やはり売れる!

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小田急線って!

久々にかなり痛む頭をごまかしながら、本日は小田急線沿線の書店の販促に出ました。

が、もうヒドいのなんのって!

頭痛ではありません。いや、もちろん頭痛もヒドかったのですが、歩くたびにその振動が頭に響いて辛かったのですが、それでも書店で営業トークしているぶんには痛みも吹っ飛ぶ、あたしって根っからの営業なのかしら(?)という具合でした。

では、ヒドいのは書店のことか、と問われれば、それも違います。ヒドいのは小田急線そのものです。

白水社からですと、JRで新宿へ出て小田急線というのが順当なのかもしれませんが、その一方、千代田線でそのまま小田急線直通というのも有力な選択肢の一つです。新宿の混雑の中での乗り換えが面倒に感じる人には、こちらの方がよいでしょう。

というわけで、あたしもだいたいこのルートを使います。千代田線には時々「多摩急行」なる種別の電車が走っています。たいていは代々木上原行きで、そこで小田急線に乗り換えなければならないのですが、この多摩急行なら新百合ヶ丘まで乗り換えなしで連れて行ってくれます。

今日の場合、新御茶ノ水駅で待っていると代々木上原行きが来る予定になっていましたが、その5分後は多摩急行でした。代々木上原行きに乗れば、たぶん代々木上原で急行とかに接続しているだろう、いくらなんでも5分後の多摩急行に乗っても同じこと、なんてことにはならないだろうと思ったのですが、代々木上原では各駅停車と待ち合わせただけで、結局この多摩急行に乗る羽目になりました。

で、多摩急行は新百合ヶ丘から多摩センターの方へ行ってしまいます。あたしは本厚木まで行きたかったので新百合ヶ丘で乗り換えです。新百合ヶ丘で乗り換えた電車は快速急行でしたが、これが藤沢行き。これでは相模大野から別れてしまうので、相模大野で急行に再度乗り換えとなります。なんて面倒なのでしょう!

さて、帰路です。海老名でJRに乗り換えて橋本経由で八王子に出るという選択肢もありますが、これは本数がどれだけあるのか、そして八王子までどれくらいかかるのか皆目見当も付きません。この選択肢はパスして小田急線を選びますが、こんどは急行の相模大野行きです。なんで、そんな中途半端なところまでしか行かないのでしょうと愚痴ってみても仕方ありません。相模大野で下りて、藤沢方面から来た快速急行に乗り換えました。

ここで次の選択です。町田で下りて横浜線というルートもあります。でも、これを選ぶのであれば海老名でJRに乗っても同じこと、それをパスした意味がありません。なので、ここは登戸まで行って南武線というルートを選択です。でも、ここで問題があります。相模大野で乗った快速急行は新百合ヶ丘の次は下北沢なんです。登戸には停まらないんです!

では下北沢まで行って井の頭線で吉祥寺経由で帰りますか? もしかすると、それが速いのかもしれませんが、ここは新百合ヶ丘で急行に乗り換えて(多摩センターの方から来た多摩急行に)、登戸へ向かいます。登戸ではちょうど南武線が来たところで、それには乗れませんでした。小田急とJRでまるっきり接続を考えていないダイヤであることがわかります。そしてこの南武線、夕方は登戸止まりがあると以前書きましたが、次に川崎の方から来た電車は登戸止まりでした。ですから乗れません。結局登戸で10分近く待ってやってきた立川行きに乗り込みましたが、こうなると、快速急行で下北沢までいてしまった方がよかったのかも(早かったのかも)しれないですね。

今日はすべてに渡って乗り継ぎが悪かったです。すべては雪のせいだ。いや、違う。小田急線のせいだ!

お前が小田急線になれていないからだ、と言われそうですが、たまに乗る人にこそ優しくあるべきではないのでしょうか、ね? とにかく、どういう乗り方が精神衛生上よいのか、まだまだ試行錯誤が続きそうです。

ちなみに、改めてルート検索をすると、一番最初に出てくるのは町田で横浜線に乗り換え、八王子経由で帰るルート、次に快速急行で下北沢まで行って井の頭線を使うルート、三番目に海老名で相模線に乗り換え八王子経由で帰るルートがヒットしました。あたしが選んだルートは4番目でした。たぶん一番乗り換えが多いので避けられたのでしょう。到着時刻で見ると、どのルートもほんの数分の差しかありません。あとは運賃次第というところでしょうか?

