手を替え品を替え

今年の本屋大賞の翻訳書説部門で、藤井光さん訳の『タイガーズ・ワイフ』が第一位を獲得したそうです。新潮社のクレストですね。確かに書店店頭でも売れていると、書店員さんに聞きましたらか納得の第一位です。

それにしても藤井さん、この数年、精力的に作品を出されていますよね。あたしの勤務先だけでもこんな作品があります。

  

他社からも精力的に翻訳を出されていますから、いまや「藤井光訳海外文学フェア」が出来るほどではないでしょうか? そんんばフェアにあたらしい作品が明日加わります。明日配本でこんな本が出ます。

近未来を舞台にしたSF小説のような作品です。タイトルどおり、この世界の創造主である神様が死んでしまった後の世界を描いていますが、現代社会を鋭く風刺した作品になっています。なんというのでしょう、神様という重しがあることによって辛うじてバランスが取れている、あるいはいろいろな矛盾に塞がされている今の世の中から、神様という重しが外れてしまったらどうなってしまうのか、という視点で構成されるストーリー群です。

個人的には、創造主という存在を持たない日本人には、そもそもの物語の設定自体が想像の範囲外かもしれません。ただ、強いて言うならば、まだ現人神と信じられていた日本の天皇が突然廃止、廃絶させられたら日本という国はどうなってしまうのか、という感じで置き換えてみると少しは理解できる気もします。もちろん昨今の若い世代にはこの喩えもピンと来ないのでしょうが、ある一定年齢以上の人であれば、なんとなく感じ取ってもらえるのではないでしょうか?

それにしても、藤井さん、どうしてこういろいろなタイプの作品を見つけてくるのでしょう?

ダブルブッキング

これは当然買おうと思っているのですが、まだ買っていない書籍です。先日の万城目学さんとのトークイベント(@MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店)の時に案内のチラシが配られ、「おお、これは買わなければ」と思っていました。ようやく発売になったのですが、その矢先、紀伊國屋書店の新宿南店でトークイベントがあると知りました。

トーク&サイン会ですから、当然会場となる南店で買わないとなりませんよね。そのように本店の方にアドバイスされて、とりあえずいったんは買うのをやめたのです。でも、改めてイベントの日付を確認したら、なんと12日。その日はあたし、もう別の業務があって、昼間から夜まで体が空かないんですよ。

これでは本は買ってもサインはもらえませんよね。どうしましょう?

それにしても津村さんって、この宣材写真よりも実際の方がもっとチャーミングな方ですね。

 

このままでよいのか?

4月1日なので、嘘っぱちのダイアリーでも書いてみようかと思いましたが、それは昔やったことがありますので、もうやりません。ただ、新年度ということで、このままの仕事ぶりでよいのか、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思いました。

何度か書いていますように、あたしは転職はしたことがありませんが、入社した時は編集部でした。語学書を作っていました。それを12年ほど続けていたら、営業部に異動になりました。人と接するのが苦手、人付き合いが苦手、あまり人当たりがよくない、そもそも他人が大嫌いというあたしに営業なんてできるのだろうかと、当初は不安もありました。

でも、その一方、編集部にいるのに、特に作りたい本もなく、企画を考えなければいけないプレッシャーがその当時かなりあったのも事実です。だからといって、あたしの得意分野である中国関係は、中国語なら企画は待たれているでしょうけど、中国思想や中国古代史の本なんかあたしの勤務先では到底出せそうもない状況でした(今もさほど変わりません)。周囲の人間を説得してまで中国思想や中国史の本を出そうなんてエネルギーは、あたしは持ち合わせていませんので、そんな無駄な努力はしたいとも思いません。

まあ、そのプレッシャーから解放されるのか、人付き合いは苦手だけど、外面はいい方なので、営業部に遷ってもなんとかなるかなという、かなり軽い気持ちで営業部に遷って早十年になろうとしています(正確にはまだ8年か9年くらいのはずです)。

