意外と空いていた

日帰りで大阪へ行って来ました。仕事です。出張です。

朝はいつもどおりに起き、暗いうちに自宅を出て東京駅へ向いましたが、三連休の初日だからでしょうか、旅行カバンを持った人が目立ちました。スノボやスキーの板を抱えている若者が目立つのはこの季節だからでしょう。

いいなあ、カップルでスキーか……

いえ、スキーは別にやりたくもないし、生まれてこの方やったことないので興味も何もありませんが、恋人と旅行、あるいは夫婦で旅行というシチュエーションに、やはり独り者としてはジェラシーを感じてしまうわけで、どうあがいてもあたしには訪れない状況だなと、つくづく思います。

北へ向うから東京駅から東北や上越新幹線に乗るのでしょうか? 新宿で降りた人は高速バスでしょうか? 他にもウィンタースポーツではない旅行者も大勢いるようで、東京駅からあたしと同じく東海道新幹線で冬の京都でしょうか? あるいは神田で降りた人は山手線に乗り換えて浜松町からモノレールで羽田、そこから空路で旅立つのでしょうか?

家族連れよりも夫婦やカップル、恋人同士といった二人連れが目立ったのが印象的でした。

そして帰りの新幹線。6時頃に新大阪を出たのですが、意外と空いていました。新大阪始発ののぞみでしたが、京都でも名古屋でもほとんど乗ってくる乗客がいなくて、あたしが乗っていた車両は比較的ガラガラな感じでした。これが金曜日とか、あるいは今回の場合であれば明後日の月曜日なら東京へ向う新幹線はなかなか指定席が取れない状態になるのではないでしょうか?

それにしても一年に何回も往復しているこの経路。プライベートで乗るような機会は、果たしてあたしに訪れるのでしょうか?

川と河

しつこく京都のことを書きます。

参観した西本願寺龍谷ミュージアムは堀川通りを挟んで建っています。この堀川通りを通るたびに、あたしは思うのです。堀河天皇は「堀河」と書くのに、通りの名前はどうして「堀川」なのだろうか、と。歴代天皇の名(諡号でしょうか?)はゆかりの地名などが付けられることが多いと思いますが、だったら「堀川天皇」でよさそうなものを、あえて「堀河天皇」としているのはなぜなのでしょうか?

あるいは歴史的には「河」も「川」も通用していたのでしょうか? それとも天皇と同じ文字を使うとは畏れ多いということで、後に地名の方が「堀河」から「堀川」に変更されたのでしょうか? 同じことは「白河天皇」と地名の「北白川」などについても言えると思います。

あたしは平安時代に詳しくないので、このあたりの事情はよくわかりません。ただ、天皇名では「河」を、現在の京都の地名では「川」を使っているというのが、どういう理由なのか、そこにいつも引っかかりを覚えると言いますか、気になって仕方ないのです。

そうそう、西本願寺と言えば、先日のダイアリーで西本願寺の銀杏の写真をアップしました。いま見返してみると、イチョウの葉はまだ青いです。とても紅葉、いや黄葉と言える状態ではありません。しかし、ことりっぷのサイトにある「京都の秋を黄色く染める、イチョウの名所へ」コーナーにも西本願寺のイチョウが掲載されているのですが、こちらはずいぶんと黄葉しています。日付を見ると22日ですから、あたしが訪れた翌日です。一日でここまで黄葉が進むものでしょうか? いやー、驚きです。京都も一気に秋が深まっているのでしょう。

堀川の川つながりで思い出しましたが、京都の鴨川の東側、六波羅のあたりは、六道の辻とか全体的に死者の国のイメージがあります。このあたりは京都の葬送の地だったそうで、だからそういったイメージになっているのでしょう。そこまではわかるのですが、あたしが気になるのは、なんであのあたりが葬送の地に選ばれたのか、ということです。

世界的に見て、川の東側というのは日の昇る地、つまり生者の国、そして川の西側は日の沈む地、つまり死者の国と相場が決まっているのではないでしょうか? エジプトがよい例です。もちろん、鴨川でそれを当てはめたら、京の街はあまりにも狭く、東山の裾野に南北に細長く延びることになってしまい、とても都としての機能を果たせそうにありません。ですから、鴨川の西側に街が開けたのは、都を造営したのは仕方ないことだと思います。

でも、それでも鴨川の東側に葬送の地を設ける感覚、それが腑に落ちないのです。これも、日本史、特に古代史専門の方なら簡単に答えてくださるのでしょうか? あたしは、京都へ行くとこんなことばかり考えています。

