日帰りで

昨日は日帰りで大阪へ行って来ました。なんと、日帰りで大阪におでんを食べに行ったのです。

なんて書いてしまうと、なんと贅沢な、と言われそうですが、そうではありません。大阪で行なわれる取次会社の新年会へ参加したのです。今年も多くの書店さん、そして出版社の人が来ていました。たいへんな混みようでした。

せっかくだから営業してこないの、と言われそうですが、確かに出版社によっては数日前から関西へ行っていたり、あるいは数日居残っていたりと、この機会を使って営業回りをしています。でもあたしはこの数年、日帰りしています。

それには理由が二つありまして、まず一つは、そんな風に営業回りをしている出版社の営業マンがたくさんいるので、十分に営業できない可能性が高いからです。そりゃ、いつ営業出張したって、他の出版社の人はいます。それでもできるだけかち合わない方がお互いにやりやすいというもの。それを避ける意味で前後に泊まって営業回りをするのはやめにしています。

理由の二つ目は、ルーチンの出張が2月末か3月上旬にあるので、どうせ近々また来るという思いがあるからです。ひと月半くらいしたらまた来るわけだから、まあ今回はいいか、という感じです。

もちろん、出版社の中にはこの機会に大阪で書店の人と懇親会(飲み会?)を開き、交流を深めている人もたくさんいます。そういうつきあいも大事だとは思いますが、あたし、苦手なので、どうも打ち解けません。

アルバイトは続けられるか?

こんなニュースがありました。

CS2無償化?は「ぬか喜び」 Adobe「ライセンスないとダメ」

つまりは単なる誤報だったようなのですが、別にあたしが飛びついて狂喜乱舞したわけではありません。あたしはCS2、持っていますから。ただ、そこが問題なんです。

実はあたし、アルバイトをしています。会社は許しているのかって? はい、会社公認です。度量のある会社だなあ、なんて思わないでください。どんなアルバイトをしているかと言いますと、地図製作です。語学書の見開きとかに、その言葉が話されている国や地域の簡単な地図が載っていますが、それを製作しているのです。ごくごく簡単な地図ですから、あたしのような素人でも作れます。それでも業者に発注したらかなりの金額になるのでしょうが、あたしの場合は、たぶんそういった相場から見たらかなりの格安で製作しているのです。それがアルバイトです。

この地図製作にアドビのイラストレーターを使っています。バージョンはCS2です。パソコンのOSはWindows Vistaです。なんとかCS2は動作しています。ただ、パソコン自身がそろそろ寿命を迎えつつあるようです。息苦しく動いている時がままあります。

そこで問題なのです。現在のアドビ製品、バージョンはCS6だったと思いますが、あたしはCS2以降、アップグレードしていませんので、既にアップグレード商品は購入できなさそうです。まるっきり一から買わないとなりません。PCを買い換えるとなると、現在ならOSはWindows7かWindows8で、CS2はまず間違いなく動作しないでしょう。アドビ製品を買わざるを得なくなります。

現時点では、なんとかパソコンも動いていますし、CS2で作業に問題はないので大丈夫ですが、早晩パソコンの買い換えになりそうです。パソコンだけなら買えるでしょうけど、そこにさらにアドビ製品となると、ちょっとした散財です。とてもはい、わかりました、買いましょう、というわけにはいきません。

そうなると、アルバイトも続けられませんね。アルバイトが続けられないのは、金銭的には痛いとはいえ、あたしとしてはそれほどの問題ではありません。むしろ、これまで安く地図を作れていた、あたしの勤務先が困るのではないかという気もします。

次善の策として、コーレル社のCorelDRAWを代替品として使えないだろうかと考えています。安いとは言えませんが、アドビの製品よりははるかに安いですし……。

高い!

