Nancy Sensual World

このたび、「染井吉野ナンシーの官能世界」は引っ越しました。新しい世界はこちらになります。今後ともご愛顧のほどよろしくお願い申し上げます。 自動では新しい世界に飛びませんので悪しからず……

新着ニュース

まもなく自著も刊行予定

今日も朝日新聞です。

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。

この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』です。

フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。

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最近のRockfield's Diary

まるで平気

本日もリメイク映画三昧。「死霊のえじき」と「デイ・オブ・ザ・デッド」です。

 

前者がオリジナルで、後者がそのリメイクだそうです。どちらも、科学者の細菌兵器研究から突然変異、人に感染してゾンビ化、それが街に蔓延して軍隊の出動、地域一帯を封鎖、取り残された人間たちの脱出劇、という基本的なモチーフは同じなのですが、ストーリーと言いますか、鑑賞後の感想はかなり異なります。

前者は、映画のスタート時点で既にゾンビがした人間がうようよいる近未来の世界で地下シェルターに辛うじて生き残って軍人と科学者ら十数名のサバイバル劇です。自分勝手で居丈高な軍人、軍人は帝の宇田と見下して主義主張を変えようとしない意固地な科学者という対立の図式はわかりやすいですが、あの極限状況であんな諍いをやってられる両者の馬鹿さ加減に呆れます。特に、仲間を実験台として殺して使っていた科学者の存在には呆れるを通り越して怒りさえ覚えます。まあ、腹の立つ連中は最後は皆やられてしまうわけですが、それでも主人公の女性科学者も意固地すぎて好感が持てません。

後者は、既に細菌兵器の変異は中央に報告されているのか、中央から軍が送り込まれ、問題の街が閉鎖されるということから物語が始まります。そして、街の人たちが最初は風邪のような咳き込む症状から一気にゾンビ化していき、あとは前者と同じような脱出劇。ただし、前者は最初の時点で人間として生き残っている人が限られていて、はっきりしているのに対し、後者は街が徐々にゾンビ化していくので、あっちにも人間、こっちにも人間が生き残っていて、また生き残っていても本当に感染していないのかどうか、そういうスリルがあります。地下シェルターに逃げ込むというのは前作のリメイクだからなのかもしれませんが、もしかすると車であのまま逃げおおせたのではないかという気がします。

後者の方は、生き残った人間の仲間割れもなく、科学者もそれほど底意地が悪い感じがするほどでもなく、あの程度のぶつかり合いは十分ありえるという範囲。やはりあんな状況に置かれたら、ケンカなんかしている場合ではないというのがフツーでしょ。そして、こちらの作品では主人公が魅力的です。あんな小柄で伍長という軍隊側の人間(前作は科学者でした)というのはやや無理がありますが、凛々しくて格好良くて、それでいてかわいらしさもあります。

肝心のラストですが、前者はヘリコプターで無人島のようなところへ逃げ延びたようですが、文明の利器のない原始生活でサバイバルしていくのでしょうか? 後者は車で街をに脱出するわけですが、果たして何処まで行けばウィルに感染されていない場所へたどり着けるのでしょうか? なにせ、途中の検問所の兵士たちが既にゾンビ化していたわけですから。どちらも、無事にゾンビの街からは脱出したけれど、という結末ですね。

さて、両者とも、ゾンビ映画ですので、かなりグロいシーンがあります。生きた人間をゾンビがむさぼり食うシーンなどはかなりグロテスクです。目玉や内臓が飛び出て、頭や腕や足が引きちぎられて、血が出るだけでなく、ぬるぬるとした体液と一体となった血潮がそこら中に飛び散ります。こういうグロテスクシーンが苦手な人は、この映画は見ない方がよいでしょう。ちなみに、あたしはこういうシーンを見ながら平気で食事ができるタイプです。

逆にゾクゾクする怖さが好きなホラーファンには、こういう映画は物足りないのではないでしょうか? だってゾンビが出てくるだけで怖いわけではありませんから。あたしは、B級もC級も、ホラー全般、好きです。特にジャンルもなく、ソウのようなものでも、13金でも、呪怨やリングなども、そして本作のようなものも、特に食わず嫌いはありません(笑)。

リメイク?

録画してあった3作品を鑑賞。まずは「AVP2 エイリアンズVS.プレデター」を視聴。

エイリアンとプレテダーという二大異星人を一緒に出してしまった映画「エイリアンVS.プレデター」の続編だそうです。

あたしはパート1も見ているはずですが、それほどストーリーを憶えているわけではありません。エイリアンとプレテダーが闘っていたなぁ、くらいの感想です。でも別にパート1を見ていなくても、この作品はこの作品で楽しめます。一応続編ということで、前作を受け、エイリアンとプレテダーの混血児(?)が誕生し、それがプレテダーの宇宙船の中で誕生しプレテダーを襲い、宇宙船は地球に墜落。そのまま新種のエイリアンは地球人を殺しながら繁殖していくわけです。一方のプレテダーは墜落した宇宙船を追って地球にやってきて繁殖を続ける新種エイリアンを始末していくという寸法。

ところが、どんどん増えていくエイリアンに対してプレテダーは一人、と言うか一匹、というか一頭。これでは埒が明きません。底へ人間世界のドラマが中途半端に挟まってきて、結局人間たちはエイリアンを数匹は倒すものの大成に影響を与えることはなく、最後は軍によってエイリアンともども(たぶん核兵器で)街もろともぶっ飛ばされてしまうというラスト。かつてゾンビもので、街ごと核爆弾で消滅させてしまうと井浦ストがあったのを覚えているのですが(映画のタイトルは失念)、アメリカって最後は核爆弾で民間人も情け容赦なく殺してしまうんだなあと実感した次第。

それにしても、画面が暗くてよくわからないし、プレテダーとエイリアンの違いが造形的によくわからないのが、この映画の最大の欠点ではないでしょうか?

