秋から少しずつ変更していったことは既にこのダイアリーで何度か書きました。ちょうど世間では新年度に当たるわけですが、特に新入社員が入ってくるわけでもないあたしの勤務先の場合、4月になったからというフレッシュさは社内に微塵も感じられませんし、回っている書店も多少の人事異同はあるにせよ、やはり毎年新入社員が入ってくるというところは稀ですので、お互いに新鮮さもなく仕事をしているような状況です。

別にそれが悪いというわけではありませんが、今回が担当地区変更も、あまりに長いこと同じ地区を担当していると慣れが惰性になり、宿痾がたまってくるようになり、これは出版社にとっても書店にとってもよくないことではないかと思います。それに書店営業たるもの、いろんな書店を見ておくことも大事です。そんなこんなで実施した担当地区変更jが、始めてからそろそろ半年になろうとしています。その成果や如何に?

このところ、社内の会議でも「担当が代わって、その成果が出ているのか」ということが話題に上ります。別に受注金額だけの問題ではありません。きちんと書店に顔を出し、書店の人と友好な関係は築けているか、ということです。

長いことある地区を担当していると活きやすい書店にだけ顔を出し、そうでない書店にはあまり顔を出さない、という悪循環も生まれます。顔を出さなくなった、その書店に行かなくなったのにはそれぞれ理由があるのでしょうけど、出版社の営業は書店を訪問してなんぼ、ですから、担当変更はよいきっかけになるはずです。いじめられっ子が転校を機に心機一転新しく学校生活をやり直すのと似たところがあると思います。そもそも、こちらが「あの書店には行きたくないなあ」と思う以上に、書店の人だって「某某出版の某某さん、あまり好きじゃないから早いとこ担当代わってくれないかなあ」と思っている可能性だって十二分にあるはずです。昨秋来のうちの担当変更が書店の方にどう思われているか、それはわかりませんが、少しでもよい方に向かっているのであれば嬉しいところです。

で、あたし自身の反省。

ようやく、どの書店も何回か訪問し、ある程度は書店の方も覚えましたし、書店の方に憶えてもらえたのではないかなと感じています。信頼できる営業と思われているかは自信がありませんが、不誠実なことはしていないつもりです。前任者よりも細やかなケアができているか、それもよくわかりません。「担当代わってからあまり来てくれなくなった」とだけは思われないようにしないといけない、とは思うもので毎月一回、少なくとも二月に一回はどのお店にも顔を出すようには心がけているつもりです。(逆に、旧担当地区で、「やっとあの人代わってくれたよ」と思われるのも、それなりに悲しいものですが……汗)

ただ、言い訳をしてはいけないのかも知れませんが、あたしが担当に代わってからだけでも一回、二回担当者が代わった書店もあります。特に年末年始やこの春先は書店の人事異動の季節なのか、担当が代わった書店も散見されます。そもそもこちらが担当変更を行なった秋の時期も人の異同がある時季ですよね。前任者と一緒に担当変更に挨拶に行ったとき会った人が次の訪問では代わっていた、なんてこともありました。こればっかりは仕方ありません。一から関係の作り直しです。

でも、営業に移って十年以上になりますが、ずーっと同じ地区を担当していたので、今回の担当変更は非常に新鮮な気持ちで取り組めています、あたし個人としては。久々に営業部に遷った頃の緊張感を味わっています。それが時に心地よく、ちょっとワクワクしながらの書店訪問になっていたりします。決して新卒の新人ではないので、見てくれの新鮮さは伝えられませんが、せめて気持ちのフレッシュさくらいは届けられたらと思います。

やはり、第一印象をよくできるように頑張らないと! 昔から第一印象が悪いと言われ続けてきているので……(だからといって、少し知ってもらえば印象がよくなるのかと問われても、「はい、よくなります」と自信をもって言えない自分が情けない!)

高速をぶっ飛ばす?

