不安でたまらない

きょうは会社休みます。』の第6巻を読み終わりました。今回は大きな問題が起きるわけでもなく、波瀾万丈のない、凪のような巻でした。でも、花笑的には、33歳、そろそろ結婚や出産のことも考えるし、会社からは一生働くつもりなら総合職へと言われるし、それなりに静かではあるものの切実な問題が次々に飛び込んできた巻です。

で、大きな事件の起こらない本巻の最後、なんとなく悩んでいてウジウジしていた花笑が、田之倉くんがデートした後、ドイツビア・ワインフェアに立ち寄り食事をしようということになったシーン。会場はそれなりの賑わいで、悩んでいた花笑は気づくと田之倉くんとはぐれてしまい、ケータイも充電切れで繋がらず、極度の不安に襲われます。「一緒にいられるだけでいい」「このまま会えなくなったらどうしよう」と不安が高まった刹那、田之倉くんが花枝を探し出してくれます。

そしてポロポロと涙が止まらなくなる花笑が、上のカットです。言葉も出ずに泣きじゃくる花笑を田之倉くんはこの後抱きしめます。そして自分が心から愛する人がいることの幸せをかみしめる花笑。そして第6巻は終わります。

うーん、いいですね。キュンキュンします。

ちなみに、田之倉くんの勧めで眼鏡を外し、髪もなんとなくウェーブをかけた花笑がずーっと続いていますが、まだ二人が付き合う前、第1巻の前半では、ひっつめ髪にメガネといういでたちが花笑の定番スタイルでした。

まあ、こんな感じです。あたしは個人的にはこっちの花笑も好きだったりします。

なんて言うのでしょう。本当はかわいいんだけど、全然そんな風に装わない。もちろん、わざとダサくしているわけではなく、自分がカワイイとはまるで思っていない。そんなタイプの女の子が好きです。自分だけが見つけたカワイイ子、そんな女子が好みです。

いったいいくら?

雨の中のAKB48グループの選抜総選挙。

サッカーW杯などよりもはるかに興味も関心もあります。

が、それよりも気になったのはテレビ中継で言われていた、AKB側が用意したカッパです。

会場はおよそ7万人だそうです。自前で雨具を用意していたファンの人も多かったでしょうが、会場でもらった方が大多数だったようです。運営側としては、こういう場合、念のため全員に配れるだけの数は用意しているはずです。たぶん「AKB」などのロゴも何も入っていない、市販の雨合羽でしょうけど、ファンとしては「あの会場で配られたカッパ」として、それなりの「お宝」になるのかもしれません。

それはともかく、ただの雨合羽ですから、いくらくらいでしょう? まさか100円? いや、最近の百均の充実ぶりからするとありえますよね。100円で7万人分としたら700万。もし200円なら1400万。もし500円もしたら3500万円!

そりゃ運営側はAKBでしこたまもうけているでしょうけど、この出費はかなり痛いのではないでしょうか? それでも「カッパまで用意していた」という評判が立つのと、「何のケアもなかった」と悪評が広がるのとでは雲泥の差、この程度の出費なら安いと判断できるのでしょうか? あたしのような庶民にはわかりません。

それに、ステージ上のメンバーもほとんどが羽織るもの、毛布のようなものを使っていましたよね。そりゃ、この寒い雨の中、椅子に座っているだけですから体も冷えるというものです。こちらはメンバーの数だけですからせいぜいが300枚程度でしょうか? それでもカッパよりは高いでしょうね。

うーん、一雨で、これだけの出費になってしまうのですね。もちろん雨を想定してあらかじめ購入していたわけでしょう、いつ使うかわからないとしても。しかし、明日は同会場で大島優子の卒業コンサート。たぶん、雨ですよね。また同じような数のカッパが配られるのでしょうか?

こんなことにもこれだけの金額が動いているわけですから、もう少女の夢じゃないですね。大人のビジネス、まったくその通りです。

で、そんなことはよいから、総選挙の感想を書けというのであれば、まゆゆの第一は素直に嬉しいです。予想どおりです。あとは、松井玲奈、山本彩の順位が、客観的には順当なのでしょうが、個人的にはもう少し上でもよかったのではないかと思います。

それにしても、次世代や次次世代などと言われているメンバーが伸び悩んでいますね。もっと彼女たちが上がってこないと、AKBの人気も長くは続かないのではないでしょうか?

