Nancy Sensual World

このたび、「染井吉野ナンシーの官能世界」は引っ越しました。新しい世界はこちらになります。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 自動では新しい世界に飛びませんので悪しからず……

新着ニュース

まもなく自著も刊行予定

今日も朝日新聞です。

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。

この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』です。

フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。

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最近のRockfield's Diary

ささやかな暮れのご挨拶?

暮れになるとお得意先回り。暮れのご挨拶です。

手土産はカレンダーというのが定番でしょうか? いえ、確かにカレンダーは相変わらず配られていますし、こちらもいただいたカレンダーを重宝しています。それでも世間一般ではどうせなら気に入った柄のカレンダーを部屋に飾りたいと、市販のカレンダーを買っている人も多いようです。

カレンダーも千差万別。文字の大きさにこだわるのか、写真やイラストで選ぶのか、一か月一枚がいいのか、二か月や三か月で一枚になっているものがよいのか? こればかりは好みですね。

そんな暮れの挨拶の手土産ですが、あたしの勤務先では昨年からこのようなものを作って、お世話になっている書店の方に配っています。とはいえ、回りきれない書店も多いので、すべての書店の方に行き渡っているとはとても言えませんが……(汗)

何かと言えば、ポストイットです。こういったものが書店現場では一番喜んでもらえます。それほど高いものでもないので、もらった方が遠慮なく使えますし、お互いにとってWin-Winなのではないでしょうか?

大きさ違い、色違いのポストイット、左側の一番大きなサイズにはロゴや社名も入っています。一応は宣伝物という扱いです(笑)。

そして今年です。

昨年は昨年出喜んでいただきましたが、「ちょっと小さいかな」という意見もありました。もちろん昨年のサイズはポストイットの王道、最もポピュラーなサイズだと思うので、これで困るという人は多いわけではないのですが、「ちょっとメモを書いて貼るのには小さい」というのは配布しているこちらでも感じていたことです。

というわけで2019年版がこちらです。

なんとなく、昔懐かしい国際郵便封筒をイメージさせますが、フランス国旗のトリコロールですよね。フランスがあたしの勤務先の代名詞でもあるので、そのあたりは意識しているのではないかと思います。

箱から取り出すと、入っているのはこういうポストイットです。今年はワンサイズでロゴや社名も入っていません。色も一色ですから、昨年の方が凝っていたでしょうか?

でも、メモなどを書き込むにはこのくらいのサイズがないとダメですよね。これなら、ちょっとしたメッセージを書いて同僚のデスクやPCの片隅に貼っておくのに適しています。そういう使い方であれば、色も黄色の方がデスク周りでも目立つでしょう。

で、最近になりまして、書店回りの時にこれらを持ち歩いて、行った先の書店の方に差し上げています。やはり喜んでいただけます。「こういうのがいいんですよね」という感想がほとんどです。喜んでもらえると、こちらとしても嬉しいです

ところで、昨年のポストイットだと小さすぎてメモとか書けないと言われて今年は少し違うのに変えたのですが、両者のサイズの違いが気になりませんか?

最後の写真は、二つを並べてみたものです。今年のポストイットはこの外箱とほぼ同じサイズです。昨年のは二枚目の写真でおわかりのように二つ折りです。やはり、昨年のものと比べると、今年は格段に各スペースが広くなったということがご理解いただけるのではないでしょうか?

物語のない物語

中央駅』読了。

同著者の(邦訳としての)前作『娘について』は、個人的に面白く、そして非常に考えさせられる作品だったので、本作品も期待して読み始めました。

しかし、読み始めてしばらくするとちょっと面食らいました。

簡単に言ってしまうと、この作品はとある鉄道駅前の広場に巣喰うホームレスの物語です。主人公の「俺」が唐突に現われます。なぜ「俺」がホームレスになったのか、周辺のホームレスの中では比較的若いということが明かされるだけで、それ以外の描写はありません。オタクっぽいのか、病的なのか、あるいは逞しい体つきなのか一切不明です。もちろん容姿も。

そんな「俺」がたまたま知り合った病気持ちの「女」と行きずりの関係を持ち、そこからズルズルと関係を続けていき、底なし沼にハマったかのようにホームレスから抜け出せなくなっていくのです。いや、「俺」にしろ「女」にしろ、本当にその状況から抜け出そうとしているのか、やっていることを見ているととてもそうは思えません。

「乞食は三日やったらやめられない」と言われますが、そんな感じです。周囲から差し伸べられる手もつかもうとせずに振りほどいてしまいます。そしてその手がつかもうとするのは「女」の体です。

最後にどんな結末が待っているのか、たいていの小説はそんなストーリーを意識しながら読むものですが、この作品にはそんな物語があるようには感じられません。別に「俺」と「女」ではなくとも、駅周辺、広場にいるホームレスたちの適当な一瞬を切り取ってつなぎ合わせれば、この作品が成立してしまうような気がします、匿名性というのともちょっと違う気がしますが……

では、壮絶な愛の物語なのか。確かにそういう読み方もできるのでしょう。本書収録の解説にもそう書いてあります。しかし、あたしにはこの作品に愛の物語を感じることはできませんでした。獣の媾いとしか思えません。「俺」の独白でもそんなことを述べていたような気がしますが、これが愛なのか、。あたしには疑問です。それはあたしが、人を愛したり愛されたりしたことがないからなのかも知れませんが。

最後に、疑問というか読み終わって考えたのは、作者はなんでこの作品のタイトルを「中央駅」にしたのだろうか、ということです。作品舞台は駅と言うよりも、その前に広がる「広場」です。作品はほとんどそことその周辺で終始しています。ありきたりかもしれませんが、「広場」というタイトルの方がふさわしいと感じたのですが、そこをあえて「中央駅」にしたのはなぜか、とても気になりました。

この時季の決まり事?

毎年この時季に、わが家の菩提寺へ参ります。

ご先祖様へ暮れの挨拶とお寺へ毎年の管理料を払いに出向くというわけです。今日はとてもよい天気で昼間は暑いくらいの晴天でした。絶好の墓参り日和という表現があるのかどうか知りませんが、とにかく無事墓参りを済ませました。

その帰路、思い出すのは数年前、やはり母と墓参りへ言った帰りの井の頭線です。あたしと母が乗っていた井の頭線の急行電車が高井戸駅を通過するときに人身事故を起こしたのです。

「起こした」と書くと運転手か電車が悪者みたいに聞こえますが、状況を説明するなら通過する井の頭線にホームから人が飛び込んだのです。あたしと母は吉祥寺へ向かう電車の先頭車両に乗っていましたが、ものすごい警笛を鳴らしながら急ブレーキをかける電車と、その直後のドンという軽い衝撃。そして急停止と泣き崩れる乗客。たぶん一番前で進行方向を眺めていて人が飛び込んでくるのを目撃してしまったのでしょうね。そりゃあショッキングなことでしょう。

この時季は、上述のような年中行事があるのでほぼ毎年井の頭線に乗りますが、高井戸駅を通過するたびにあの時の人身事故を思い出します。