それにしても、諸悪の根源は小田急線!

効果は上がっているのか?

あたしの勤務先の書店営業は、エリアを分けて分担しております。そういう出版社が多いのだと思いますが、出版社によってはエリアや沿線ではなく書店チェーンごとに担当者を割り振っているところもあるようですが、うちはエリア・沿線別です。全国は大まかな地域ごと、首都圏は沿線ごと、という具合です。

その担当地区を、昨秋から少しずつ変更していったことは既にこのダイアリーで何度か書きました。ちょうど世間では新年度に当たるわけですが、特に新入社員が入ってくるわけでもないあたしの勤務先の場合、4月になったからというフレッシュさは社内に微塵も感じられませんし、回っている書店も多少の人事異同はあるにせよ、やはり毎年新入社員が入ってくるというところは稀ですので、お互いに新鮮さもなく仕事をしているような状況です。

別にそれが悪いというわけではありませんが、今回が担当地区変更も、あまりに長いこと同じ地区を担当していると慣れが惰性になり、宿痾がたまってくるようになり、これは出版社にとっても書店にとってもよくないことではないかと思います。それに書店営業たるもの、いろんな書店を見ておくことも大事です。そんなこんなで実施した担当地区変更jが、始めてからそろそろ半年になろうとしています。その成果や如何に?

このところ、社内の会議でも「担当が代わって、その成果が出ているのか」ということが話題に上ります。別に受注金額だけの問題ではありません。きちんと書店に顔を出し、書店の人と友好な関係は築けているか、ということです。

長いことある地区を担当していると活きやすい書店にだけ顔を出し、そうでない書店にはあまり顔を出さない、という悪循環も生まれます。顔を出さなくなった、その書店に行かなくなったのにはそれぞれ理由があるのでしょうけど、出版社の営業は書店を訪問してなんぼ、ですから、担当変更はよいきっかけになるはずです。いじめられっ子が転校を機に心機一転新しく学校生活をやり直すのと似たところがあると思います。そもそも、こちらが「あの書店には行きたくないなあ」と思う以上に、書店の人だって「某某出版の某某さん、あまり好きじゃないから早いとこ担当代わってくれないかなあ」と思っている可能性だって十二分にあるはずです。昨秋来のうちの担当変更が書店の方にどう思われているか、それはわかりませんが、少しでもよい方に向かっているのであれば嬉しいところです。

で、あたし自身の反省。

ようやく、どの書店も何回か訪問し、ある程度は書店の方も覚えましたし、書店の方に憶えてもらえたのではないかなと感じています。信頼できる営業と思われているかは自信がありませんが、不誠実なことはしていないつもりです。前任者よりも細やかなケアができているか、それもよくわかりません。「担当代わってからあまり来てくれなくなった」とだけは思われないようにしないといけない、とは思うもので毎月一回、少なくとも二月に一回はどのお店にも顔を出すようには心がけているつもりです。(逆に、旧担当地区で、「やっとあの人代わってくれたよ」と思われるのも、それなりに悲しいものですが……汗)

ただ、言い訳をしてはいけないのかも知れませんが、あたしが担当に代わってからだけでも一回、二回担当者が代わった書店もあります。特に年末年始やこの春先は書店の人事異動の季節なのか、担当が代わった書店も散見されます。そもそもこちらが担当変更を行なった秋の時期も人の異同がある時季ですよね。前任者と一緒に担当変更に挨拶に行ったとき会った人が次の訪問では代わっていた、なんてこともありました。こればっかりは仕方ありません。一から関係の作り直しです。

でも、営業に移って十年以上になりますが、ずーっと同じ地区を担当していたので、今回の担当変更は非常に新鮮な気持ちで取り組めています、あたし個人としては。久々に営業部に遷った頃の緊張感を味わっています。それが時に心地よく、ちょっとワクワクしながらの書店訪問になっていたりします。決して新卒の新人ではないので、見てくれの新鮮さは伝えられませんが、せめて気持ちのフレッシュさくらいは届けられたらと思います。

やはり、第一印象をよくできるように頑張らないと! 昔から第一印象が悪いと言われ続けてきているので……(だからといって、少し知ってもらえば印象がよくなるのかと問われても、「はい、よくなります」と自信をもって言えない自分が情けない!)

