返品について考える

ノーベル文学賞を村上春樹が受賞すれば、書店が活気づき、売り上げも上がり、出版不況にあえぐ業界には干天の慈雨となる。

確かに、そうでしょう。既に物理学賞を受賞されたお三方の著作の問い合わせが増えているとも聞きます。大本命・ハルキが受賞すれば、否が応でも盛り上がることは必至です。

ただ、先日も書いたように、今まで一部では読まれていたけど国民全体レベルではそれほど、という作家が受賞したのであれば売り上げの伸び、伸び代はかなり残っていると思いますが、こと、村上春樹の場合、既に相当数の国民がかっているはずですので、伸び代がどれほど残っているのか、疑問を呈する書店員さんもかなりいらっしゃいます。

それでも、受賞すれば売り上げが伸びることには変わりないので、受賞を期待するのは当然だと思います。やはり日本人が受賞するのは嬉しいですし。

さて、その出版不況。

よく言われるのがその返品率の高さです。他の業界ではわかりませんが、委託販売制度を採用している限り、そして薄利多種類を扱う出版という業界である以上、ある程度の返品率が生じるのはやむを得ない、必要悪であると、あたしは個人的には考えています。

では、業界的に、あるいはある書店として、またはあたしが勤務する白水社的に、現実的な数字として返品率がどのくらいまでなら許容範囲なのか。そんな具体的な数字はここには書けませんし、たぶん会社にょっても異なるところでしょう。ただ、それでも、あたしは、現在のような配本制度を採っている限り、ある程度の返品が生じるのはやむを得ないと思っているのです。人間が生きていくために呼吸する時、酸素を吸い込むだけでなく二酸化炭素を吐き出すように、書店が生きていくためにも商品の入れ替えとして返品が出るのは致し方ないことだと思います。

が、ここで思うのは最近増えてきたセレクトショップのような書店です。出版社や取次の配本パターンに任せるのではなく、あくまで自主的に吟味して仕入れるという体裁の書店です。雑誌などで書店特集、本屋さん特集が組まれると紹介されるような、雑貨も扱っていて、並べ方も従来の本屋さんのようではなく、書架もちょっとアンティークっぽいものを使っていたり、といった感じの本屋さんです。

そういう書店は、当然、自称なのか他称なのかわかりませんが、目利きと呼ばれる方が吟味に吟味を重ねて商品を選び発注し並べているのだと思います。当然、出版社の営業がお薦めしたからと言って、「はい、じゃあ、仕入れましょう」とはならない、そこには自分なりのこだわりがあるはずだと思います。

なのに、なのに、そういうこだわりの本屋さんと世間的には思われている書店からも、時に返品のお願いが来るのです。「えっ、ちょっと待って。そちらさんが自分で選び、自分の店に合っていると思ったからこそ注文した本でしょ。最後まで責任もって売ってよ」というのが嘘偽りのない、あたしの本音です。

でも、多くはないですが、来るんですよね、ときどき。

例えば、ある時季、お店の一角を使ってフェアをやったので、いつもより多めに注文していたけど、そのフェアが終わったので、通常の書架に必要な分以外は返品したいです、というのであればまだわかるのですが、そういう理由も何もなくお願いされてもですね……

近くから? 遠くから?

この一年、小田急線と田園都市線の書店営業を担当してきました。あっ、この二路線だけではないですけどね、担当しているのは。

それはさておき、何回か、その回り方について書いてきたと思います。いや、回り方と言うよりも、帰り方と言った方が正確でしょうか?

あたしの場合、自宅の最寄り駅はJR中央線の国分寺か武蔵小金井です。ふつうに会社から帰るのであれば中央線で迷うことはありませんが、上記2路線を回っているとどうやって帰るのかも悩みます、というようなことを何回か書きましたね。曰く、渋谷や下北沢からの井の頭線経由、武蔵溝ノ口あるいは登戸からの南武線経由、そして長津田や町田からの横浜線経由です。

で、あたしの場合ですが、小田急線の下北沢とか経堂、成城を営業するときは、そのような順番で回って登戸から南武線というパターンが多いです。新百合ヶ丘や町田、相模大野まで足を延ばすと町田から横浜線経由で帰ったり、登戸まで戻って南武線経由で帰ったりします、

さて、小田急線の場合は町田か登戸がキーになるので、海老名や厚木まで営業するときは、まずは一番遠い本厚木まで行ってしまい、そこから戻るように営業してくるパターンが多いです。が、田園都市線ですと、一番遠いところは青葉台でしょうか?  いやその先にも書店はありますが、田園都市線で大きな書店といえば、二子玉川の紀伊国屋、溝ノ口の文教堂、たまプラーザの有隣堂、青葉台のブックファーストになるでしょう。

さて、これらの書店を回るとき、近場から攻めていくか、奥の方から攻めてくるかが悩みどころです。奥から攻めて戻ってきて溝ノ口で南武線に乗るか、あるいは近場から攻めていって、青葉台の先、そのまま長津田まで行って横浜線に乗るか。どちらの方がよいでしょう?