で、特にあまり考えもせずやってきて、そろそろ変わる時期かなという気持ちが起こってきました。とは言っても、会社を辞めるなんて選択肢は転職先も見つかっていない現状ではありえません。そうではなくて、何かリフレッシュできることはないかなと思うわけであります。

それで思うのは、業務変更です。社内でやっている(分担している)業務を変更するということです。営業部であることは変わらずに業務変更するということは、端的に言えば、担当書店の変更です。これまでもちょこちょこっとした担当地区・地域の変更はありました。例えば。営業部移ってきた当初、地方の担当地区は北海道と北東北(青森・岩手・秋田)でした。それが数年後には南東北の宮城・山形・福島に栃木・茨城も加わった、ほぼ東日本全域になりました。しかしこの状態は2年から3年弱ほどで終わり、その後は京都・大阪(一緒に滋賀と奈良も)の担当になったのが2008年の夏前ですから、もうすぐ丸5年です。一二年遅れて兵庫も担当になり、いわゆる関西担当になって3年ほどです。

こういう地方の担当地区変更は、だいたい外回り担当営業部員の場合、誰かが辞めた(定年も含め)とか、新しい人が入った折に行なわれてきました。同様に都内近郊も分担しているのですが、これは営業部遷って以来、あたしはずっと中央線・京王線担当で変わりません。途中、総武線、小田急線、有楽町・銀座地区の担当を兼任していた時期もありますが、中央線・京王線は一貫してあたしが担当しています。そろそろ、これが潮時ではないかと思うのです。

同じ地区を長いこと担当すると、お店の人とも仲良くなれますが、一方で惰性に流れる可能性もあります。あるいは仲良くなった書店とはよいけれど、相性の悪い書店とは疎遠のままになってしまいます。時に担当者を変更して心機一転を図った方が、書店にとっても出版社にとってもよい結果を生むとも思います。今すぐというわけではありませんが、今年は、否、今年度は少しそういうことを考えてみたいと思います。

もちろん、あたしが担当を変わると聞いて「やっと、あいつの顔を見なくて済む」と喜ぶ書店員さんも大勢いることでしょうが……(汗)。

異動の季節

春は異動の季節です。大きな会社だと国内外の支店や支社へ異動になることもあるでしょうし、部署が変わることもあるでしょう。本屋さんの場合、チェーン店では他のお店に移る人も多いのがこの季節です。移った先のお店も自分の担当であれば「こちらでもまたよろしくお願いします」となりますが、そうでなければしばしのお別れです。

さて逆に、あたしの勤務先の場合だとどうでしょう?

あたしが約10年前に編集部から営業部に遷ったような、部を跨いだ異動はあたしも動いた10年ほど前にあったきりで、その後はほとんど意味のない肩書きの付け替え的な異動しかありませんし、今後も大がかりな人事異動があるとは思えません。

むしろ仕事としては書店の担当が代わる可能性の方が大いです。一応数人いる営業部隊が都内周辺と全国を分担して営業しているわけですが、これが何年も変わらないと惰性に流れ、伸び代もなくなってきます。あまり頻繁に変わるのもよくないですが、ある程度の年月で変えていくのも、リフレッシュ効果としては大切なことだと思います。そもそもあたしの勤務先は誰かが辞める、ということでもない限り、担当地区をあまり変えない伝統(?)があって、他社に比べると長く同じ地区を担当する傾向があります。もちろん営業マンが一人か二人しかいなくて、担当を変えるという発想がない出版社も数多いですが……

あたしの場合、10年前に営業に移ってきて、都内近郊は中央線、京王線沿線を担当しました。あとは新宿にあったジュンク堂です。その後、これにプラスして小田急線、総武線、有楽町・銀座地区を受け持ちました。これらをすべて同時期に担当していたこともありますが、総武線は一年ちょっと、小田急線は二年ちょっとで他の人にバトンタッチとなり、銀座も同じです。現在は中央線と京王線、それに新宿の紀伊国屋、ブックファーストの担当です。

