政治家は哲学者たるべし?

本日の朝日新聞読書欄に掲載されました。

セネカ 哲学する政治家』です。

 

副題がいいですね。「哲学する政治家」、まるで現在の政治家に聞かせてあげたくなるような言葉です。やはり哲人政治家ではありませんが、政治家たるもの哲学を持っていないとダメなのではないでしょうか?

しかし、やはりセネカと言えば哲学者というイメージが強く、政治家という印象はありませんね。本書はそんなセネカの政治家としての一面にスポットをあてたものですので、古代ローマ史やネロに興味のある方にも必読の一冊ではないでしょうか?

ちなみに、同じ朝日新聞に「書物復権」の記事も載っていました。あたしの勤務先ではベケットの『事の次第』が早々に重版となるくらいの人気を博しております。

看板に偽りあり?

先程のダイアリー

内容とタイトルが合ってなくて……

すみません。

紀伊國屋書店の新宿南店が7月末で閉店するということは既に新聞報道などもありましたので、業界だけでなく一般の方もご存じのとおり。ネットでは既に新宿南店が閉店したかのように想い出を語る人が続出しているとも聞きます。が、先日、新宿本店で面白い(と言っては不謹慎?)話を聞きました。

南店の閉店の話がオープンになって以降、時々お客様から「この店、無くなっちゃうんだよね」と言われることがあるのだとか。「えっ?」というのが、本店のスタッフのみならず、あたしにとっても正直な感想なのですが、一般にはそういう受け止め方をしている人も少なからずいるようです。

つまり、紀伊國屋書店新宿南店が閉店、すなわち新宿にある紀伊國屋書店が閉店、という認識のようです。業界人であれば、そして紀伊國屋書店を頻繁に利用している人であれば、本店と南店というように、新宿には紀伊國屋書店が二つあるということは自明です。でも、一般の方、特に「久しぶりに東京へ来たから、新宿の紀伊國屋へ寄って帰ろう」というような人だと、そもそも新宿に紀伊國屋書店が二つあるということが知られていなかったのではないでしょうか?

そこへ持ってきて、上のように「新宿の紀伊國屋書店が…」という情報が入ってくれば、自分が昔から利用していたあの本屋が無くなるんだ、という発想に行き着くのはごくごく自然なことでしょう。

ですから、ここは声を大にして、「新宿に紀伊國屋書店は二つあります。昔からある、洋菓子の高野やカレーの中村屋のご近所の紀伊國屋書店は閉店しません」と訴えておきましょう。

考えてみますと、大都市ならターミナルに巨大な本屋複数あるのは珍しくもなんともないですが、日本中ほとんどの都市、町では本屋というのは「あるか、ないか」という状況のはず。新宿に本屋がいくつあるかなんて、そもそもいくつもあるなんて予想外なのかもしれませんね。

映画公開に間に合いました

映画化されたブルックリン』、惜しくもオスカーこそ逃しましたが、アカデミー賞にもノミネートされただけあって、試写会を見てきた同僚の話ではとてもよい作品だったそうです。

さて、その原作邦訳はあたしの勤務先から刊行しておりまして、もちろん刊行当時は映画化なんて話は知らず、下の写真のような装丁でした。

が、このたび日本でも映画公開がきまりましたので、オビを新調いたしました。それが下の写真です。

いかがでしょう? 文芸作品ですから、それほど派手なけばけばしいものはふさわしくないでしょうから、作品世界を壊さないような、落ち着いた仕上がりですね。機会を作って、あたしも本編を見に行きたいですが、とにもかくにも、邦訳を読んだ感想を踏まえるなら、この作品は主演女優で決まると思います。

もちろん、主演女優賞にノミネートされたわけですから、そのよさは一定の評価を得ているわけで、だからこそ、とにかく映画も見てみたくなります。

新宿には紀伊國屋書店が二つある!

