新宿でお薦めされました!

下の写真はブックファースト新宿店のフェアの模様。

確か、この数年やっていたと思いますが、「スタッフお薦めの今年の一冊」的なフェアです。今年も始まりました。あたしの勤務先の刊行物は以下の4点をお薦めいただきました。ありがとうございます。

まずは『アメリカの資本主義』、これはガルブレイスの著作です。

続いては『翻訳のダイナミズム』、翻訳の文化史ですので、海外文学が好きな方にも興味を持っていただけると思います。

イーヴリン・ウォー傑作短篇集』はタイトルどおり短篇集だからなのでしょうか、よく売れました。

今年はシェイクスピアのアニヴァーサリーイヤーでしたので、『シェイクスピアの生ける芸術』もそんな流れでおいていただいた書店も多かったです。

ロシア革命100年

来年はロシア革命100年です。

「だからフェアなんて如何ですか?」と書店で話をすると、「じゃあ、ナンシー、選書してよ」と言われてしまったので、選書してみました。

革命だけだと味気ないので「ロマノフ王朝」「ロシア革命」「ソビエト連邦」の三つくらいに分けてみました。もちろんすべてに跨がる本もありますが……

まずは「ロマノフ王朝」です。

出版社 ISBN 書名 著者 本体価格 出版年
講談社 9784062923866 ロシア・ロマノフ王朝の大地 土肥恒之 1,230 2016
新人物往来社 9784404040718 ロマノフ王朝 新人物往来社 1,800 2011
創元社 9784422215167 ロシア皇帝歴代誌 D・ウォーンズ 3,600 2001
筑摩書房 9784480057679 最後のロシア皇帝 植田樹 660 1998
白水社 9784560083772 エカチェリーナ大帝(上) ロバート・K・マッシー 3,200 2014
白水社 9784560083789 エカチェリーナ大帝(下) ロバート・K・マッシー 3,300 2014
白水社 9784560084205 クリミア戦争(上) オーランドー・ファイジズ 3,600 2015
白水社 9784560084212 クリミア戦争(下) オーランドー・ファイジズ 3,600 2015
白水社 9784560095041 クレムリン 赤い城塞の歴史(上) キャサリン・メリデール 2,900 2016
白水社 9784560095058 クレムリン 赤い城塞の歴史(下) キャサリン・メリデール 2,900 2016
山川出版社 9784634460607 ロシア史 1 田中陽兒、清水睦夫、鳥山成人、栗生沢猛夫、中村喜和 5,343 1995
山川出版社 9784634460706 ロシア史 2 和田春樹、佐々木照央、倉持俊一、土肥恒之、鈴木健夫、高田和夫 5,343 1994
山川出版社 9784634632110 世界歴史の旅 ロシア 中村喜和、和田春樹 2,800 2013
山川出版社 9784634646407 ロシア 和田春樹 1,800 2001
草思社 9784794209696 実録ラスプーチン(上) ブライアン・モイナハン 2,300 2000
草思社 9784794209702 実録ラスプーチン(下) ブライアン・モイナハン 2,300 2000
藤原書店 9784894346116 未完のロシア エレーヌ・カレール=ダンコース 3,200 2008