もちろん、書店の人とアポでもあって、行く時間があらかじめ決まっているなら話は別ですが、そうではない場合はどちらを選択する方がよいでしょう? 個人的には遠くへ先に行って、徐々に都心に戻ってくるコースを選択してしまうのですよね、あたしの場合。

他の出版社の営業の人ってどうしているのでしょう? もちろん、直帰するわけでしょうから、どこに住んでいるのかも大きなポイントでしょうけど。

紙の目録

先日の人文図書目録刊行会の年次総会の席で薄ぼんやりと考えていました。

紙の目録の需要は今後もあるのだろうか、と。

確かに、各社のウェブサイトが充実してきて、TwitterやFacebookを利用した情報発信も行なわれていますから、アンテナさえ張っていれば、それなりに情報収集は可能です。また、アマゾンや紀伊國屋書店、ジュンク堂書店といった大手書店のウェブサイトを使えば、出版社横断的な検索もそれなりにできます。

こう書くと、ますます「紙の」目録は必要ないのではないかという気になります。

が、総会の挨拶で出た話題ですが、ネットが普及して旅行ガイドは売れなくなると思われていたが、むしろ部数を伸ばしている、工夫を凝らして作れば、情報化社会、ネット社会と言われる現在でも、情報誌の生き残る道は十二分にあるのだと。

これは嬉しい知らせです。

ただ、ネットを越えた工夫、ネットでは出来ない趣向、それが難しいところでもあります。人文書を愛する人はネットよりも紙だ、と言う人の割合がまだまだ高いと思いますが、それでも若い人を中心にネット利用の傾向は高まるばかり。やはりネットでは出来ないことをしていかないと、早晩「紙の」目録は不要になるのではないでしょうか?

とりあえず、現状では紙の目録はネットと異なり紙幅の制限がありますから、何でもかんでも載せているわけではなく、そこにはフィルターがかけられているということです。ここが何でもかんでも拾ってきてしまうネットとの最大の違いでしょう。たとえばアマゾンなどのサイトで「ニーチェ」と検索すれば、数限りない「ニーチェ本」がヒットするでしょうけど、ニーチェについて学びたいと思っている入門書にふさわしい本がどれなのか、そういうことまでは検索結果で答えるのは難しいでしょう。紙の目録の優れているところはそんなところだと思います、特にジャンルごとの目録の場合は。

そこをもっとブラッシュアップして、「紙だからこそ」「紙でなければ」と言われるような目録にしていかないとダメなのでしょう。それが出来なければ、そんな目録はやめるべきなのかもしれません。

そんなことを思いました。

ガイブンのプロモーション

昨晩のイベントは『文盲』の訳者と言うよりも、やはり『悪童日記』の訳者である堀茂樹さんを迎えてのトークイベントでした。映画「悪童日記」のプロモーションが眼目ではありましたが、堀さんの『悪童日記』をはじめとするアゴタ・クリストフ作品に対する熱い思いを聞けたのがなによりでした。

 

いまでこそ名作と呼ばれる『悪童日記』ですが、当時は無名の作家アゴタ・クリストフ、無名の訳者・堀茂樹という組み合わせで、堀さんも出版にこぎ着けることができるのか不安だらけであったようです。ただ、フランス遊学中に出会ったアゴタ・クリストフ作品の衝撃を、なんとしても日本に紹介したいという熱い思いだけで突っ走ってしまったようでした。

無名の作家ですから、いまからするとすごい数字ですが、当時としては実に控えめ数字でスタートした『悪童日記』は、当初はあまり注目もされていなかったようですが、じきにポツポツと書評に取り上げられるようになっていったそうです。そのほとんどが激賞に近い内容だったとか。原題をそのままタイトルにしたのでは、既にある作品とかぶってしまうので、少しでもインパクトのある邦題を着けようと必死になって頭を絞り、出てきたのが「悪童日記」だったとか。ちなみに英語版のタイトルは「ノートブック」だそうです。