高速をぶっ飛ばす?

昨日は午前中で会社を早退しました。

今週一週間、妹が姪、甥、姪(←あたしから見たら、です)の三人を引き連れわが家に来ていたのですが、それを送っていったというわけです。妹たちの家は静岡県の清水町というところ。次郎長の清水ではありません。清水町です。と言っても、ほとんどの人は知らないと思いますが、地図で言うと三島と沼津のちょっと南になりますから、伊豆半島の付け根ですね。

東京からですと東名高速を沼津ICで降りて20分くらいです。高速は特に渋滞もなく、快適に素っ飛ばしていくことができましたが、川崎ICまでの一般道が面倒ですし、多少混んだりします。うちからだと府中から稲城のあたりを通って、専修大学、明治大学がある山道(?)を抜け川崎ICへ出るのですが、ここまでが30分から40分程度かかります。順調に進んでの話ですから、渋滞に巻き込まれると1時間はかかってしまうのではないでしょうか?

昨日の場合、自宅へ戻り、午後2時に家を出て、妹宅へ着いたのがほぼ4時です。4時をちょっとだけ回っていたかなという頃合いですから、きわめて順調な往路でした。夜に雷雨になるという天気予報だったので、5時に妹の家を出発し、自宅へ帰宅したのはもうすぐ7時半になろうという頃でした。

復路は、海老名から町田あたりの東名で進行がやや滞りましたが、渋滞と言うほどの混雑ではなく、川崎を降りてからは夕方の渋滞が多少あってやや時間がかかりました。それでもまずまずの時間で帰ってこられたのではないでしょうか?

以前、川崎からの一般道が大変なので、御殿場から山中湖の方へ抜け、富士五湖道路から中央道経由で帰ったこともあります。若干遠回りで、高速料金もかかりますが、これですと国立府中で下りられるので、高速を下りてからの一般道区間は短くてすみます。一般道が混雑している場合は、こちらのルートの方が精神衛生的には楽かとは思いますが、中央道も小仏トンネルとか八王子バス停とか、それなりに渋滞名物区間がありますので、どちらがスムーズなのか……

いずれ圏央道が海老名から高尾まで繋がった場合、沼津から海老名までは東名、そこから圏央道、中央道経由で帰宅というコースも考えられますが、これも距離で考えるとかなり遠回りをすることになるのでちょっと考えてしまいます。

これがドライブ好きな人であれば、いろいろ走れて楽しい、となるのでしょうけど、あたしのように乗り物酔いする人間にとってはできるだけ短時間で着きたいという思いが先に立ちますので、そんな快適な気分にはなれません。「えっ、車を運転していれば酔わないでしょ?」と言われますが、時に運転しながら酔うこともあります。さすがに「吐く」ことはありませんが、もし運転していなかったら確実にゲロゲロになっているな、と思いながらハンドルを握っていることはしばしばあります。

これでも昔に比べたら乗り物酔いはかなり治まり、だいぶ強くなったと言えるのですが、それでも乗り物酔いしやすいタイプであることに変わりはありません。なので、昔から遠足は楽しい想い出などなく、前の晩のワクワクも感じることなく、「ああ、あした何時間もバスに乗るんだ」という憂鬱な気持ちに襲われて寝付けないことばかりでした。寝不足だから余計に気持ち悪くなる、という悪循環です。子供の頃の遠足に楽しい想い出がある人が羨ましいです。

勝手に「おふらんす強化月間」やらなくちゃ?