続いては「ロシア革命」です。

出版社 ISBN 書名 著者 本体価格 出版年
岩波書店 9784000256582 令嬢たちのロシア革命 斎藤治子 3,800 2011
青木書店 9784250990007 自由・平等と社会主義 藤田勇 8,500 1999
大月書店 9784272430871 レーニンの再検証 聽濤弘 2,200 2010
筑摩書房 9784480097231 共産主義黒書 ソ連篇 ステファヌ・クルトワ、ニコラ・ヴェルト 1,700 2016
白水社 9784560082393 情報戦のロシア革命 ロバート・サーヴィス 4,400 2012
白水社 9784560082720 トロツキー(上) ロバート・サーヴィス 4,000 2013
白水社 9784560082737 トロツキー(下) ロバート・サーヴィス 4,000 2013
白水社 9784560084458 マルクス(上) ジョナサン・スパーバー 2,800 2015
白水社 9784560084465 マルクス(下) ジョナサン・スパーバー 2,800 2015
原書房 9784562052561 レーニン対イギリス秘密情報部 ジャイルズ・ミルトン 3,500 2016
みすず書房 9784622083580 ロシア革命の考察 E・H・カー 3,400 2013
未來社 9784624111175 10月革命 ロイ・メドヴェージェフ 3,800 1989
藤原書店 9784894345195 レーニンとは何だったか エレーヌ・カレール=ダンコース 5,700 2006

最後に「ソビエト連邦」です。

出版社 ISBN 書名 著者 本体価格 出版年
岩波書店 9784000270939 スターリニズム グレイム・ギル 2,300 2004
岩波書店 9784000291248 スターリニズムの経験 松井康浩 1,900 2014
河出書房新社 9784309762241 図説 ロシアの歴史 (増補新装版) 栗生沢 猛夫 1,850 2014
筑摩書房 9784480066381 ソ連史 松戸清裕 800 2011
筑摩書房 9784480861290 ブラッドランド(上) ティモシー・スナイダー 2,800 2015
筑摩書房 9784480861306 ブラッドランド(下) ティモシー・スナイダー 2,800 2015
白水社 9784560026199 グラーグ ソ連集中収容所の歴史 アン・アプルボーム 5,200 2006
白水社 9784560080450 スターリン 赤い皇帝と廷臣たち(上) サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ 4,200 2010
白水社 9784560080467 スターリン 赤い皇帝と廷臣たち(下) サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ 5,000 2010
白水社 9784560080528 スターリン 青春と革命の時代 サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ 5,200 2010
白水社 9784560081273 囁きと密告(上) オーランドー・ファイジズ 4,600 2011
白水社 9784560081280 囁きと密告(下) オーランドー・ファイジズ 4,600 2011
白水社 9784560081808 スターリンの子供たち オーウェン・マシューズ 2,800 2011
白水社 9784560083345 スターリンの将軍 ジューコフ ジェフリー・ロバーツ 3,600 2013
白水社 9784560084229 クルスクの戦い1943 デニス・ショウォルター 3,900 2015
みすず書房 9784622020080 スターリン時代 クリヴィツキー 3,000 1987
みすず書房 9784622077053 スターリンのジェノサイド ノーマン・M・ネイマーク 2,500 2012
山川出版社 9784634415201 ロシア史 和田春樹 3,500 2002
山川出版社 9784634460805 ロシア史 3 和田春樹、横手慎二、下斗米伸夫、塩川伸明、石井規衛 5,343 1997
明石書店 9784750334158 ロシアの歴史(上) リュドミラ・コスリナ、ミハイル・ブラント 6,800 2011
明石書店 9784750334165 ロシアの歴史(下) リュドミラ・コスリナ、ミハイル・ブラント 6,800 2011
明石書店 9784750344140 ロシアの歴史を知るための50章 下斗米伸夫 2,000 2016
彩流社 9784779118289 ロシア史研究案内 ロシア史研究会 3,000 2012
名古屋大学出版会 9784815804220 ロシア史を読む マルク・ラエフ 4,200 2001
作品社 9784861825736 スターリン批判 和田春樹 2,900 2016

エクセルの表を貼り付けただけなので、ちょっと見た目は悪いですので、エクセルファイルをダウンロードできるようにしました。こちらからお願いします。

ちょっとずつ顔を出しています

書店へ行くと、その書店独自のフェアだったり、他の出版社のフェアだったり、いろいろと趣向を凝らしてやっているのを見るのは楽しいものです。あたしの勤務先とはまるっきり関係のないフェアもありますが、ふと見ると、あたしの勤務先の本も何気なく並んでいたりすることがあるので、「あら?」と驚かされたりしてしまいます。

