時計を探して

あたしは腕時計をしていません。高校の頃からです。

中学までは教室委時計があり、記憶が定かではありませんが、時計をしていくのは禁止だったような気がします。高校生になって初めて腕時計をするようになったと思います。でも、高校の二年生くらいから腕にするのをやめ、ベルトにぶる下げるようになりました。汗をかくのが嫌だったのが理由です。別に金属アレルギーというわけではありません。

以後、大学時代、社会人になってから、ずーっと腕時計をしていません。昔、家族にクリスマスか誕生日のお祝いで腕時計を買ってもらったことがありましたが、全くしなかったです。埃をかぶったまま、あの時計はどうなったことやら……

ですから、世間でG-Shockなどが流行っても、ほとんど食指を動かされることもなく、大学生の頃から、もっぱら懐中時計をしておりました。懐中とは言っても、一昔前の映画に出てくる執事のようにチョッキのポケットに忍ばせて、というのではなく、ズボンのベルトに取り付け、ズボンのポケットに入れていました。冬になると、コートをまくり上げないとならないので、結構不便ですが、それでも腕時計をしようとは思いませんでした。

その懐中時計、落としたり傷がついたりして、何代目かのを使っていたのですが、あまりにも安物だからなのか、時計本体の鎖が取り付けられている部分が壊れてしまいました。なんとか取り付けて、騙し騙し使っていたのですが、すぐに取れるようになってしまい、もう諦めました。懐中時計なのに鎖がないなんて、冗談ではありません。

新しいのを買いたいなあと思い続けて数ヶ月がたちましたが、いまだに買っていません。気に入ったのがない、というのもありますが、見つけられないというのが正解です。

実は、掛け時計や置き時計では昨今増えてきた「電波時計」が欲しいのです、いや、探しているのです。でも、見つかりません。ネットで懐中時計の電波時計を検索しても、いろいろ出てくるのですが、実はたった一種類の製品しかヒットしていません。この商品は以前使っていました。また、それを使ってもよいのですが、7000円から8000円くらいします。時計としては安いですが、無くしやすいし、傷つきやすいので、そんなに高いのは買いたいとは思いません。

が、とりあえず値段のことは無視するとしても、この商品以外に電波時計の懐中時計って、どうやら存在しないみたいなのです。フック時計でも構わないと思っているのですが、それでもやはり電波時計は見つかりません。

こうなったら、もう諦めて電波ではなく、フツーの時計で手を打つとしましょうか?

 

一見似ている両書のこの違い!

講談社現代新書『中国共産党の経済政策』を読み終わりました。著者はついこの前まで中国の日本大使館に勤務していた経済のスペシャリストです。中国モノの本と言えば、政治権力を巡る暗闘、闘争を中心に、中国は崩壊する、あるいはさらに強大になるということを主題としたものが多いですが、この本はそういった権力闘争からは一歩も二歩も距離をおいています。ですので、読んでいても、読み終わってからも、とても新鮮な感じがします。

純粋に経済や金融の観点から中国を見るとこんな風に分析できるんだ、ということがわかりますが、経済に詳しくないと用語や分析手法の点でやや難しいかもしれません。もちろん、中国という国は経済論理で動くような単純な国ではなく、権力闘争次第では経済的な得失を無視したダイナミックな動きだって起こりうるのだ、という意見もあるかと思います。でも、著者たちの述べることは、過去の流れを踏まえていますので、やはり説得力を感じます。

これまでの中国モノとは一線を画す書籍と言えるのではないでしょうか? で、それを読み終わって現在は日経プレミアシリーズの『中国台頭の終焉』を読み始めました。

こちらの本も、著者はやはり日本大使館に勤務していた経済の専門家です。前者よりも一世代年上になります。内容は、まだ最初の方だけしか読んでいませんが、前者と同様、権力闘争などには目もくれず、という言い方をしたら語弊があるかもしれませんが、経済的な諸現象とデータを追って記述されていて、この点は全く同じ立ち位置ではないかと思われます。

ところがこの両書、言っていることがまるで違います。前者は中国経済は思ったほど落ち込むことはなく、まだまだ成長の余地は残っている、むしろ日本にとっては中国の成長がビジネスチャンスであり、日本のさらなる成長の鍵になるわけだから、中国が発展するように手を貸し、日本も十分利益を得よう、という主張です。

それに対して後者は、中国の経済的崩壊は既に始まっている、そのリスクを日本は真剣に考えないといけないという主張のようです。同じようなテーマを同じようなデータを使って述べているのに、どうしてこうも極端に結論が異なるのでしょうか? 不思議です。どなたかわかりやすく解説して欲しいものです。

 

ハグ?