この「悪童日記」という、一見して「何? これ?」と思わせるタイトルが奏功したのでしょうか、本好きの間で少しずつ面白さが伝わっていったようです。そして雑誌「ダ・ヴィンチ」の第0号の表紙で、当時の人気俳優(?)、本木雅弘が本書を手にしたことが決定打になって一気にベストセラーへの階段を駆け上がっていったそうです。それ以前にも、フランス文学研究者にはほとんどネグレクトされていたのが、著名な先生の紹介によって仏文科の先生方にも知られるようになり、にわかに注目度が高まっていったそうです。そして1995年のアゴタ来日がダメを押し、名実共に大ベストセラーになったようです。

さて、堀さん曰く、早川書房は当初はそれほど大がかりなプロモーションをしたわけではなかったそうです。面白い作品と作家だとは思っても、早川が出している数ある作品の中の一つにすぎなかったのでしょう。それが訳者の思い入れによってここまでの作品になったわけです。

ただ、訳者や担当編集者の思い入れだけで本が売れるわけではありません。書評がたくさん出て、多くの人が褒めてくれた、そんなガイブン作品は『悪童日記』以外にもたくさんあります。書評が出たのですからまるっきり売れなかったわけでもないでしょう。でも、ここまで大化けする作品はそうそうあるものではありません。

訳者が入れ込んでいる、書評が数多く出る、それだけでは足りません。やはり最後にものを言うのは、文書が持つ力ではないでしょうか。これは堀さんもおっしゃっていました。もちろん時代の空気というものもあるでしょう。どんなによい作品でも、その時代の空気に合っていないと受け入れられません。そんな時代性をはねのけ、どんな時代、どんな国でも受け入れられる作品もあるのかもしれませんが、それはほんの一握りです。少なくとも出版社としては、たとえどんなにすばらしい作品でも、今の時代にふさわしいのかを、もっと吟味しないと出版しても売れない、ということになってしまうのでしょう。

どうしたらガイブンが売れるのか、昨晩の話を聞きながら、そして帰り道に思い起こしながら考えておりました。

アマゾンが出版社を格付けしている件

今朝の朝日新聞の一面に、こんなニュースが載っていました。

<アマゾン、出版社を「格付け」>なんて、かなりショッキングな見出しです。

内容については紙面を読んでいただくとして、あたしの最初の感想は、「確かにやっているよね」というもの。次いで、「ひどいことするなあ」というものでした。

ただ、アマゾンから見た場合、きちんと対価を払ってくれている取引先を優先するのは当然のこと。なんらやましいところはないのでしょう。

しかし、何でもお金なの? お金がすべてなんですか? という青臭いセリフを吐きたくもなります(汗)。

出版社の意見はいろいろあるとして、書店の側の意見はどうなのでしょう? と考えてみました。

アマゾンで、優先的に書籍を上位に表示するというのは、考えてみれば、書店の店頭の一番目立つところに自社の本を並べてもらうことと言えます。目立つところに目立つように置いてもらうため、出版社の営業は日々書店に通っては、売り場の担当の方にあれこれアピールしてその場所を確保しようと躍起になっているわけです。

アマゾンの場合、売り場というのがバーチャル空間ですから、そこへ営業へ行くこともできず、それなら手っ取り早く「お金で」ということになるのでしょうか。理屈の上では納得できるのですが……

再び書店の場合を考えてみます。

どの本をどこへ並べるかは書店の方の裁量の範囲内ですから、自分の気に入った本を目立つところに置こうとするでしょう。その「気に入った」というのは、どうやって選んでいるのか、です。

もちろん読んで感動したから、という理由なんだと思いますが、時には装丁がカッコいい、オビなどの惹句に引かれて、というのもあるかと思います。ここまでなら、まだ本訴のものを前提にして、という理屈が成り立っていると思います。

しかし、「大量に入荷したから」とか、「本部からの指示で」といった理由で並べられている本もあるかと思います。こうなると、たぶん書店と出版社の力関係になってきます。「この本を目立つところに並べておかないと、来月の人気コミックが入ってこないかも知れない」といったバーターが幅をきかせているとは思いたくありませんが、書店側にそういう思惑がないとは限りませんし、出版社側もそれを狙っていないとも限りません。