本日は毎年恒例の取次会社の新春の会でした。

この業界を二分するトーハン日販という二つの取次がございまして、この数年、前者は椿山荘で、後者はパークタワー東京で行なわれています。あたしはこの数年、ずっと椿山荘の方へ出席していたのですが、今年はプリンスへ伺いました。広い宴会場に大勢の人。目眩がしそうです。そうそう、この会場を地下鉄を降りると目の前に東京タワーがあります。つい先日訪れたスカイツリーに比べ、そんなに低いのでしょうか? 東京タワーはやはりこの距離で見れば十分高いと思いますけど……

新春の会。業界の新年会ですが、つまりは立食パーティーです。せっかく来たのだから、何か食べたいではないですか! なにせ今日のあたしは、朝の4時前から目が覚めてしまい、朝の食事をしたのは4時すぎ、15分頃だったでしょうか。ですから、10時からの新春の会が始まった頃にはかれこれ6時間が経過していたわけです。

お腹も空こうというものですが、いろんな人とあいさつを交わしたり、あるいは人を探したりしていると、なかなか料理にはありつけません。かといって、午後からは書店回りをしようと思っていましたので、酒を飲み過ぎるわけにもいかず、結局、乾杯のビールをコップに一杯、それとオレンジジュースをこちらも一杯飲んだだけの会でした。

せっかくのプリンスなのですから、もう少し料理を堪能したかったです(涙)。

 

諦めが肝心?

仕事が始まりました。ずいぶん休んでいたような気がしますが、たぶん「気」ではなく、本当にいつもより休みが長かったのですから、それもそのはずですね。

さて、午前中は取次会社へのあいさつ回り、その後、午後からは新宿の紀伊國屋書店二店舗とブックファーストへ新年のご挨拶がてら訪問。あいさつが主でしたので、とにかく逢えた人、いた方にだけ新年のあいさつをして回りました。思いのほか、他の出版社の人間は来ていなかったなあという気がしますが、もっと早い時間に来ていたのでしょうか?

新宿だけ回ったのは、夕方から会社の新年会があったので帰社しなければならない事情のせいで、明日は少し郊外の書店へあいさつ回りに行こうと思っています。が、午前中は取次会社の新年祝賀の会がありますので、たぶん昼過ぎくらいまではそれに潰れるでしょうから、2時すぎ、3時前に会社を出られればいいところでしょうか?

ところで、本日のめざましテレビの星占い、かに座は「恋のビッグウェーブ到来。本音での会話を心掛けて。」という、かなりよいご託宣。ところが、特にこれという出来事や出逢いもなく、いつもの年初でありました。新しい出逢いも何もありません。

もう今年は恋など諦めるしかないのでしょうか?

さあ、仕事! 新潟から北陸へ

とうとう年末年始休みも終わりです。

いや、もうとっくに働いているよ、という書店員さんをはじめとしたサービス業従事者の声が聞こえてきますが、とりあえず、あたしは明日から仕事です。

仕事が楽しみということはありませんが、気持ちはもう既に出勤モードに入っているのか、今朝は4時すぎに目が覚めました。ふだん会社に行っている時に起きるような時刻です。明日からは仕事だと意識しただけで体は無条件に反応し、目覚ましなどかけなくともきちんと目が覚めてしまう……

単なる年のせいかもしれませんが、それはそれで哀しいものです。

夢も仕事の話でした。

よく事情はわかりませんが新潟へ出張へ出かけていました。向こうで何かの会でもあったのか、見知った出版社の人間も何人かいたような気がします。ただ、肝心の会だとか、書店営業のシーンは夢には全く出てきません。むしろ夢の中で出てきたのは暴力団的な人たちに襲われかかったシーンです。なんで堅気のあたしが暴力団に襲われるのか。夢の中では、あくまで夢の中の話ですが、数年前に廃業したある書店の廃業の裏には暴力団の暗躍があったという噂です。街の小さな書店の閉店に暴力団が絡んでいるというシチュエーション自体が既に支離滅裂な夢の夢たる所以です。

結局ほうほうの体で魔の手から逃れたあたしは新潟から北陸を営業回りしたようです。「したようです」と書いたのは、夢の中では富山、金沢、福井と経巡った感じなのですが、やはりここでも書店に行ったシーンが全く出てこないのです。でも夢の中のあたしは北陸を回って若狭湾沿いに西へ進み、そこから神戸に出たのです。