地方の担当は、当初は北海道と北東北(青森・秋田・岩手)でしたが、三年たったころから宮城・山形・福島・栃木・茨城も加わりました。ほぼ東日本全域です。隈なく回るわけではないので広さの割に大変という意識はありませんでした。その後トータルで5、6年ほどたった頃、東日本担当を外れ、京都・大阪(+滋賀・奈良・和歌山)の担当になり、二年ほど前から兵庫も加わりました。

以上のように、地方についてはまだ数年ですが、都内近郊については中央線・京王線がもう10年になろうとしていますので、そろそろ交替の時期かなという気がしないでもないです。変わるかどうかはわかりませんが、うちのような会社では担当地区変更の方が人事異動よりも大きい出来事だと思います。そして、もし変わるとしたら、では次はどこの地区を担当したいか、妄想は広がります。

神奈川や埼玉は営業担当になったことがないので興味がありますね。やはり営業としては、いろいろな地区を一通り見ておく、担当するのはよいことだと思いますので、個人的には埼玉か神奈川をやってみたいなあと思いますし、新宿ばかりでなく渋谷なんかもどうだろう、とも思います。

書店地図も数年で結構変わってしまっている地区がありますので、いまならどの地区が面白いのでしょうか?

と言いつつ、いきなり営業から編集に移れ、なんて言われたりして(汗)。

 

映画に絡めて?

テレビなどでも取り上げられている映画「プラチナ・データ」は大ヒットになるのでしょうか? 少なくとも原作は東野圭吾ですから、それなりに売れているのでしょうね。

ところで、弊社の文庫クセジュに『DNAと犯罪捜査』という一冊がありまして、書店さんから「プラチナ・データ」フェアで並べたいからといって注文が入っております。

さあ、一緒になって売れるでしょうか? いや、売れて欲しいです。

棚が遠い……

国書刊行会から発売された『包囲』が海外文学の棚の目立つところに並んでいます。売れそうだという諸店員さんたちの勘なのでしょうか? それとも既に話題になっているのでしょうか?

ちなみに、本書の帯にはアントニー・ビーヴァーの大きな文字が躍っています。あのアントニー・ビーヴァーです。あたしの勤務先でもずいぶんとお世話になっています、あのビーヴァーです。

この本は小説ですから文芸書の棚で問題はないのですが、アントニー・ビーヴァーが推奨しているとなると、歴史の棚でも十分いけるのではないか、そんな気もします。

となると、これはビーヴァーの作品ではありませんが、出たばかりのあたしの勤務先の『レニングラード封鎖』が想起されます。この本がノンフィクションとしてレニングラードの戦いを描き、その戦闘の影の市民生活のひとこまを小説に仕立てたのが『包囲』のようです。やはり一緒に並べたくなりますね。

というのは、あたし個人の勝手な妄想でしょうか?

この『レニングラード封鎖』は、言うまでもなくナチ・ドイツ軍がソ連に攻め込んでレニングラードで行なった凄惨な戦いの物語ですが、やはりちょっと前に出した『戦時下のベルリン』はその逆で。攻守ところ入れ替わって、ソ連軍がナチの首都ベルリンに攻め込んで、そこを蹂躙した物語です。

こう書くと、やはり一緒に並べるとよいのではないかという気がします。書店ではどちらも世界史の棚に置いてありますし、ヨーロッパですから、『包囲』と『レニングラード封鎖』ほどには離れていませんが、かたやドイツ史、かたやロシア史に並んでいて、微妙に離れています。

こちらなどは一連の戦いの異なる局面ですから、まとめて置いたほうが効果的だと考えるのは、やはりあたし個人の妄想なのでしょうか?