朝日新聞にデカデカと広告が出ていたので気づかれたと思いますが、1月31日は「愛妻の日」なんだそうです。日本愛妻家協会が制定しているそうです。この日は夫婦でハグをしようということらしいですが……

そもそも、愛妻家協会ってなんなのよ、という気がします。そりゃ、奥さんを愛するのは自由ですけど、わざわざ愛妻家協会って、いったいどういうつもりなんだろう、と思っちゃいます。

でもって、お節介にも、みんなで一斉にハグしようなんて、相手のいない人はどうしたらいいのでしょう?

いや、これはもちろん、あたしがひがんでいるだけだというのは重々承知しています。あたしに奥さん、とは言わないまでも、恋人、いやいや、せめてガールフレンドでもいれば、こんなひねくれた感想を抱かないのでしょうけど、お陰様であたしは生まれてこの方、ステディな異性というもの持ったためしがないもので、その手の感情にはとんと理解が及びません。

それにしてもこの運動、というか、キャンペーンというのか、とにかく「ハグしよう計画」、いったいどれくらいの人が参加するのでしょうね? あたしは自宅の柱にでもしがみつきましょうかしら?

傑作か駄作か?

少し前にWOWOWで放送されていた「リング0~バースデイ~」を視ました。ずいぶん前にテレビ放映されたのを視たのか、あるいはレンタルで視たのか、それともスカパー!かWOWOWで視たのか、まるっきり覚えていませんが、視たことがあるのは確かです。

 

2000年の作品ですか、懐かしいですね。仲間由紀恵も若いし、スーちゃん、田中好子が生きていましたから。順番としては「リング」があり、「リング2」が公開され、この作品ですから、ある程度ジャパニーズ・ホラーとしての「リング・ワールド」は世間に出来上がっていたわけで、怪物・貞子がどうして生まれたのかという謎解き的な物語としてこの作品は出来たようです。それにしてもネットなどを見る限り、鈴木光司の原作では、一連の「リング」作品はホラーではなかったはず(原作小説を読んでいないのでスミマセン)。それが映画「リング」の大ヒットで一躍ホラーの代名詞のような作品になってしまったわけですから、このようなスピンオフというか、外伝的な作品、いったいどこまで原作者の意志が働いているのか、そして原作者の意志に忠実なのか、こちらとしては全くわかりません。

ストーリーとしては、貞子の母親の超能力実験に立ち会った新聞記者たちはその後次々と死んでいき、そんな死んだ記者の一人を夫に持つ、やはり新聞記者の田中好子が、夫の死の真相究明と敵討ちのために貞子を追いかけるというストーリーと、自分でも制御できない力に恐れおののき、劇団に入団するも異物として怖がられながら、効果音担当の田辺誠一との淡い恋に心をときめかす青春時代の貞子の物語がもう一つあります。

結局、伊熊平八郎の説明によれば、自分は貞子の本当の父親ではなく、化け物(映画の中では何であるか結局は明かされていないと思いますが、爬虫類、両生類的な生き物のような……、それで人間との交尾が可能なのか?)と志津子との間に産まれた子供で、最初は一人だったけれど、幼い頃に二つに分かれ、一方が可憐で美しい仲間由紀恵、もう一方が邪悪な化け物として貞子であるとされています。伊熊博士も化け物・貞子には手の打ちようもなく、薬で成長を止める(遅らせる?)くらいしか出来ないと言っていました。ですので、映画の中では子供の姿で登場します。

