こんな中国も知ってもらいたい

日曜日の日本経済新聞で『ブラインド・マッサージ』が紹介されていました。

タイトルや装丁からはわかりにくいかもしれませんが、これは中国の小説です。香港でも台湾でもなく、中国本土の小説です。でもって、障害者を主人公とした小説です。でも、決して障害者を見下すような作品でもなければ、声高に哀れを誘う作品でもありません。ありきたりな表現で申し訳ないのですが、「障害者だって、健常者となんら変わることなく、フツーに悩み、フツーに恋をし、フツーに人生を楽しんでいる」ということがわかりやすく描かれている作品です。

優れた作品であることは、既に本作が映画化されていることにも表われていると思います。映画の方も評判がよかったようです。

日本での公開ははっきりとは決まっていませんが、年明けくらいには公開になるのでしょうか?

本来なら寝てる時間?

夕方から東京外国語大学で「手をつなぎ合う文学 「多」としての言語と翻訳」というシンポジウム(?)、講演会(?)があり、そこでの会場販売に行って来ました。

なんで、学内の講演会なのに販売を(?)という疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょうが、なにせ登壇者が「関口涼子、温又柔、金子奈美」というお三方、皆さん、あたしの勤務先の関係者です。

  

  

ということで演者の訳書である『悲しみを聴く石』『台湾生まれ 日本語育ち』『来福の家』『ビルバオーニューヨークービルバオ』『ムシェ 小さな英雄の物語』、そしてテーマから興味を持ってくれるかなと思って『翻訳のダイナミズム』を展示・販売いたしました。

あたしは販売に専念していたので講演は聴けませんでしたが、会場からは時折笑い声も聞こえ、盛況な90分になったようです。

それにしても開始が4時半、終了が6時という、いわゆる大学の講義で言えば5限目に当たるのでしょうか? しかし休日のこの時間と言えば、あたしはほぼ風呂に入って寛いでいる時間です。たまたま会場が自宅から近いところだったから行ったのですが、なんかいつもの休日と時間の使い方が異なるので、なんかリズムが狂ってしまいますね(汗)。

きっかけ

11月9日に乃木坂46ニューシングル(16枚目)が発売されるというのに、いまだタイトルも選抜メンバーも発表されていないということで、ファンの間ではやきもきとした空気がかなり濃厚に漂っています(笑)。

そこまで追いかけているわけではないので「いつもなら」ということは言えませんが、それでも発売の一か月前には歌番組や冠番組などでの披露というが一般的だったように思います。「ああ、こういう曲なんだ、結構いいんじゃない」と思ってもらい、そして購買に結びつける、というのが自然な流れではないでしょうか?

が、既に一か月前だというのに、握手会などのスケジュールは発表され、初回特典などもアナウンスされているというのに、肝心の曲がどうなるのか、そしてファンにとってはそれなりの関心事である選抜メンバーがどうなるのか、誰がセンターなのか、といったことがまるっきり霧の中です。

いや、あたしはそこまで熱くなっているわけではありません。気にならなくはないですが、誰が選ばれても、誰がセンターでも、そしてどんな曲であってもCDを買うことに変わりはないのですから……(汗)

ただ、ファンサイトでのヲタたちの発言を見ていてちょっと不思議に思った、と言いますか、思い出したことがあります。

それは、日本のアイドル歌手の場合、シングルが発売され、そのシングルが何枚かたまったらアルバムを出すという流れが主流だということ、それに対して欧米の歌手の場合、まずアルバムを出し、そこからシングルカットされていくという流れが一般的であるという、その違いです。

いえ、別にすべての歌手がそうであると断言できるほどの材料を持ち合わせているわけではありません。ただ、あたしが(CDなんかまだなかったので)レコードを買うようになった中学、高校のころは、松田聖子や中森明菜がデビューしたころで、こういったアイドル歌手はシングル先行で、それらを収録したアルバムが後から出るのが普通だったと記憶しています。それに対して、当時は洋楽が人気を博した80年代ですが、そのころ流行っていた洋楽のスターたちはまずアルバムを出し、そこからシングルカットをしていったと記憶しています。

中学生や高校生ですから子供心にという表現はふさわしくありませんが、とにかく日米(アメリカだけでなくイギリスも含む)のレコードの発売の仕方の違いに新鮮な驚きを覚えたものです。

ということで、話は戻って乃木坂46です。

乃木坂46は「透明な色」「それぞれの椅子」という二枚のアルバムを既に出しています。ファーストアルバム「透明な色」はそれまでのベスト盤的な性格の濃いものでしたが、それでも新曲が何曲か含まれています。そしてセカンドアルバム「それぞれの椅子」も、ファースト以降のベスト盤的な構成ではありますが、やはり新曲が入っています。

