ブックカバー

朝は、だいたい4時頃には起きています。遅くとも4時半には起きます、平日は。そしてフジテレビ系の「めざにゅー」を見ています。ご存じ、杉崎美香ちゃんが「これからお休みになる方もお目覚めの方も……」という挨拶で大人気になった番組で、「めざましテレビ」の前にやっています。だいたい4時からのスタートで、深夜にF1とかサッカーとかの中継があると、時間がずれることもありますが、めざましテレビが始まる5時25分までの番組です。

これまではだいたいそんな視聴スタイルだったのですが、この数ヶ月は4時55分からはテレ朝にチャンネルを切り換えることが多くなりました。テレ朝は今月からリニューアルした「グッド!モーニング」を放送しています。テレ朝三姉妹がいい感じです。島本さんが結婚してしまうというニュースはショックでしたが、それでも毎朝、その笑顔に癒されております。

その「グッド!モーニング」の本日の占い。あたしのかに座はなかなかよい運勢で、「人を訪ねるならとっておきの手土産を準備して」というアドバイスをいただきましたが、特に誰かを訪ねることもなく、いつもどおりの書店回りでした(汗)。まさか書店回りにとっておきのお土産を用意するのでしょうか?

で、ラッキーアイテム、幸運のカギが「ブックカバー」でした。どこかで本でも買って、カバーを掛けてもらおうか、という気もちょっと起きましたが、結局買わずじまいでした。だって自宅にある本をまずは読まないと、ですから(汗)。

ただ、あたしの場合、ふだんから本屋で本を買ってもカバーを掛けてもらうという習慣はないんです。このダイアリーで何度か書いたかもしれませんが、カバーも袋も「要りません」と言います。別にエコを心がけている、なんて殊勝な気持ちは持っていません。高い学術書などは袋に入れてもらうこともありますが、ふだん読むような単行本、文庫・新書はまず間違いなくカバーは不要、袋にも入れてもらいません。なので、「店内ではレシートを挟んでおいてください」と注意されることもしばしばです。万引きした商品ではないという証明ですね。

で、なんでブックカバーをしないかというと、どんな本を読んでいるのか、周囲の人に宣伝したいからです。ブックカバーがその本屋の宣伝になるというのは理解できますが、本屋のカバーを見ただけでその本屋で本を買おうという気になるでしょうか? どんなに面白そうに、あるいは熱心に読んでいても、何の本かわからなければ買いようがありません。

ですから、あたしはカバーはせず、できるだけタイトルとか、出版社名が手や指で隠れないように持つようにしています。そして、さも面白い本を読んでいるかのような顔をして読みます。時には本当に笑ってしまっていることもありますが、時にうなずいたりしながら、熱心に、それこそ貪るように読んでいます。

そんなあたしを電車の中で見かけて、一人でも二人でも「あの人が読んでる本、面白いのかな? こんど本屋に行ったら見てみよう」と思ってくれたら嬉しいじゃないですか! そして、そんな人の中には「うん、確かに面白そうだ、よし、買おう」と思って、レジへ向かう人もいるかもしれません。あるいは、カバーのきれいな本の場合、ジャケ買いを起こさせる可能性だってあると思います。

そんなわけで、あたしはブックカバーをしないまま、電車の中で本を読んでいます。『2666』なんて読んでいたら、周りの人は驚くでしょうね。実際、あれを電車の中で読んでいた、という人はいたようですが……

あの鳥はどうなった

伊豆の大島が大雨で大変な被害になっているそうですね。いまだ行方のわからない方、恐らく土砂の下敷きになってしまっているのでしょうが、この雨で捜索もできないとは、家族の方の胸中お察しいたします。

ところで、大島と聞くと何を連想するでしょうか? そもそも関東近県の人で伊豆大島へ行ったことがある人って、どれくらいいるのでしょう? いや、大島でなくても、伊豆諸島のどれかでも構いませんが、行ったことがある人って何パーセントなのでしょう? 意外と少ないのではないかと思うのですが、どうでしょう? 何の根拠もない、漠然とした印象ですが、たぶん東京の人で伊豆諸島のどれか(尾が澤rを加えても可)に行ったことがある人と、沖縄(本当及び周辺の島々)へ行ったことがある人を比べたら、もしかすると沖縄の方が多いのではないかという気がしますが……

で、大島で連想するものですが、三十代くらいの人ですと、映画「リング」を思い出すのではないでしょうか? あたしの記憶では、山村貞子の故郷が伊豆大島ではなかったかと思います。