昨日は午前中で会社を早退しました。

今週一週間、妹が姪、甥、姪(←あたしから見たら、です)の三人を引き連れわが家に来ていたのですが、それを送っていったというわけです。妹たちの家は静岡県の清水町というところ。次郎長の清水ではありません。清水町です。と言っても、ほとんどの人は知らないと思いますが、地図で言うと三島と沼津のちょっと南になりますから、伊豆半島の付け根ですね。

東京からですと東名高速を沼津ICで降りて20分くらいです。高速は特に渋滞もなく、快適に素っ飛ばしていくことができましたが、川崎ICまでの一般道が面倒ですし、多少混んだりします。うちからだと府中から稲城のあたりを通って、専修大学、明治大学がある山道(?)を抜け川崎ICへ出るのですが、ここまでが30分から40分程度かかります。順調に進んでの話ですから、渋滞に巻き込まれると1時間はかかってしまうのではないでしょうか?

昨日の場合、自宅へ戻り、午後2時に家を出て、妹宅へ着いたのがほぼ4時です。4時をちょっとだけ回っていたかなという頃合いですから、きわめて順調な往路でした。夜に雷雨になるという天気予報だったので、5時に妹の家を出発し、自宅へ帰宅したのはもうすぐ7時半になろうという頃でした。

復路は、海老名から町田あたりの東名で進行がやや滞りましたが、渋滞と言うほどの混雑ではなく、川崎を降りてからは夕方の渋滞が多少あってやや時間がかかりました。それでもまずまずの時間で帰ってこられたのではないでしょうか?

以前、川崎からの一般道が大変なので、御殿場から山中湖の方へ抜け、富士五湖道路から中央道経由で帰ったこともあります。若干遠回りで、高速料金もかかりますが、これですと国立府中で下りられるので、高速を下りてからの一般道区間は短くてすみます。一般道が混雑している場合は、こちらのルートの方が精神衛生的には楽かとは思いますが、中央道も小仏トンネルとか八王子バス停とか、それなりに渋滞名物区間がありますので、どちらがスムーズなのか……

いずれ圏央道が海老名から高尾まで繋がった場合、沼津から海老名までは東名、そこから圏央道、中央道経由で帰宅というコースも考えられますが、これも距離で考えるとかなり遠回りをすることになるのでちょっと考えてしまいます。

これがドライブ好きな人であれば、いろいろ走れて楽しい、となるのでしょうけど、あたしのように乗り物酔いする人間にとってはできるだけ短時間で着きたいという思いが先に立ちますので、そんな快適な気分にはなれません。「えっ、車を運転していれば酔わないでしょ?」と言われますが、時に運転しながら酔うこともあります。さすがに「吐く」ことはありませんが、もし運転していなかったら確実にゲロゲロになっているな、と思いながらハンドルを握っていることはしばしばあります。

これでも昔に比べたら乗り物酔いはかなり治まり、だいぶ強くなったと言えるのですが、それでも乗り物酔いしやすいタイプであることに変わりはありません。なので、昔から遠足は楽しい想い出などなく、前の晩のワクワクも感じることなく、「ああ、あした何時間もバスに乗るんだ」という憂鬱な気持ちに襲われて寝付けないことばかりでした。寝不足だから余計に気持ち悪くなる、という悪循環です。子供の頃の遠足に楽しい想い出がある人が羨ましいです。

勝手に「おふらんす強化月間」やらなくちゃ?

文庫クセジュの『十九世紀フランス哲学』読了です。

何で読み始めたかというと、あくまで個人的な興味です。別にこの時代に詳しいわけではありません。いえいえ、フランス哲学について詳しいわけではありません。むしろ何も知らないと言った方がよいくらいです。だから、逆に読んでみたくなりました。なにせ、十九世紀のフランスと言えば、文学・芸術の世界は綺羅星の如く大スターがたくさんいます。それに比べると哲学の分野ではこれといって見るべきものが見当たらない、というのが通説。

確かにこのあたりの西洋哲学を思い出してみると、18世紀以来、カント、ヘーゲルなどドイツ哲学が主流で、さらにマルクスやニーチェ、ショーペンハウアーなど、どれもフランスではありませんよね。この本を読む前に少し年表を繰ってみたのですが、コント、トクヴィル、それくらいしか有名どころはいない、いや、これですら一般的な西洋哲学史の中では扱われていないかもしれない当落線上の人物でしょう。

でも、十九世紀のフランスの歴史を年表で見てみると、大革命を受け、帝政や共和政、王政がめまぐるしく入れ替わります。こんな歴史を前にして、人々が何も考えないわけはないんです。革命は成功だったのか、革命がもたらしたものは何だったのか、といった問いかけが当時のフランス知識人の中には必ずあったはずです。ですから、当時のフランスの思想界が面白くないわけがない、そう思って読み始めました。