その中の一曲「きっかけ」はファンの間でも名曲と評価が高く、アルバム発売直後の歌番組でもしばしばこの曲が披露されたこともあるくらいです。またミスチルの桜井がこの曲を気に入り、コンサートで歌ったということも話題になりました。

なので、あたし的には「16枚目はどんな曲?」と焦らされるくらいなら、先行するアルバムからのシングルカットでもよくはないか、そう思うのですが……

たまにはホラー以外も鑑賞

先日WOWOWで放送された「カンフー・ジャングル」を視聴。

 

タイトルどおり、カンフー映画です。往年のスターたちがちょこちょこ出ているようなのですが、カンフー映画をそれほど見ているわけではないあたしには、ブルース・リーとジャッキー・チェンくらいしかわかりませんでした(汗)。

さて、ストーリーはそれほど凝ったものではありません。若気の至りで対戦相手を殺してしまった香港警察の元武術教官。その服役中に、武術の達人ばかりを狙った殺人事件が起こります。さまざまなジャンルのカンフーの達人ばかりがターゲットになっていることから、元教官は捜査協力を申し出て釈放され、犯人を追います。

まあ、最初からカンフーのジャンルというか七名ほどの達人の名が明かされるので、この人たちが順番に殺されていって、最後は主人公である元教官と犯人が対決して終わるのだろう、という予想ができます。そしてほぼそのとおりの展開。達人が全員やられたのかはわかりませんが、たぶん5名くらいまでしかやられていないのでは?

で、元教官と犯人との死闘。もともと犯人がこの教官を最終目標に定めていることはなんとなくわかります。で、映画の展開上でも、実は犯人が服役中の元教官へ面会に来ていたという事実が明かされたり、犯人の犯行を示唆するような手紙が元教官に届いていたりと、実は元教官と犯人は最初から面識があったわけです。どこの誰ともわからない、謎の犯人を追いかけているわけではありません。

それにしても、犯人は各ジャンルの達人を倒すほどの武芸をどこで習得したのでしょう? 回想シーンで元教官が、自分が武術上達のコツを教えてしまったと後悔しているところがありますが、そんなことだけであのレベルに達するのでしょうか? それに愛する妻を亡くしてしまう(安楽死なのか、最後は自分で首を絞めて殺してしまったわけですが)というサイドストーリーがあるわけですから、それが連続殺人へ向かう何らかの伏線になっているのかと思えばそうではありません。このあたり、若干犯人にも感情移入できそうなところなのに活かし切れていなくてもったいないですね。

安住の地は何処?

昨日のTBS系「報道特集」の特集の一つは「中国・人権活動家の苦難」でした。

 

中国における人権活動家の苦難は『中国 消し去られた記録』などにも克明に描かれており、本人だけではなく、その家族にまで政府の監視が行なわれているわけで、海外に亡命する活動家も少なくないようです。しかし、文春新書『「暗黒・中国」からの脱出』を読むと、これまで活動家の逃避地でもあったタイなども決して安心して潜伏できる地ではなくなっているようで、著者の顔伯鈞氏が報道特集にインタビューで登場し、答えていました。

東南アジアは、四川省や雲南省から地続きで越境でき、渡った先には逃亡者を匿ったり逃がしたりする組織などもあるようです。しかし中国政府はタイ政府などに圧力をかけ、活動家らの逮捕・引き渡しを行なわせているようです。迫害を受けて亡命・逃亡している人を本国に引き渡すというタイ政府の姿勢も問題ありですが、そもそも彼らが亡命せざるを得ないような状況に追い込んだ中国政府の弾圧が、そもそも国際的な人権感覚に照らし合わせてみた場合におかしなものであるということです。

来年の、5年に一度の党大会に向けて、引き締めや弾圧を厳しくこそすれ緩めることはないと思われる中国政府ですので、ここはやはり経済的に中国に依存している東南アジア諸国では歯向かうのは難しいでしょうから、西側が結束して働きかけるしかないのではないでしょうか? とはいえ、その西側ですら、中国市場から閉め出されるのを恐れ、中国に媚びを売るような態度に終始して、人権などで中国に毅然とした態度を取れなくなっていますから、どうしようもないですね。

顔伯鈞氏をはじめ、海外に暮らす活動家が一日も早く中国へ戻って家族と平和に暮らせる日が来ることを願います。たぶん、そういう存在の最大なのがダライ・ラマなのでしょう。チベットや新疆は民族問題、宗教問題という別の問題も絡んで、特に独立という領土問題があるので、なおさら厄介ではありますが、これも解決の糸口はあるのでしょうか?

三連休ですが、なにか?