あたしの場合、もちろん「リング」も思い出しますが、やはり行ったことがあるので、その時の記憶が蘇ります。

あたしが高校一年の時ですから、1983年です。ごくごく普通の都立高校に通っていましたが、その高校では一年の一学期に大島にある都立のセミナーハウスへ二泊三日で修学旅行(?)に行くのが恒例行事でした。高校に入ってまだひと月ちょっと、お互いの交流を深めるために、というのが学校側の目的だったのではないかと思います。ちなみに、いわゆる修学旅行は二年次にありました。

その大島旅行ですが、行きは熱海までバスで移動し、熱海から船で大島へ渡りました。帰りは大島から竹芝まで船で帰るという旅程でした。実は書には天気が悪く、確か低気圧が来ていて雨降りだったのを覚えています。海は荒れ、熱海に着いた時点で船が出るのか心許ない天候でした。しかし、二、三百人からの高校生が到着してしまっているのでやむを得ないと判断したのかどうかわかりませんが、とにかく船は嵐の海へ出発しました。

熱海からですと大島は天気がよければ肉眼で見えますよね? それくらいの距離ですが、とにかく大荒れの海でしたから、生徒のほぼ全員が船酔いに苦しめられるという状態でした。船室では気持ち悪くてぐったりと横になっている生徒がそこかしこ。トイレに駆け込むものも続出で、たぶん雨の中、デッキから海へ吐いている人も何人もいたのではないでしょうか?

もちろん、乗り物酔いしやすいあたしが平気なわけはありません。あたしがぐったりと寝っ転がっていました。吐いてしまったかどうか、今となっては覚えていませんが、とにかく気持ちが悪かったという記憶が残っていますし、その晩、セミナーハウスのベッドに横になっても体が揺れている、ベッド自体が揺れているような感覚が残っていたのを覚えています。

なんとか無事に船が大島の港へ着いた時、あたしを含め生徒のほとんどが帰りはこの何倍もの時間、船に乗らないとならないんだ、という憂鬱な気持ちでいっぱいでした。船に乗るくらいなら帰りたくない、というのが当時の素直な気持ちでした。実際のところ、帰りは海も穏やかで船も揺れず、行きとはまるで異なる快適な船の旅を満喫できたわけですが、とにかく到着時の気分は最悪でした。

さて、この旅行中の活動では三原山登山というのが組み込まれていて、クラスごとに三原山へ登りました。火口まで行ったのか、途中までだったか、その当たりの記憶が定かではないのは、歩き始めてじきに、あたしは小鳥の死骸を見つけてしまったからです。カナリアだったような気もしますが、とにかくそれくらいの大きさの鳥の死骸でした。道路端に打ち捨てられたようにあったのがかわいそうで、あたしは拾い上げ、それを大事そうに手に持って登山をしていたのです。もう少し高いところへ行って埋めてあげよう、そんなことを思っていました。死んでそれほど時間がたっていないのか、カチンカチンで冷たい、という小鳥のからではありませんでした。また歩いている途中で、手の中で糞をされました。たぶん肛門から垂れ流されたのでしょう。

小鳥を持って火口付近の適当なところで地面に穴を掘って埋めたのを覚えています。その上に卒塔婆よろしく木の枝でも立てたか、墓石を模して石でも置いたか、その辺りの記憶がやはり不鮮明なのですが、あたしなりに成仏させてやったという満足感は感じられました。天気のよい日だったという記憶が残っています。

でも、今回の土砂災害の原因でもある大噴火が起こったのは1986年。住宅地付近まで溶岩が流れてきて、かなり大きなニュースであったわけですが、その時あたしは、テレビのニュースを見ながら、あの小鳥の墓はどうなっただろうか、とそんなことを思っていました。少なくとも、この時の噴火で、高校生だったあたしたちが登った三原山の面影は、そして地形、風景は記憶の中に残るのみで、もう跡形もなくなってしまったのだという、ちょっと感傷的な気分にさせられたものです。特にあたしの場合、大島や三原山に対する思い入れというよりも、あの小鳥に対する思い入れが、そういうちょっとセンチメンタルな気持ちを起こさせたのではないかと思います。

そして、今回の惨事。大島の景色はまたも変わってしまったのですね。これ以上、被害が広がらないことを祈ります。

 

確かに行ったはず!