そのあたりのさじ加減、外からはうかがい知ることができません。「某々さんが薦めてくれたから、ちょっと頑張ってみようと思って」という書店員さんの言葉はよく耳にします。あの人がいいと言うのだから、という何とも数値化できない物差しがあるわけです。

それに比べると、アマゾンが打ち出している「お金で解決」的な方法は非常にすっきりしています。考えてみますと、上記のような数値化できないところ、アメリカが最も嫌いそうなポイントですよね。きちんと説明できないから、そこに数値的な、客観的な裏付けがないから、というのはアメリカ企業の感覚では不正、不公平の温床に見えるのではないでしょうか?

大手出版社は反発していると書いてありますが、もし業界を挙げて問題提起するのであれば、どこぞの出版社がやったような「アマゾンには出荷しない」という運動を、大手出版社が率先してやるしかないのではないか、そんな気もします。

ただ、この程度のことでは、アマゾンで買えないから近所の本屋で買おう、という流れを作るのは難しいでしょう。今回の記事とは別の問題ではありますが、街の本屋のことを考えると、本屋だけではなく、地方の都市の活性化を真面目に考えないとならないのでしょうね。

女二人がトレンド?

映画だけでなく、ブルーレイ、DVDも売り上げが絶好調だという「アナと雪の女王」。

 

そもそも映画がまだ公開中だというのにブルーレイやDVDが発売になったりレンタルが開始されたりするというのは異常ですし、それがまた大人気だというのもこれまでになかったことです。

あたし自身は映画は観ていませんし、ブルーレイやDVDを買おうとも思いません。今後も観ることはないと思います。どうもディズニー映画って好きじゃないんですよね。あたしが天の邪鬼なせいもありますが。

ところで、この映画がこれほどヒットしたのは、ディズニー映画としては珍しく、いや初めてヒロインが二人というこの作品の特徴があると聞いたことがあります。これまでの作品がヒロインは一人だったのか否か、全く観ていないあたしにはわかりませんが、白雪姫とか眠れる森の美女とか、考えてみればヒロインは一人ですよね。ヒロインの敵役的な女性は登場すると思いますが、ダブル・ヒロインというのはなかったのかなと思います。

そういう意味では、やはりヒットしているドラマ「花子とアン」も、ストーリーがダブル・ヒロインではありませんが、タイトルはそれをイメージさせるものになっていますよね。やはり意識しているのでしょうか?

これが時代の流れなのかわかりませんが、三谷幸喜演出の舞台「紫式部ダイアリー」も紫式部と清少納言というダブル・ヒロインものでしょう。三谷幸喜がこのような時代の流れを敏感に感じ取って創り上げるのでしょう。

となると、宮木あや子さんの『砂子のなかより青き草』は清少納言がヒロインですが、続編としてこんどは紫式部をヒロインにして作品を作れば、併せてダブル・ヒロインの作品となり、大ヒットするのではないでしょうか?

ポイントサービス

アマゾンのポイント還元や無料配送などのサービスに反対して、いくつかの出版社がアマゾンへの書籍の提供をストップしたというニュースがありました。そして書店の側ではその出版社の書籍をあえて売ろうという「応援フェア」的なことも行なわれていると聞きました。そんな書店チェーンの一つが神奈川の有隣堂です。

で、書店営業で有隣堂のある店舗に行ったとき「日本出版者協議会」による「本のポイントサービスは読者、消費者にとって、本当に利益になるのでしょうか?」というチラシが置いてあったので、一部いただいてきました。

いくつかの論点はありますが、ポイントサービス、再販制、消費税などの課税問題などが扱われていて、それぞれが個別にもっと深く掘り下げられないとならない問題だろうなあと感じました。

あたしなど、「年末とか月末とか、デパートやショッピングモールは全館挙げてセールをやっているのに、書店だけが定価販売なんておかしいなあ」と単純に思いますし、感じます。「いや、出版は文化だから」という言説にも胡散臭さを感じます。書籍への低減税率が言われますが、学術書とコミックとを同じ土俵で考えてもよいのか、とも思います。もちろん、いまやコミックがクールジャパンを代表する文化コンテンツであるということは理解していますが、すべてのコミックがクールなのか……。それを言ったらすべての学術書が、街術と言えるだけの水準を持っているのか、という問題もあります。