それにしても、化け物・貞子と暮らしてきた伊熊本人が貞子に殺されなかったのは不思議です。やはり親子の情なのでしょうか? そして伊熊博士みずからも恐怖におびえていたのであれば、またふつうの人間として成長しつつある仲間由紀恵の幸せを願うのであれば、早いうちに化け物の方を殺してしまってもよかったのではないかという気もします。たぶん、親子の情として殺すのは忍びなかったのでしょうし、たぶん殺意を抱いた途端、自分が殺される危険もあったのでしょう。

映画を見る限り、仲間由紀恵の方の貞子に特殊な能力があったのか、化け物・貞子の能力が仲間・貞子を通して発現していたのか、今一つわかりません。化け物を仕留めれば、仲間・貞子は幸せに暮らせたのか。

それにしても、貞子の力を怖がって、逆に貞子(仲間由紀恵)をボコボコにして殺してしまう高畑淳子を初めとした劇団員、ある意味で、彼らの方がよほど怖い存在ではないでしょうか? 人間手集団ヒステリーになると平気で人を殺してしまうのかと思わされます。原作者の意図は、案外こんなところにあったのかもしれません。

そして、いまや大人気の麻生久美子が出ていましたし、あたしの大好きな奥貫薫ちゃんも、貞子に最初に殺されてしまう劇団の女優役で出ていて、やっぱりかわいいなあと思いました。結局、この作品は「リング」とは別ものとして鑑賞すべき作品なのでしょうね。ネットの映画評もそういう意見が多く、傑作・駄作の評価が分かれている気がします。

 

リフレッシュ休暇

昨今は、金属0年、15年20年といった節目の年にリフレッシュ休暇制度なるものを設けている企業があると聞きます。実際のところ、あたしの身近でそういう制度がある会社に勤めている人を知りませんし、この制度がジワジワと広がっているのかどうかも知りません。ただ、ある企業にはある、ということだけは確かなようです。

そんな話題が先週の勤務先でかわされました。さて、リフレッシュ休暇と称してまとまった休みを会社からもらえたらどうするか? 基本的には、休暇がもらえたらどこへ行きたい、という質問になるのでしょうが、果たしてそんなに出かけたがるものでしょうか?

いや、若い世代ならすぐに海外旅行という話になるのかもしれませんね。でも、この数年来の年収低下を考えると、経済的な裏付けがないのに、休みが取れたからといって旅行に行くなんて選択肢がありえるでしょうか? 確かにまとまった休みでないといけないようなところもあるでしょう。地球の裏側、ヨーロッパとか南米とか、行って帰ってくるだけで数日を要する観光地も少なくありません。三連休や四連休ではとても無理、ゴールデンウィークなど一週間の休みでもかなり厳しいというところは多いはずです。そういうところに行ってみたいと考えている人にとってはありがたいのかもしれません。

また、中国や韓国を初めとしたアジア地域だって、それこそ二泊三日や一泊二日、中には日帰りでもそこそこ楽しめる場所もありますが、そういうところへ逆にゆっくりと長期滞在するというのも楽しいと思います。あたしだった北京や上海に一週間滞在したって十分楽しめます。

それでも、なかなか行けない遠い場所に行く旅費、近場でも長期滞在するなら滞在費はそれなりの金額になるはずです。やはり経済的な裏付けが必要であり、それがないうちは夢見ることも封印している人が少なくないのではないでしょうか? 若い頃と違って机上だけで旅行を楽しむなんて芸当は、もうできなくなっています。

ですから仮にいま、二週間程度のリフレッシュ休暇を会社からもらえるとしても、たぶんずーっと家に引き籠もって過ごすのが関の山だと思います。保険がきくなら泊まりがけの人間ドックにでも入りますかね? 少なくとも、あたしの場合、たぶんどこかへ出かけるという発想は生まれないと思います。

で、勤務先での雑談の話ですが、ああしたい、こうしたい、あそこへ行こうか、ここへ行こうか、みんなが語る中、あたしの結論は、「一週間は家でのんびり、残りの一週間は出社するから現金で支給して欲しい」でした。

あまりに寂しい? それとも現実的?