ソクヘン

この数年、書店のPOSレジ化が進みました。

どういうことかと言いますと、何の本が、いつ、何冊売れたのかがデータとして記録されるということです。スーパーやコンビニなど既に早くから導入され、どの店舗にはどんな商品を置いたらよいのか、かなりデータ分析を厳密にやって商品構成に活かしているとのことです。

それにひきかえ出版界はそういった取り組みが遅れていて、書店員の勘で追加発注をするという時代も長かったわけです。もちろん単なる勘ではなく、長年の経験、お客様の感触、店頭での売れ具合など、それこそ五感をフル動員してインプットされた情報を自分なりに分析していたわけですから、山勘などとあなどってはいけないものです。

ただ、その反面、この数年やたらといわれる返品率の問題。売れない本を大量に抱えてしまっている書店現場の状況というのも、データ分析がされてこなかったことのツケなのかもしれません。

POSレジのお陰なのかどうかわかりませんが、この数年の書店さんからの発注は、新刊時も追加の時もどちらもですが、昔に比べるとずいぶん控えめになったという気がします。いや、これは気がするのではなく、実際に起こっていることです。

最初からドーンと山積みするのではなく、まずは様子を見られる程度の冊数を注文し、売れたら、売れそうだと判断したら追加発注しようという流れになっています。

これは基本的には正しい方法だと思います。もちろん最初から売れそうだという判断の下、大量に注文し、店頭の目立つところで大きく展開する、いわゆる仕掛け販売も、売行きを大きく左右する面は確かにあります。ただ、売れそうだという判断の前提となるものが、これまでのように勘に頼るのではなく、POSレジによって蓄積されたデータが重きを増すようになってきたという違いはありますが。

で、それはそうと、出版社からすると、POSレジ化が進むことによって、本当に売れている書店と売れていない書店がわかるようになります。ここには書店員の方のやる気や熱意といった情が入り込まない、極めてドライな世界です。これまで売れているように思っていた書店で数冊しか売れていなかった、小さなお店なのにもうこれだけ売ってくれている、そんなことがわかってしまいます。

もちろん、このデータには不十分なところもたくさんあり、入荷数がわかりません。あくまで売れた数だけがわかるのです。同じ3冊売った書店でも、5冊入荷した店と10冊入荷したお店では消化率が全然異なります。もちろん、出版社側の出荷記録を追うことで、あの店には何冊出ている、この店にはこれだけだ、という推定をすることはできます。ただ、書店の多くは取次の倉庫にある在庫を仕入れたりすることも多いので、出版社の出庫記録に載らない分も相当数あると思われます。どのくらいを出版社側が把握できているのか、ちょっとすぐにはわかりませんが、まあそれなりには把握できているのかな、といううっすらとした感触です。

さて、そういう風に実際の売れ数が見えたりしますと、こんな風に思うことがあります。

こんなに売れているのに、追加発注しているのかな? 少なくともこちらには電話やファクスで注文は来ていないけど……

もちろん、気づいた時には、よく知っているお店であれば連絡をしたり訪ねていったりして追加発注を勧めてみますが、これも十全にできるわけではありません。その他

入荷してまだ大して時間がたっていないはずなのに、すぐに返品している(返品依頼の連絡が来る)のはなんでなのだろう……

と感じることもあります。そのお店には合わない本が配本された、入荷したということはあると思いますが、そんなにすぐに返品してしまってよいのでしょうか? 大手出版社の話題の本ならいざ知らず、あたしの勤務先の本など、刊行されて二か月や三か月たってようやく書評などで紹介され売行きが伸びてくる、なんていう本がたくさんあります。むしろ、そんな本ばかりです。そういう性格の本を出している出版社ってかなり多いと思いますが、その書評が出るのではないかなと待つ期間を辛抱せず、さっさと返品してしまうなんて、どういう判断なのだろうと考えてしまいます。

「うちはお宅の本を買うようなお客様はいません」という判断なのであれば、もう配本はしないでと、出版社や取次に要請すればよいのではないかと思いますが、そこまでやっているような書店はほとんどないようです。本が多すぎてとても全部は並べられない、というのが根本的な原因なのでしょうね。これは出版社側に大きな責任がありますね。

それにしても、書店員さんがしっかり一冊一冊の本に向き合えないような状態では、どうやって本の良さをお客様にアピールできるのでしょうか? そう思います。

だからでしょうか。店頭でのアピールよりも、Twitterやブログ、Facebookなどでちょっと話題になったりするだけで売れてしまうような現象が起きるのは。

なかなかの好成績?