今回は、最近見かけたものからいくつか……

まずは紀伊國屋書店新宿本店でやっていた河出書房新社の『ダーク・ドゥルーズ』を中心とした関連書フェアの小冊子。その選書リストに『演劇とその分身』が掲載されていました。

 

続いては、未來社の『キンダートランスポートの少女』が原作の映画「ニコラス・ウィントンと669人の子どもたち」をベースとした「戦争と子どもたち」フェアの小冊子です。

この冊子には『ムシェ 小さな英雄の物語』と『死の都の風景』が載っていました。

  

戦争と子どもと聞くと、ベタですが、あたしは『火垂るの墓』を思い出してしまいますし、ヨーロッパ限定であれば『サラの鍵』などが思い出されます。

 

次の写真は中央公論新社が他社とコラボしているフェアの冊子で、これはあたしの勤務先は関係ありません。左は創業130周年どうしということで、河出書房新社との文庫フェアです。右は読書の秋だからでしょう、筑摩書房との新書フェアです。かつてはこの手のフェアって一社単独でやっていたものですが、いまではこのような大手出版社も他社とのコラボを積極的にやっているんですね。多分に書店側からの希望、要望もあるのでしょうが。

最後に写真はありませんが、ブックファースト新宿店「スタッフ22人が選ぶ2016年の172冊」フェアに『翻訳のダイナミズム』『アメリカの資本主義』『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』の3冊を選んでいただきました。

  

数多ある出版社の、数多ある刊行物の中から172冊を選んだときに、3冊がエントリーしているというのは、なかなかの高確率ではないでしょうか? このフェアは11月28日から12月31日までです。

文学と政治、政治と文学

昨晩は立川のオリオン書房ノルテ店でトークイベント「政治と文学の狭間で揺れた作家たち」を聞きに行ってきました。演者は山形浩生さんに『ラテンアメリカ文学入門』の著者・寺尾隆吉さん。イベントは山形さんが話題を振り、それに寺尾さんが答えるという感じで進みました。

以下は、手元のメモから。

もともとラテン文学が好きだった山形さんが、辛口なこともしっかり書いている寺尾さんの著作に興味を持たれたことから対談が決まったようです。その寺尾さん、大学で中南米文学を専攻し、初めてラテン文学と出会ったそうです。時期的に日本の出版社からも海外文学の全集やラテン文学のシリーズなどが刊行される時期に重なっていて、作品をいろいろ読んだそうです。卒論をメキシコの革命文学をテーマに書き、ラテン文学に対しては「こんなリアリズムの形があることに衝撃を受けた」そうです。また大統領選でリョサが敗れたこともあり、ラテンアメリカの現実をもっと知りたいと思うようになったそうです。

そんな流れで、リョサやコルタサルなど、山形さんが興味の赴くままに名前を挙げつつ、二人でそれらについて脱線しながら語るという進行。全体としては、キューバ革命などがあり、政治的な時流と文学がうまく重なったのが当時のラテンアメリカであり、ラテン世界に世界の注目が集まっているところへ、マルケスなどの作家が次々と現われたのがブームになった要因であろう、とのこと。当時は社会主義に対する希望や期待に溢れていた時期で、読者も左寄りのものを好み、作家も左寄りの立場を名乗ることが都合がよかった時代で、出版社も左寄りの作家であれば本を出版してやる、という風潮があったそうです。

山形さんは、同書がボルヘスをラテンアメリカ文学の流れに位置づけていることを評価。寺尾さんもサバトのボルヘス論は一読すべきとお勧め。また会場からブラジル文学について質問が出ましたが、寺尾さん曰く、マルケスやリョサに匹敵する作家が出て来なかったこと、やはりポルトガル語という言葉の壁があって、どうしてもラテン文学の中では注目を浴びてこなかったそうです。今後はスペイン語の片手間ではなく、ポルトガル語専門の翻訳家が日本でも育ち、ブラジルの文学が紹介されることを期待したいところです。

