Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
天才の習慣
有村架純主演の映画「ビリギャル」ですが、書籍も相変わらず売れているのでしょうね。はい、『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』のことです。
ただ、この類いの本って昔からありますよね。「学校一の落ちこぼれが……」とか、「地域ナンバーのワルが……」といった話です。元暴走族が弁護士になったとか教師になったとか、実は掃いて捨てるほどあるのではないでしょうか?
あたし自身、出版業界にいる人間として、なにはともあれ本が売れてくれるのは嬉しいことですし、売れる本が出てくるのも好ましいことだと思っています。ただ、個人的な感想を言えと言われたら、こういう本がもてはやされる風潮って好きではありません。
ダメだった子が努力して頑張って、最後に夢をつかんだというストーリー、確かに清々しくて、キラキラしていて、嬉しい気持ちになるのかも知れません。
でも、あたしは思うのです。そんな落ちこぼれが頑張るのをもてはやす前に、普段から地味だけどきちんと努力して、そこそこの成績を収めている人をもっと称えるべきではないのか、と。東大に合格するのだって、弁護士になるのだって、医者になるのだって、普段から地道に努力して、決して目立つようなことはなかったけれど、目標に向かってしっかり努力を続けてきて、その結果として目標を実現する、それが大多数の人だと思います。そういう普通の人をもっと褒めてあげるべきではないかと、あたしは思うのです。
普通の人をもっと褒めてあげないと、普通に努力することがバカらしくなってしまいます。そういう風潮が一番怖い、そう思います。しかし、世の中の人は、そんなつまらない努力、地味で目立たないこと、華々しさに欠けるストーリーには興味ないんですよね。本屋映画もヒットしないでしょうし。
たぶん、そういう劇的なことが好きだからなのでしょうか。最近はこういう本も売れているみたいです。
『天才たちの日課』、そして『偉大なる失敗
』です。天才と呼ばれた人々が何をしていたか、それがつまらない習慣だろうと失敗談だろうと、最後は天才としての栄光に結びついたのだと考えて、それを参考にしようと思うのでしょう。書かれている内容が劇的かどうかはともかく、そして彼らの生涯が劇的であったかもおくとして、やはり天才と呼ばれる人、つまり普通ではない人に憧れる気持ちがあるのでしょう。
だったら、こんな本、痛快で面白いと思うのですが。
『バンヴァードの阿房宮』です。サブタイトルは「世界を変えなかった十三人」、「大きな夢と才能を持ちながら歴史に名を残せなかった人々」の物語、つまりは失敗者列伝です。成功した人よりも失敗した人に学ぶことの方が多いのではないでしょうか? この本は笑えますし、涙も誘われます。
敗北を抱きしめているか?
TBS系「報道特集」にジョン・ダワー氏が出ていました。キャスターがアメリカでロング・インタビューしたもののダイジェスト放送のようでした。なかなか興味深く、考えさせる内容でした。
ジョン・ダワーと言ったら、これ、『敗北を抱きしめて 上』『敗北を抱きしめて 下
』でしょう。あたしは未読ですが、今宵のインタビューを聞いていて、やっぱり読んでみようかなと思いました。たぶん、あたしのようにこの番組を見て「改めて読んでみようと思った」とか、「こんな本が出ていたんだ。初めて知った」とか、そんな感想を抱いた人も多いのではないでしょうか? 「報道特集」の視聴率がどのくらいあるのか知りませんが、こういった番組を見ている人であれば、この機会に『敗北を抱きしめて』に手を伸ばそう考える人もそれなりに多いのではないでしょうか?
となると、あたしの勤務先の『廃墟の零年1945』も再び売り上げが上がってくるのではないでしょうか? そんな期待を抱きたくなりますし、実際そうなって欲しいですし、そうなるだけの内容を持った本であると自負しております。なにせ、オビには「『敗北を抱きしめて』の世界版」なんて書いてありますし……(汗)
しかし、この手の戦後70年の議論を見たり聞いたりしていて素朴に思う疑問がいくつかあります。
まず、時代に合わせて憲法の内容も見直すべきだ、という原則論は賛成しますし、環境権とか、現憲法の成立・施行時には想定もされていなかったような部分を補わなければならない、という意見にも異存はありません。ただ、憲法って原則中の原則を示すものであって、そんなに細かなことまで書いてなければいけないものでしょうか? それに象徴でもある9条を改正するというのは、海外へのアピールという面から考えて、プラスよりもマイナス面の方が大きいのではないか、という気がします。
改憲論議で言えば、自主憲法にこだわる人の意見も理解に苦しみます。憲法ってその内容を云々するのはよいとしても、誰が作ったかなんてどうでもよいのではないでしょうか? 少なくとも、どこの馬の骨が作ったというわけではないのですし、世界に誇れるすばらしい内容なのに、自分たちが作ったものでないから変えるべき、というのは説得力を感じません。