篠突く雨ではないですが、氷雨をついて書店回りです。

紀伊國屋書店新宿南店の語学書売り場で「先月の語学書ベスト5」が張り出されてました。

イタリア語とスペイン語

まずはスペイン語とイタリア語です。イタリア語は残念ながらランクインを逃しましたが、スペイン語ではなんと2点もランクインしております。スペイン語検定対策問題集とドリルです。

中国語と韓国語

続きまして、中国語と韓国語。こちらも韓国語はランクインしておりませんが、中国語は第5位に「中級中国語」がランクインです。

フランス語

そして最後にフランス語。定番商品「フラ語」が見事ランクインです。

今月以降も、コンスタントにランクインできるよう頑張りたいと思います。そんな語学書売り場の一角で、表紙の色に注目して集めた中級語学書のフェアをやっていました。弊社の語学書も何点か並べていただいております。ありがたいことです。

色で集めた中級語学書

この時季の語学書売り場は、4月からの総仕上げ的な時期に当たり、中級への橋渡し的なものが売れます。同じ入門書でも、まるっきりの初学者向けのものではなく、一年間勉強してきた人が総まとめとして使えそうな、やや歯応えのある入門書なども売れます。

あとは、卒業旅行シーズンですから会話書なども比較的売れる時期ですが、旅行会話書はゴールデンウイーク、夏休み、年末年始など、一年の中で他にもピークの時期がありますから、この時期ならではということでは<初中級もの>ではないでしょうか?

 

SNSと人文書

続きまして、人文会の勉強会。

鼎談でした。空犬さん、幸さん@リブロ池袋本店、北川さん@代官山蔦屋書店のお三方。SNSを人文書の棚作りにどうやって活かすかというテーマでした。

結論から言ってしまうと、果たして聴きに来ていただいた書店員の皆さまが、お三方の話からどのくらいSNSの活かし方を学べたか、吸収できたか、それについては疑問が残ります。それはお三方の話がダメだったと言うことではなく、肝心のSNSをどう活かすかという話に入る前に時間切れになってしまったことが大きかったのだと思います。

やはり、いま盛り上がっているSNSとはいえ、それをかなり使っている人と、たまには覗きますという人と、ほとんどからっきしわかりませんという人と、千差万別、十人十色だと思います。いつぞやだったかのTwitterから話が広がって実施されたフェア(ネコ本フェアでしたっけ?)など、ネットを使っていない人は全く蚊帳の外で事態が進行していたりする昨今、情報収集のアンテナを張り巡らしておかなければならない書店員としては、今回のテーマはとても興味深かったのではないかと思います。

ですから、本屋とは、人文書とは、といった大上段の話はそこそこにして、SNSを中心に据えて話を進めた方がよかったのかもしれません。そういった意味では、空犬さんのブログを中心に業界でどんな動きがあるのかをチェックする、というのも一つの方法でしょうし、まずはこの人のブログやTwitterを追いかけておけば、啓発されることが少なくない、というものを見つけるのが近道なんだろうなあと感じました。

SNSの使い方としては、幸さんが気になる著者の記事をチェックし、著者同士のやりとりからヒントをもらうという話、北川さんは主として情報発信として利用し、情報収集としてはあまり使っていないという話をそれぞれされ、極めて好対照なところが面白かったです。

