5月 2014のアーカイブ
ついに第3刷です!
今日の配本(14/05/22)
他人の褌で相撲を取るんだ!
今日の配本(14/05/20)
全巻揃います!
スリーピー・ホロウっぽい?
ハリー・ポッターでお馴染みのダニエル・ラドクリフ主演のゴシック・ホラー「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」を視聴。
原作は早川文庫の『黒衣の女 ある亡霊の物語』だそうですが、もちろん読んだことありません。ちなみに、あたしは「ハリー・ポッター」シリーズも読んだこともなければ、映画も観たことありません。あしからず。
さて、この映画ですが、長男の出産の折に死亡してしまった妻の面影を忘れられずにいる弁護士ラドクリフが、この仕事をうまくやれないとクビにすると事務所から申し渡されて向かったのが、ロンドンから列車を乗り継ぎ訪れた田舎。その田舎の村の外れの、広大な沼地の中の島に立つ大きな屋敷です。既に居住者は亡くなっていて、その財産の整理に訪れたという設定。
よそ者に冷たい視線を送る村人の雰囲気はよく見られるパターンです。既に列車も走り、自動車もこの村には一台あるというのに、中世のようなたたずまいというか、ひと昔もふた昔も前のままの住民たち。そんな村では、子供たちが次々と事故で死ぬという忌まわしい出来事が続いているのです。その原因がラドクリフが向かう屋敷にある、というのは言われなくてもわかりますが、なぜそうなったのかが徐々に明かされていきます。
以下、ストーリーを書いてしまいますと、この屋敷に住んでいた夫婦には子供がなく、妻の妹(だったかな?)の子供を養子に取ります。ところが、この夫婦は実の母親が子供に会わせてくれと言っても断わり、手紙のやりとりすらも断わるほどの冷たい夫婦だったようです。と、こう書くと「悪い夫婦」という印象を持ってしまいますが、どうでしょうね。自分の子供として育てたいと思って養子にもらったのだとしたら、いつまでも実の親がしゃしゃり出てこられるのはイヤなのではないでしょうか?
それはさておき、ところがこの養子の男の子が沼で溺れて死んでしまいます。そして沼だったからでしょうか、遺体も見つからず埋葬もされないまま、溺れたとおぼしき場所に十字架が立てられているだけでした。実の母親が会わせてもらえなかったのは子供が死んだことを知られたくなかったからかもしれませんね。そのあたりの時間の前後関係は不明ですが、とにかく息子の死は実の母親の知るところとなり、母親は養父母をなじり、挙げ句、この屋敷の子供部屋、つまり自分の息子の部屋で首をつって自殺してしまいます。
この母親がいまだに子供を思ってさまよい出てきては、目に付いた子供をあの世へ引きずり込んでいるのが数々の子供の事故の正体らしいのですが、それに気づいたラドクリフは沼地から男の子の遺体を見つけ出し、母親の棺桶に一緒に埋葬します。これで一件落着、母親もようやく成仏(←キリスト教世界では昇天と言うべきか?)したと信じ、列車でロンドンからやってきた4歳の自分の息子と、ロンドンへ戻っていきますが、そこで大どんでん返しというか、あっと言う結末が……
さて、ちょっとミステリーとホラーが融合し、時代を現代ではなく、やや迷信が残っていそうな少し前の時代に、舞台も都会ではなく田舎に設定しているところは、ジョニー・デップ主演の「スリーピー・ホロウ」によく似た感じがします。ビジュアル的にも影響を受けているのではないかなあ、という気がします。
肝心のラドクリフも、あたしは上に書いたように「ハリー・ポッター」を見ていませんが、そんな面影は微塵も感じられず、精神的にやられているインテリをうまく演じていたのではないかと思います。そんなところもジョニー・デップにちょっと似ていたかな、と思いました。
さよなら、タブレット
あたしの手元からタブレットがなくなりました。
この半年くらい、ドコモの「F-02F」を使っていました。外回り営業に出た時に、メールのチェックなど、それなりに重宝していたので、これがないと不便です。いや、無ければ無いなりに慣れてしまうのでしょうか?