結論から言いますと、予備知識のないあたしには、かなりハードルの高い本でした。でも、この時代(大革命から第一次大戦まで)のフランスの思想界を引っ張った人物は一通り網羅されていると思いますし、特にどちらかに偏った記述になっていると言うことはなく、至極平明に、そして構成に記述されているのではないかと思います(←基礎的な知識もないくせに偉そうに言うな?)。文献や思想の核心などもうまく本文の中に取り上げられていて、ここに書かれていることくらいを押さえておけば、十九世紀のフランスの思想界についてはもう十分ではないでしょうか? ただ、あえて本書の書名と異なって、あたしが思想というのは、読後感としても、これらを哲学と呼ぶよりは思想と呼ぶ方がふさわしいのではないかと感じたからです。「十九世紀フランス思想入門」とした方が内容をよく表わしているのではないかと感じます。

それにしても、今回読み終わって改めて気づかされたのは、ドイツはプロテスタントの国、フランスはカトリックの国だという違いです。案外、歴史とか文学とか、もちろん思想でも、こういうベースになる部分の際というのを押さえておかないと、肝心なところで読み誤るのではないかという気がしました。わが恩師が、中国人は出身地に注目せよと教えてくれたことが思い出されます。表立ってで来ないけれど、厳然としてある立ち位置の違いとでも言うのでしょうか、そんな感じです。

あと、実はあたしの勤務先で既に品切れとなっているのですが、本書を読んだなら、同じく文庫クセジュの『フランスにおける脱宗教性の歴史』を読まないといけないと気づかされました。本書の中にもライシテ、政教分離という言葉が何回も出てきます。当時のフランス思想界の一つの重要なポイントだったのでしょう。

それにしても、フランス史の大きな流れ、主要な人名、作品名、きちんと勉強しないとなりませんね。少し前に岩波新書の『フランス史10講』を読んで、自分のフランスに関する知識の不足を嘆いたばかりですが、これは本格的にフランス史を勉強しないとならないようです。一人で勝手に「おふらんす強化月間」をやるとしますか!

さて、最後にこの『十九世紀フランス哲学』について注文を付けるとすれば、もう少し実際の政治の動きや歴史の流れと、各人の思想を結びつけた記述が欲しかったです。それぞれの思想の説明もなかなか消化できなかったのですが、それらがどうしてこの歴史的背景の中で出てきたのか、どういう政治状況の中から生まれてきたのか、そのあたりの説明がほとんどなされていないので不満が残ります。

あたしが専門だった中国思想では、一部例外もありますが、基本的に思想は政治思想であり、経世済民ですので、認識がどうの、神がどうのといった七面倒くさい議論に入ることはあまりなかったので……(汗)

初々しいのはいないのか?

やはり朝が早いせいか、電車の中に、いかにも新入社員、という若者を見かけませんね(笑)。

いえ、別に会いたいわけではありません。朝の通勤電車の闖入者たち、これまでのバランス、車内の暗黙の秩序を破壊する彼らを決して歓迎しているわけではありません。

まだネクタイの結び方が不安です、スーツが着こなせていません、という若者らを見ているのは微笑ましいものですが、できればあたしが乗っている電車には乗らないで欲しい、もし乗るのなら、他の車両、他のドアから乗って欲しい、というのが偽らざる本音です。

なにせ先月半ばにJR中央線は朝の時間帯も巻き込んだダイヤ改正がありまして、現在はまだ通勤ベテラン勢もどの時間の電車で、どの車両に乗るか、図りかねている、様子見状態のような気がします。そこへ持ってきて春休みなので、ディズニーランドなどへ行くとおぼしき学生たち。車内秩序の破壊者には事欠きません。

ここに新入社員が加わっても、そもそも壊れていた秩序だから、あまり関係ないのかもしれません。それでも通勤の苦痛はできるだけ和らげたいもの。もう半月もすれば、なんとなく暗黙の了解が生まれるのでしょうか?

それにしても、初々しい新入社員を採用しなくなってどれくらいになるのでしょう、あたしの勤務先は!