いや、敦賀とかそのあたりからなら神戸ではなく京都へ出るのが普通でしょ、京都は素通りしても大阪へ向かうでしょ、というのが一般常識でしょうが、なぜかあたしは夢の中では神戸へ向かう列車に乗っています。それも特急や急行ではなく快速です。夢の中では福井か敦賀あたりから、確か9駅か10駅停車しただけで三宮という、とても快速とは思えない快速に乗っていました。駅名は忘れましたが、車内にはっしっかりと停車駅の掲示があり、ご丁寧にもあたしは夢の中で三宮までの停車駅数を数えていましたから。

たぶん伏線になっているのは、数年前の人文会の研修旅行で山陰へ行った折、最後にあたしだけメンバーと別れ、出雲から陸路岡山経由で大阪へ向かったのですが、その時の岡山までのローカル特急の記憶だと思われます。ですから、今回の夢も福井か敦賀あたりから乗っているのですが、夢の中のあたしの意識としては舞鶴とか豊岡あたりから一気に南下して三宮へ向かっている感じなのです。上に10駅ほどでと書きましたが、所要時間も約1時間という、こちらも誠に快速らしくないスピードです。リニアモーターカーでも開通しないととても無理でしょうが、これも夢です。

さらにおかしいのは、夢の中であたしは確かにその快速に乗って三宮に向かっていたのですが、途中から車内のあたしの意識は空に舞い上がり、中空から自分の乗っている列車を眺めていました。ちょうどジオラマの中を走っているNゲージのようです。ただ、ジオラマなどというステキな風景があるわけではなく、消灯時間を過ぎた夜の病院の廊下のようなところにあたしが立っていて、その足下にNゲージのような列車があるのです。あたしがしゃがみ込んで目をこらすと、廊下にレールがうっすらと見えるくらいです。小さい子供がおもちゃの列車を自分で動かして遊ぶように、あたしはその列車を自分の手で押していきました。しばらく進むとレースはエレベーターの中に向かいました。

子供のように、そのまま列車を押しながらエレベーターに乗り込んだあたしは、なぜだか3階のボタンを押しました。そして誰かがエレベーターに乗ってきた時に、電車遊びをしていると思われるのが恥ずかしくて、Nゲージのような列車を慌ててカバンにしまったのでした。案の定、6階で人が乗ってきました。ちなみに、あたしが乗り込んでのは9階でした。6階であたしは思わずエレベーターを降りてしまいました。特に回数を見ていなかったので、てっきり3階に着いたと思ったのでした。その時、6階から乗り込んできた人が6階ですよと声をかけてくれたので、あたしは慌てて回れ右をしてエレベーターに戻りました。

6階で乗ってきた人、顔は見えないのですが、声はあたしの勤務先の人にそっくりでした。あたしは礼を言った後その人に、ここは三宮ですよねと話しかけました。その人は、はい、そうですよ、と答えてくれました。3階についてエレベーターを降りると三宮の駅近くの雑居ビル。駅から伸びるデッキがこのビルの3階で繋がっているのを知っていたので、あたしは3階で降りたわけです。予約していたホテルを探して駅前を歩いているところで目が覚めてしまいましたが、いったいどういう風にこの夢を解釈したらよいのか、まったく理解できません。

 

乳母日傘?

午後から喉のいがらっぽさが抜けません。咳が出て出て止まらないです。風邪の初期症状(?)といった感じです。もう明後日から仕事だというのに、こういうタイミングで具合が悪くなる子って、小学校や中学校ではいましたね、もちろん、あたしは違いましたけど。

思い当たる節はあるんです。Facebookにも書きましたが、午前中に国分寺へちょっと買い物に行って来ました。百均で年賀状を入れるファイルとか駅ビル内のお店で新年からカバンに入れる匂い袋とか、そんなものを買いに行ったのです。それだけなので昼前には帰宅しましたが、それ以来です、喉の調子がおかしいのは。

数週間前にも喉の調子がこんな風におかしくなることがありました。昨年の話です。今年の風邪は喉に来るのでしょうか、と思いつつ、薬を飲んで早めに寝るようにしましたが、今回も帰宅後ちょっと寒気がしました。今シーズン一番の寒さとは言え、それほど風もなく、日が照っていましたから、片道約30分の道のり(←少しは健康を考えて、ふだんなバスのところ往復歩きました)でしたので、汗をかくまではいかなくとも、体はそれなりに火照ります。それが帰宅して一気に冷えたのでしょうか?