プラハを旅する

プラハという地名はもちろん知っていますが、だからといって具体的な何かがすぐ思い浮かぶわけではありません。北京なら天安門、上海なら東方明珠といった具合に、中国ならそこそこ思いつくものですが、ヨーロッパに関しては行ったことがないので、せいぜいテレビなどで見る程度の知識に頼って、ロンドンやパリ、ローマなどなら思いつくものがある程度です。

ですから、くどいようですが、プラハと聞いて思い浮かぶ景色はありません。そんな状態で過日読んだ『ゴーレム』は非常に陰鬱な雰囲気で、いつもジメジメしているような、あまり太陽の出ない街のような印象を受けました。

実は、この『ゴーレム』と前後して読んだ河出書房新社の『もうひとつの街』もプラハが舞台で、非常に街の空気、雰囲気がそっくりでした。作品世界が似ていると言った方がよいのでしょうか?

そんなわけで、プラハというと「陰鬱」というイメージを抱いてしまっています。ちなみに、まだ読んではいないのですが、大ヒット作『HHhH(プラハ、1942年)』もプラハが舞台なのですよね?

こうして見ると、このところプラハが舞台の作品って多いのですね。プラハというとカフカでしょうけど、カフカも決して明るい、カラッとしたイメージのある作家ではありませんよね。やはりプラハってそういう街なのでしょうか?

 

図説 プラハ』や『プラハ迷宮の散歩道』などを手元に置きながら、上掲の小説を読むのも面白いでしょうね。

売れ続けています!

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うるさかった

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専門家の端くれとして?

6・4天安門事件の25周年を前にして、昨今の中国のことについて考えたりしています。一応は学生時代、中国思想を専攻としていた人間ですから、他人事で済ますわけにもいきません、と個人的には思っているのです。

でも、中国はわからない、という論調が多いような気もしますが、中国のやっていることで理解できないことって、実はあたし的には一つもないんです。どんな行動も「ああ、やっぱりね」とか、「そう来たか」と思えることがほとんどなのです。別に、あたしが普段から中国の新聞やテレビ、ラジオを注目しているからだとか、ネットからの情報収集に余念がないからだとか、そんなことではありません。ただただ、中国のことをずっと勉強してきためで眺めると、決して不思議なことでもなければ、唐突に起こったことだとも思われないだけなのです。

むしろ、これからどうなると思う、と聞かれる方が困ります。日本と戦争をしたくはないというのは、中国の指導者のほぼ一致した意見だと思いますが、その指導者というのはかなり狭い範囲ではないかと思います。ちょっと指導者層の範囲を広げ、人民解放軍の現場レベルにまでいくと、「戦争は起こさないけど、ちょっと日本の鼻を明かしてやれ」とか、「たまには日本に目にもの見せてやれ」くらいの感情を持っている人はいると思います。

どの程度までなら戦争ではなく、どこまで行ったら戦争なのか、それはなんとも言えませんが、日中双方には日中戦争という歴史の鑑があります。あの時、どのタイミングでどんな行動を選択していれば、あんな戦争が起こらずに済んだのか、双方の指導者はよくよくわきまえていないとならないはずです。

実は、安倍総理を初めとする昨今の日本の政治家が「戦争を知らない世代」と言われて危惧されているように、中国の指導部も戦争を知らない世代になっているのが、やはり不気味な懸念材料ではあります。国内的には、経済成長が鈍化すれば、これまでなんとかごまかしてきた国内の矛盾や不満が表面化しやすくなりますから、そこを指導部がどうかわしていくか、鍵はそこにかかっているのはどの識者もチャイナウォッチャーも同じ意見だと思いますが、その鍵をどう見るかの変数が人それぞれ、バラバラなので中国崩壊論から台頭論まで差が大きくなってしまうのでしょう。