Facebookに載せきれなかった写真を少々ご紹介します。

人文会研修旅行の三日目にして最終日。昨晩、大阪から淡路島経由で徳島へ入り、本日は徳島、高松と回って帰京でした。お昼は途中で讃岐うどん。郷屋敷というお店でした。ここは確か昔、小松茂美先生と来たことがあったはずと思っていたのですが、来てみて、やはり確かにここだったよね、と記憶がおぼろげながら蘇りました。

もしかしたら、こんな建物に庭のある讃岐うどんのお店は他にもあるのかもしれず、それを指摘されたらあたしの記憶もあてにならないのですが、でも、「郷屋敷」という名前は確かに記憶の片隅に残っています。郷屋敷が県内、ここ以外にもあったとしたらゴメンナサイですが、たぶん、ここで間違いないのだと思います。

大きなお屋敷を転用しているようなお店です。上の写真の左側に駐車場がありますが、ひっきりなしにお客さんがやってきます。自家用車のみならず、タクシーに大小の観光バス、かなり有名店なのでしょう。店内もお客さんがたくさんいました。

あれだけの駐車場も完備されているわけですから、観光ツアーではよく使われるお店なのでしょう。そういう意味では「そういうところより、小さいけど、もっと安くて美味しいうどん屋ならたくさんあるよ」という意見もあるでしょう。それはそれで否定しませんし、あたしもそういう県内、市内のうどん屋を訪ねてみたいという気持ちは大いにあります。

でも、こういう研修旅行で二十名からの人数がある場合、それなりの規模のお店でないとそもそも入れません。そして、やはり名の通ったところであれば、安心して食べられるというものです。そういう意味では、ここ「郷屋敷」は十二分に及第点だと思います。

ただ、純粋にうどんの美味しさを云々するのであれば、約二十年前に小松先生と来たときに食べた衝撃の美味しさは、今回、超えられていないと感じました。有名になりすぎて味が落ちたのではなく、若かったあたしが純粋にうどんを愉しんだ、堪能したということなのでしょう。

 

何年ぶりかの四国

人文会の研修旅行二日目は午後、梅田を発ち一路四国へ向かいました。明石海峡大橋から淡路島、日もとっぷりと暮れて真っ暗闇で越えたはずの鳴門の渦潮、そして徳島。夕食兼宴会も終わり、ようやくホテルの部屋でのんびりです。

さてこの四国、その名の通り四県ありまして、松山と高松は訪れたことがあり、残るは二県となっていました。今回徳島を訪れ、あとは高知があたしの人跡未踏のままとなっています。

松山に来たのは小学校六年のころで、当時はまだ親戚付き合いのあったおじさん一家が松山に住んでいたので家族で訪ねたのです。往路は、大晦日12月31日に、その当時大ブームであったブルートレインに乗り、翌朝広島で降車、初日の出を拝みながら元旦に連絡船で松山へ渡りました。数日の滞在中、道後温泉、松山城、石手寺などを訪れ、砥部焼きの色付け体験などをしました。そのとき色付けした湯飲みは数年前まで自宅で使っていました。

帰路は広島から。広島城や原爆ドーム、平和公園などを見学してから新幹線で帰京しました。

高松は20年くらい前の話です。恩師である故・小松茂美先生に、金比羅歌舞伎を見に連れて行っていただきました。金丸座で歌舞伎を堪能し、金比羅宮に参り、丸亀城を見学しました。往復新幹線、岡山で特急に乗り換えて、という行程でした。

明日は徳島から高松を回り、高松空港から空路帰京予定です。高松と聞くと、やはり小松先生が思い出されます。

さあ出発

これから出張ですが……

とりあえず、目的地の方は台風の影響がなさそうなのですけどね。

いまのところは……

関東地方に台風が接近中です。

午後からは雨になりました。それほど強くはなく、ふだんの雨の日と変わらない感じです。夕方になりだんだん強くなってきました。なんとなく、いつもより帰宅の足が速いような気がします。

かくいうあたしは、明日からの出張の準備で一日会社に籠もりっきりで、なんとか準備を済ませ、会社を出たのは5時半を回った頃でした。電車が止まると嫌なので、できれば5時の時報と共に会社を出たかったのですが無理でした。

帰宅時、雨は強いものの、風はそれほどでもなく、少なくとも横殴りの雨になっていなかったのが幸いでした。でも、明日の朝はどうなるのでしょうか? 新幹線は動くのでしょうか? それよりも、あたしが無事に東京駅へたどり着けるのでしょうか? 大阪へ着いてしまえば「没問題」なんでしょうけど。

 

運命の出逢い?