明日から三連休。

羨ましいなあ、という書店員さんの声が聞こえます(汗)。

基本的に、あたしの場合、お休みの日は自宅に引き籠もっていることが多いです。

特に行きたいところもなければ、したいこともないので……

いわゆる無趣味ということですね。

休みの日は、本を読んだり、録画しておいた映画を見たり、PCをいじっていたり、そんなことしかしていません。

ごくごく稀に、展覧会を見に出かけることもありますが、混雑が嫌いなので朝一番で出かけ(人気の展覧会は開門前に並んでいる人がいます!)、昼前には帰宅するという、いたって健康的な過ごし方をします。

最近行って見たいと思っているのは、「ダリ展」ですね。これは既に前売りを買ってあるので、あとは行くだけです。

東博の「平安の秘仏」「」はどちらも行ってみたいと思っていますので、これは一気に一日で消化しようと思っています。

やはり宗教的な物が好きなのでしょうかね、あたしって。

で、この三連休に出かける予定はもちろんなく、あすはとりあえず自宅で書棚の組み立てと部屋の模様替えの予定です。日曜日はダラダラ過ごすと思いますが、月曜日は夕方から東京外国語大学の「手をつなぎ合う文学 「多」としての言語と翻訳」で、書籍の会場販売に出かけてきます。

わが家からは近所なので楽なのですが、夕方というのが……

休日の夕方って、あたしの場合、早々とお風呂に入って、のんびり過ごす時間帯なのですよね(汗)。

今年こそ? 今年も?

今朝の朝日新聞に載っていました。ノーベル賞の季節ですね。理系は、このところ日本人が大活躍ですが、さて果たして文学賞は?

あたし地震は、村上春樹は読んだことがありませんし、他にも読みたいものがいくらでもあるので、あえて読みたいとは思いませんが、世間の期待値は膨らむばかりです。が、それに比例するように、「やっぱり取れないんだろうな」という気持ち(世間の冷めた目?)も大きくなっているような気がします。

 

個人的には、ハルキ訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』が売れて、あわよくば『ライ麦畑でつかまえて』も売れてくれればラッキー、という思いはあります。しかし、そもそもサリンジャーが取ってないですし……

村上春樹が受賞するか否かに関わらず、こうして書店店頭が賑わって、お客さんが増えて、売り上げが少しでもアップするのであれば、業界にとってよいことだと思います。この数年、海外の作品の受賞が続いていますが、だからでしょう、なかなか日本人の手が伸びにくい面があります。特に邦訳作品の多い作家ですと、売れ行きが分散してしまったりもします。

さて村上春樹の場合、既にこれだけ売れている、別にノーベル賞を取らなくてもこれだけ売れているわけですから、取った場合、いわゆる「化ける」可能性はどれくらいあるのでしょうか?

ある書店員さん曰く、まだまだハルキを読んでいない読者は多いから、受賞を機に読んでみようという人はかなり多いはず。

確かに、これだけ売れていても、日本人全体で見たら、読んだことない人の方が多いはず。そういう人が「じゃあ、読んでみるか」と思ってくれたら、かなりの数になると思います。

また別の書店員さん曰く、これまでハルキを読んでなかった人がノーベル賞を取ったからといって、果たして読むようになるだろうか。ハルキはアンチも大勢いるし……

この意見もごもっとも。もう少し、ハルキほどは売れていない作家が受賞した方が、受賞後の「伸び代」はあると思います。

ただ、ただですね、非常に悲観的なことを書くようで申し訳ないのですが、そもそも今の日本人って、どれくらい本を読むのでしょう? ノーベル賞で世間が騒ごうが、日常的に本を読まない人が今の日本では圧倒的なのではないか、そんな気もするのです。

それでも、この業界にいますから、ノーベル賞でもなんでもいいから、本を読むきっかけが起こせれば、とは思っています。

今の時代に警鐘を鳴らす?

下の写真は今朝の朝日新聞のオピニオン欄。

あたしの勤務先でもお世話になっている石田勇治さんが、現在の日本の状況とワイマール時代のドイツの状況との似ている点、異なる点について語っています。

 

石田さんと言えば、最近では巨冊『ヒトラー(上) 1889ー1936傲慢』『ヒトラー(下) 1936ー1945天罰』ですが、紙面の略歴欄にもあるように『過去の克服』が主著と言えるのではないでしょうか。

また『20世紀ドイツ史』も挙がっていますが、これは「シリーズ・ドイツ現代史(全4巻)」の一冊で、シリーズ全体の監修が石田さんです。

 

 

その他の3冊、『ドイツを変えた68年運動』『戦後ドイツのユダヤ人』『ドイツの歴史教育』も併せてどうぞ!