最後のまとめ的な話では、現在のラテン文学について。かつてと異なり、現在はラテンの作家たちも欧米化してきていて、欧米に移住している人が多い。中南米に住んでいても金持ちの特権階級的な立場になっている人が多いそうです。また最初から作家を目指す人が多くなってきているのも特徴の一つで、創作教室なども盛んに開かれているようですが、そういうところ出身の作家はいまだ第一線には立っていないのが現状。

またそういった文学作品の受け手である読者も変わってきていて、それなりに生活も豊かになり、軽いものを求めるようになってきているそうです。そうなると、これからはマルケスのようなものは受けないのでしょうか?

山形さんがおっしゃっていましたが、その時代にやりやすい方法というのは必ずしも文学とは限らないのではないか、かつての中南米では、何かを表現するのに文学がもっともふさわしい手段であったわけですが、現在そしてこれからも文学なのか……

とにかく、もっともっとラテン文学が読みたくなる一夜でした。

神田神保町を中国革命で歩いて思うこと

昨日の日曜日、午後から神保町で譚璐美さんのトークイベントでした。

ちょうど三省堂書店神保町本店の一階で開催中の「年末年始は神保町で人文書フェア」関連イベントとして行なわれたものです。譚璐美さんの著書『帝都東京を中国革命で歩く』の舞台の一つが神田神保町界隈ということもあり、中国近代史に興味のある方が集まってくださいました。

 

譚璐美さんにとっては、自家薬籠中の話柄。すらすらと立て板に水のごとく、あっという間の一時間でした。

 

では、手元のメモを元に、少しトークイベントの内容についてご案内いたします。

まず現在は中国人の訪日、滞日ブームであるとのこと。それは80年代の改革開放政策により、海外で学んだ優秀な人材を育成しようという流れがあり、そういった人材が現在は50代となり、日本の大学で教授などの地位に就いている。

それに対してほぼ百年前の日本留学ブーム。その理由の一つは、日本の明治維新の成功、その結果、アジア初の近代国会の誕生という事実。中国(清)もそうなりたいという中国人の自覚を生んだのは、アヘン戦争、義和団事件、そして日清戦争の敗戦。

特に軍事を学びたいという中国に対し、最初のは12歳くらいの少年を欧米に派遣していたが、数年後には中国の文化などを忘れ欧米流になってしまっていた。また欧米諸国は士官学校への入学を認めてくれなかった。

そこで改めて日本への留学が試みられ、日本側にも嘉納治五郎など教育に熱心な人士がいて、清国人のための学校が開設された。1905年が日本留学ブームのピークとなるが、その当時の日本は、鉄道の開通により東京や大阪などで都市化が進み、物流も発達してきた。都市からは情報の発信、つまり新聞の発行が始まったが、それにはそれを受け入れる読者の存在があった。印刷技術の発達により出版文化が栄え、知識人が量産され、海外留学から帰国した学生が教壇に立つようになってもいた。

当時の日本にやってきた中国人は、丸ごと日本に染まろう、染まりたいと思うものが多く、日本人女性との恋愛や日本名を付けるなどの行為も見られた。

翻って当時の清国は、科挙が廃止され、立身出生の手段を求める読書人にとって海外留学がそれに代わるもの(洋科挙)となり、特に日本の地理的な近さ、渡航費用の安さ、数ヶ月という短期留学も可能な便利さが追い風となって日本留学ブームとなった。

そして神田神保町界隈。明治や専修といった大学が立地していること。清国人向けの日本語学校があったこと、清国留学生会館があったことなどから中国人留学生が集まるようになり、人がさらに人を呼び、留学生のメッカとなっていった模様。