少なくとも再販制は、そろそろ考え直さないといけないのではないかな、とは思います。時限再販も議論されているようですが、返品をどのくらい認めるのか、といった問題がありますし、これも多くの方面に影響を及ぼしそうです。

あたしはアメリカ的な資本主義に賛成するわけではありませんが、日本の出版界ももう少しだけ資本主義の荒波に揉まれた方がよいのではないかと思います。そして書店にしろ出版社にしろ淘汰され、今よりもっと数が減り、出版点数もグッと少なくなるべきだと思っています。たぶん、世界籍に見て、日本って人口や国土面積の割りに書店の数や出版物の刊行点数が多い国だと思います。いや、多すぎるのだと思います。もう少し少なくなって適正なところに落ち着けばよいのではないか、そんな風に思います。

 

元気を取り戻せるのか?

昨日の紀伊國屋サザンシアターでの、紀伊國屋書店社長・高井昌史氏講演会。紀伊國屋の社長がしゃべるとあって会場は出版社のお偉方もそれなりに顔を揃えた盛況ぶりでした。講演の内容は、たぶん部外秘的な数字・データもあるでしょうからここには書きませんが、講演内容のあらましだけ載せておきます。

1.出版業界の市場動向と紀伊國屋書店の現状
2.読書離れ~本の未来を揺るがすもの
3.出版業界の問題
-ネット書店・公共図書館・新古書店・万引き問題・電子書籍(消費税問題)他
4.再販制について
5.正味改善について
-日販「パートナーズ契約」、トーハン「アライアンス契約」、計画販売制
6.紀伊國屋書店の取り組み~出版会に元気を取り戻そう

以上です。個々のテーマ自体はそれほど目新しいものではなく、この数年間、否、十数年来言われてきた問題ばかりではないでしょうか。あえて言えばネット書店などの問題が比較的新しい話題と言えるでしょうか?

で、この講演会を聴きに来ていた人たち、それぞれに感じるところ、考えるところがあったと思います。既にそのための施策を行なっている社もあるのではないでしょうか。あたしも講演を聴きながら、足りない知恵で考えたことを備忘録代わりに書き留めておこうと思います。

まず、図書館です。

図書館からの注文、個々の図書館や出入りの書店、TRCなどからの注文ですが、出版社からするとほぼ返品のない注文なので実は非常にありがたいものです。全国の図書館、公立から学校図書館まですべて合わせると数千から万近くあると思いますが、もしその図書館すべてが一冊ずつ購入してくれたなら、専門書出版社など初版の部数が飛躍的に大きくなり、定価もグッと下げることが出来るでしょう。

ただ専門書を入れられる図書館は限られていますので、そんなにうまくいきませんし、いま図書館のことで問題となっているのは複本のことでしょう。ベストセラーですと、一つの図書館で数冊はおろか十数冊、あるいは数十冊も購入していることがあるそうです。人びとの税金で運営されている公共図書館の場合、利用者の希望を叶えるのはもっともではありますが、特定の本だけに予算をつぎ込むのは税金の使い方として問題ないのか、そういう議論もあると思います。

あたし自身は複本よりも、新刊は刊行後半年、ないし3ヶ月は図書館に納入しないという形にすればよいと考えています。映画などDVDの発売は公開から数ヶ月後ですし、CSなどの有料放送での放映も更にその後、地上波での放映となると更に後になります。これは映画公開と同時にテレビで放送されたら映画館に見に来る人が減ってしまうという理由からでしょう。だったら、書籍も地域の書店のことを考え、まずは本屋で買ってもらう、ということを優先してもよいのではないかと、あたしは個人的には考えています。

公共図書館の住民サービスはどうなるんだ、と言われそうですが、「図書館に未来永劫、書籍を納入しない」と言っているのではありませんから、住民サービスを無視していることにはならないと思いますし、数ヶ月のタイムラグは民業を圧迫しないためにも十分賛同を得られるのではないかと思います。

あと、個人的には、文庫・新書は図書館では扱わない、というのも前向きに考えてもよいのではないかと思います。やはり図書館は高くて個人ではなかなか買えない本を揃えるべきであって、文庫や新書は借りるのではなく買ってもらいたいと思います。

あと、再販制については政府でも議論されているようですが、刊行後一定期間を過ぎたら自由価格にするという時限再販は一考の余地ありだと思いますが、そうなると買い切りにするのか、委託のままなのかといった問題も起きてくるでしょう。あと、何年たっても売れているロングセラーの場合、時限再販になじむのか、あたしにはまだよくわかりません。

やはり出版社や書店の経営者の方々は、日々の業務に追われているだけでなく、こういう問題も腰を据えて考えないとならない時代なのでしょうね。とはいえ、この不況では各社そんな余裕はなさそうですが……

隣に並べよう!