いま通勤電車の中で読んでいる『ピサへの道』の中で、ちょっと気になった箇所をご紹介します。

二人とも、仮りにもう一度出会うことがあっても決して繰りかえしのきかない、なんとも奇妙な気分でいたというのが真相だろう。相手がなにに心を動かされているのか、お互いなにもわかってはいない。しかもひどく興奮し、気を張りつめて、互いの心がなにか特別な共感で響きあうのを感じたのだ。なかばうつろでいながら、そのくせ妙に醒めて敏感になっていたわしは、じつに身勝手に娘を手にいれた。娘がどこからきたのか、どこへ消えてゆくのかなど考えようともせず、ただこの美しいものを、自分が孤独でいるに耐えない今の今、運命が心優しくもよこしてくれた贈りものとして受けとったのだ。戸外にひろがるこの大都会、パリが送ってきた小さな野育ちの精霊、それがこの娘なのだと思えた。パリという都はどのようなときであれ、思いがけないものを人に恵んでくれる。まさにその恵みが必要な瞬間、この娘をとどけてくれたのだ。娘の側がこちらをどう思ったか、なにを感じていたのか、わしにはなにも言えない。あのときは念頭にも浮かばなかったが、今にして思えば、娘にとってわしもなにかを象徴していたにちがいない。個人としてのわしなど、たぶん存在すらしていなかったのではあるまいか。

 

こんな電気が走ったような出逢い、あるんですかね?

どうせなら、これも一緒に!

ジュンク堂書店池袋本店の年末年始のイベント。

「昆虫を美味しく食べる時代がやってくる! 内山昭一監修 昆虫食パネル展」

ターゲットとなっている書籍は『むしくいノート』(カンゼン)と『食べられる虫ハンドブック(仮)』(自由国民社)の二点。

蜂の子とかイナゴとか、虫を食べるというのは、現代日本人のほとんどはしなくなりましたが、一部にはそういう食習慣が残っていることは知っておりますので、決して奇異な感じはしませんが、あえてこの時期にこういう本が出版されるのはなぜでしょう? ただ個人的には、このフェアには、是非とも片隅にみすず書房さんの『食べられないために 逃げる虫、だます虫、戦う虫』を並べていただきたいものです。

エターナルファンタジー

先日スカパー!で放映されていた「銀河鉄道999 エターナル・ファンタジー」を録画しておいたので視聴しました。昔、見たことがあったような気もしつつ、全体的な流れは覚えていなくて、ほぼ初見に近いものでした。いや、確かに部分的には見たことがあるのはいくつかのシーンで覚えているのですが、この映画のワンシーンだったとは覚えていませんでした。

それにしてもこの作品、ネットを検索してみるとパイロット版的な作品で、この翌年に完結篇的な作品が作られ公開される予定だったとか。それがこの作品の興行成績が悪いため完結篇の製作が中止になってしまったのだとか。前世紀の話ですからもう十年以上も前。もうこの作品の完結篇は作られないと考えてよいのでしょうね。

もっとも、今回の「ハーロック」が当たっていれば、「999」も新作が作られる可能性はあったかもしれません。少なくとも松本零士はそんなことを思っていたのではないかなあ、なんて邪推もしたくなります。

この作品では、機械人間が鉄郎のようなフツーの人間を敵視し、かなり虐待をしていて、それに反逆する鉄郎は幽閉され、脱走後は命を狙われるわけです。脱走を助け鉄郎を999に乗せたメーテルも追われるわけで、その追っ手の一人との闘いにけりをつけ、さあ敵の本拠へ、的なところで映画は終わってしまっています。この後どうなるんだ、という期待を抱かせつつも、これまでの「銀河鉄道999」の映画がすべて同じようなストーリーですから、おおよその見当も付いてしまうという感じでもあります。

それにしても、本作の最後、999は新たな終着駅へ向けてメーテルと鉄郎を乗せて走っていくわけですが、その後はアルカディア号、エメラルダス号が続くのはよいとして、さらにその後に宇宙戦艦ヤマトが付いていったのは笑ってしまいました。松本零士はいったいどんな完結篇を思い描いていたのでしょう?