というわけで、上の写真はイベント後のサイン会でいただいたサインです。3冊、書いていただきました。

ところで譚さんのお話に日華学会という組織が出てきました。『帝都東京を…』にも書かれていますが、震災で命を落とした留学生の供養を行なった団体だそうです。嘉納治五郎といい、日華学会の人たちといい、日中戦争にいずれ向かおうとする日中両国の間にあって、純粋に友好を願った民間交流だったと思います。

昨今も日中間がギスギスしているわけで、多くの人が民間交流を重ねていけば、ということを訴えています。それはもちろんその通りだと思いますが、戦前のこういった事例を見ると、民間交流も大きな歴史の流れの中では無力なのではないか、そんな気もしてしまいます。

それでも諦めない、という気持ちが大事なのでしょうけど。

「堂に升りて室に入らず」的な海外文学フェア?

このところ「はじめての海外文学フェア」というフェアが各地の書店で行なわれています。

フェアの場所には上掲のような冊子が置いてあります。ビギナー篇とちょっと背伸び篇ですね。確かに、間口・裾野を広げる、広く愛好者を増やす、という意味では「はじめての」という謳い文句はよいと思います。

で、ふと思うのですが、これを何回くらい続ければ、「はじめて」から「その次の」になるのでしょうか?

いや、もちろんいつまでも「はじめて」を続ける意義はありますし、続けるべきだと思います。が、その次も提案してこそ、だと思うのです。語学書で入門・初級があって、その次に中級、そして上級があるようなものです。

もちろん、海外文学の場合、上級なんて要らないかもしれません。「後は各自お好きなようにお読みください」で構わないのだと思います。そこまで親切丁寧に、手取り足取りしてやる必要はないよ、そのレベルの人なら自分で見つけるさ、という意見ももっともです。

でも、上に挙げたように、語学書でも中級向けのフェアというのは成り立ちますし、それなりの需要もあります。むしろ初級が終わってその次の一歩をうまく踏み出せるかどうかで上級へ進めるか否かが決まると言っても過言ではありません。だから中級は大事なのです。疎かにはできません。

海外文学フェアだって、中級を考えてみよう、そんなことも思いながら、今回のフェアを眺めていました。たぶん、そういう需要もあって「ちょっと背伸び篇」が作られたのでしょうね。

人としての尊厳~閻連科トークイベントのこと~

土曜日、日曜日と二日間、新宿の紀伊國屋書店と渋谷の丸善&ジュンク堂書店で行なわれた閻連科さんのトークイベント。メモを元に少し振り返ってみます。

まず土曜日の紀伊國屋書店、対談相手は飯塚容さん。ご存じのように閻連科さんのエッセイ『父を想う』の訳者である飯塚さんが、『年月日』だけでなく、過去に遡って閻連科作品全般、そして閻連科さんの人となりや中国現代文学の中での立ち位置などをわかりやすく紹介してくれるような対談になりました。

 

まず、日本、中国ともに相手の文学を研究する優れた学者は大勢いるのに、お互いの翻訳作品が少ないのはなぜか、という問いかけに始まり、中国でも日本の作品を紹介しようという勢いが近ごろ弱くなってきているとのこと。これは翻訳者がもっと考えるべき問題であるとの指摘は、翻訳作品を柱の一つしている出版社にも耳の痛いところでした。

飯塚さんから、それでも80年代は中国文学の紹介が日本では盛んであったが、その後は低調になり、日本人の見方も好意的ではなくなっていたと説明があり、そんな状況でも中国文学の紹介はされてきてはいたけれど、閻連科さんの作品は紹介されてこなかったとのこと。

その当時の閻連科さんの作品は大きく分けて軍隊での生活を舞台としたものと農村での生活を舞台としたものに分けられ、『年月日』はもちろん後者に相当する作品との解説。

そんなご自身の作品について閻連科さんは、ずっと軍人をテーマに書いてきた自分にとって『年月日』は奇妙な作品であるとのこと。軍を舞台とした小説が発禁となり、さらに腰痛を患い、退役して農民になろうと考えていた病床生活で、もう軍隊をテーマとしたものは書かないと一度は心に決めたそうです。

