Nancy Sensual World
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まもなく自著も刊行予定

元フィギュアスケート選手の町田樹選手が本を紹介している記事です。
この町田選手、近々あたしの勤務先から書籍を刊行いたします。それが『アーティスティックスポーツ研究序説 フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論
』です。
フィギュアスケート選手時代の写真ではありません。タイトルからもわかるとおり立派な研究書です。アーティスティックスポーツというと、少し前から名称が変わったシンクロナイズドスイミングが有名など思いますが、こういった、誰にでもわかりやすい数値で順位や勝ち負けが判定されるのではなく、芸術性や表現力などを競う競技はなかなか奥深いものがありますね。
最近のRockfield's Diary
スリーピー・ホロウっぽい?
ハリー・ポッターでお馴染みのダニエル・ラドクリフ主演のゴシック・ホラー「ウーマン・イン・ブラック 亡霊の館」を視聴。
原作は早川文庫の『黒衣の女 ある亡霊の物語』だそうですが、もちろん読んだことありません。ちなみに、あたしは「ハリー・ポッター」シリーズも読んだこともなければ、映画も観たことありません。あしからず。
さて、この映画ですが、長男の出産の折に死亡してしまった妻の面影を忘れられずにいる弁護士ラドクリフが、この仕事をうまくやれないとクビにすると事務所から申し渡されて向かったのが、ロンドンから列車を乗り継ぎ訪れた田舎。その田舎の村の外れの、広大な沼地の中の島に立つ大きな屋敷です。既に居住者は亡くなっていて、その財産の整理に訪れたという設定。
よそ者に冷たい視線を送る村人の雰囲気はよく見られるパターンです。既に列車も走り、自動車もこの村には一台あるというのに、中世のようなたたずまいというか、ひと昔もふた昔も前のままの住民たち。そんな村では、子供たちが次々と事故で死ぬという忌まわしい出来事が続いているのです。その原因がラドクリフが向かう屋敷にある、というのは言われなくてもわかりますが、なぜそうなったのかが徐々に明かされていきます。
以下、ストーリーを書いてしまいますと、この屋敷に住んでいた夫婦には子供がなく、妻の妹(だったかな?)の子供を養子に取ります。ところが、この夫婦は実の母親が子供に会わせてくれと言っても断わり、手紙のやりとりすらも断わるほどの冷たい夫婦だったようです。と、こう書くと「悪い夫婦」という印象を持ってしまいますが、どうでしょうね。自分の子供として育てたいと思って養子にもらったのだとしたら、いつまでも実の親がしゃしゃり出てこられるのはイヤなのではないでしょうか?
それはさておき、ところがこの養子の男の子が沼で溺れて死んでしまいます。そして沼だったからでしょうか、遺体も見つからず埋葬もされないまま、溺れたとおぼしき場所に十字架が立てられているだけでした。実の母親が会わせてもらえなかったのは子供が死んだことを知られたくなかったからかもしれませんね。そのあたりの時間の前後関係は不明ですが、とにかく息子の死は実の母親の知るところとなり、母親は養父母をなじり、挙げ句、この屋敷の子供部屋、つまり自分の息子の部屋で首をつって自殺してしまいます。
この母親がいまだに子供を思ってさまよい出てきては、目に付いた子供をあの世へ引きずり込んでいるのが数々の子供の事故の正体らしいのですが、それに気づいたラドクリフは沼地から男の子の遺体を見つけ出し、母親の棺桶に一緒に埋葬します。これで一件落着、母親もようやく成仏(←キリスト教世界では昇天と言うべきか?)したと信じ、列車でロンドンからやってきた4歳の自分の息子と、ロンドンへ戻っていきますが、そこで大どんでん返しというか、あっと言う結末が……
さて、ちょっとミステリーとホラーが融合し、時代を現代ではなく、やや迷信が残っていそうな少し前の時代に、舞台も都会ではなく田舎に設定しているところは、ジョニー・デップ主演の「スリーピー・ホロウ」によく似た感じがします。ビジュアル的にも影響を受けているのではないかなあ、という気がします。
肝心のラドクリフも、あたしは上に書いたように「ハリー・ポッター」を見ていませんが、そんな面影は微塵も感じられず、精神的にやられているインテリをうまく演じていたのではないかと思います。そんなところもジョニー・デップにちょっと似ていたかな、と思いました。
さよなら、タブレット
あたしの手元からタブレットがなくなりました。
この半年くらい、ドコモの「F-02F」を使っていました。外回り営業に出た時に、メールのチェックなど、それなりに重宝していたので、これがないと不便です。いや、無ければ無いなりに慣れてしまうのでしょうか?