みやげ話

「みやげ話」と言っても、旅行の想い出を語るのではありません。ブツとしてのみやげです。今回は、出張の楽しみの一つでもあるお土産について書いてみます。

木金の市場視察は書店を回るだけではなく、親睦を深めるのも一つの目的ですので、晩には懇親会があります。書店の方、取次の方との楽しい一時です。今回は六盛というお店が会場でした。「六盛」と書いて「ろくせい」と読むそうです。皆さんは読めましたか? 歴史などはリンクを貼ってあるウェブサイトを見ていただくとして、あたしは最初「ろくもり」と読むのかと思っていました。

なぜって? 直接の関係があるか否かは歴史の彼方にあるとしても、このお店のそもそもは平氏に関わるのかなと思ったからです。時は平安末期、平氏一門全盛のころ、平家の公達たちがしばしば集っていたのがこの場所で、その折りに食べるものを用意したのがこの店のご先祖様。平家の若様たち、「何盛」と名前に「盛」がつく貴公子六人がしばしば一緒だったことから、この会合が六盛会と呼ばれ、それを店の名前とした……。そんな由来を勝手にイメージしていたのですが、全然違っていたみたいです(汗)。

さて、お土産です。

このところ、京都に来ると書店営業の合間に立ち寄るのは「よーじや」です。言わずと知れたあぶらとり紙の有名店です。四条河原町の交差点からほど近い「」にも行くことがありますが、こちらもあぶらとり紙の専門店です。あぶらとり紙以外の商品のバラエティさでは使い分けている感じです。

個人的に、詳しくもなければ嗜みも何もないのですが、お香が好きで、匂い袋などをカバンにしのばせています。ですので、小さめの匂い袋は買うことがしばしばあります。東京では「鳩居堂」で買うことが多いですが、京都では「石黒香舗」に行きます。やはり書店回りの途中に位置しているというのが便利です。

ついで、京都へ行くと母からのリクエストがある漬け物。「大安」や西利なども悪くはありませんが、あまりにもどこにでもあるので、ちょっと興醒めです。時間がないときは駅の売店でここの漬け物を買うこともありますが、最近はもっぱら「村上重」へ行っています。漬け物のほとんどは日持ちしないので、一度に余りたくさんは買えませんが、やはりお店に行くと目移りしてしまうものです。いくつかの百貨店には出店もあるようですが、ほとんど四条河原町と言いますか、木屋町の本店しか店舗がないのでレア感が高いのが気に入りポイントです。

さて、今回のお土産で、一つ、ちょっとミーハーなものを買ってしまいました。それがモロゾフの「京のくりすぴぃしょこら」です。モロゾフなんていう全国区のお菓子を買うなんて、普通ならしないところですが、これは京都限定らしいので(モロゾフのオンラインショップでは購入できます)、それに五重塔をあしらった形状なので、いかにも京都みやげっぽくて、つい買ってしまいました。

紅葉にはまだ早い?

さて、改めて京都のことを書きます。

木曜日は書店回りが主だったのに対し、金曜日は観光がメインでした。「それで仕事か?」と言われそうですが、その土地の風物を愛でるのも大事な仕事です。もちろん、バランスが大事ですが(汗)。

で、午前中は西本願寺を参拝してきました。上の写真は入って正面にあるオオイチョウです。

こちらは国宝の唐門。本願寺の南側にある門です。現在は使われていないようです。

これは唐門の向かいに位置する書院です。これも中の見学はできないようでした。

こちらは本堂、と言うか御影堂です。右端に、上のオオイチョウがちょこっとだけ写っています。

こんどはオオイチョウをしっかり入れて。御影堂の奥は阿弥陀堂です。

この西本願寺は写真の阿弥陀堂の縁側にちょっとした大工さんの遊び心が隠されていて、縁側の床板に面白い意匠が隠されています。ぜひ探してみてください、という看板もあったので、その気になって眺めてみると結構見つかるものです。

これは壷でしょうか? それとも徳利でしょうか?

こちらは瓢箪と雲でしょうか?

これは何でしょう? 巾着袋みたいですが、合っているのでしょうか?

御影堂の縁側から見た阿弥陀堂です。奥に見えているあたりに、床板のお遊びがあります。

そして最後に改めて、オオイチョウ越しの御影堂です。

西本願寺を後にして、北隣の聞法会館で昼食、その後、西本願寺向かいの龍谷ミュージアムで開催中の「二樂荘と大谷探検隊」展を鑑賞しました。これについては別途書きたいと思います。

ところで、この日は西本願寺の勤労清掃団が多数来ていて、皆さん熱心に境内の掃除をしていました。信徒と言うのでしょうか、門徒と言うのでしょうか。さすが真宗です。勢力を感じます。で、その方々の勤労に対する御礼として、西本願寺では国宝の飛雲閣が開放されていました。ふだんは公開していないので特別だそうです。ただし、見られるのは奉仕団の人だけ。われわれ一般人は見られませんが、入り口の扉が開いているので、そこから覗いて飛雲閣を見ることはできました。間近で見られないのは残念ですが、それでもナマで見ることができたのはラッキーだったのではないでしょうか?