そんな中、ある漢方医と知り合い、その人の治療によって腰痛を完治し健康を回復する中で、人間の生命について考えるようになり、1本のトウモロコシと一人の老人の関係性について書きたいと思うようになったそうです。出来上がった原稿を上海の雑誌社に送ったところ発表でき、多くの評論家の好評を得たそうです。

そんな人間の尊厳を描くようになった閻連科さん。2000年代になって生まれた作品は、軍隊が舞台の『人民に奉仕する』、エイズ村の売血について書いた『丁庄の夢』が相次いで発禁となったが、これら2作品とは異なる寓話的な『愉楽』もあり、この作品の執筆をもって軍隊生活にピリオドを打ったとのこと。

閻連科さんによると、創作は変化してきているとのこと。『愉楽』は中国でシンポジウムが開催され、高く評価する評論家もいたそうです。しかし、もし現在は右派闘争が再び起こったら処分されただろうとも。またテレビで『愉楽』関連番組が放送され、ついに上司から軍を辞めるよう勧められたそうです。

軍を辞めて自由になり、『人民に奉仕する』を書いたそうです。これが大きな変化となったようですが、軍隊生活が深刻な現実とを教えてくれたとも。なので、軍隊生活を後悔してはいないし、自分の創作にとっては宝物であるそうです。発禁すら、運命に対する贈り物だと思えるとのことです。

『年月日』『日光流年』は発禁になっていないし、フランスでは高校生の教科書にも載っている。アメリカでは高校生の必読書の一つに選ばれてもいるとのこと。ただ『年月日』のような作品をずっと書いていても、それはそれで問題であり、書きたいとも思わない。

最近の『四書』(邦訳は岩波書店から刊行予定)は1960年前後が舞台の作品。その時代の知識人の運命を描いたもので、最近の最も重要な作品だと想っているそうです。『風雅頌』は大いに論争を巻き起こしたが、自分なりに検閲して、もっとよい作品を書かなければいけない、自分の創作を反省しないといけないと思っているそうです。

『四書』では、新たな物語を表現する方法を見つけたと感じるそうです。そして『炸裂志』は中国国内版と台湾版では内容が一部異なるそうです。閻連科さん曰く、中国の現実そのものを描いた、金儲けに成功している人はいかがわしいことをしたに違いない、ということを書いた作品であるそうです。『日熄』は夢遊病者の話で、台湾で出版され、紅楼夢文学賞を受賞した作品。

神実主義を発見したことで『炸裂志』や『日熄』が書けた。夢遊病者は夢で現実にはありえないものを見ているが、太陽が昇ったら夢から覚めてしまう。しかし『日熄』では太陽が消えてしまったので、永遠の夢遊病状態にいる人々を描いた。

『父を想う』は重要な作品である。自分の優しい一面を描いたつもりである。家族のこと、人と人との温かい関係性を表現していて、フランスやイタリア、韓国でも翻訳されている。もう一つの閻連科であり、中国人の温かさを表現している作品である。

以上、紀伊國屋書店新宿本店でのトークの、あたしなりの梗概。聞き間違い、書き間違い、理解の至らないところ、誤解しているところ、多々あると思いますが、すべてあたしの責任です。

そんな前日を受けて翌日の渋谷のトーク。上の写真のように、この日の対談相手は豊崎由美さん。

『愉楽』を絶賛されていた豊崎さん、閻連科さんに聞きたいこと話したいことが山ほどあったようで、メモを見ながら話を進めてくださいました。

そして、Twitter文学賞、トロフィーの授賞式。

かわいい編みぐるみが贈呈され、閻連科さんは2歳になるお孫さんが喜ぶだろうとのことでした。

二日間を通して、飯塚さんは「~ですよね?」という語り口、豊崎さんは「~ですか?」という風に、お二人の立場を活かした好対照なイベントになったと思います。

戦利品?