別になくしたわけではありません。修理に出したのです。
では壊したのかというと、そういうわけではなく、壊れたわけでもありません。
実は、液晶の端の方が黄ばむという現象に、この数日気づきまして、よく見ると、画面の四辺のうち三辺に黄色い帯のような筋が入っているのです。もちろん画面の汚れではありません。拭いていましたが落ちません。かといって、操作や使用に支障があるのかと問われると、特にそういうこともなく、端っこの方なので気にしなければ気にならない程度のものです。
ただ、念のためネットで検索してみると、この症状、意外とヒットするんです。画面の黄ばみ以外に問題がなければ無償修理をしてくれるという情報もあり(←傷やへこみなど、いろいろチェックされ、そういうのがあると有償になる場合もあるようです)、とりあえずは、どんな対応をしてくれるか、本日午前中に近所のドコモショップへ行ってきました。
その結果、確かに黄ばみが確認され、他に傷などの問題もないので無償修理ということになり、タブレットを預けてきたという始末。ちなみに、ネットでヒットした記事の中には修理されて戻ってきても、しばらくするとまた黄ばみが出た、というものもありました。となると、何か根本的な問題、設計上の問題があるのかもしれませんね。とにかく、修理から戻ってこないと何とも言えません。
で、修理に出している間、ドコモショップでは代替機を貸してくれるということでしたが、二世代前のモデルしかないということなので断わりました。ですから修理が終わるまでタブレットなしの生活となります。それもまたスッキリしてよいかも、と思っています。
多少の不便はあるでしょうけど、タブレットのない生活自体にはあまり心配とか不安はないのですが、一番憂鬱なのは修理が終わって戻ってきた時です。タブレットは修理に出すに当たって初期化してしまいましたので、戻ってきた時には、カスタマイズした部分がすべてパーです。後から自分でインストールしたアプリもすべて無くなっているはずです。使わないアプリなら再インストールしなくても構わないですが、いったい何をインストールしてあったのか、そういう環境をバックアップしておけばよかったかな、いや、そもそもそういうバックアップの仕方ってあるのか、できるのか、そこがわかりません。
使っていた環境に戻すのに時間がかかりそうです。それに、一週間程度と言われましたが、そのくらいで戻ってくるのか……
礼讃
本日見本出しの新刊『読書礼讃』はアルベルト・マングェルの著作です。
彼の書籍は既に白水社からは『図書館 愛書家の楽園』と『奇想の美術館
』の二点を出していて、これが三点目になります。
また柏書房からは『読書の歴史』も出ています。
これらのタイトルからも、もっぱら本にまつわるあれやこれやを精力的に書いている方だということがわかります。
それはともかく、今回の新刊のタイトル、さすがに「らいさん」は読めますよね? 白水社には今回の本以外にも『個の礼讃』『日常礼讃
』といった本があるので書店から注文の電話がかかってくることがあります。そういうときに「れいさん」と読む人がいらっしゃるのです。
これくらいルビが振っていなくても読めて当たり前の単語なのか、底まで求めるのは酷なのか、どうなのでしょう? 一般日本人にアンケートをしたら何割くらいの人がきちんと読めるのでしょうか? という思いもありますが、やはり書店員ならこれくらいは読めて欲しいという気持ちもあります。
「礼」を「らい」と読むのは中国古典をやっている人ならしばしば見かけるはずです。有名な『礼記』は「らいき」と読みますし、その他にも『周礼』は「しゅらい」、『儀礼』は「ぎれい」ではなく「ぎらい」と読み、この三つの古典を総称して「三礼=さんらい」と呼びます。『周礼』など「しゅうれい」ではなく、「しゅうらい」でもなく、「しゅらい」と読むわけですから、このあたりは専門家以外には読めなくても仕方ないところでしょう。ただ、中国古典をやっている人は、このような古典の名称を日常的に目にするので、「礼讃」を「らいさん」と読める確率が高いだろうなあとは思います。
ところで、この礼讃、いま「礼讃」と書きましたが、他社の本などでは「礼賛」という表記も散見されますね。「讃」なのか、「賛」なのか、ということです。これは通用する文字ですが、「讃」は常用漢字ではないのでしょうか? だから「讃」を避けて「賛」と書くようになったのではないでしょうか? 現代日本語ではどちらでもよいみたいですが、そうなると後は文字面、見た目の問題でしょうか? やはりなんか「ごんべん」が付いている方が格好良く見えるのはあたしだけでしょうか?
デート
仲のよい英文科出身の女の子に聞いた話です。
どうしてそういう話になったのかは覚えていませんが、いや、その女の子と休みの日にお出かけしたときに出た話題だったような記憶が甦ってきました。とにかく、聞いた話です。
その英文科にネイティブの男性の先生がいて、たまたま授業で「デート」の話になったそうです。その先生曰く、「デートというのは未婚の男女が時間を決めて会うことだから、既婚者である僕は君たちとデートは出来ない」とおっしゃったそうです。言葉の厳密な定義に照らせば、このネイティブの先生が女子学生とデートしたとしても、それはデートとは言わないんだ、ということなのでしょう。
と、まあ、その英文科出身の女の子は、そんな話をしてくれました。
そのネイティブの先生の定義が正しいのか否か、あたしは知りませんし、その後特にこだわって調べたわけではありません。あるいはそのネイティブの先生がどちら出身かはわかりませんが、イギリスとアメリカとオーストラリアで異なるとか、あるいは一国の中でも地域によって異なる、そういった地域差なのかも知れません。
ただ、もしこの定義が正しいのであれば、この先生と女子学生がデートをした場合、それは英語では何と表現するのでしょう? 片一方が既婚の場合です。あるいは両方が既婚者の場合だとどうでしょう? 日本語なら不倫? いや、会ってお茶するくらいで不倫とは言いませんよね? それに既婚者同士という場合、その二人が夫婦というケースも既婚者同士になりますよね? そうなると、やはり英語ではどういう表現を用いるのでしょう?
と、突然、デートに飢えたあたしはそんなことを思い出してしまいました(汗)。