紀伊國屋書店新宿本店の二階、外からのエスカレーターで上がってきた入り口を入って横、一番最初のフェアコーナーで、タマフルブックフェア開催中です。今月いっぱいの予定なので、そろそろ終わりに近づいていますが……。

で、このフェアでは、あたしの勤務先の書籍が二点、並んでおります。

まずは『こども 牛腸茂雄写真集』です。あたしの勤務先では珍しい写真集、なおかつ変型判の本です。少し前の本ですが、今でも時々客注が入ります。牛腸は「ごちょう」と読みますが、この本を注文される方には言わずもがなでしょう。でも、書店からの電話ではきちんと読めない方が多かったのも刊行のころの想い出です(汗)。

そしてもう一点は、いま話題の『ムシェ 小さな英雄の物語』です。

翻訳大賞受賞以後、出荷も売り上げも伸びていますし、なにより作品がすばらしいです。静かな感動を呼び起こす、といった感じの読後感です。この機会に是非!

先進国へ向かうのか、それとも戦前の日本なのか?

読了した『中国経済はどこまで崩壊するのか』で、個人的に共感したのは次の箇所です。

第2章で言及したように、中国が実質一〇%超の高成長局面に戻ることはできないだろう。だが、変動相場制へ移行して、経済政策を含め、経済活動の自由度をより高めることによって、一人当たりのGDPが二万ドル超の「高所得国」への道が開けるのではないかと考えているのだ。また、より経済活動の自由化を高めることによって、国民生活の向上が実現すれば、中国共産党の一党独裁体制が大きく揺らぐこともないのではないか、と政治的にも楽観的にみている。問題は、政治的に中国共産党政権がそれを許容できるかどうか、である。(P.78)

という部分です。ある程度の格差はやむを得ないとして、特権階級の特権を取り上げ、庶民に及ぶ国民生活の向上が図れれば、共産党の体制は覆らないのではないか、とあたしも思っています。ただし、最後に「できるかどうか」とあるように、共産党の覚悟、そこが鍵だと思っています。

さらに

このように考えると、繰り返しになるが、中国の政策当局はなるべく早く、人民元の変動相場制への移行、ある程度の対外開放を実現して一人当たりのGDPを安定的に増加させ、「中所得国の罠」を回避する政策がベストではないかと考える。「対外開放を行なうと、中国共産党一党独裁体制が揺らぐのではないか」という懸念が生じるかもしれないが、経済政策運営を比較的うまく行なえば、そして国全体のGDPの水準よりも、一人当たりのGDPという国民一人ひとりの生活水準を重視した経済政策運営を実施し、ある程度の成功を収めれば、体制を大きく揺るがすような政治危機は起こらないのではないか。(P.172)

と再び提言を行なっていますが、やはり取り得る道はこれではないでしょうか?

ただ、著者は経済分析の中で、現在の中国が戦前の日本と似ているところがあるとも指摘しています。戦前の日本は軍部の暴走を政治家が抑えきれなかったところに問題があったわけですから、現在の中国に置き換えて見ると、人民解放軍を習近平がしっかり把握できているのか、ということがキーポイントでしょう。

となると、昨今の東シナ海や南シナ海での武力による拡張的な行動も、どの程度習近平の意志なのか。現場の暴走を追認しているだけなのか。そこが気になります。やってしまった以上、中央としては「すみません」というセリフは口が裂けても言えないでしょうし、中華民族復興の夢を掲げる現政権にとって、領土を取り戻すのは悲願でもありますから、正面切っての批判はしにくいでしょう。それをよいことに解放軍がどんどん暴走したら……

一般に、習近平は江沢民派の軍幹部を更迭し、かなりの程度影響力を行使できるようになったと言われていますが、果たして、本当のところはどうなのでしょうか? やはり中国の鍵を握るのは軍、武力なんですね。

2016年6月17日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

中国経済は崩壊しない?