でも、結局、最終的に感じたのは、情報を集める手段がネットなどにも広がったということだけで、実際に書店員がやるべきことはこの数十年なにも変わっていないのだなと再認識させられたということです。世の中の興味、ホットな話題、これから盛り上がりそうなテーマを嗅ぎ分け、それに沿って選書し並べる。昔もやっていたことですよね? ネットやSNSの発達で収集のやり方とか発信の拡散性に違いはあるものの、実はおんなじことなんだ、変わっていないんだ、と思った次第です。

ただ、書店というのは、このように提案し、工夫し、発信していかないとダメなものなのでしょうか? 街の小さな本屋さん、おじちゃんとおばちゃんが細々とやっているお店、そんな愚直にやっているだけの本屋では生き残れないのでしょうか? そんなことも感じました。

50代、60代に

昨日の研修会のまとめと感想。まずはヤングアダルト出版会と出版広告研究会の勉強会から。

出広研は地方紙の方々ですから、ほぼ各県に一社くらいで四十数名いらっしゃいます。こちらYA出版会は20社。これだけの大人数では勉強会になりませんので、4グループに分かれてのグループ討論となりました。あたしが参加したグループは「50代、60代の人にいかにして本に親しんでもらうか」というテーマでした。

最初、このテーマを聞いた時、あたしは「そうか、50代、60代と言えばYA世代のおじいちゃん、おばあちゃん。この人たちが孫へ本を選ぶ時にどのようにサポートできるかを話し合うのか」と考えていました。が、そうではなく純粋に50代、60代からそれ以上の方に本を読んでもらうためには、というのがテーマでした。

グループ討論で出た意見をまとめると、これまで読書の習慣がなかった50代、60代はいまさら本を読むようにはならないだろう、可能性としてはかなり低いと思われる。むしろ、以前は読んでいた人に再び読書に親しんでもらうには何ができるかを考えるべきでは、というものでした。

そのための方法として、デパートやショッピングモールに入っている書店などだったら、年配の方向けのポイントを付与するなどして、購買意欲を高めるのはどうだろうか、という意見が出ました。確かに、ニュースでも懐が暖かいと言われる高齢者の方であれば、こういう方法は購入率を上げる手段として有効かと思います。ただ、中には経済的に苦しい方もいらっしゃるでしょうし、図書館の取り組みも何かしら考えないとならないでしょう。

いずれにせよ、東京にいるとわかりませんが、地方の場合、本屋にしろ図書館にしろ、どの程度充実しているのでしょうか? 東京の場合、ほぼ大多数の人が片道平均一時間ほどの通勤を強いられていますが、それが逆に貴重な読書時間になっているのも事実です。昨今は音楽プレーヤーやケータイ、スマホに押され、電車の中で本を読んでいる人が極端に減りましたが、それでもそれなりの数の人が本を読んでいます。でも、地方の場合、それほど長い通勤時間はありませんし、そもそも電車で通勤している人が多いようなので、読書などできるはずありません。となると、都会の人が本をよく読む、つまり本をよく買う、だから都会に本屋が多い、というのもむべなるかなです。

ところで、その一方で思ったのですが、本を読む習慣がない50代、60代は当然のことながら家には本などほとんどないのでしょう。となると、その子供はどうなのでしょう? もういい歳でしょうから、親元を離れて暮らしている、かなりの確率で所帯を持ち子供がいるのではないでしょうか? 親に読書習慣がなく、自宅にほとんど本がなければ、その子供も本に親しむ機会がなく育った可能性が高いです。それなら孫も同じでしょう。

読む家庭と読まない家庭、現在はそこに経済格差が絡みますので、本を買う余裕のある家庭と余裕のない家庭という二極化が進んでいるかもしれません。とりあえず経済的な問題はお手上げですが、それはおくとして、読む習慣がない人に読む習慣を付けさせるような取り組み、少なくともその人本人ではなく、その子供や孫が本に親しんでくれるようになるためにも、50代、60代の<本に親しんでこなかった人>対策を考えないとならない、そう思いました。