それにしても年末年始、ほとんど家から出ることなく過ごしていたので、久しぶりに人混みへ出ただけで、こんな風に体調を崩してしまいました。別にわが家が無菌状態と言えるほどきれいなわけではありません。単に自宅の雑菌には既に免疫ができていると言うことなのだと思います。一歩外へ出ると何人の敵がいるのか知りませんか、簡単に喉をやられてしまいました。

その後はぬくぬくと自宅に籠もっていましたので、今は喉の具合も落ち着いております。

そもそもが荒唐無稽なので

寒い一日。自宅で映画鑑賞です。って、いつも通りですね(汗)。

  

「リアル鬼ごっこ」の3・4・5です。以前、パート1、2は見ていたので、こんどはその続きというか最新作を鑑賞しました。

 

まずパート1とパート2はしっかりとした続きものです。ストーリーは繋がっています。そして2のラストは、さらにパート3、パート4もあるぞという期待(?)を持たせる終わり方でした。ところが、このパート3からパート5までは、前二作とは全く関係がありません。いや、近未来の東京が「王様」と呼ばれる独裁者に支配されていて、その王様が突然命をかけた鬼ごっこの開催を宣言するという設定自体は同じですが、話は全く異なります。

パート1とパート2ではパラレルワールドが存在し、そのパラレルワールドで鬼ごっこが行なわれているという設定でした。パラレルワールドですから、向こうの世界にもこちらの世界と同じ人間が存在していて、こちらで死ねば向こうでも死ぬ、向こうで死ねばこちらでも死ぬという具合です。ただ、主人公だけは特殊な状況下で生まれたためにパラレルワールドにはいない、たった一人の存在として位置付けられ、それがこの世界を救う救世主としての役割にリンクしていく設定でした。

対してパート3からの三部作にはパラレルワールドは出てきません。現実に数世紀後の東京を独裁者が支配しているという設定です。三作は同じリアル鬼ごっこに放り込まれた人たちを、それぞれ三つの場所で描いた連作のような作品で、主人公たちがニアミスしています。なんでB型の人間ばかりを狩るのか、その種明かしはパート5で明かされますが、そういう意味ではこの三部作はパート3からパート5というタイトル付けが間違っていて、「新・リアル鬼ごっこ」1~3とした方がよかったのだろうと思います。

鬼に捕まると頭にボルトを打ち込まれて殺されてしまいますが、これも捕まってすぐに打たれて死んでしまうその他大勢と、捕まっても抵抗してなかなか打たれず、間一髪で逃げ延びる主人公たちという都合のよいシーンが満載です。パート5まで見て種明かしがされるので、パート3と4では、何のために鬼ごっこが始まったのか、そして本当に鬼ごっこは終わったのか、よくわかりません。せっかくの連作なのだし、主人公が各作品でニアミスしているのだから、最後に全員が一緒になってもよかったのではなかったかという気もしますが……

パート5で主人公は王様の宮殿(?)に乗り込みますが、サラリーマン時代にあれほどドジでダメな社員だった男が、あれだけのことができるとは到底思えません。愛の力というにしては説得力がなさすぎるでしょう。それに助け方、最後に王様の騙す手段も、とても彼が思いつくとは思えないし、思いついたとしても実行できるとは思えない方法です。

登場する主人公たちはどれもパッとしません。若手アイドル予備軍といったタレントさんたちなのでしょうけど、男は格好良くないし、女もかわいくないです。だからといって華があるわけでもなく魅力にあふれているわけでもありません。どうしてこういうキャスティングになったのか疑問です。ただ唯一、パート5の仲間リサはきれいです。カワイイです。