さて、そんなわけで、実は西本願寺では庭園らしい庭園を見ることはできず、せっかくの秋の京都だのに紅葉を味わうことができませんでした。そこで次に向かったのが教王護国寺、つまり東寺です。

なんと月に一度の弘法市にあたっていて、境内は押すな押すなの賑わいでした。東寺をゆっくり参観とはいきませんでしたが、こういうのを見られるのもいいものです。感じとしては、巣鴨のとげぬき地蔵の縁日と同じようなものです。

この弘法市、確か、『狐さんの恋結び』で、主人公たちが探しものを見つけに訪れるシーンがあったと思います。記憶違いだったらスミマセン。

 

弘法市だからなのか知りませんが、東寺のシンボルである五重塔などの有料拝観区域もそれなりに混んでいました。が、こちらはちょっと時間が足りないので(お金を払って参拝するには)、柵の外から眺めるだけで済ませました。上の写真のように、紅葉はあまりきれいとは言えないですね。

最後に、東寺の境内にあった、小野道風ゆかりの柳。花札、雨の二十札を思い出します。

京都と言えばDAIMARU?

昨日まで京都ツアーでした。毎年この時季恒例の京都新聞さん主催の教養図書市場視察が木・金とありまして、その前の火・水で京都の書店を回っておりました。ただし、この時季の京都は宿が取れません。火曜と水曜の晩、あたしは大阪でした。事前にホテルを探していたときは軒並み満室でしたが、本当に満室なのでしょうかね?

旅行会社がまとめて押さえてしまっているだけで、旅行会社が設定する最少催行人員に達していなければ、ホテルも一部屋、二部屋空くのではないでしょうか? そんな風に思います。でも、そういった空き部屋って当日にならないとわからなくて、ネットで格安の情報が出回ったりするわけで、この時季の京都に宿泊の当てもなく行くというのは、あまりにもリスキーでしょう。というわけで、大阪泊まりでした。

さて、火・水はおくとして、木・金の市場視察。今回は大垣書店桂川のお店に行ったのが一つの目玉でした。ほぼひと月前にオープンしたイオンモールに入っている巨大書店です。このモールは郊外型ではなく、JRの駅直結、阪急の駅からもほど近いという立地です。大垣書店は、モールでは珍しく一階に入っているのですが、JRとの接続が二階デッキなので、一階が必ずしも一等地というわけではないようです。それでも喫茶スペースも含めて750坪の大型店です。京都の西側の人の流れが変わりそうです。

今日の西側と言えば、古くからのニュータウン(←この言い方が形容矛盾?)である洛西も、毎年この視察で訪れます。葵書房があります。上述の大垣書店とは打って変わって小振りな書店ですが、近隣の方の日常の書店としてしっかり根を張っている感じです。おじいちゃん、おばあちゃんが孫に本を買ってあげる、そんな風景が似合う書店です。ただ、この洛西のショッピングモールも、しばらくは桂川のイオンモールに押されてしまうことになるのでしょう。でも次第に、若い人や大きな買い物は桂川、ふだんは洛西、というように使い分けるようになるのではないでしょうか? そしてうまいこと両方がそれぞれの個性を活かして、京都の西郊が賑わうようになれば、都心部の渋滞も緩和されるというものです。

都心の渋滞と言えば、四条通の車線減少実験(?)。既に工事が始まっています。ジュンク堂のある富小路あたりは東行き、西行き、どちらも自動車の車線は一本になって、歩道の拡幅工事が進んでいます。四条通の烏丸、河原町間が完全にこうなったら、歩行者にとっては嬉しいですが、クルマは大変でしょうね。もう公共バスとタクシーしか通れないようにすべきかもしれません。なんでも工事完成後、タクシーは大丸と高島屋の前でしか客の乗降ができなくなるそうです。目的のお店の前で停めてもらうことができなくなるのは、足の悪いお年寄りとかには不便になりそうです。

バスト言えば、これまで交通系のICカードが使えなかった京都のバスですが、今年の12月から、確か24日からと書いてあった気がしますが、いよいよ京都の市バスでも使えるようになるそうです。これで関西ツアーでは移動に小銭が必要なくなりますね。これはとても嬉しいニュースでした。

微笑ましきかな

午前中に、母の姉が住む新小岩へ行って来ました。母も一緒です。

伯母の住む団地というかマンションというか、都営アパートなんですが、そこの外壁補修が近いうちに始まるとかで、伯母がこれまで丹精込めて世話をしてきた植木が、工事の邪魔になってしまうそうなのです。そこで母のところに連絡が来て、「これ、お前の家に持って行ってくれ」ということになり、クルマで取りに行ってきたというわけです。