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2016年6月16日 | カテゴリー : 罔殆庵博客 | 投稿者 : 染井吉野 ナンシー

指揮棒

文庫クセジュの新刊『100語でたのしむオペラ』をパラパラめくっていると面白いです。

その一つ、「指揮棒」は冒頭からこんな具合

十七世紀、リュリが演奏者の前で拍子をとったときに握っていたのは、文字通りの棒(フランス語で指揮棒のことをbaguetteと言うが、baguetteはもともと棒を指す)で、彼はこの太い棒のためにけがをしたほどである。

さらに

オーケストラの指揮はまさに力業であり、指揮者は自分のすべてを投入する。指揮者のエネルギーは、そのままオーケストラに伝わる。全体からよく見えることばかりを意識して、動作を大きくし続けていると、オーケストラの音もますます大きくなってしまう。当然のことながら、舞台で歌う歌手の声も聞こえにくくなる。

なんてことまで。挙げ句の果てに

とはいえ、指揮棒は絶対に必要というわけではない。ピエール・ブーレーズ、小澤征爾、あるいはヴァレリー・ゲルギエフは、小規模な楽器編成のバロック音楽を専門とする指揮者と同様、指揮棒なしで指揮をすることを好む。

とまで言ってしまっています。

他にも読んでいるとクスッとしてしまう、堅苦しさなんてまるでない、オペラミニ百科です。

東洋文庫の『陳独秀文集』に興味を持つ、乃木坂46ファンの確率

下の画像は、あたしがよく見ている乃木坂46のファンサイト、というか、まとめサイト。ただし、今回のダイアリーの主役は乃木坂46ではありません。

タイトルの下に紫色のメニューバー、その下には自動で切り替わる画像が表示され、この画像ではセカンド・アルバムが表示されているところです。このセカンド・アルバムの下に、クリックで拡大してもらうとわかりやすいですが、ヨドバシカメラの商品が表示されています。

ブラウザであるサイトを表示すると、このように関連するコンテンツとか、最近チェックした商品が表示されるというのはよくあることです。ですから、このサイトを見ている乃木坂46ファンの人すべてがこの画像のような画面になっているとは限りません。あたしの場合、PC用品とか、家庭用品など、ヨドバシで買うことが多く、また商品の値段のチェックなどもヨドバシのサイトを使うことが多いので、このような表示になっているのだと思います。

で、興味深いのは表示されている内容です。女子高生やアイドルみたいなのがいっぱい写っています。たぶん乃木坂46のCDなどを買っているので、生写真とか、そういったものが「オススメ商品」として並んでいるのだと思います。

 

でも、その中に、違和感アリアリなのが東洋文庫の『陳独秀文集1』です。そう、この本、欲しいなあ、と思ってチェックしていたんです。たぶん、ヨドバシカメラのサイトで、乃木坂46の関連商品はともなく、東洋文庫を検索する人なんてほとんどいないのでしょうか、だから検索結果に出てきてしまうのでしょうね。このように、ネットの検索結果がデータとして蓄積される場合、おかしなといいますか、きわめて個人的なものまで収集されてしまうわけです。

アマゾンでも「この商品を購入した人はこの商品も購入しています」といった感じで、関連商品やオススメ商品が表示されますよね? もし、あたしが乃木坂46の生写真と東洋文庫を一緒に買ったりしたら、アマゾンのサイトの『陳独秀文集』のページには、「この商品を購入した人は……」として、乃木坂46の生写真がオススメされるということになるのでしょう。乃木坂46ファンで、中国近代思想に興味がある人って、日本国内にどれくらいいるのでしょうか?

って、あたしはここ何年もアマゾンでは買い物をしていないのでわかりませんが、もう何年も前に、アマゾンで中国古典の研究書と女子アナの写真集『あいこ日和』を同時に買ったことがありました。さすがに写真集は多くの人が買っているので、おすすめ本もさまざまでしたが、研究書の方はアマゾンで購入した人が、しばらくはあたし一人だけだったのでしょう、「この本を購入した人は…」のところには、ずーっとその写真集が表示されていました(笑)。