ヘ、ヘ、ヘ、ヘビが~

今年は言うまでもなく巳年、つまりヘビ年です。だからなのでしょうか、ヘビの出てくる夢を見ました。

あたしと母と、あと誰か、妹家族だったのか、他の親戚だったのか、夢なのではっきりしないのですが、何人かで歩いていました。初詣に向かっていたのか買い物に行っていたのか、そんなこともわかりません。とにかく歩いていて、一列になって歩いていたわけではないのですが、母が一番最後を歩いていました。で、突然母親がギャーという叫び声を上げました。何かと思って振り返ると、母親の前に大きなヘビがとぐろを巻いているような巻いていないような態勢でいるのです。あたしや他の人はどうして気づかなかったのかと思うほどのヘビです。もちろん、アナコンダと呼ぶほどの巨大さではなく、普通に日本で見かけるヘビのやや太め、長めのサイズです。

   

そのヘビがいきなり飛びかかってくるのではなく、母の腕から首に巻き付いてきたのです。噛みつくとか威嚇するといった行為はなく、ただおとなしく(?)母の体に巻き付いてくるだけで締め上げるわけでもありません。それでも母はパニクってますし、我々もどうしてよいかわからず右往左往するだけです。夢はそこでプツンと終わります。そして次の場面ではまたどこかを歩いているのです。そしてまたしても蛇が現われ母親に巻き付きます。

そんなパターンの夢が繰り返されること数回、ようやく目が覚めました。蛇に襲われたという感じではなく、かといって懐かれたという感じもありません。危害こそ加えられなかったものの、取り立てて得をしたわけでもありません。むしろ気味が悪いですし、母などは卒倒しそうな様子です。

ネットで調べると、白い蛇は吉夢だということで(夢に出てきたのは真っ白ではなかったですが、白っぽい蛇でした)、たぶん全体としても吉夢なのだろうと自分を納得させております。

孫文という人は……

もうだいぶ前にNHKで放送された「シリーズ 辛亥革命100年」全3回をHDDに録っておいたのですが、それをDVDに焼きました。その時、録画モードなどの関係で高速ダビングができなかったので、何気なくその番組を見ておりました。第一回が孫文、第二回が溥儀、第三回が蒋介石という放送で、孫文の回を見ながらダビング作業をしました。

孫文は台湾でも中国でも国父として仰がれ、国共両方から尊敬されている人物として稀な存在です。ただ、最近はそれほどの聖人君子だったのか、革命の理想に燃える好漢だったのか、疑問を呈する論評なども増えてきていると感じます。例えば『覇王と革命 中国軍閥史1915-28』などでも当時の軍閥たちと比べて格段に優れた人物だとは描かれていません。むしろ人物としては数段劣っていたのではないかと思われるような印象すら受けます。

個人的には、たぶん大言壮語癖があり、何かを思い定めたら他のことには一切関心がなくなって猪突猛進してしまう、周囲の人間から見たらはなはだ迷惑な人物だったと思います。人間の器としてもそれほど大きかったという感じはしませんが、当時の軍閥の中では格段に弁が立ち、未来への情熱が一頭抜きんでていたことは確かだと思います。

もちろん、上に器のことを書きましたが、犬養毅をはじめ多くの日本人、中国人が助力したように、ひとかどの器であったことは確かで、人間的な魅力も相当なものがあったと思います。ただ、途中で離れて行ってしまった人たちも大勢いたわけで、そういう人には孫文の欠点が目に留まったのでしょうし、多くの人がやられた魅力から、魔法が解けたように、ふっと冷めてしまったのではないかと思います。

もし癌で死んでいなければ、もう少し長生きしていたら、もしかすると革命勢力が孫文によって引っかき回されてしまっていたのではないかという危惧も覚えます。なかなか台湾や大陸の研究者ではそこまで孫文を悪く見ることは難しいのかもしれませんが、そろそろ客観的な歴史の評価が出てきてもよいのではないかと思います。あと、時代が異なるから仕方ないのかもしれませんが、孫文は医術を捨てて革命へと進み、魯迅は同じく医術を捨てて文学の道を選んだ、この二人の救国の手段の差について比較研究ってなかったでしょうか?