別になくしたわけではありません。修理に出したのです。
では壊したのかというと、そういうわけではなく、壊れたわけでもありません。
実は、液晶の端の方が黄ばむという現象に、この数日気づきまして、よく見ると、画面の四辺のうち三辺に黄色い帯のような筋が入っているのです。もちろん画面の汚れではありません。拭いていましたが落ちません。かといって、操作や使用に支障があるのかと問われると、特にそういうこともなく、端っこの方なので気にしなければ気にならない程度のものです。
ただ、念のためネットで検索してみると、この症状、意外とヒットするんです。画面の黄ばみ以外に問題がなければ無償修理をしてくれるという情報もあり(←傷やへこみなど、いろいろチェックされ、そういうのがあると有償になる場合もあるようです)、とりあえずは、どんな対応をしてくれるか、本日午前中に近所のドコモショップへ行ってきました。
その結果、確かに黄ばみが確認され、他に傷などの問題もないので無償修理ということになり、タブレットを預けてきたという始末。ちなみに、ネットでヒットした記事の中には修理されて戻ってきても、しばらくするとまた黄ばみが出た、というものもありました。となると、何か根本的な問題、設計上の問題があるのかもしれませんね。とにかく、修理から戻ってこないと何とも言えません。
で、修理に出している間、ドコモショップでは代替機を貸してくれるということでしたが、二世代前のモデルしかないということなので断わりました。ですから修理が終わるまでタブレットなしの生活となります。それもまたスッキリしてよいかも、と思っています。
多少の不便はあるでしょうけど、タブレットのない生活自体にはあまり心配とか不安はないのですが、一番憂鬱なのは修理が終わって戻ってきた時です。タブレットは修理に出すに当たって初期化してしまいましたので、戻ってきた時には、カスタマイズした部分がすべてパーです。後から自分でインストールしたアプリもすべて無くなっているはずです。使わないアプリなら再インストールしなくても構わないですが、いったい何をインストールしてあったのか、そういう環境をバックアップしておけばよかったかな、いや、そもそもそういうバックアップの仕方ってあるのか、できるのか、そこがわかりません。
使っていた環境に戻すのに時間がかかりそうです。それに、一週間程度と言われましたが、そのくらいで戻ってくるのか……
礼讃
本日見本出しの新刊『読書礼讃』はアルベルト・マングェルの著作です。
彼の書籍は既に白水社からは『図書館 愛書家の楽園』と『奇想の美術館
』の二点を出していて、これが三点目になります。
また柏書房からは『読書の歴史』も出ています。
これらのタイトルからも、もっぱら本にまつわるあれやこれやを精力的に書いている方だということがわかります。
それはともかく、今回の新刊のタイトル、さすがに「らいさん」は読めますよね? 白水社には今回の本以外にも『個の礼讃』『日常礼讃
』といった本があるので書店から注文の電話がかかってくることがあります。そういうときに「れいさん」と読む人がいらっしゃるのです。
これくらいルビが振っていなくても読めて当たり前の単語なのか、底まで求めるのは酷なのか、どうなのでしょう? 一般日本人にアンケートをしたら何割くらいの人がきちんと読めるのでしょうか? という思いもありますが、やはり書店員ならこれくらいは読めて欲しいという気持ちもあります。
「礼」を「らい」と読むのは中国古典をやっている人ならしばしば見かけるはずです。有名な『礼記』は「らいき」と読みますし、その他にも『周礼』は「しゅらい」、『儀礼』は「ぎれい」ではなく「ぎらい」と読み、この三つの古典を総称して「三礼=さんらい」と呼びます。『周礼』など「しゅうれい」ではなく、「しゅうらい」でもなく、「しゅらい」と読むわけですから、このあたりは専門家以外には読めなくても仕方ないところでしょう。ただ、中国古典をやっている人は、このような古典の名称を日常的に目にするので、「礼讃」を「らいさん」と読める確率が高いだろうなあとは思います。
ところで、この礼讃、いま「礼讃」と書きましたが、他社の本などでは「礼賛」という表記も散見されますね。「讃」なのか、「賛」なのか、ということです。これは通用する文字ですが、「讃」は常用漢字ではないのでしょうか? だから「讃」を避けて「賛」と書くようになったのではないでしょうか? 現代日本語ではどちらでもよいみたいですが、そうなると後は文字面、見た目の問題でしょうか? やはりなんか「ごんべん」が付いている方が格好良く見えるのはあたしだけでしょうか?