閻連科さんのトークイベント。昨日の紀伊國屋書店新宿本店、本日のMARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店と二日間。

いやー、実に有意義でした。個人的に愉しんだといった方がよいくらいです。

 

まとめ的なこととか感想は改めて書きますが、とりあえずいただいたサインをご披露。

 

父を想う』『年月日』にサインをしていただきました。

いやー、嬉しい。大作家にもかかわらず、とても気さくな方でした。

セット売り!

新宿の紀伊國屋書店で閻連科さんのイベントでした。

これで閻連科さんの話を聞くのは、9月の東大本郷、先日の東大駒場についで3回目。やはり、聞くべきトークだなあと感じます。閻連科さん、パッと見には高名な作家という感じはなく、おとなしそうな感じ。あれだけの作品を書いた方という感じは微塵も受けないのですが、話し始めるとどこからあんなエネルギーがわき出してくるのだろうと感じます。

と、まあ、講演のまとめは明日の渋谷ジュンク堂のイベントも合わせて改めて書くとして、今回感じたのは『年月日』と『父を想う』はセットで読むべき二冊だということ。

 

別に本日の対談相手が『父を想う』の飯塚さんだったから言うのではありません。読んだ上での素直な感想です。『年月日』の訳者あとがきで谷川さんも書いていますが、この二つの作品、書かれた時代はかなり隔たっていますが、相通じるものがあることは読めば誰もがわかるはずです。それが同じ年に日本で前後して出版されたことに不思議な縁を感じます。本日のイベント、飯塚さんにお引き受けいただき、実は最初はそこまで意識していたわけではないのですが、両書を読んでわれながら絶妙のキャスティングではなかったかと思う次第。

「神実主義の中国と文学」ということについて

先の日曜日、駒場の東京大学出行なわれた閻連科さんの講演。手元に残したメモを元に自分なりに振り返ってみます。

まずは王堯さんの講演から。

文革後の中国文学は80年代文学、90年代文学、新世紀の文学の三つに分けられる。現在活躍する多くの作家が80年代に注目を集め始めたのに対し、そのころの閻連科氏は助走期間であり、「後から来た作家」である。そんな文革後の文学は、文革をどう捉えるかが大きなテーマであった。

文革を否定するのが基本的な立場であり、その上に文学が発展してきたのが80年代。しかし90年代になるとその傾向(文革に対する態度)に分化も見られるようになり、政治と文学の関係は芸術と現実との関係と捉えられるようになってきた。

文革の終結により、文学は政治に奉仕するものではなく、人民に奉仕するものとなった。つまり文学はようやく現実と理性的な関係を持てるようになった。傷痕文学は芸術的な達成という点では大きくはないが、当時のタブーを打ち壊す役割を担った。そして80年代は社会の中心に文学があり、近代化建設に重要な役割を果たしていた。

閻連科の作品は、こういった文学を超えた作品であり、人と人との関係や人間性を描いており、社会主義にも暗い面があることを訴えている。その点では暗闇に敏感な作家であり、魯迅と並び称することができる。

一方、歴史を叙述する文学の変化も見られ、莫言などの作品はそれまでの作品と一線を画している。閻連科の作品は、特に現代史に関心を持ち、現実の描き方を変革していった作家であり、中国の現在、中国そのものを描き出し、その結果、もう一つの中国が創造され、時代精神も書き換えられている。

かつての文学は現実に奉仕していたが、現在は文学と現実がお互いに超越し、より開かれた関係となったが、また新たな問題も生まれている。

以上です。

うーん、読み返してみて、わかるようなわからないような……。あたしのメモが乱雑すぎてスミマセン。

続きまして閻連科氏の講演。

神実主義とは現実主義に対する反抗である。現実主義とはそこにある現実を描くものであり、現実対するわれわれの感覚を書くものである。それは見た真実、つかみうる真実であって、つまり表面的な真実にすぎない。それに対し神実主義とは、それがどうして起こるのか、発生の源を描くものである。内在的な真実、見えない真実を描き出すものであり、いわゆる真実に覆い隠された真実を描くものである。

