夏休みの宿題

今日は8月31日。夏休みの最終日です。

というセリフは、あたしが子供のころには常識で、冬休みが長い北国の学校を除いては、夏休みは8月31日までというのが日本中のルールでした。でも、最近はどうも違うようですね。沼津に住む、あたしの妹のところの小学一年生の姪っ子は、既に25日から始まっているそうです。うーん、なんか不思議な感じ。

で、それはともかく、夏休みの最終日というと、ドラマやマンガなどでは「宿題に追われる子供たち」という典型的な描かれ方をしますが、実際のところはどうなのでしょう?

あたしは、小学生のころから宿題が多かったという記憶はなく、夏休みの後半にたまった宿題に苦労したという記憶もありません。むしろ、計画的に宿題をこなし、7月中や8月上旬までには終わらせていることが多かったと思います。一部の、毎日記録を付けなければいけない日記などは最終日までやっていましたが、そういうタイプの宿題以外はさっさと終わらせるというのが、あたしのスタイルでした。

そして、高校時代になりますと、さらにそれが進みました。高校というのは試験休みというのがあります。一学期で言いますと、7月の半ば前くらいに期末試験が3日間くらいあり、それが終わると一週間程度の試験休みというのがありました。もちろん部活動はやっていますが、部活に入っていないあたしなどは、まるっきりのお休みです。そして、一週間程度の試験休みが終わって終業式に一日出て、夏休み本番突入というのが夏休み前のスケジュールでした。

あたしの場合、その試験休み中に夏休みの宿題を終わらせてしまうことが多かったです。ですから、終業式には宿題を学校に持っていき、ロッカーにしまって夏休みに突入という塩梅です。夏休み中にはほぼ宿題をすることはありません。自宅に宿題を持ち帰るということもほとんどありませんでした。

そんな学生でした。

ちなみに、日常でも、午前中の授業で出された宿題は休み時間や昼休みにやっちゃって、極力家に持ち帰らないようにしていました。

あたしって、そんな生徒だったんです。

 

棚卸し

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箱根へ!

昨年から、再び小田急沿線の営業を担当しております。かつて数年担当していたことがありましたが、それからやはり数年の間を置いて、再びの担当です。

そして、前回担当していたときにも思い、たぶんダイアリーにも書いたのではないかと思うのですが、やはりいまだに気持ちが変わっておりません。

何か?

はい、ロマンスカーを見ると、箱根に行きたくなる、ということです。

夕方、一通り営業回りも終わり、駅も電車も混んできたから、そろそろ切り上げて帰宅、なんて時間帯。ホームで電車を待っていると、ロマンスカーが通ることがしばしばあります。江ノ島方面へ向かうロマンスカーには特に心を動かされませんが、箱根湯本行きのロマンスカーを見ると、「ああ、いいなあ、これから温泉か」と、乗っている人を見ながら心の中でつぶやいています。

特に週末、金曜日などにロマンスカーを見ると、「このまま乗って、箱根で温泉にでもつかろうか」という気がむくむくとわき起こってくるのです。

しかし、先立つものが……

 

アマゾンが出版社を格付けしている件

今朝の朝日新聞の一面に、こんなニュースが載っていました。

<アマゾン、出版社を「格付け」>なんて、かなりショッキングな見出しです。

内容については紙面を読んでいただくとして、あたしの最初の感想は、「確かにやっているよね」というもの。次いで、「ひどいことするなあ」というものでした。

ただ、アマゾンから見た場合、きちんと対価を払ってくれている取引先を優先するのは当然のこと。なんらやましいところはないのでしょう。

しかし、何でもお金なの? お金がすべてなんですか? という青臭いセリフを吐きたくもなります(汗)。

出版社の意見はいろいろあるとして、書店の側の意見はどうなのでしょう? と考えてみました。

アマゾンで、優先的に書籍を上位に表示するというのは、考えてみれば、書店の店頭の一番目立つところに自社の本を並べてもらうことと言えます。目立つところに目立つように置いてもらうため、出版社の営業は日々書店に通っては、売り場の担当の方にあれこれアピールしてその場所を確保しようと躍起になっているわけです。

アマゾンの場合、売り場というのがバーチャル空間ですから、そこへ営業へ行くこともできず、それなら手っ取り早く「お金で」ということになるのでしょうか。理屈の上では納得できるのですが……