書店店頭で文庫・新書は、多くの場合、出版社ごと、レーベルごと、そして作者の五十音順に並んでいます。これはこれでわかりやすいですし、「そうだ、今月の○○文庫の新刊で読みたいのがあったなあ」という場合に見つけやすいものです。

でも、同じ作家の作品があっちの棚、こっちの棚に置かれているのは果たして読者に対して親切なのでしょうか? そう思うときもあります。特に新書などでは同じようなテーマの本が別々のレーベルから同じ月に出ることがありますが、たぶんそういうテーマに関心を持っている読者ならば両方とも買う確率は高いと思いますが、出版社やレーベルごとに置かれていると片一方に気づかない可能性も多々あるのではないでしょうか?

もちろん、新刊の時期なら「新刊コーナー」に並んでいることも多いので、多少は近くに置かれるでしょうけど、それでも新刊コーナーも出版社・レーベル別に並んでいますから、隣り合うと言うことはありません。これが一月か二月のずれで刊行されたりしたら、もう近くに置かれることもないでしょう。

と、なんでこんなことを書いているのかといいますと、つい最近刊行された『スピノザ『神学政治論』を読む』が気になるからです。ちくま学芸文庫です。

この本の隣には、この月のちくま学芸文庫が並んでいる本屋がほとんどですが、あたしなら、ちょっと前に出た光文社古典新訳文庫の『神学・政治論』を絶対隣に並べると思います。もちろん、岩波文庫版も並べるでしょう。

 

あたしは、「なんだ、文庫・新書担当の人、気づいていないの?」と非難したいわけではありません。これだけ直近でにスピノザの著作の本が出たのですから担当者は当然知っていると思います。が、書店の棚管理上、これらを隣に並べて置くことができないことにあえて文句を言いたいのです。

もしかすると、文庫・新書のコーナーではなく、人文書コーナーの方がいとも軽々隣に並べられるかもしれませんね。人文書コーナーなら、そもそも文庫・新書を並べていることがイレギュラーですので、レーベルごとに並べるなんて発想はないでしょうから。しかし、人文書担当の方は、こんどはこういう本が文庫で出ていることに気づかないパターンが多いのですよね。残念です。

もちろん、書店によっては文庫や新書をレーベルごとではなく、作家やテーマごとに並べているところもあります。そんな棚の管理は、現状ではかなり大変な作業であり負担増であると思いますが、それでもその方が面白いと思って、お客さんにも喜んでもらえると思って担当の方はやっているのでしょう。頭が下がります。

講師をやりました

本日は午後から、とある東京郊外の書店チェーンさんの人文書勉強会でした。毎回、出版社の人間が人文のあるジャンルについて、講師となって話をするのですが、今回が第4回目でした。あたしは第3回目からの参加で、第1回、第2回は哲学・思想がテーマだったそうです。あたしが初参加だった第3回は仏教で、今回のテーマは世界史でした。

え、あんた、世界史について語れるの?

という疑問は、あたし自身も感じるところでありますが、このところの弊社が分厚い現代史ものを陸続と出版しているところから、特に近現代史を中止に話して欲しいというリクエストで、まあ、全般的なことを枕に、自社の出版傾向や売れ筋などを語るくらいならできるかなと考え、そしてなによりも「人に教えることは、自分が一番勉強になる」という法則もありますから、自分自身が学ぶつもりで引き受けた次第です。

一応レジュメを作っていったので、そして、どういう順番、流れで話すかは頭の中でシミュレーションしてあったので、しどろもどろに派ならずに話ができたかなとは思います。ただ、一番難しいのは売れる本を紹介すること、売れる棚作りをレクチャーすることで、これはやはりできません。ただ、こんな風にやれば自分も、そしてお客さんも楽しめるのではないか、という程度のことしか話せませんでした。

少しは書店の方のお役に立てたのか、まるっきり心許ないのですが、少なくとも自分の勉強にはなったかな、というの感想です。またこういう機会があったら、次はあえて断わって(←そもそも頼んでくる人がいるのでしょうか?)、他の方がどんなことを語るのか聴講してみたいと思います。