文庫クセジュの『十九世紀フランス哲学』読了です。

何で読み始めたかというと、あくまで個人的な興味です。別にこの時代に詳しいわけではありません。いえいえ、フランス哲学について詳しいわけではありません。むしろ何も知らないと言った方がよいくらいです。だから、逆に読んでみたくなりました。なにせ、十九世紀のフランスと言えば、文学・芸術の世界は綺羅星の如く大スターがたくさんいます。それに比べると哲学の分野ではこれといって見るべきものが見当たらない、というのが通説。

確かにこのあたりの西洋哲学を思い出してみると、18世紀以来、カント、ヘーゲルなどドイツ哲学が主流で、さらにマルクスやニーチェ、ショーペンハウアーなど、どれもフランスではありませんよね。この本を読む前に少し年表を繰ってみたのですが、コント、トクヴィル、それくらいしか有名どころはいない、いや、これですら一般的な西洋哲学史の中では扱われていないかもしれない当落線上の人物でしょう。

でも、十九世紀のフランスの歴史を年表で見てみると、大革命を受け、帝政や共和政、王政がめまぐるしく入れ替わります。こんな歴史を前にして、人々が何も考えないわけはないんです。革命は成功だったのか、革命がもたらしたものは何だったのか、といった問いかけが当時のフランス知識人の中には必ずあったはずです。ですから、当時のフランスの思想界が面白くないわけがない、そう思って読み始めました。

結論から言いますと、予備知識のないあたしには、かなりハードルの高い本でした。でも、この時代(大革命から第一次大戦まで)のフランスの思想界を引っ張った人物は一通り網羅されていると思いますし、特にどちらかに偏った記述になっていると言うことはなく、至極平明に、そして構成に記述されているのではないかと思います(←基礎的な知識もないくせに偉そうに言うな?)。文献や思想の核心などもうまく本文の中に取り上げられていて、ここに書かれていることくらいを押さえておけば、十九世紀のフランスの思想界についてはもう十分ではないでしょうか? ただ、あえて本書の書名と異なって、あたしが思想というのは、読後感としても、これらを哲学と呼ぶよりは思想と呼ぶ方がふさわしいのではないかと感じたからです。「十九世紀フランス思想入門」とした方が内容をよく表わしているのではないかと感じます。

それにしても、今回読み終わって改めて気づかされたのは、ドイツはプロテスタントの国、フランスはカトリックの国だという違いです。案外、歴史とか文学とか、もちろん思想でも、こういうベースになる部分の際というのを押さえておかないと、肝心なところで読み誤るのではないかという気がしました。わが恩師が、中国人は出身地に注目せよと教えてくれたことが思い出されます。表立ってで来ないけれど、厳然としてある立ち位置の違いとでも言うのでしょうか、そんな感じです。

あと、実はあたしの勤務先で既に品切れとなっているのですが、本書を読んだなら、同じく文庫クセジュの『フランスにおける脱宗教性の歴史』を読まないといけないと気づかされました。本書の中にもライシテ、政教分離という言葉が何回も出てきます。当時のフランス思想界の一つの重要なポイントだったのでしょう。

それにしても、フランス史の大きな流れ、主要な人名、作品名、きちんと勉強しないとなりませんね。少し前に岩波新書の『フランス史10講』を読んで、自分のフランスに関する知識の不足を嘆いたばかりですが、これは本格的にフランス史を勉強しないとならないようです。一人で勝手に「おふらんす強化月間」をやるとしますか!

さて、最後にこの『十九世紀フランス哲学』について注文を付けるとすれば、もう少し実際の政治の動きや歴史の流れと、各人の思想を結びつけた記述が欲しかったです。それぞれの思想の説明もなかなか消化できなかったのですが、それらがどうしてこの歴史的背景の中で出てきたのか、どういう政治状況の中から生まれてきたのか、そのあたりの説明がほとんどなされていないので不満が残ります。

あたしが専門だった中国思想では、一部例外もありますが、基本的に思想は政治思想であり、経世済民ですので、認識がどうの、神がどうのといった七面倒くさい議論に入ることはあまりなかったので……(汗)

はじめの3冊

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