再び書店の場合を考えてみます。

どの本をどこへ並べるかは書店の方の裁量の範囲内ですから、自分の気に入った本を目立つところに置こうとするでしょう。その「気に入った」というのは、どうやって選んでいるのか、です。

もちろん読んで感動したから、という理由なんだと思いますが、時には装丁がカッコいい、オビなどの惹句に引かれて、というのもあるかと思います。ここまでなら、まだ本訴のものを前提にして、という理屈が成り立っていると思います。

しかし、「大量に入荷したから」とか、「本部からの指示で」といった理由で並べられている本もあるかと思います。こうなると、たぶん書店と出版社の力関係になってきます。「この本を目立つところに並べておかないと、来月の人気コミックが入ってこないかも知れない」といったバーターが幅をきかせているとは思いたくありませんが、書店側にそういう思惑がないとは限りませんし、出版社側もそれを狙っていないとも限りません。

そのあたりのさじ加減、外からはうかがい知ることができません。「某々さんが薦めてくれたから、ちょっと頑張ってみようと思って」という書店員さんの言葉はよく耳にします。あの人がいいと言うのだから、という何とも数値化できない物差しがあるわけです。

それに比べると、アマゾンが打ち出している「お金で解決」的な方法は非常にすっきりしています。考えてみますと、上記のような数値化できないところ、アメリカが最も嫌いそうなポイントですよね。きちんと説明できないから、そこに数値的な、客観的な裏付けがないから、というのはアメリカ企業の感覚では不正、不公平の温床に見えるのではないでしょうか?

大手出版社は反発していると書いてありますが、もし業界を挙げて問題提起するのであれば、どこぞの出版社がやったような「アマゾンには出荷しない」という運動を、大手出版社が率先してやるしかないのではないか、そんな気もします。

ただ、この程度のことでは、アマゾンで買えないから近所の本屋で買おう、という流れを作るのは難しいでしょう。今回の記事とは別の問題ではありますが、街の本屋のことを考えると、本屋だけではなく、地方の都市の活性化を真面目に考えないとならないのでしょうね。

プラハは行ったことはないのですが……

Uブックスの新刊『ウッツ男爵』を読んでいます。いよいよ物語は佳境に入ったところです。面白いです。

ところで、この作品の舞台はプラハです。プラハというと、もちろん行ったことはない街ですが、このところ『ゴーレム』や『もうひとつの街』といった、プラハを舞台にした小説を続けざまに読んで、あたしなりに思い描くイメージというのがありました。それは陰鬱です。それ以外に言葉は見つからないというくらいに陰鬱という言葉がピッタリです。

 

しかし、『ウッツ男爵』は若干テイストが異なります。確かに陰鬱の片鱗は時折顔を覗かせますが、どちらかというと、もう少しカラッとしたイメージが浮かび上がってきます。もちろん、太陽がさんさんと降り注ぐような晴れやかさはありません。やはり曇り空、曇天の似合う街というイメージが崩れることはありません。池内紀さんの訳文のなせる業なのか、ウッツ男爵の飄々としたイメージがそうさせるのか……

で、ググってみました。「プラハ」をキーワードにしてググって、「画像」のタブを選ぶと、こんな感じです。

夜景なので暗いものもありますが、全体的には中世の面影を残した美しい街並みの写真ばかりがヒットします。素敵な街です。ぜひ一度は行ってみたいと思います。でも、あたしが読んだ小説に出てくるプラハって、こういう感じではないのです。もちろん中世にタイムスリップしたかのような街並みは感じていましたが、こんな素敵な感じではないのです。

なんで、こうも印象が違うのか。そうです。ユダヤ人です。

上に挙げた作品はどれもユダヤ人が作品に非常に大きな影を落としているように感じられました。プラハと言ったらユダヤ人、それが定番の組み合わせであるかのようにユダヤ人が作品のあちこちに見え隠れします。不勉強で、プラハの歴史やその地におけるユダヤ人のこと、ほとんど何も知らないのですが、専門家にとっては当たり前の組み合わせ、プラハにとってユダヤ人は欠くべからざる要素なのでしょうか。

そんな気持ちを抱いて、こんどは「プラハ ゲットー」というキーワードで検索した画像が上掲です。いきなり色調が異なった写真ばかりです。そして、あたしがこれらの小説を読んでイメージしているプラハは、むしろこちらなんです。これが小説から喚起されるプラハという街です。

どちらもプラハなんですよね。やはり不思議な魅力をたたえた街だと思います。

人気あるなぁ

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