しかし鉄郎、気持ちだけは立派ですが、結局はハーロックやエメラルダスがいないと、彼らに助けてもらわないと何もできない少年でしかないような……。それを言ったらおしまいですが。

そんな作品を腐すような意見はやめにして、999を見るといつも思うのですが、あのように汽車、列車が宇宙を走れるようになるには科学技術がどれくらい進歩したらよいのでしょうか? 銀河鉄道は目には見えないけれど宇宙空間にもレールが敷かれていてその上を走っているという設定だったはずです。そしてそのレールの周囲(つまり銀河鉄道の周囲)は、これも目には見えないですが空気のトンネルのような状態になっていて、だから鉄郎が999の窓を開けても大丈夫なんだ、という設定だったと思います。こういう技術、果たして、あと1000年か2000年もしたら可能になるのでしょうか?

ついでに言えば、宇宙戦艦ヤマトも、あんなまるっきり海に浮かぶ船の形をした状態でいきなり宇宙まで飛び立てるというのは、(波動エンジンが付いているからというのはおくとして)これまた科学技術がどれくらい進歩したら可能なのでしょうか? 現在の飛行機、ロケットの形態や離陸、発射までの準備を見る限り、道のりは長そうな気がします。ちなみに、ヤマトは西暦2199年という設定ですよね。それくらいたてば可能なのでしょうか?

そうそう、ヤマトは設定上は全長が300メートルくらいで、アルカディア号は400メートル程度とされていたはずですが、今回の映画のアルカディア号は1キロを超える全長なんですね。それに形状もこれまでのアルカディア号とはかなり異なるし……

 

ネットに繋がっていると怖い!

昨日、NTT DoCoMoが新製品発表会を開きました。

ご存じの方も多いと思いますが、あたしはふだん、ドコモのタブレット「Galaxy Tab 10.1」を使っています。2011年11月発売で、その頃に購入したので、ほぼ2年がたつわけです。例の「2年縛り」も晴れて終了となります。そのタイミングを計るかのような新製品発表会でした。

とはいえ、最近のトレンドは5インチクラスの画面を持った、いわゆるスマホ、タブレットは7インチタイプが主流になろうとしている昨今、10.1インチのタブレットは、ケータイ会社から出ないような雲行きでした。Wi-Fi接続のみの、携帯電話会社に依存しない、メーカー製タブレットなら東芝や富士通や台湾メーカーからも10.1インチモデルが出ていて、ドコモからはそろそろ新しいのでないのかな、という期待感はありました。

ただ、このタイミングで発表がなければ、特に現在使っているタブレットが壊れたわけでも、ヒーヒー言っているわけでもないので、あえて機種交換をする必要はないのですが、やはりスペックがよくなった新製品には魅力を感じます。で、今回の発表会です。

あたしが使っているサムスンの製品は、10.1インチ画面のタブレットでは新商品はありませんでした。と言いますか、10.1インチの商品は富士通のタブレット一つだけしか発表になりませんでした。選択肢も何もあったものではありません。これに決めるか否か、です。もちろん、発表会には間に合わなかったけど、突然新製品が発売になることはこれまでにもあったので、特に外国メーカーの場合、ギリギリまで情報を表に出さないという可能性もありますので、年末近くになっていきなり「サムスンから10.1インチタブレット発売!」というニュースがドコモ経由で入ってくるかもしれません。

ただ、あたし自身は取り立ててサムスンが好きなわけではなく、あの時点ではスペック的にも機能的にもこれしかないという状況だったに過ぎません。幸いにも、今回の富士通製タブレットはなかなかスペックなどもよさそうです。かなり食指が動きます。

と、こういうことを考えると、こんな気持ちが機会に伝わるのでしょうか、いま使っているタブレットの様子がおかしいです。使っていると、いきなり再起動がかかることがあります。どうして? と悩んでいる暇も与えてくれません。

Windowsも、新しいバージョンの発売が近くなると、現在のパソコンの調子が悪くなるということはよくあります。ネットを通じて、バグの修正とかアップデートに名を借りて、マイクロソフトが動きをおかしくするプログラムを送りつけているんだ、というまことしやかな都市伝説もあります。かつてのように、パソコンはスタンドアローンで使い、ネットに繋がっていることは稀、という時代なら生まれない話です。常にネットに繋がっていて、いつも人知れず何かしら交信(更新?)しているからこそ、そんな都市伝説が生まれるのでしょう。ただ、マイクロソフトがそういうことをしていないという確証もないので……

で、タブレットでも同じようなことが起こるのかわかりませんが、ドコモの陰謀なのでしょうか?