こういう展開方法も?

本日見本出しの新刊『レニングラード封鎖』は、ドイツ軍がレニングラードへ攻め込み、包囲、虐殺を行なった闘いを追った渾身の一作です。まだ店頭に並んでいないので、売れるのかどうかわかりませんが、いま売れている本に『戦時下のベルリン』があって、この両書は好一対であります。

 

一方はソ連軍に攻め込まれたドイツの首都、一方はドイツ軍が攻め込んだソ連の都市。ドイツ史、ロシア史の棚に分かれて置くのではなく、この二冊を並べて置いていただけるとありがたいと思います。

一方で、既に売れているこの『戦時下のベルリン』の周りを固めようというのであれば、こんな本を展開するのはいかがでしょうか?

   

ベルリン終戦日記』『ベルリン陥落 1945』『ベルリン・オリンピック1936』『ヒトラーの最期』などはいかがでしょうか? いずれも大戦中のドイツ、ベルリンを活写した記録です。

こんなトークイベント!

講談社現代新書の『中国共産党の経済政策』と日経プレミアシリーズの『中国台頭の終焉』を読み終えました。

 

中国モノというと、得てして権力闘争など政治を中心に追ったものが多く、そういう観点からいたずらに中国強理論を煽ったり、逆に中国賛美に流れたりしがちなものが多く見受けられます。確かに中国に数年滞在したり、長年中国相手に仕事をしていると、他人の著作が語る中国像に異議申し立てをしたくなる気持ちもわかります。自分こそは中国の真の姿を理解していると言いたくなる気持ちもわかります。

ただ、近頃、そういう本に少し飽きてきました。そんなときに読んだのがこの両書です。どちらも、中国の経済データや統計を使って中国の経済成長を分析した本です。経済用語、金融用語を知らないと、ちょっと理解しづらいところもありますが、使っているデータ、観察しているはずの中国の実勢はどちらも同じものや似たようなものが多く、議論のベースは共通しているところが多々あると思われます。

が、一方は比較的楽観的な見通しに立ち、むしろそれに乗り、それを利用して日本も飛躍すべきだと説き、一方はかなり悲観的に中国の将来を語っています。著者はどちらも数年間ずつ北京の日本大使館で働いた経験を持ちます。その勤務した時期の違い、あるいは著者の年齢の違いがこういう結論を導いているのでしょうか?

もし、あたしが書店のビジネスや国際情勢の担当者であれば、是非ともこの両書の著者の対談をセッティングしたいところです。もちろんそれを仕切れる司会者、アンカーマンが必要になるかもしれませんが、変な感情に流れず、データに語らせる中国論として非常に面白い対談が実現するのではないかと思うのですが……

もちろん、この両者は対立する本ではありません。恐らく同じデータを、一方は出来るだけよい方に、そして中国と中国人の努力を好意的に見ようとし、もう一方は最悪の状況を想定しつつ、過剰な期待を持たずに導き出したものなのだと思います。

 

こんどはパート2

本日の映画鑑賞は「リング2」です。

久しぶりの鑑賞です。既に何回かWOWOWでも地上波でも放映してますよね? 先週の「リング0~バースデイ~」と同じ頃、WOWOWで放映されていたのを録っておいたものです。「リング0」が「リング」シリーズとは全く別ものと見た方がよい作品であるのに対し、こちらは一応は続編です。真田広之も松嶋菜々子も出ています。ちなみに、松嶋菜々子、若いですね。当然のことですが。

前作がJホラーの金字塔的な作品になったわけですが、本作はややピントがぼけている気がします。呪いのビデオを科学的に捜査、検証するわけでもなく、小日向文世演じる科学者(←こちらも若い!)が科学的に解明しようとするも、なんとなくすっきりしない展開です。中谷美紀が若くてかわいくて、強いのだか弱いのだかわからない役を演じていますが、こちらも主役というにしては決定的な役割を演じきっていないようなところを感じます。

全く中谷美紀の脳内妄想だけで進行、展開しているのではないかと思われる作品で、結局、貞子の呪いは子供の体から離れたのか、死んだはずの深田恭子の体を借りて生き続けているのか、そんなところもわかりにくい結末です。次回作、パート3を意識したエンディングなのか、それとも収拾がつかなくなってこんな風になったのか。

そもそも鈴木光司の構想とは懸け離れ、全くのホラー作品になってしまったわけですから、ここから原作に戻そうというのが無理だったのかもしれませんね。それでも、中谷美紀がかわいかったから堪能できました。そう言えば、一連のテレビドラマ版「リング」では、この役は矢田亜希子が演じていましたね。懐かしいです。