中国に対する世界のイメージは、醜い存在というものである。中国は果たして文明的な国家であるのか、街中で話す声が大きいだとか、爆買いに見られるような行為が想起される。旧知のフランスの哲学者に言われたこととして、49年以前の中国は神秘、49年以降の中国は革命、そして現在の中国は低俗だと。この言葉にショックを受けたが、世界は中国を理解できていないし、中国も中国を理解できていない、そして政治家や歴史家も中国を理解できていないということである。

中国は資本主義国家でもなければ、民主主義国家でもない、かといって社会主義国家でもなければ、共産主義国家でもない、人類史上初めての存在である。このまま数十年続いたならば、歴史家や哲学者はどう名づけるのだろうか? 自分は暫定的に「異中国」と名づけたい。異とは異なっていると同時に疎外を意識させるものである。

そんな異中国の直面する異時代。疎外された中国が疎外された時代を迎えているという、世界中の誰もが理解できない状況。杭州でG20が行なわれている一方、生きていけずに自殺をする一家が存在する。こんなまったく異なる出来事が起きるのが理解できない。われわれは異中国における異時代を生きる異中国人である。多くの中国人は慣れてしまっているが、人心の欲望の肥大化が起こっている。

中国の変化は改革開放の成果ではあるが、作家としては欲望が極限まで肥大化し、罪悪が蔓延している社会であり、もし中国人が信仰心を持っていたならば、罪悪の前に何もできなくなってしまうだろう。中国人は信仰を持っていなくて幸いである。喩えて言えば、現在の中国は花束が投げ込まれたゴミ箱のようなもの、自分が知っていた中国とは異なる。

こんな中国を作家はどう表現するのか。

リアリズムでもモダニズムでも描けない。精神的困窮は人類が体験したことがないものであるが、この歩みを後退させることはできない。高層ビルをいくつも建てたことではなく、13億の民を小康状態に導いたこと、これを後戻りさせることは不可能である。和諧の強調は滑稽にも感じられるが、もし本当に混乱が起こったならどうなるだろうか。もし中国人が難民化したらと考えると、経済は発展させなければならないが、そうなると環境汚染は減らず、世界を苦境に陥れてしまう。これが中国の文学者目の当たりにしている現実である。

文学は新しい方法で現実を描写しないとならない。貧富の格差は人の想像を超えている。これらを文学がどれくらいカバーできるのか。一部しか描けていないし、すべてを描くのは不可能である。

魯迅の阿Qによって世界はそれを中国と見なした。しかし今の中国は当時の中国とは違う。阿Qは現在の中国の代表者とはなり得ない。新しい中国的人物が必要である。つまり今の中国を象徴する人物。

どの作家も本当の中国を描いていない。それは今の時代の阿Qを作り出せていない。それは限られた現実認識に基づいているからである。神実主義によって内在する真実をたぐり寄せることができるのではないか。

ところでアジア文学という枠組みは脆いものである。日中韓は欧米の文学をもてはやしすぎで自国の文学を軽んじている。自分たちの文学を信じるべきであり、世界の文学に抗することができるものであるから、その後に初めて世界文学を語るべきである。日本の読者も中国の文学をほとんど読んでいない。中日の文学の交流は文化の交流である。交流が進めば好みも欧米からアジアに移ってくるだろうし、アジアに意識が向いてくるようになる。文学の交流はそれに留まらないものである。

以上、こちらもまとまりのない、支離滅裂な感じですが、すべては筆記者の能力不足のせいです。閻連科さんの話が悪いわけではありません。