それはともかく、朝起きて食事をしたらすぐに家を出て、片道約1時間半の行程。伯母の家で植木を積んで、一休みしたら出発です。帰りの方がやや混雑し、自宅に戻ったのはお昼過ぎ、午後1時になろうかという時間でした。

ちょうどそんな時間でしたので、帰路の五日市街道、小金井公園に向かう人がかなりいました。クルマは駐車場の入場制限が行なわれていましたし、歩いて公演に向かっているような人も大勢見かけました。そんな徒歩で公演に向かう人の中に、ひと組のカップルを発見。

武蔵小金井から歩いてきたのでしょうか? 男性の方がスマホを片手に道を確認しながら歩いています。そしてもう一方の手にはおにぎり。女性の方もおにぎりをほおばりながら男性の隣を歩いています。

休みの日に、歩いて小金井公園へデート。高いレストランなんかには寄らず、手作りか、はたまたコンビニで買ったのか、お昼はおにぎりで済ますなんて、なんて安上がり、否、微笑ましいカップルでしょう!

ちょっと感動してしまいつつも、あたしには縁のない世界だわと、ちょっとしたジェラシーを感じた昼下がりでした。

お土産的な……

今回の研修旅行で買っちゃいました。

HAB新潟」という小冊子です。北書店で見つけました。全国的なチェーンの支店もよいのですが、研修旅行の醍醐味は、やはり地元の書店、地元のチェーン店を見学することです。特に、たいていお店の一角に作ってある「地元本」コーナー。大手出版社が出しているガイド本的なものもありますが、地元の出版社や新聞社が出している地元ならではの書籍に魅力を感じます。

そうそう、三日目の昼食は新潟ふるさと村というところでいただきましたが、お土産も豊富に取り揃えられていました。道の駅的な感じですね。お酒もずらりと並んでいましたが、高いのか安いのか、たぶん若干高めなのではないでしょうか? まあ、こういう観光客相手の物産館では致し方ないでしょう。

あたしがしばしば愛飲している「ぶなの露」「春日山」は見当たりませんでしたが、今回の旅行で知った「菅名岳」という酒が置いてありました。買ってみたかったのですが、高かったので……

越の国

上越新幹線の「上越」というのは「上野」と「越後」という意味ですよね。前身の上越線だってそういう意味のはずです。道路の関越自動車道になると、「関東」と「越後」を結ぶ高速ということでしょう。

しかし、この「上越」という言葉はややこしいです。まずは新潟県には上越市という地名があります。越後湯沢あたりにある地名をイメージする人も多いのではないかと思います。だって上越国際スキー場というのがありますから。

でも、上越市は上越新幹線でも関越自動車道でもなく、JR的に言えば信越本線の沿線にあります。高崎から別れ、軽井沢、長野を経由して高田、直江津を通って柏崎から長岡、そして新津、新潟と結んでいる路線です。この際、横川のところで切れている、そこから長野まではローカル線になってしまったということは無視しておきます。

この信越本線の高田、直江津のあたりが上越市です。かつては高田市と直江津市という二つの市だったのが、周辺の市町村も加えて、現在はかなり広い上越市となっています。

で、この上越という地名です。

この「上」は「上中下」の「上」です。つまり新潟県と言いますか、越後国を都に近い方から上、中、下と呼んだときの「上中下」です。都とは当然のことながら京都ですから、より京都に近い高田あたりが「上越」となるのです。では、新潟、現在の新潟市のあたりはどうなりますか?

あたしは「中越」だと思っていましたが、今回、研修旅行で新潟を訪れ、地元の書店の方と話していたら、「新潟は下越」だと言われました。では中越は(?)と尋ねると、「長岡」のあたりを呼ぶのだそうです。あたしの個人的感覚では長岡、新潟あたりが中越で、下越は新発田、村上の方だと思っていたのですが、違ったようです。

ちなみに、京都を軸にして上下とか前後という言い方は、旧国名では頻出しますね。

世界遺産より

研修旅行二日目。

伊香保温泉を発ち新潟です。三年ぶりです。新潟とはいえ上越出身の母が、いまだ新潟市には来たことがないというのに、
あたしはこれで二回目の訪問です。

新潟の感想はひとまずおくとして、昨日の群馬、富岡製紙工場が世界遺産になりましたが、車窓から見ていると、時々、富岡製紙工場よりもはるかに古そうな建物が見受けられましたが……

ただ、ボロいだけ?

温泉旅館

今日から人文会の研修旅行。群馬、新潟を旅します。今宵は伊香保温泉の温泉旅館に宿泊。これから宴会です。