さて、時間がまだあったのでもう一作。

こんどは洋画、「キラー・インサイド・ミー」です。原作の翻訳が出版されているのですね。それも、河出書房新社の『内なる殺人者』と扶桑社の『おれの中の殺し屋』という二つも。映画を見た感想は、翻訳が二つモデルほどの傑作とは思えない、というところです。もちろん原作は傑作なのに、映画がそれをぶち壊している可能性もあるのでしょうが……

誰でも心の中に狂気を持っている、という設定は悪くないと思います。でも、それが表われるきっかけがなんともお粗末。子供の頃の体験が尾を引いているということらしいですが、あれだけの映像ではよくわかりません。そもそも主人公の抱えた心の闇が全く表現できていないと思います。

もちろん、これでもかというくらい狂気を見せつければよいというわけではありませんし、いたずらに主人公が狂う必要もありません。ああいうクールに顔色一つ変えず人を殺せる人というのもいるでしょう。でも映画である以上、見る人にもう少し説明があってもよいのではないでしょうか? これは全くの駄作なのか、それとも新しい映画の手法なのか?

峯岸から森茉莉へ

Facebookにも書いたのですが、AKB48の峯岸みなみの丸刈りの映像を見て、あたしは森茉莉へと連想が飛躍してしまいました。

もちろん、峯岸みなみから直接に飛んだわけではありません。あの丸刈りを見て、出家した女性、つまり尼僧へとまずは飛び、そこから徳川家康が後家好きと言われたように、三代将軍・家光は尼好きと言われたなあ、というところへ飛び、徳川の大奥へと連想は広がり、名作「徳川の夫人たち」へと飛んでいったのです。

 

  

この「徳川の夫人たち」、原作はもちろん吉屋信子です。ちなみに、記憶が定かでなく、ネットでもほとんど情報が出てこないのですが、あたしが中学生くらいの頃だったと思いますが、この「徳川の夫人たち」はテレビドラマとして放映されていました。生田悦子さんが主演のお万の方を演じていたのを覚えています。まだ若くてきれいなお万の方でした。家光役が誰だったのかは覚えていません(汗)。

で、吉屋信子というと、異論のある方も多いと思いますが、あたしの場合、どうしても印象が森茉莉と重なります。いや、印象が重なるのは、決してあたしの独りよがりではないかもしれません。なぜなら、文藝春秋の「精選女性随筆集」ではこの二人が一冊になっているのですから。

  

で、そういうわけで、あたしの連想は森茉莉へと行き着いてしまったわけです。

ただ、そんなことより、峯岸みなみですが、あんな泣きながら懺悔の動画を公開するよりも、そんなことせずにいきなり丸刈りで現われた方がよかったのではないでしょうか? 「どうしたの?」と聞かれたら、「もうすぐ春だし、髪の毛が重くなっていたから、さっぱりしたくて」とでも言えば、それですんだのではないでしょうか?

やれ軍隊の懲罰のようだといった批判もありますが、あんな懺悔の動画があるからそう言われるのであって、あっけらかんと登場すれば、ファッションの一つとして見なされたのではないかと思います。

 

事故?

今日は、社内の仕事がいろいろありまして、結局、外回りには出られませんでした。まあ、こんな日もありますわね。

しかし、今週後半は、水曜日に中央線快速、木曜日に中央・総武線各駅停車と、二日続けて電車のトラブルでした。木曜日の総武線は無関係ですが、水曜日の中央線は捕まってしまいました。

中央線の書店回りをすべくお茶の水に到着したら中央線が停まっていて、でもすぐに四ッ谷まで動くというアナウンス。このぶんならすぐに正常に戻るなと思い、のんびりと四ッ谷へ、四ッ谷でもちょっと止まっただけで新宿へ向かいました。とりあえず新宿で降りて書店回りをしましたが、やはり中央線は動いていないような、動いているような雰囲気です。急遽、京王線を回ることに変更しました。

が、振り替え輸送のためですね。ラッシュ時ほどではありませんが、京王線もかなり混んでいました。書店回りを済ませて帰宅するにも、あたしは中央線方面へバスで移動するのですが、バスも道路も、やはりいつもより運んでいました。中央線の駅までたどり着きましたが、中央線の駅もかなりの混雑、駅周辺もいつもより車の数が多い気がします。

あたしはさらに自宅付近までバスなのですが、そのバスがなかなか来ません。夜のニュースでも翌日の朝刊でもかなり大きく取り上げられるほど、やはり長いこと止まってしまい、大勢の人に影響が出たのですね。

そういう日に、社内の仕事が多くて外回りに出られなければよかったのですが、そうそううまくは行かないのものですね。