あと、いまの自民党は戦争がしたくてしたくてたまらないみたいに見えますが、この話は湾岸戦争のころから聞こえてきたように思います。そして、そのころからやはり言われるようになったと思えるのが「普通の国」という単語です。曰く、日本も普通の国になるべき、と。「報道特集」でダワー氏も言っていましたが、この「普通の国」っていったいどんな国なのか、その定義を聞いたことがありません。少なくとも自民党の人たちから、納得のいくような「普通の国」の定義を説明された覚えはないと思います。
「普通」と言えば、いまの状態が普通ではなく、それはよくないことであって、一刻も早く「普通」にならないといけない、という錯覚を生むのではないでしょうか? 「普通の国」という言い回しを考えた人は実に頭がよいというか、悪知恵が働くというか、底意地が悪いというか、ずる賢いというか、そんな人だと思います。
とりあえず、ジョン・ダワーの本がまた売れるのではないでしょうか? それでなくとも今年は戦後70年なので売れそうな気配がありますが……
サファリの次はジャングル
世間はゴールデンウイークだそうです。
あっ、あたしも休んでおります。暦どおりなので、5連休ということになります。はっきり言ってこんなに長い休みは要りません。だったら出社して仕事するから、今月後半とか祝日のない6月に振り替えさせて欲しいと切に願います(笑)。
それはさておき、今朝も4時前に目が覚めました。休みだからもっと寝ていてもいいのですが、起きてしまいました。ただ、今日は会社へ行く予定だったので、早起きする必要もあったのです。
今週の月曜日、岸田賞の授賞式があって、その会場で飾られていた花、一部は受賞者の方やスタッフなどお客さんに差し上げたのですが、大きな鉢に入った豪華な花がそのまま残ってしまっていて会社に置いておいたのですが置き場所にも困るし、これから連休で誰も世話ができない、という事情からわが家で引き取ることになりました。でも、そんな大きな鉢、とても電車に持ち込めませんので早起きして自家用車で会社へ向かったというわけです。
5時前に自宅を出て会社着は6時ころ。ちょっと雑務をこなした後、花を車に積み込み、6時半すぎには会社を出発、8時前には自宅へ戻りました。やはり行きの方が空いてまして時間も多少少なくすみました。往復ともに高速を使わず1時間程度ですからスムーズなものです。そう言えば、神保町の靖国通りでカーブを曲がりきれなかったとおぼしき車が中央分離帯にぶつかってぺしゃんこになっていました。朝っぱらか事故とは……
さて、そんなわけで早々と戻ってきましたので一日のんびりできます。映画鑑賞です。今回はこちらです。
「ジャングル」です。先日「サファリ」を見て、こんどはジャングルとは、われながら笑ってしまいます。本作もモキュメンタリーです。ヒョウの研究と保護を仕事としている弟(主人公)とカメラマンの兄がインドネシアのジャングルへ向かいます。現地スタッフ2名とともに絶滅が危惧されるジャワヒョウの生態を記録するためです。
さて、目的の生息地であるジャングルは地元住民は悪魔が棲む場所として恐れていて近づこうとしません。それを幸いと密猟者が跡を絶たないのでしょう。そんな会話を交わしながら主人公たちもジャングルに入っていきます。その前に現地のシャーマンのような男からもこの森は危険であると警告されますが、この手の映画に出てくるアメリカ人は判で押したようにバカ丸出して、そういう忠告を無視し、自分こそは正義だと言わんばかりに危険に向かって突き進みます。
大した映画でもないので結論を書いてしまいますと、結局、密猟者と鉢合わせすることもなく、ジャングルを進みますが、最後の最後で全員、得体の知れない生物に襲われ4人全員がやられてしまいます。
彼らを襲ったのは何か?
巨大な殺人ヒョウ? 最初はそんな可能性を感じさせる会話があるのですが、姿がほとんど出てきません。襲われるときもラストシーンまで姿は映りません。で、最後に主人公たちが襲われるシーンでカメラに捕らえられた犯人は、実ははっきりとは映っていないのですが、二足歩行をした毛むくじゃらの生物。森に棲む悪魔ってことなんでしょうが、それがよくわかりません。毛皮を着ただけの、まだ発見されていない原住民と言えなくもないです。
この映画の最大の問題点は、森の悪魔の仕業にするのであれば、そういった恐怖をストーリーの半ばくらいから少しずつ見せていかなければならないと思うのですが、ほぼ最後の方まで野生のヒョウが襲ってきたら怖い、その他にもジャングルには危険生物がいっぱい、その他にも荒っぽい密猟者が銃を持ってうろうろしているのではないか、といったいたって文明的な理解の範囲の中で進むのです。決して科学では理解できない事態が起こるわけではありません。
これでは怖くなって戻ろうという現地スタッフの意見に説得力を感じません。「もう少し調査を進めないと」という主人公の意見の方がもっともに聞こえます。そして四人の登場人物が襲われるのも、襲われるというよりも突然消えると言った方がよい感じですから、何が起こったのかわかりません。そう、何が起こったのかわからない恐怖というのは現実にはあるのでしょうが、映画としては「置いてけぼり感」だけが残り、恐怖を感じることはありません。
で、最後の最後に登場した毛むくじゃら。
あれは何? 非常にチープな被り物、着ぐるみにしか見えませんでした。もう少し早くに姿を現わして、主人公たちとの死闘が繰り広げられればスリリングになったのでしょうが、あの造形では怖いと言う感じが出なかったかも知れませんね。