続いて、リメイク版の「死霊のはらわた」と、「死霊のはらわた 2」です。

 

前者はリメイクですが、オリジナルは妹の薬物依存治療なんて設定ではなかったはず。ちょっと思い出せないのですが、少なくとも今作の方がスッキリとしたストーリーになってはいません。これがよいのかわるいのか、何とも言えません。主人公が薬物依存となるとすべてが薬物による幻覚という可能性も捨てきれないからです。まあ、死ぬべき登場人物は簡単に死ぬし、生き残る登場人物はしぶといものですね。で、死霊に取り憑かれているので殺してもなかなか死なない、また襲ってくる、どうやったら殺せるのか、なかなか難しいところですが、手がかりになる本があるので、それをなぞればなんとかなりそうで、最後は兄妹愛でハッピーエンド、なのかしら?

後者は、これはホラーというよりもコメディーですね。笑えます。死霊が襲ってきているのに、切羽詰まった感のない連中。これでは殺されても仕方ないです。とはいえ、随所に笑えるところが満載。もちろんイタイ場面は多々ありますが、ホラーが嫌いで、これなら笑ってみられるのではないかと思います。

お薦めするか否か

光文社古典新訳文庫の『赤い橋の殺人』読了。

なんでも訳者である日本人研究者が再発見した幻の作品なのだとか。オビなどの惹句もちょっと面白そうという感じがしましたし、フランス文学なので一応は読んでおくか、という気持ちで手に取りました。

内容は、貧乏な境遇から成り上がったクレマンが些細な会話から冷静さを失い、徐々に追い詰められて最後には過去の殺人事件を告白するというストーリーです。この小説の文学史における位置づけなどは訳者解説が詳しく書いていますので、あたしがここで述べるよりもそれを読んでいただいた方がよいでしょう。この作品に対するプラス評価はすべて訳者解説に譲りますので、ここではあたしなりの不満点をあえて述べてみたいと思います。

まず、クレマンの人物造型が理解しづらいです。無神論者でどうしようもない悪漢のように設定されていますが、そこまでの陰影が足りないです。なぜそういう人物になったのかという点も突っ込みが足りないと思います。ですので、パーティーの席でのある殺人事件の話を聞いて動揺するところも唐突すぎると言いますか、これだけの悪党であればあの程度の世間話でうろたえるというのはおかしいと感じてしまいます。

次に探偵役と、解説では書かれているマックスも決して探偵ではなく、単にクレマンの話を聞いているだけの存在です。なんかおかしいな、とは感じるものの謎解きを積極的にしようという姿勢が見られるかというと、決してそんな感じはなく、友人クレマンに悩みがあるなら聞いてあげよう、くらいの立ち位置に感じられます。そして誰からも嫌われるというかつてのクレマン(←ここも、なぜ嫌われるのか、嫌われるほどのイヤな奴だったのかの描写はほとんどありません)に対し、どうしてここまで友情を貫くのか、そのあたりの事情もマックスの人となりもわかりづらいです。

基本的にはかつて殺人事件を起こした男が、そのときに奪った金を元に成り上がり、それなりの名士となったが、事件の発覚を恐れ徐々に平静さを失っていく物語という流れの中で、みょに細々とした描写がなされているところもあれば(←このあたりは、個人的にはゾラの作品に似たものを感じました)、かなり端折ってしまっている部分もあり、登場人物それぞれをもっと丹念に描けば、この倍以上の長さの作品になったのではないかと思いますが、より面白く、謎に満ちつつも、犯人にも共感の出来る作品になったのでは、という気がします。

以上、かなり辛口、辛辣なことを書いてしまいましたが、それは褒め言葉は訳者みずからが巻末の解説で書いているので、それ以上褒めそやしても仕方がないと思ったため、そしてあまり褒めすぎて、この本を読んだ方が落胆してもいけないなあと思ったからです。

ただ、この作品は、上に書いたような、あたしなりに感じる欠点はあるものの、この時代を考えるとやむを得ないのかな、実験的な作品なのかな、という気がします。情景描写の詳しさだけを求めるのであれば先行作品も多々あるでしょうが、推理小説、謎解きの要素を盛り込むとなると、ようやくポーが登場したような時代ですから、まだまだ不十分なものであたとしても仕方ないのではないでしょうか?

そのような意味では、謎解きとしては極めて単純で短絡的な事件しか起こっていませんので本格的とはとても言えませんが、ヨーロッパの推理小説史の中に位置づけて読むべき作品なのだろうなあ、と思います。そして訳者解説によると、この作品は小説(書籍)としてではなく、当初は上演されて受容されていたとのこと。そう考えたとき、肝心なところだけをテンポよく取り出して話を進めていくこの作品は、確かに演劇向きの作品ではあるかな、という気もしました。